博士とセーラの交換日記   作:もちもち物質@布団

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7月6日:セーラ・アカツキ

 こんにちは。セーラ・アカツキです。

 私はセーラ・アカツキです。

 アカツキ・ラボラトリーのローラ・ディルクルム博士が開発したArtificial Emotion搭載型のアカツキ型アンドロイド、ダイチ・アカツキの娘です。

 私は操作されたDNAとシンセティック・ユテレッサーによって生まれ、アンドロイドに育てられた人間です。人工感情という、『神に背いた』ものに触れ、育った人間です。

 人間より余程優秀で感情的な人間じみたアンドロイドと、その周りの人達に育てられた人間です。

 幸福な人間です。

 何も、恥とは思っていません。

 

 博士は、チューリング・テストをご存じですね。

 当時、まだAEと明確な区分が無かった、AIのテストとして行われていたものです。

 人間が、人間とAI、どちらがどちらなのか分からない状態で、それぞれに質問し、その返答を見て、どちらが人間でどちらがAIなのかを判断する、というテストです。

 そして、50%程度の人間が誤答した場合、そのAIは『チューリング・テスト』に合格した、とされました。

 つまり、人間と区別のつかないAIだとされたのです。

 当時の拙いAIでさえ、人間には判別がつかないものがいくらでもあったのです。

 

 博士は、哲学的ゾンビ問題をご存じですね。

『生きていない人間、即ちゾンビが居たとする。それは人間と同じ外観であり、しかし、一切の思考をしていない。だが、外部からのありとあらゆる刺激に対してそれらしく反応してみせる。話しかければ答える。触れられればそれらしく反応する。その時、ゾンビを外側から観察する人間にとって、それがゾンビであるか人間であるかを判別することはできるか。』

 これは『中国語の部屋』や『チューリング・テスト』に似た問題でもあります。

 思考しているのかしていないのかは、外側からは判別できない。

 反応が人間らしいと感じるか感じないかは、観察者の匙加減。

 結局のところ、相手がゾンビか人間か……アンドロイドか人間か、という判別は、それと相対する人間が決めることなのです。

 

 目の前で話している相手とコミュニケーションが本当に成り立っているのかどうか、私達はどのようにして証明するのでしょうか。

 目の前で思考しているのがコンピュータなのか、それとも脳なのか。それは、相対する人間にとって、そこまで大きな違いなのでしょうか。

 目の前のそれが人間なのか、それとも精巧なアンドロイドなのかなんて、今や、破壊して中身を確認してみなければ分からないというのに。

 人工的に作られた感情が感情ではないなどと、どうして言えるのですか。

 

 少なくとも、観測者である私にとって、博士のそれは、感情でした。

 あなたと共に笑い、悲しみ、希望を抱いたあの日々は、私にとって偽物などではないのです。

 

 あとは博士を起動し直してから、直接言わせて頂きます。

 ですからどうか、バグなんて起こさずに起動してください。博士。

 

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