“異能なし”の俺が、ヒーローたちを支えるためにできること 作:銀層
明日から仮採用ってことで、これをインストールしといてくれる?」
そう言って、美怜さんが俺にスマホを向けてくる。画面には、見慣れないアプリのインストール画面が表示されていた。
「これは、事務所の専用スケジュール管理アプリよ。お互いの勤務状況や出動先が確認できるようになってるの」
「ヒーローって、そんなに事務所に集まらないんですか?」
「うん。基本、各自で動いてるのが多いのよ。救助や消火って現場がバラバラだし、事務所にいる周囲にいるのは訓練中かパトロール中ぐらいかな」
なるほど、チームとはいえ全員がバラバラの現場で動くのが当たり前なのか。
大手とは違う、少人数ならではの連携の難しさがある。
「合格したら、君もこのアプリの正式メンバーに登録する予定。まあ、まだ仮だけど」
そう言いながら、柊さんがメモ帳に何かを書き込んでいる。
「パトロールや訓練に同行して、現場の空気を知ってもらうのが先決ね。周防さんには、基本的にどちらかに同行してもらう形になります」
「……了解しました!」
返事をすると、美怜さんがにやりと笑った。
「そう硬くならないで。──最初は誰でも新人だよ。失敗しても、命を落とさなければいいってくらいの気持ちでね」
そう言って、彼女は俺の肩を軽く叩いた。
その手は、氷を操る異能者のものとは思えないほど温かかった。
~~
初出勤の日。
朝の空気は、思っていたよりも緊張感がなかった。
……そんな中で、俺に任されたのは“同行”という名の“実地評価”だった。
「水鏡と一緒に動いて。訓練場所まで行って、彼女の補助をお願い」
と、美怜さんから指示されただけで、具体的なことは一切言われていない。
(つまり、やり方は任せるってことか)
俺は勝手に判断した。
今日の目的は“現場に慣れること”と、“水鏡 真琴のメンタルの様子を見ること”。
がっつり突っ込むようなカウンセリングではなく、あくまで観察だ。
訓練場所は、街の外れにある廃ビルを改修した屋内施設。
消防や救助の訓練が行えるよう、人工的に煙や熱を出す装置まであるらしいが――
「今日は安全設定です」とだけ、事前に説明された。
つまり、煙も熱もなし。静かな現場での訓練。
俺としてはありがたい。
いきなり刺激が強い環境に晒すのは、回復を妨げる。
(彼女が今、どこまで安定してるのか……見極めなきゃな)
「水鏡さん、訓練の動きをしてもらってもいいですか?」
「……はい」
「いつもどおりで構いません。無理のない範囲で」
彼女はうなずくと、静かに異能を発動した。
ふわり、と足元に水の気配が広がる。
空気を包むように、彼女の周囲に淡い水球が展開されていく。
《アクアドーム》
防御と冷却を兼ね備えた水の結界。
火災現場での救助活動に特化した、極めて優秀な異能。
(展開速度は良好。水面に乱れなし。発動時の手の震えもない)
俺の目には、“異変”は見当たらなかった。
「特に問題なさそうですね」
水鏡 真琴の訓練を見守りながら、俺は静かに言葉をかけた。
彼女の動きは一定していて、異能の発動も安定している。
やはり、“表面上”の問題はなさそうだった。
「負荷量を上げていきますね。問題があれば言ってください」
「はい。……お願いします」
彼女は素直にうなずいた。
感情を押し殺すような、どこか抑えた声音だったが、それでも“逃げ”は感じられない。
訓練施設の操作盤にあるスイッチを一つずつ押していく。
まずは、軽い煙。
次に、温風と照明で再現される熱の演出。
最後に、奥の区画でチラつく小規模な人工炎。
……すべて、彼女は問題なく対応した。
(やはり、“火そのもの”への恐怖ではないな)
「やはり、火自体に恐怖感はなさそうですね」
「なら、よかったです」
彼女はほっとしたように微笑んだ。
……でも、その笑顔にはどこか“無理している”ものが見えた。
(結局、問題はそこじゃない)
火が怖いんじゃない。
炎を見るとフラッシュバックするわけでもない。
――彼女の中にあるのは、“助けられなかった自分”に対する責任感と、自己否定だ。
(自分を責めてる……自分が悪かった、力が足りなかった。そう思い込んでる)
こういうケースは、正直一番難しい。
過去の出来事に“区切り”をつけられないと、前に進めない。
そしてその区切りは、他人が与えられるものじゃなくて、自分で納得するしかない。
(真面目な性格だって話だしな……典型的な、責任感の強さが裏目に出るタイプだ)
彼女の異能は優秀だ。実際、今日の訓練でも何の支障も出ていない。
でも、それだけじゃ足りない。
彼女が“自分を許せるか”――それだけが、復帰の鍵だ。
俺にできるのは、そのきっかけを用意することだけ。
訓練が終わり、少し汗ばんだ額をタオルで拭きながら、水鏡さんがふっと息を吐いた。
「日常生活でも火は見ていますし、家事もできています」
そう前置きして、少し間を置いてから――
「……なんで、こんなことまで話してるんでしょうかね」
苦笑混じりにそう言った。
「たぶん、“大丈夫ですよ”って伝えたいんじゃないですか?」
俺が返すと、水鏡さんは小さく笑った。
「……かもしれませんね」
俺としても、今日の様子を見る限り、異能の使用にも日常の行動にも支障はない。
やはり、問題の根はもっと別のところにある。
「私の見立ても、火自体がトリガーではないと思います」
「……はい。私も、そう思います」
真琴さんはそう言うと、ポーチから小さなノートを取り出し、何かを書き始めた。
ペン先が軽快に走る音が、静かな控室に響く。
(……記録か)
見れば、細かい字で今日の訓練内容や気づきをメモしているようだった。
「すばらしいですね。医学的にも、メンタルの状態を自分で把握することはとても有効ですよ」
「……ありがとうございます」
彼女は顔を上げずにそう答えたけど、口元は少し緩んでいた。
“自分を見つめる余裕”がある――それだけでも、十分前進している証拠だ。
「小さいことしかできないけど、一歩ずつ進めたらいいですけどね」
「ええ。……たぶん、長い旅になります。だからこそ、辛抱強く粘っていきましょう」
彼女の声は、少しだけ柔らかくなっていた。
~~
「彼女はどうだった?」
面談室のテーブル越しに、氷崎さんが問いかけてきた。
俺は、手元のメモを一度見てから、静かに答えた。
「火への恐怖心はほとんど見られませんでした。訓練中の動作も、安定しています」
「……実際の現場では、また変わるかもしれないけどな」
「はい。そこは私も同意見です」
それでも、今日の訓練である程度の方向性は見えた。
大きな問題は、別のところにある。
「ただ……本来の原因については、彼女自身の口からは語られませんでした」
「だろうな。あの子、ああ見えて責任を抱え込むタイプだからな」
氷崎さんが、軽く腕を組んだまま目を細める。
「私の推測ですが――おそらく、助けきれなかった子どものことが、彼女の中に残ってるんじゃないかと」
「なるほどな。ただ、断定はしない方がいいな」
「もちろんです。勝手な決めつけは悪手です」
俺は深くうなずいた。
PTSDは“引き金”を間違えると悪化する。診断する立場じゃないからこそ、慎重になるべきだ。
「いずれにしても、自己肯定感がやや低いように見えます。行動自体はしっかりしてますが、“私なんかが”という思考が時折見え隠れします」
「……やっぱりか」
「なので、私は焦らず、彼女の言葉から自然と原因が“漏れる”のを待ちたいです。精神科のキャリアがあるわけではありませんから、一気に踏み込むのは危険だと思っています」
「わかった。任せる」
氷崎さんは、それ以上は詰めてこなかった。
彼女も、表面の強さとは違って、かなり“見ている”人だ。
「ところで……君の試験の回答にあった、“被災者の声を届ける”という案な」
「はい」
「警察に協力を仰いでる。水鏡が過去に救助した人のリストを、今調べてもらってるところだ」
思わず言葉を失った。そこまで、してくれてるのか――。
「君としては、どういう人が理想だ?」
「……できれば、被害が軽くて、今は周囲と一緒に幸せに過ごしている人。あと、できればポジティブな人がいいですね」
「なるほど。じゃあ、その条件で警察には伝えておく」
「ありがとうございます……本当に」
「なあ、君、そんなに驚くなよ」
「……すみません。でも、ここまで本気でサポートしてくれるなんて」
「当然だろう?」
氷崎さんは、少しだけ笑って、テーブルに肘をついた。
「何のための事務所だよ。ヒーローが、ヒーローとして動けるように支える。そのために私たちはいるんだ」
その言葉に、胸の奥が少し熱くなった。
前職では、こんなふうに“支えることを誇りにしてる人”は、ほとんどいなかった。
「私のわがままなんですが、一ついいですか?」
「彼女のPTSDについてだろう」
「そうです」
「何をすればいい?」
「それはですね……」
~~
今日も、水鏡真琴の付き添いだ。
あくまで「訓練の補助」という名目だが、俺としてはメンタル面の安定と、自己肯定感の底上げが主目的だ。
今日は実際の火を使った訓練。場所は訓練用の空き地。
風の影響を最低限に抑えるため、簡易的な風防囲いの中に小さな焚火を用意していた。
「焚火……ですか?」
真琴が少し不思議そうに首を傾げた。
「そうです。あれを狙って、遠距離から異能で消火してもらいます」
「……スナイパーの練習、みたいですね」
「まさにそんな感じで」
火に近づけないわけではない。けれど、“近づかなきゃ”という圧に晒すより、距離を取りながら自信を積ませる方がいい。
特に真琴のような真面目なタイプは、“失敗できない”という状況が一番心をすり減らす。
「火の距離を段階的に近づけていく感じですか?」
「……いや、そうじゃないんですよ。まずは“当てられる”ことを楽しんでほしいです」
「楽しむ……」
「そう。ゲーム感覚でいいんです。射撃練習の感覚で、“狙い通りに消せた”って成功体験を重ねていきましょう」
「……わかりました」
真琴は深く息を吸い、構えに入った。
自身の周囲に球体状の水が静かに浮かび、滑らかな動きで軌道を描く。
シュウッ……!
放たれた水弾が、焚火の芯からずれているが、水のしぶきが弾けて芯にとどいている。
数秒後、火はじゅうっと音を立てて消えていった。
「意外と……消せるんだね」
焚き火を見つめながら、真琴が小さくつぶやいた。
「芯に当てたら、もっときれいに消えそうだ……あ、すみません。敬語じゃなくて」
少しだけ焦ったように、視線を泳がせる。
「大丈夫ですよ。訓練中ですし、話しやすいようにしてくれたほうがありがたいです」
そう答えると、真琴は少しだけ安堵の息を吐いた。
肩の力が抜けたのがわかる。緊張が和らいでいくのを、こうして少しずつ積み重ねていけばいい。
「それよりも、練習を続けましょう」
「はい……」
「火に対しての恐怖心を、少しずつでも減らしていきましょう」
「……はいっ」
その返事は、先ほどよりもわずかに力がこもっていた。
自己肯定感がしっかりと積み上げていけている。
火の大きさは、初日の焚火サイズから、今ではキャンプファイヤーほどに膨らんでいた。
このサイズになると、消防士の対応時間でおよそ一分程度――これは、俺が前にWIKIで調べた知識だ。
だが、水鏡真琴は三十秒で火を鎮めた。
「……やっぱり、芯をとらえるのって難しいですね」
火が完全に消えたのを確認したあと、真琴が少し息を整えながら言った。
水球を何発も放ったせいか、肩がわずかに上下している。
異能の使い過ぎによる疲労は、身体というより“脳”への負担が強い。
どちらかと言えば、精神的な緊張感から来る疲れではない。単純にエネルギーを消耗している状態だ。
「でも、すごい異能ですね。火の消し方が早すぎて、ちょっと感動しましたよ」
そう声をかけると、真琴は小さく笑った。
「でもね、脳への負担は……すごいけどね。つかれちゃったな、久々にこんなに使ったし」
腰に手を当てて、ふうっと息を吐いたあと、彼女はぽつりと続けた。
「でも……筋トレしたみたいな気持ちよさだったよ」
その言葉には、少しだけ“充実感”がにじんでいた。
異能の扱いに自信が戻ってきたというより、“自分はまだやれる”という実感に近い。