闇の時代と一杯の紅茶 作:The-Artless-Dodger
オスバート孤児学校
孤児学校というのは、何も世界で最も暮らしやすい場所とは言わないが、名前から受ける印象よりはかなり良い暮らしができるというのが、世間一般の意見だった。“かのお方”が半ば隠居生活を始めて以来、ただ一つ気にかけていらっしゃるのがこのことらしいのだから、孤児たちの生活は十分保証されているに違いない、というのだ。この能天気な見解に対する適切な反例を見つけ出そうとするならば、エドアルド・スワッブル少年の暮らしぶりを少し観察すれば事足りる。もっとも、それを実行に移すとなると、少しばかり面倒かも知れない。退屈のあまりに死にそうな顔を引っ付けた少年たちのうち、一体どれがエドアルドであるか見分けるのは、一目には困難だからである。
エドアルドについてもう一つだけ述べるとするならば、その外見を除いて他にない。特別美しい顔立ちをしているわけでも、反対に見るに堪えない醜悪な顔を生まれ持ったわけでもない──正確には、その両方である。エドアルドは極めて珍しい七変化だった。これは、両親のもう一つの贈りものであった。
さて、どう見ても独り立ちには早過ぎる赤子の身を携え玄関先に現れて以来、オスバート孤児学校はエドアルドの家だったのだが、その生活は先に述べた通りおよそ幸福とは言えなかった。そのようなことを日刊予言者新聞にでも寄稿すれば、イギリス中の聡明かつ道徳的な魔法使い諸氏から理路整然たる反論が寄せられるに違いない。即ち、孤児学校には“かのお方”直々に決められた予算が割り当てられており、その潤沢さと言ったら、恐れ知らずの役人が半分以上を懐にでもしまわない限り、不足することなどあり得ない、と。この意見は、今まさに展開されている現実によって、これ以上なく強力に支持される。孤児たちに渡るべきガリオン金貨の半分は、グリンゴッツの政府口座から学校に運ばれるまでの間に綺麗さっぱり消えてしまうのである。
この素晴らしく精巧な消失呪文を、杖無しに成し遂げてきた役人たちの名誉のために、少しだけ説明しておきたいことがある。
つまり、孤児たちは食うには全く困っていない。着るものについても、確かに装飾という概念に欠ける真っ白なローブだが布は上等だし、くたびれたらすぐに新品が与えられる。しかし、足らないのは娯楽だった。食事も、服も、その他あらゆる生活用品も、魔法で補うことは容易である。僅かな金の不足など杖の一振りで解決できる。だが、細々とした業務や、愉快な社交辞令に最適化された役人たちの頭では、娯楽を用意することはできなかったのだ。そして彼らは、愉快な音楽や心踊る冒険譚の価値を全く見出せないが故に、娯楽を切り捨てるに躊躇することはなかった。
結果として気の毒な孤児たちに渡ったのは、以下の通りである。
頼んでもないのに魔法省から配布される教育絵本、日刊予言者新聞以下数誌、だだっ広い庭、虐めれば面白い音を出す年少の子供及び屋敷しもべ妖精たち。最後のものはそれなりに人気だったが、それでもたったこれっぽっちでカラスのように貪欲な子供たちの心が満たされるはずもなかった。
そんな中で、エドアルドは一種特権的立場にいた。孤児学校の退屈な授業にも意欲を見せ、優等生の資格を欲しいままにしていた彼は、宿題の手伝いと引き換えに、虐められず、また虐めることもないでいられたのだ。偉大なる傍観者となったエドアルドは、彼の気の良い友人たちには望むべくもない「親切」という評価を得ていたのだった。
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他人の愚かさと自身の怜悧さを過大に評価することに関しては、抜群の能力を発揮する人はそれなりにいるものである。エドアルドたちもまた、そのような大人の犠牲になったのであった。
1998年にオスバート孤児学校を建てた担当役人は、健康かつ健全な教育を施すに最適な環境について熟慮を重ねた。しかし子供たちにとっては気の毒なことに、その役人が無い知恵を搾って練り上げた“最適な環境”の条件とは果たして、「マグルがいない」というただ一点であった。
当然予想された結果として、孤児学校は暗い森の奥、ドレクネーベルと呼ばれる土地にその威容を誇ることとなった。 この場所は周囲にマグルなど寄り付きもしないという点で理想的だった。まるで森のどこかから滔々と湧き出ているかのように、毎朝濃い霧が立ち込める。地面は常に湿っていて、行く先々に厄介なぬかるみが先回りする。雨も多く、ホグワーツ進学とともに学校を離れたまだ数が少ない孤児たちは、自らの故郷を必ずと言って良いほど曇天とともに思い出した──一体どんなマグルが自らドレクネーベルの土──というより泥──を踏もうとするだろうか。実際、マグル避け呪文はかけるまでもなかった。1998年の時点でそうなのだから、いわんや現在に至っては、“好ましからざる者たち”に対する鉄壁となっていたのである。
そんな孤児学校の2階の一室が、エドアルド・スワッブルの部屋だった。ベッドが4つと、同じ数の机、そして小さなキャビネットだけが備え付けられた殺風景な石造りの箱は、主人である少年たちの創意工夫と退屈を嫌う本能によって彩られている。木の実、折れた杖の柄、日刊予言者新聞の広告の切り抜き──彼ら幼き収集家の目は、かつて「経営者」や「経済学者」という名で呼ばれていたマグルたちが羨むほど、あらゆるものの中に価値を見出す能力に長けているのだ。
その日、朝食から帰ってきたエドアルドは、友人のベッドに築かれた収集物の山の中に、一冊の本が混じっていることに気がついた。
「ジャック? ジャック!」と、エドアルドは大声を出した。
ジャックと呼ばれた少年は、この歳にしてもはや世の楽しみの全てを味わっていると言わんばかりの、幸福そうな顔を上げた。と言っても、今朝の彼に特別愉快な出来事があったわけではない。
ジャックは床に座りこみ宿題の本を積み上げ城を作る遊びに興じていた。友人の声に上げた顔は、すぐに下を向いた。
「なんだよ、エド?」
「なんだよって、君、マダム・スクランブルが言ってただろう? 昨日と今日はライリーたちがこれを読める日だよ。一体どうしたの?」
エドアルドはジャックのベッドから『吟遊詩人ビードルの物語』を摘み上げてそう言った。この本は、オスバート孤児学校の、膨大な量の割に滅多に顧みられることのない蔵書の中で、たった一つ人気のものである。図書室には、魔法省の誇る文筆家たちがそのために書き上げた真新しい児童書が数えきれないほど積み上げられているにも関わらず、古臭い黴の生えた童話だけが孤児たちの心に訴えることに、大人たちは首を傾げていた。彼らはとっくの昔に忘れてしまったようだが、子供とは政治の香りに甚だ敏感である。
とにかく、『ビードルの物語』の人気ぶりは、放置すれば流血沙汰は避けられないと考えられたので、この孤児学校の運営者が一人、賢明なるご婦人マダム・スクランブルは、件の本が三日ごとに部屋を渡り歩くように取り決めたのだった。その、本来ライリーたちの居室で開かれているべき本が、なぜかこの部屋に置かれていたのである。
「どうしたって、エド」と、ジャックは赤い頬に笑みを浮かべながら言った。「分かりきってるじゃないか。ちょっと、貸してもらったんだよ」
「貸してもらった? へぇ?」
エドアルドは片眉を上げた。その仕草があまりに孤児学校の年老いた掃除夫にそっくりだったので、ジャックは笑いを堪えるのに大変な努力を要した。
「叩いただろう」
「叩いちゃいない、ちょっと頼んだんだ」
「じゃ、君の声はさぞかし大きかったんだろうね。ライリーのほっぺたはりんごよりも赤かったよ!」
そう言うとエドアルドは、悪びれずにやにや笑っている友人に本を投げてよこした。
「お昼ご飯の前に返しておいてよ。マダムに見つかったら、僕まで怒られちゃう」
「分かってるって、心配しなくても、リトル・マダムは気付きやしないよ!」
このジャックの発言は確かだった。
こんな、事実を知る者からすれば寒々しくてとても聞いていられないようなことを、疑いの一片もなく発するあたり、マダム・スクランブルこそがまさに純真という誉を受け取るべき人物に思われた。しかし残念なことに、正直で純真なことは、それ単独では美徳たり得ない。つまり、彼女の純真さは、オスバート孤児学校の職員一同が多かれ少なかれ抱えている、呑気と不干渉という問題に直接接続しているのだ。
心配性のエドアルドを十分説き伏せることに成功したと確認するや否や、ジャックは築城作業を中断し、『ビードルの物語』を開いた。するとあれだけ非難していたエドアルドも、ジャックの隣に腰掛け、本を覗き込んだ。幼き調停者にこれ以上なにを期待するべきだろうか?
「何を読むの? ポットのお話?」
「とんでもない! あんなの、マグルをとっちめるってだけのお話じゃないか! そんなつまらないのは、読みたくないよ!」
ジャックはケラケラと笑い飛ばした。
「それだけだったら、おれにだっていつでもできるぜ。機会があったら見せてあげるよ」
「ジャック」と、エドアルドは厳格な父親がいたずら坊主に言い聞かせるが如き調子で言った。「知ってるだろうけれど、僕たちはまだ魔法は使っちゃいけないんだよ? 十一歳になるまでは」
このありがたい忠告も、ジャックにはまるで響いていないようだった。彼は真っ赤な顔いっぱいに、最高に剽軽な劇を見ているときにするような満面の笑みを浮かべた。この様子は、エドアルドの自尊心をそれなりに傷つけたが、それを正直に口に出すほど、彼は幼くなかった。
「ばっかだなぁ、エド! そりゃ、おれたちは魔法を使っちゃいけない。そう、使えないんじゃなくってね。これは大きな違いだよ。そうだな、まだご飯の時間じゃないけど、そのときになればお腹いっぱい食べられるのが魔法使い。いつまで待っても食べられないのがマグル。だって連中には、なーんにもないんだから!」
「それは──うん、確かにそうだよ、ジャック、でも──」
エドアルドはさらに言い募ろうとしたが、どんなに高尚な説教を施しても友人を改宗させることは不可能だと気付き、口を噤んだ。ジャックはエドアルドが怒ったんじゃないかと不安になってそっと肩を組んだが、振り払われることはなかったので安心して、本をめくり始めた。
それにしても、良書が世間一般の人々の精神に及ぼす影響の、なんと大きいことか! 悪貨は良貨を駆逐するが、それは悪文が読者の心の眼球を覆い尽くし、良文を読むに足る清らかな視界を悉く侵してしまう事実にも全く同様のことが言える。そして、頼りないほどあっという間に萎れる花のような人生の大部分を烏滸がましくも占有し、良書を読むのに必要かつ十分な時間を悉く奪ってしまうのである。それでも、悪書に汚染された心を丁寧に掃除し、安らかな余暇を用意すれば、良書はたちまち心の奥底まで染み入り、表層的な“思想”では決して成し得ない甚深たる訴えをなす。
しかしそれは成人の話である。いまだ心の曇っていない少年たちは、自分たちを賢い読書家だと驕り高ぶっている大人たちよりはるかに容易に、良書の思想を受容する。この場合は全く悲しいことに──『ビードルの物語』は間違いなく良書だったがゆえに、大人たちの余計なお世話でこっ酷く蹂躙され、お話の筋を台無しにされても尚、かつての影響力の残滓を孕んでいた。古き童話を使って、無垢で柔らかい子供たちの思考形式を不吉な鋳型に嵌め込もうとする戦略は、大勝利をおさめたのだ。
そうして生まれた二人の気高いレイシストは、寄り添いながら本に見入っていた。秀麗な挿し絵に描かれた魔法戦士は子供たちの無限の空想力を媒介し紙面から飛び出すと、暗いクリーム色の天井を駆け抜けていく。美しい娘の流した血は古城の床を伝い、格式では全く劣った孤児学校の木の床板をも濡らすかのようである。
絵本の世界が、そのままドレクネーベルの陰鬱な森に染み出し続けると思われたその時──廊下から凄まじい物音聞こえて、エドアルドとジャックは一瞬の内に侘しい現実に引き戻された。
「間違いなく」エドアルドは心なしか青褪めた顔で囁いた。「マダムが転んだ音だよ。こっちに来る!」
エドアルドが鳴らした警鐘の意図を素早く読み取ったジャックは、クィディッチのプロ選手もかくやという瞬発力を発揮して、絵本を薄い毛布の下に押し込んだ。
エドアルドは今のうちに部屋を出てしまおうか迷ったが、親切なマダムが身体を挺して発した事前通告からあまりに時間が経っていたので、自分の普段の善き行いを頼り、なんでもない風を装うことに決めた。
ジャックはと言えば、エドアルドよりもはるかに上手くやってのけた。彼は床に横になると、まるで今まさに失神呪文を眉間に喰らったかのような格好で狸寝入りをしたのである。子供の嘘や誤魔化しを見抜くことに関しては辣腕を振るう──その割に彼らの無辜なることを疑わない──ことに定評のあるマダム・スクランブルも、これは見破れないに違いなかった。ジャックは実際によく眠る少年なのでなおさらだ。
二人が各々偽装工作を終えたちょうどその瞬間、部屋の扉が荒々しく開き、神経質な性格のために常人の二倍は深々と皺が刻まれた小柄な老女が現れた。
「全く──またこの部屋に──ミスター・スワッブル!」
マダム・スクランブルは本気で怒っているときの癖で──しょっちゅう怒るのだが──エドアルドをわざわざ敬称を付けて呼んだ。これは目の前の幼い子供を無理やり紳士に仕立て上げ、いかなる苛烈な制裁も正当化するための巧妙な手段なのである。マダムの侵入を察知したエドアルドが顔を上げるころには、彼女は驚くべき俊敏さで目前に迫っており、大量の唾とともに叫び声をぶつけた。深い皺に溜まった埃が舞い散るのではと思わせるほどの剣幕であった。
「ミスター・スワッブル!ジャック・トレーズはどこにいるのですか。今すぐ教えなさい、ええ、今すぐに!でなければ──」
「そこに伸びてますよ、マダム」
興奮した豚のように捲し立てる老婆の言葉に割り込むと、小さな紳士は──なるたけ心象を良くするために髪の色を濃い茶色に変えながら──落ち着かせようと試みた。
「でも、起きないと思います。ジャックは一度寝ると、たとえ目の前をドラゴンが歩いても起きないだろうから……ご存知でしょう?」
ゆっくり言い聞かせる調子で話しながら、エドアルドはマダム・スクランブルの腕を恭しくとった。萎びた左手の甲は血色の悪い肌の中で鮮明に赤く輝いており、これが半日もしないうちに青い痣へと変貌することは容易に想像できた。この慌てん坊の老婆は、事あるごとに前へ後ろへと転倒し、体のあちこちに青痣をこしらえているのだ。
幼いエドアルドの慈悲深い手当て(文字通りの)は功を奏したらしい。マダムはみるみるうちに平静を取り戻すと、ふらふらしながら椅子を求め、この部屋にそれがないことを悟ると、エドアルドのベッドに腰掛けた。
「ええ、そうですね、エドアルド」と、マダム・スクランブルは言った。「確かにジャックは起きないでしょうね、ええ。分かりました、では彼が起きたらこう伝えておいてください。ライリーの頬はビートのように腫れ上がっていると。起きたらすぐに私の部屋にまで来るように──分かりましたか?」
「ええ、もちろんです。きっと伝えますよ」
「確実に、伝えてくださいね、エドアルド」マダム・スクランブルはかすかな笑みすら浮かべて続けた。「あなたならそうしてくれると信じていますよ」
「ありがとうございます、マダム! でも、もしかすると、ジャックはまだ全然起きないかも。というのも、こいつは今朝、パンプキンパイをたらふく食べていたので」
「とにかく、起きたら伝えるように! いいですね」
それだけ言うと、マダム・スクランブルは嵐のような激しさで扉を潜り部屋から飛び出していった。もっとも、それが上機嫌に由来することは明らかだったので、エドアルドも、ずっと聞き耳を立てていたジャックも人心地ついた。子供を優しく諭し導いているという自負心が満たされた彼女が、もうすでに本題を忘れかけていることは確実であり、彼女の鋭い目がすぐにも見出すだろう新たな“大問題”が、過去の大問題を忘却の彼方に追いやってしまうことは、もっと確実だったからである。
「おどろいたなぁ、エド」エドアルドの申告より随分早く目が覚めたらしいジャックは、親友の顔をしみじみと覗き込んだ。「君がそんなに口がうまいだなんて、おれ、知らなかったよ。十年ぶりの新発見だな、こりゃ」
ジャックは子を誇る父親の表情で頷くと、『ビードルの物語』が埋蔵されている毛布の上に寝転んだ。
「ライリーめ、後でとっちめてやるぞ」
この犯行予告に対して、エドアルドは何を言うでもなかった。
原作キャラクターは次話に登場します。