ヒョウ太達がどうしてこれ程早く戻ってきたのか、一体どうやって催眠ガスを避けて帰ってきたのか。
時は、少し遡る。
「……なるほど、うん。大体分かったよ」
「悪かったネ、先に言ってればヒョウ太サンももっと気楽に観れたのに」
「なァに謝ってるの! むしろそんな大事なこと、おれに言っちゃって大丈夫?」
コンフィによるあれやこれや全ての解説を聞きながら、先の道が最低限照らされているだけの暗がりを降りていく。随分とややこしい事情を抱え込んでいるものだ、おれ達が言えることではないが。
「ヒョウ太サンなら問題なし! 考えてみてヨ、こんだけしがらみの多い自分ら……というかサーが、本気で仲間になってほしいって言ったんだヨ? 信頼してなくて何だってのさ」
「え、そんなに珍しいことだったの?」
思い返されるのは半年前、ハトの腹話術師を面白がって船に乗らないかと聞いていた光景。政府に追われる経緯が特殊である指名手配犯の軽さではなかったと記憶している。
「軽口で勧誘することは今までもあったけどネー。あの人ウォーターセブン離れた後にやけ酒して泣いてたんだヨ、普段は弱くて一滴も飲まない癖に」
「それこそおれが聞いていいことかなァ……」
「ウソ吐いて黙ってた分、恥ずかしいコトちょっと暴露するくらいじゃないと割に合わないカナーってね」
「だーから気にしてないよ、ホントに!」
(……本当に。気にしてないけど、うう……なんだろコレ、すっごくモヤモヤする!)
閑話や重圧を感じさせない語り口に紛れているものの、話の内容は一つの国が滅びた経緯の詳細。
どこか遠くの出来事、ある種の歴史と思えてしまうが、050はおれ程には割り切れていないようだ。
そして、……モヤモヤと形容された霧がかって腑に落ちない感覚は、覚えがある。
「そう? それにしちゃあ顰めっ面だネ。そうだ、まだ時間あるし質問タイムと行こうカナ!」
「質問?」
「そそ。楽しいことでも悲しいことでも、分かることなら答えるヨ〜」
取り繕えていないその様子を見て、わざとだろう。コンフィが明るく切り出した。こんな時だが、折角だ。何でも聞いてくれと叩かれた胸を借りることにしよう。
「じゃあさ、結局本物の王様って誰? 何となく、察しは付いてるけど」
「あ、分かっちゃったんだネ。まーアレだけヒント出てたら当然かナー……」
トラブルの中心、ケードウの王族とやらがこの一座にいるとすれば、の話だが、考えられる心当たりは一人しかいない。050もおれと同じ結論に辿り着いていたようだ。
「団長やれるくらいの強さで、騎士としての称号を持ってて。でもって赤色と金色が綺麗って言ったら──」
「こんなとこに通路だーーッ!!」
「どっわあっ!?」
バンッ!!! と盛大な音を立てて。
頭に思い描いていた金糸が、意識の外から眼前に飛び出してきた。
……どうやら、前方の壁が隠し扉になっていたらしい。勢いよく開いたドアと予想外の声量に飛び跳ね、足を滑らせかけた体は、コンフィによって咄嗟に支えられた。
「んあ? あれ? ……コンフィとヒョウ太だったんだ、何でここに?」
「迎えに来てくれたんじゃないのか? というか姉さん、人がいるって分かってたなら勢い落とさなきゃだろ」
急に飛び出してきておいて首を傾げる女は前に、副団長と副船長を名乗っていた。
海風に晒されているだろうに大した痛みもなさそうな髪は、きらきらとした金の色。確か姉弟で揃いの瞳は、淡く穏やかな赤の色。……『確か』と曖昧なのは、何故か二人ともガスマスクを付けているからである。
ともかく、改めて確信出来た。
「──だよねェ、クラウさんしかいないよね。……ぬはは、びっくりしたあ」
「噂をすれば何とやらって言うケド。どっからツッコめばいいのカナ、この状況」
ついでにクラウはこの騒ぎを気にせず眠っているらしい誰かを背負っていた。どんな状況だ。
「こっちの事情は話せば長くなるんだけど」
「とりあえずガスマスク外そうヨ」
経緯を語りだそうとしたクラウに、話に集中できないからと当然のストップが掛かる。何故そんな厳つい物を着けているのか、そもそもどこから持ち出したんだ。
姉弟は言われて気付いたらしく、ハッとしながら顔を覆うマスクを取り払い、そして急いだ様子で隠し扉を閉めた。……一見奇妙な行動だが、理由の想像はつく。
「これでよし、と……胡乱げな目で見るなって、ちゃんと理由があるんだからな!」
「どんな理由? まさか毒ガスが撒かれてるワケでもあるまいし」
「毒じゃあないけど、うーん……あながち間違いじゃないんだよねー」
「へ?」
言いながらクラウが横目で見たのは、背負われたまま眠る人物……トラット。釣られて全員が視線を向ければ、彼女はちょうど身動ぎをした。
不自然な眠りから、そろそろ覚めるようだ。
──────…………
「ハァ!? 催眠ガスらしきものが迷宮にって、えェ!? フィルサンがしたの? そんなまさか!」
「変な匂いがするな〜って思ってたら、いつの間にか寝ちゃってたみたいで……私も信じられないけど、そうとしか考えられないな〜」
目覚めたばかりではあるがトラットはすぐに状況を把握したらしく、いつもより間延びした話し方で話に加わった。
状況証拠から少しは察せられる内容だったにも関わらずコンフィが驚きの声を上げているのは、なまじフィルの人物像を知っているからか。そんなことをするわけが無い、という盲点だったのだろう。
「そーそー。ウィンドがショー放ったらかしで探索してなかったら、わたし達も今頃眠ってただろうね」
「最初に脱落してった姉さんを探してただけなんだけどな……偶然ガスマスクなんてのを見つけて、念の為に持ってったのが功を奏したんだ」
肩を竦めて頷く姉弟。その偶然がなければ、迷宮内に突入する予定だったおれ達もトラットと同じ結果を辿っていたかもしれないと思うと、少し恐ろしい。
……しかし、催眠ガスか。
「コンフィさんの言う通り、中将さんってそんなになりふり構わない人じゃなさそうだよね? っていうか、何で皆を眠らせなきゃいけなかったんだろ」
必要に迫られなければ、これ程強引な行動には出ないだろう。問題はその必要性がどういうものか、だ。
「油断したとこを一網打尽とか?」
「でも海軍が眠ってるところ見たよ、わたしたち。捕縛したいなら人手をわざわざ巻き込んだりしないでしょ」
「ううん……どうしても見られたくない、妨害されたくないことでもあるのか? おれ達にも、もしかしたら自身の部下にも」
「…………あ」
一番高い可能性を提示したウィンドの言葉に、トラットが短く声を洩らした。
「ねえ、船長はどこに!?」
「え? 地上、フィルサンと一緒にいると思う、ケド……」
心当たりがあるのかと伺った顔色はみるみる青褪めていき、そして。
「まさか……っ皆、早く上に! 止めなきゃマズいかも!」
「ちょっ、トラットサン!?」
仲間への端的な呼び掛けを残し、急いた足取りで階段を駆け上がり始めた。
「止めるって何を!? まだディオンとリフター回収できてないんだが!」
「そっちは後で〜! んん、どう説明したら……」
突飛な行動に戸惑ったものの、置いていかれないようにと先を行く彼女の後を全員で追う。
「フィルちゃんは船長と──カッスンとよく似てる! 考え方とか、行動とかが! 私の心配事、クラウなら分かるよね〜!?」
「…………、それってまさか、いや、全然ありえる!」
「頼むから自分らにも分かるように言ってくれないカナ!!」
二人だけで通じ合った女性陣に、コンフィが半分怒鳴るようにして叫ぶ。
訳の分からないまま走らされている此方としては当然の怒りだ。この体は既に息が切れかけて余裕がない。故に声を上げられないだけで、気持ちとしてはおれも050も同じ。
「聞かせてくれ姉さん、似てたら何がマズいんだ?」
「……カッスンとの秘密だったんだけどね、そんなこと言ってらんないか!」
思い出すだけで腹立つ、と。
焦燥と苛立ちを混ぜこぜにした声色で、クラウは吐き捨てる。
「五年前に手配書が出回った時、カッスンはどうしたと思う? ほんっと信じらんないことに、単身でマリージョア襲撃なんて企ててたの!」
「…………は!? 何ソレ聞いてない!!!」
(……マリージョアは確か、天竜人の住む地だったよな?)
暴露された秘密とやらは、この世界への理解が乏しいおれでさえとんでもない事だと分かる話だった。
今度こそ完全に怒鳴ったコンフィが受けた衝撃はおれ以上のものだろう、誰も語気を荒らげた彼を咎めない。
「賞金首がマリージョアに侵入する手段なんて、その首を差し出すくらい……フィルサンは今正に、サーのソレとおんなじコトしようとしてるって!?」
「カッスンの時はわたしが傍にいたから説得できた。けどカッスンのおねーさん、フィルを止められる人は居ないはず! 思考回路が似てるっていうなら十分ありえる話だよ! 杞憂ならいいんだけど!」
地上に向かうにつれて、会話が焦りと共に段々と熱を帯び、それと比例するように走る速度も上がっていく。
──つまりは、追従する者の体力を容赦なく削ることに他ならない。
効率のいい体の動かし方を熟知できているだけマシだが、どうしようもない身体能力の低下を逐一思い知らされるのが腹立たしい。
(無理するなよ、今の体は前とは違う。何ならこの問題はおれ達が着いて行く必要なんざないんだぞ)
(それは、そうだけど……! 全部見届けないと多分、モヤモヤが収まんないから!)
表層にいないおれでさえキリキリとした肺の痛みが分かる程だ。050はそれ以上の苦しみを受けているだろうが、自身の苦痛で止まるような人格でないことは承知の上。
おれに出来るのは、地下迷宮をぐるりと囲んでいる無駄に長いこの階段が早く終わることを祈ることだけ。
「見えた、地上!」
「よし、それで師匠達はどこに──、」
終点が目と鼻の先、というところまで辿り着いて。
……油断、してしまったのだろう。
「──っわ、あ?!」
(ッ050!)
疲労のせいか階段を踏み外し、体勢を崩してしまって。
前のように咄嗟に空気を蹴ることも叶わず、為す術なく前に倒れ込んだ。
「ヒョウ太サン!?」
「ヒョウ太!? 怪我してない? 大丈夫!?」
「いっ──だ、大丈夫……っ?」
(な訳ねェだろうが! 気付いてるだろ050、折れてこそいないが走りでもすれば悪化する!)
即座に駆け寄って身を案じてくる海賊達を心配させまいと立ち上がりかけたバカヤロウを、体の操作に割り込んで無理矢理止める。
「大丈夫そうには見えないヨ! やっぱりどこか痛む? しばらく座って待ってて、後で迎えに来るからネ!」
不自然な動作に気付いたコンフィに、椅子まで運ぶためか抱え上げられる。……トラブルが遠ざかる。
そうだ、その方がいい。
今は、何がなんでも立ち上がらなければならなかったエニエス・ロビーの時とは違う。
「……ごめん」
「全面的に自分らが原因! 謝んなくていいから、ヒョウ太サンは心配しないで──」
「ごめん、実を言うと歩けないんだけどさ、おれも連れてって! 引き摺ってでもいいから!」
なのに何故、それ程までに無茶をしようとする?
「……乗りかかった船じゃ気になる、って? 分かったヨ、事が終わったらすぐディオンサンに診てもらうからネ!」
止めてくれればよかったのだが。
ぐ、と息を詰めながらもコンフィは了承し、そのまま背中に抱え直された。
カッスン達二人はどこへ行ったのかと飛び交う声を意識の遠くへ追いやり、顔を顰める心地で片割れを呼ぶ。
(050)
(う、だからごめんって!)
(その謝罪は怪我したことについてだな? 違う、痛くて怒ってるんじゃねェ……はァ、お前に言っても無意味だろうが)
常識として定着した善人の振る舞いは、頑強だった時の名残り。だが今は何もかもが前と違う、弱者となった身体で無茶な真似をするべきじゃない。
(いや、分かってるよ。今になってやっと分かったんだ。このモヤモヤ、ルッチのそれと同じだって)
(、…………)
モヤモヤとやらの正体はとっくに知っていた。
……躊躇なく行われる自己犠牲への苛立ち。散々おれが050に対して覚えていた感情だ。
(……だったら、尚更タチが悪いな)
(うん、ごめん)
師匠と呼び慕う相手が──親しい相手が身を呈している事実にどうにもならないやるせなさや腹立たしさを感じたのなら、おれの葛藤を真に理解できるようになっただろうに。