“異能なし”の俺が、ヒーローたちを支えるためにできること 作:銀層
訓練が終わったあと、氷崎さんと少しだけ話す時間が取れた。
「どうやら、うまくできたみたいだね」
笑みを浮かべながら、彼女が言った。
「消火訓練として、悪くなさそうだ。遠距離からの操作は現場でも応用が効くしね」
「ありがとうございます。スナイパー的に“火を狙う”っていうアプローチが、意外と効果あったみたいです」
火への恐怖心を減らす訓練でありながら、同時に実際の消火活動にも繋げていける。彼女の言うとおり、無駄のない訓練だと思う。
「動画もちゃんと撮ってるのはいいことだ。振り返りや共有もしやすいし」
「すみません。……陰から隠れてもらう形になってしまって」
俺が謝ると、氷崎さんは軽く手を振って笑った。
「かまわないよ。火を使ってるんだ、何かあったときの保険だろう? それに、これも立派なヒーロー活動だよ」
頼もしさと、優しさを内包したその言葉に、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
「ありがとうございます。……彼女、少しずつ前に進めてると思います」
「うん。ああいうのって、ちょっとずつが一番だよ」
「水鏡には、一時消火のこと……しばらくは黙っておいてくれるか?」
ふいに、氷崎さんが静かな声で切り出した。
「それを知ったら、あいつ……たぶん、力んでしまうと思う。必要以上に自分を追い込むタイプだから」
「……了解です。まずは訓練で自信を積ませる。それが先ですよね」
「そういうこと」
彼女の目には、厳しさよりも思いやりの色が強く滲んでいた。
「今日も訓練後に“筋トレ後みたいにスッキリした”って言ってました。感覚としては悪くなさそうです」
「助かるよ」
氷崎さんは一息ついて、話題を変える。
「消防側にも、そろそろ消火訓練の過程を共有していこうと思ってる」
「……復帰の準備ですか?」
「そう。いきなり実務復帰じゃないけど、前もって話を通しておけば向こうも構えやすい。今回の訓練動画が、彼らを納得させる材料にもなる」
「そうですね……彼女と一緒に働いていた隊の人たちなら、前向きな返答が来る気がします」
「すぐに復帰って話じゃないから、安心して。段階を踏んでいくよ」
彼女の言葉には、焦らせないという配慮と、責任ある段取りがしっかりとあった。
「それと――」
氷崎さんが、机から一枚のファイルを差し出してくる。
「彼女が過去に救助した被災者のリストが、警察から届いたよ」
「……ありがとうございます。選定はこちらで?」
「うん。君の見立てで、よさそうな候補をいくつか挙げておいてくれ。私も目を通しておくから」
「承知しました」
彼女の心を救う手がかりになるなら――
その一歩を、慎重に、でも確実に踏み出していくつもりだった。
~~
水鏡 真琴へのアプローチは、徹底して「自己肯定感」を軸に据えている。
もちろん、消火活動における異能の運用法や技術的な鍛錬も重要だが――
それ以上に、彼女の「心の在り方」が、回復と再起のカギになる。
彼女自身も、それを理解しているようだった。
訓練の合間、ふとした瞬間に見せる柔らかな笑顔。
そして、ポケットから取り出した小さなメモ帳。
「自分なりにメンタルの記録つけてるんです」
そう言って見せてくれたページには、今日の訓練の感想や、そのときの気持ち、少しだけ前を向けた自分の言葉が並んでいた。
――前より、気持ちが軽くなった気がする。
――火を見ても“怖い”じゃなくて“落ち着いて対処しよう”って思えるようになった。
――助けられなかったこと、思い出すとまだ胸が痛い。でも、だからこそ今度は――って思えるようになった。
その文字に、俺は胸を打たれた。
ここまで自分を見つめて、客観的に整理しようとする姿勢がある。
正直、軽度のPTSDで済んでいるのは奇跡に近い。彼女の強さ、真面目さ、そして前向きに“治したい”と願う意思が、ここまでの状態を支えているのだ。
俺にできることは、その努力を支える環境をつくること。
そのアプローチをしながら、警察から送られてきた「彼女が救った被災者リスト」に目を通していた。
彼女の心に、自信と温かさを灯してくれるような存在。
感謝や賞賛を一方的に押しつけるのではなく、「あなたのおかげで、今こうして生きているよ」と、自然に言ってくれるような――そんな相手。
ただし、そこには慎重さが求められる。
被災者の中には、心の傷がまだ癒えていない者もいる。
無自覚に“あのとき助けてくれなかった人がいる”と責めるような言葉を言ってしまうこともある。
それが、どれほど無邪気で悪意のないものであっても――水鏡にとっては、致命的な打撃になりかねない。
だからこそ、俺は慎重にリストを読み込んだ。
被災状況が軽微。
家庭や周囲との関係性が安定。
面談履歴から、メンタル面に安定感のある傾向が見られる。
感情の起伏が穏やかで、対人関係においてポジティブな印象を与えている。
そういった人物にチェックを入れていく。
彼女の努力を、誰よりも尊重しているから。
中途半端な段取りで、踏みにじるわけにはいかない。
「……この子だな」
俺は複数の名前をメモをとって、ファイルを閉じた。
~~
警察署の面談室。
俺たちは、救助リストの中から選んだ子どもと、まず直接会って話すことにしていた。
書面だけでは分からないこともある。
性格、雰囲気、言葉の選び方――実際に顔を合わせないと判断できないこともあるからだ。
「それにしても、四日でここまで段取り組むなんて、仕事早いですね」
俺が素直にそう言うと、氷崎さんは苦笑しながら答えた。
「そうでもないさ。私は所長として“やるべきこと”をしただけだよ。水鏡が復帰できるかどうか、その道を整えるのも私たちの仕事だからね」
「でも、リスト100人分を一晩で見終えるのは流石だね」
「そうでもないですよ」
「試験で書いた解答が、まさかここまで早く実現するとは思っていなかったです」
「そうかい?」
氷崎さんの目が少し和らいだ。
「消火業務を通じて、救助への道筋をつけるって考え方。あれは本当に興味深かったよ。最初から“無理に戻す”じゃなくて、“段階を踏む”。それだけでこんなにもアプローチが柔らかくなるなんてな。私たちも固定観念に縛られていたのかもしれない」
そんな話をしていたとき、担当者に付き添われて、ひとりの少女が部屋に入ってきた。
年齢はたぶん、小学校低学年。髪をひとつ結びにして、少し緊張気味の表情を浮かべている。
「このお姉さんたちが……火事で助けてくれた人なの?」
少女が小さな声で尋ねた。
氷崎さんが一歩前に出て、柔らかい笑みを浮かべる。
「私たちは、その“助けてくれたお姉さん”の、仕事の仲間なんだ」
その声は、普段の凛とした口調からは想像できないほど、穏やかで優しかった。
それでいて、子供を“子供扱い”していない。対等な一人の人間として、きちんと向き合っている。
「どうして話しかけてきたの?」
少女の問いにも、氷崎さんはしっかりと答えた。
「助けた後、みんながどんなふうに過ごしてるのか。それを知るのも、私たちヒーローの仕事なんだよ」
「……そうなんだ」
「火事の後、家を失って不安になる人もいる。何に困っていて、どう支えになれたか。そういうことをちゃんと知っておきたいんだ」
少女は少し考えるような顔をしてから、ポツリと言った。
「たしかに、家もおもちゃも燃えちゃったけど……。でも、家族みんな生きてた。それだけでよかったって、思ったよ」
そして、ふと視線を落とす。
「……お姉ちゃんに、お礼言いたいけど。言ってもいいのかな?」
その言葉に、氷崎さんがそっと俺の方を見る。
目で尋ねている――“水鏡を呼んでもいいか?”と。
俺は無言で、深くうなずいた。
「ここに呼ぶから、少しだけ待っててね」
少女が小さくうなずいた。
あとは、水鏡 真琴がこの“言葉”を、どう受け取るかだ。
俺たちができるのは、その瞬間を“適切に迎えさせる”こと。
その準備は、もう整っている。
面談室に、水鏡 真琴がやってきた。
彼女は少し汗ばんでおり、訓練の途中だったことがわかる。タオルで首筋をぬぐいながら、冗談めかした声を投げかけてくる。
「氷崎さん、いきなりどうしたんですか? 強盗の応援要請でも?」
「ふふ、違うよ。昔、君が救助した子だよ」
氷崎が肩をすくめて笑い、そばにいる少女に視線を促す。
少女が、少し照れくさそうに、それでもはっきりと顔を上げた。
「お姉ちゃん、ありがとう」
その一言に、水鏡の足が止まる。
「……私は、君の人形を助けられなかったよ」
真琴が絞り出すように言った声は、静かだった。
彼女の手元には、あの日の火災記録が記されている書類。
“家族全員を救出”。
それは、誰が見ても完璧な救助だった。
それでも彼女は、自分の中で“100点”をあげることができない。
たった一つ、少女が泣いていた「ぬいぐるみ」を、取り戻せなかったからだ。
完璧主義。自己犠牲。そして、深すぎる責任感。
彼女のPTSDの根底にあるのは、そうした“救えなかったもの”への痛みだった。
しかし、少女はまっすぐな声で答えた。
「お母さんが言ってたよ。家が無くなっても、家族が生きてるだけでありがたいって。ほんとはすごく大変だけど……みんなでご飯食べて、笑えるの、うれしいんだ」
「……」
「お姉ちゃん、家族全員を助けてくれて、ほんとうにありがとう」
その言葉に、真琴の目がゆっくりと見開かれた。
驚き、そして戸惑い――その奥にある、じわりと満ちてくるものを、彼女はまだ言葉にできない。
「こちらこそ……ありがとう。私に、気持ちを伝えてくれて」
「お姉ちゃん、へんなの。こっちが“ありがとう”って言ってるのに」
少女の無邪気な一言に、真琴は思わず小さく笑った。
「……そうだね。仕事してると、いつの間にか“ありがとう”って言われなくなってくるんだよ」
「大人になったら、わかるかもしれないね」
「大人って大変なんだね」
「たしかに、そうだね」
そのやりとりに、氷崎が笑った。
あの、厳格な口調の彼女が、ほんの少し口元をほころばせて。
そして、不意に伝わってくる。
――この仕事を通して、俺自身も“しっかりしないと”という感覚。
水鏡 真琴の心に、ようやく“届いた言葉”があった。
「お姉ちゃん、また話してくれるよね?」
少女が少しだけ名残惜しそうに、手を振る。
「もちろん。また時間が合ったら、話そうね」
真琴がそう言って、小さく笑った。
少女と別れた後、ふと真琴は深く息をついて、俺たちの方に顔を向けた。
その瞳には、いつになくはっきりとした光が宿っていた。
「……水鏡さん、周防さん。本当に、ありがとうございます」
そう言った彼女の声は、これまでより少し低く、けれど揺らがずに響いていた。
「私は……ずっと、とあることから目をそらしていたのかもしれません。無意識的かどうかは、わからないですけど」
「……助けきれなかったことへの過度な責任感。そういうものだったと思います」
彼女はゆっくりと言葉を選ぶように、丁寧に語り続ける。
「ヒーローになる前の講習で、“犠牲が出ることもある”って……頭では理解していたつもりでした。なのに、実際に起きてみたら……それが、自分を壊し始めていて」
「こんなことを口にしたら、“ヒーロー失格だ”って、言葉にしてしまいそうで……」
一瞬だけ、彼女の目が伏せられる。
彼女は、初めて俺に対して弱さを口に出していた。
言葉がまとまっていなかったが、心が詰まっていた。
論理で受け止めるべきだと分かっている。しかし、感情で受け止めてしまっている。
「でも、人は人として生きているから、命の重さって、やっぱり……軽くなんてならないですね」
「……割り切ろうとしても、できない。それを、無理やり押し殺すことも、やっぱり違う気がして……」
そこで、俺は静かにうなずいた。
「今後だって、大きな失敗をするかもしれません。でも……それでも、私は必死に、助け続けたい。助け続けないといけないと思うんです」
「そっか。それでいいと思うよ」
その言葉に、氷崎が柔らかく答える。
「自分の中で、何が起きていたのかに気づくこと。そこに向き合って、振り返っていくこと。それもヒーローとして、きっと大切な仕事だと思う」
「……はい」
真琴は、これまでより少しだけ、背筋を伸ばしていた。
自分がPTSDになった原因を自分の口から話した。
それは自己肯定感をあげるよりも重い一歩だ。
ただ、PTSDの治療は時間がかかるものであり、確実にゆっくりとしていくしかない。
前に進んだという事実さえあればいい。
PTSDは心の中で長く潜んでおり、長い期間丁寧に見つめないといけない。
だから、丁寧にゆっくりと彼女と向き合っていくつもりだ。
すぐに復帰はできないが、いつかの復帰のために踏ん張っていく