「──い、おい、大丈夫か?」
ぜえはあと息を切らし、疲労の溜まった足を地面に投げ出した。夜の冷えた土が上昇した体温を落ち着かせる。
「まさか、カッスン達に何かあったのか」
最悪を想定したのか、上から降ってくる少し青ざめた声に、かろうじて首を横に振る。別段、誰にも危機など迫っていない。
「……なら。一体どうしたんだ? ヒョウ太」
木に凭れ、呼吸を整え。
そうしてようやく、050は顔を上げた。
(……逃げてきちゃった)
寿命のことが露呈したこと。
ディオンを泣かせたこと。
ようやく未練を自覚したこと。
どれか一つ取っても割り切れないものが立て続けに起こったせいだろう。整理しきれなかった感情は、その場からの逃走として出力された。誰も追ってこなかったのは……あちらも動揺していたのか、はたまた気を遣われたか。
土地勘のない島だ、半分無意識に辿り着いたのは昼間の広場だった。喧騒はとうに過ぎて、今は海軍の者達が会場の片付け──片付け? 地面に空いた大穴を全員で埋めている。
作業現場が見える木の根元で座り込んでいたところ、中将に見咎められたのが今。
「……べつに」
「……それにしては、酷い顔をしているが」
白い服に土が付くのを厭わずに片膝を折った中将の顔は、対応に困っていますと書いているも同然だった。目を合わせるのが気まずくなったようで、050がふいと視線を外す。
ひやりとした夜風に頬を撫でられ、冷静さがほんの少しだけ返ってきたらしい。温度を失った汗を拭って、どう言い訳するかと頭を捻っている。
あまりにも長くそうしているものだから。
(誤魔化し方が思い付かない、か?)
(うわあびっくりした!)
仕方がないと声をかければ、びくと肩が揺れた。
(急に喋んないでよ!)
(なら黙るが)
(もっとダメ! ルッチってばずーっと引っ込んでたじゃん!)
かろうじて表情に出さずわあわあと吐かれる文句を、かれこれ数時間は黙り込んでいたからこの反応も仕方ない、と甘んじて受け入れる。……抗議に沈黙を使うのは悪手だったかもしれないが、あれ以外に最適解が思い付かなかったのだ。
(喧嘩したとでも言えばいい。誤魔化されてくれるかは別としてな)
(喧嘩の内容聞かれたら?)
(黙秘でいいんじゃないか)
(……連れ戻されたりしない?)
(さあな)
(匙投げるの早いって!)
投げやりがバレたようだ。
おれの提案はすぐに露見する嘘であること、仲直りしろと連れて行かれかねないこと。それらを危惧して、050は膝を抱え込んだ。
(……どうすればいいと思う?)
(言ったよな。好きにしろと)
結局、そこに戻ってくる。
(好きに……って)
(お前自身の心のままに。後のことなんざ考えなくていい)
この精神状態は、……おれにも覚えがある。溜め込んだ期間はおれよりもずっと長いが。それなら、口から勝手に出そうになる言葉を阻まないだけでいい。
濁す言葉、話を逸らす言葉、姑息であってもこの場を逃れられる言葉。色々な選択肢が泡のように浮かんでは、ダメだと割られて消えていく。
050はまたしばらく悩んで、息を吸って、吐いて、金色と目を合わせ。
「フィルさんは、さ。死ぬのが怖いと思ったこと、ある?」
世界の終わりのような声で、そう呟いた。
「……ああ、いくらでもある」
こちらの言葉を待っていたフィルは、思いがけなかっただろう小さな問いに一瞬戸惑う様子を見せ、しかしすぐに頷く。
「こんな時代の、この仕事だからな。触れる機会が多いから、……この頃は麻痺していたようだ、すまない」
「?」
何についての謝罪なのかと首を傾げる050に、フィルはバツが悪そうに口を開く。
「その、わたくしのせいだろう? お前、……コホン、君にとって身近な者を、わたくしが殺そうとしたから……」
「あ、あー……」
剣が振るわれ、血が流れるのを目の当たりにした。近しい人間があと一歩のところで命を落としていたかもしれなかった。今日初めて、死というものをすぐ隣に感じた少年が、夜になって怖くなった。そう解釈しているのだろう。
この勘違いに乗ってしまえば、何もかも誤魔化せる。まったくもってその通り、怖かったんだ、と俯いてみせれば済む話だ。
「ああっと、…………、」
050の口が、肯定の言葉を形作ろうとして、──喉の奥でぴたりと、出かかった音が停止した。
「…………ち、がう」
代わりに出たのは否定の言葉。
「違う。おれがもうすぐ死ぬから、……今更、怖くなったから、なんだわ」
中で聞いていたおれも、話している当の本人である050でさえ驚くほどにあっさりと、隠していた筈の秘密は滑り出た。
「、死……だ、と?」
「うん。……うーん、なんでこんなことバラしちゃってるんだろ。ディオンさんには無理にでも誤魔化そうとしたのに」
フィルさんに言うのはあんまり抵抗がなくって。言い訳のような響きでもって050はぽろぽろと零す。
突然の暴露に処理落ちしたかのように瞼を瞬かせる中将からは、元より虚飾になりかけていた威厳が完全に剥がれ落ちていた。その分かりやすい動揺にすら気付いていない050もまた、混乱の最中にあるのだろう。
互いに暫く黙りこくった後、はあ、と溜め息。フィルのものだ。
「……親しい人間ではないから、だろう。近い相手であればこそ、伝えられないことは増えるものだ」
彼女は依然狼狽えた様子のまま、しかし平静を被って。
「口を出されたくない、心配されたくない、失望されるかもしれない。他人であったなら悩まずにいられるものを、と。……さて」
慰めるような、諭すような。自身の経験談を話すかのような。
感情を混ぜこぜにして遠くを見るような瞳は、ふいにきりりと目尻を上げたことで切り替わった。
「ディオンには話したと言ったな。どこまで?」
「んえ?、ええと……話した、っていうか……寿命がバレたっていうか」
「ふむ、詳しくは?」
「……言ってないけど」
「カッスン達に話す気は?」
「……、…………」
050の顔が下がりかけたところで、ぱちん、と。
「ならば予行練習だ」
中将の手のひらが、乾いた音を鳴らした。
「わたくしに話してみて、尚も奴らに言いたくなければ言わなくともいい。会いたくないというのなら、会わないように連れ出してやる」
「へ」
(……中々強引な聞き出し方だな)
呆れるおれとは対照的に、せっかく仲直りしたのに、とばかりにこのお人好しはぽかんと口を開けた。
「な、んで……そこまで?」
「大恩人だからな。──さあ」
ふ、と。どこか苦みの混じった、しかし柔らかい息をついて白い姿が隣に座り込む。先程までの狼狽えた様子は、いつの間にかどこかへ仕舞い込まれていた。
「聞かせてくれ、ヒョウ太。君の悩みを」