闇の時代と一杯の紅茶 作:The-Artless-Dodger
程なくしてエドアルドの番になったが、前代未聞の一大事件に夢中の人々は、聞いたこともない苗字の少年が壇上に上がったところで、路傍の犬程度にしか注意を払わなかった。彼が意識的に、地味な見た目に変身していたことも、理由の一つであろう。
ともかく、視線を気の毒な少年に戻すと、彼は今まさに禿頭の魔法使いによって、古びた帽子を目深に被らされるところであった。帽子はどこかひんやりとしていて、濡れた紙のように重かった。エドアルドは緊張のあまり髪の毛が一瞬で真っ赤になってしまったが、帽子が十分に大きく頭部をすっぽり覆ってしまったことと、広間の関心がハッフルパフの机に座る少女に集中していることは、やはり不幸中の幸いである。
エドアルドの上に収まった帽子は、いまだに焦げ臭いことも気にしていないようで、頭の中に声が響いてきた。
「ふむ……なるほど。これはまた随分と、ややこしい子供が出てきたな、え? 近頃はみんな、ビスケットの型でくり抜かれたみたいに同じ形の脳みそばかりだというのに!」エドアルドが戸惑うと、帽子は楽しげな様子で続けた。「いや、いや、気にすることはない。何せ私は考える帽子。相手に合わせて、思考を雲の上に白紙委任なんぞしていたら、ただのボロ切れとして捨てられてしまう! ふふ、私の維持には、校長も眉間の皺を深めるほどの額がかかっているからね」
「ええ、それは分かりますけれど──」エドアルドは思わず口を挟んだ。
「まぁ、待て待て! さっきだって尻に火をつけられたんだ、少しはゆっくり行こうじゃないかね。ふむ、ふむ……君の頭をざっと見るに、入るべき寮は二つだな。即ち、スリザリンかハッフルパフ」
エドアルドは愕然とした。そのどちらも全く好ましい寮とはいえないばかりか、まるで対極にあるように思われたのだ。エドアルドは途端、この帽子の能力が不安になってきた。思えばいくら魔法がかかっているとはいえ、布の塊に無垢なる子供たちの一生を左右する重大決断を一任するというのは、貴族のお歴々の吝嗇ぶりも極まれりと言うべきではないだろうか?
「あぁ!」帽子は苛立たしげに唸った。「君が何を考えているのか、私にはよくわかっているんだぞ? その愉快だが見当違いも甚だしい意見は、頭の中から追っ払うことをおすすめしよう。さて! 君にはやはり、どこか事勿れ主義の嫌いがあるね。相手をよく見て追及を上手く躱し、自らに害が及ぶ危険を小さくすることに長けている。このあたりは、スリザリンでもなかなか社交的に生活してゆけるだろう才能だが──いかんせん野心がないし、それに血筋がどうであれ孤児は入れてはならんと厳命されている……」
エドアルドはつい大きく頷いたので、頭に対してやや大きすぎる帽子は転がり落ちそうになった。禿頭の魔法使いがあわてて取り押さえ、エドアルドを怖い顔で睨んだので、貴重な文化財が石畳に叩きつけられ、その脆さを露呈する事態はなんとか避けられた。
「お見事! 君の先祖にはムーンカーフがいるんじゃないかね?」帽子の文句にも、エドアルドは動じなかった。
「すみません、でも貴方のおっしゃる通りだったから。僕は、野心もないし、孤児でしょう? だから、貴族のためのスリザリンなんかに入ったら、まるでドラゴンの群れに紛れたアッシュワインダーだよ」
帽子は小さくため息をついた。
「さよう──“貴族のためのスリザリン”! 世も末というべきか、この状況をかのスリザリンが今に蘇れば、どうおっしゃるだろうか。“かのお方”に対してよりも、その飼い犬のように働く連中を情けなく思うあまりに、墓から起き上がったそのままの勢いで、今度はうつ伏せに死んでしまうだろう──しかしエドアルド・スワッブル。君がそこまで物分かりが良いのならば、私の仕事も簡単に済むね、え? 君の入るべき寮はただ一つ、即ち忠実なるハッフルパフ──」
しかし帽子はすぐにも、エドアルドがそれほど物分かりが良くないということを思い知った。
「いや、ハッフルパフは──」
「何、ハッフルパフも嫌かね? いや、理由は言わんでも分かるぞ。はっ! 君、あの新聞に書かれているような与太話を、本気で信じるほど、頭の中はガラクタ詰めか? それならそうで構わない──旧校歌にもそう書いてあるしね。しかし、そうではあるまい。エドアルド・スワッブル、君は風評を気にしている。事実がどうであれ、人々がそう思っているなら仕方がない、自分もその括りで見られるのは嫌だと。違うかね?」
帽子は腹に据えかねたようで、焼きごてを押し当てられた牛か何かのように猛然と喋り始めた。動くたびに古い布の切れ目が音を立てるので、エドアルドは帽子の上半分が千切れてしまいやしないかと、気が気でなかった。
「君、君、そういう考え方をする者は、レイブンクローには入れんよ。いくら望もうとね。しかし同時に、君は自分の考え方に居心地の悪さを覚えるだけの誠実さもある。往々にして風見鶏だが、そのことを嫌っている! いかにも、ハッフルパフ好みの誠実性じゃないか。それに、状況を見て素早く己の理解を改める柔軟性、基本的には善行を重んじる姿勢、さらに忠誠心も申し分なし」
「いや、それだけでなくってですね、要は
「いいや、今日の我儘は、もうレストレンジ家の娘のものを聞いてしまったのでね。さようならエドアルド・スワッブル! 君の入学祝いに、これ以上ないほど暖かく満ち足りた寮生活を保障しよう──ハッフルパフ!」
エドアルドはふらつきながら、ハッフルパフの長机に向かった。しかし終わってみると意外にも、緊張が解けたことによる心地よい疲労感が四肢を満たした。彼を迎え入れる上級生たちが、あまりに優しく朗らかであったこともあるだろう。エドアルドは己を恥じた。
さらに意外なことに、ジャックもまたハッフルパフに組分けされたのだった。悪戯っ子の笑みを浮かべて近づいてくるジャックの肩を、エドアルドは叩いた。
「やぁ、驚いたなぁ! 僕はてっきり、君はグリフィンドールに入るものだとばっかり」
「はは、そりゃあさエド、考えてみれば最初から決まってた話なんだよ、ハッフルパフだって」ジャックはエドアルドの隣に腰掛けた。「だっておれ、
エドアルドはぎょっとしてジャックの頭を叩くと、周囲を見回した。一人の上級生と目が合う。しかし彼は怒りもせず、
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ハッフルパフ寮は地下にあると聞いた時、エドアルドの脳裏に浮かんだのが、物語の挿し絵などに執拗に描かれる、例の冷たくジメジメしていて、話し相手と言えばハツカネズミかトコジラミくらいの地下牢であったのは、無理もなかった。そしてそれは、彼一人の勝手な想像というわけでも無い。事実、エドアルドの隣を歩いていた背の低い少年などは、自分があまりにも臆病で物知らずのために、罰として勾留されるのだと信じ込んでいるようで、その震えようには、みんな驚いてしまった。そしてついにはその場に力なく崩れ落ちたので、エドアルドが背負って寮まで運んでやる羽目になったのだが、すると今度はエドアルドを、官憲かなにかと勘違いして震えるのである。もっとも、少年の名誉のために述べておくが、彼は十分軽かったので、かなり長い距離を歩いた後でも、エドアルドの脚には全くこたえなかった。
階段を下りしばらく行くと、古い樽が山と積まれた一角があった。それ以外は何もない。ひょっとしてこの監督生、迷ったんじゃないかしら、随分ヒョロっとしているし──そんな無礼なことを考えていると、その監督生はローブから杖を取り出し、一つの樽底をコツンコツンと叩いた。
「今のが、諸君」穏やかな、しかしどこか神経質そうな声で、監督生が言った。「寮に入るのに──つまり、ハッフルパフ寮生であるのに必要なリズムだ。正しい樽を、正しいリズムで叩くだけ、簡単だろう? なかなか、うまい配慮で、いかにも我が寮らしいよね」
この下手な自虐は、不安に駆られた新入生たちを笑わせることはできなかった。気まずい沈黙を前に、監督生は、「うん、まぁ──ハッフルパフへ、ホグワーツで一番健やかな寮へようこそ、諸君!」という“うまい配慮”を言う羽目になった。見るとその監督生は、背の高さにローブの丈が合っていないせいで、真っ白い脚と鼠色の靴下が丸見えだった。
このような幸先悪い出だしでありながら、足を踏み入れたエドアルドを待っていたのは、これ以上なく暖かな雰囲気漂う談話室だった。まず歓迎を受けたのは鼻で、蒸したじゃがいもと、溶けたバターと、蜂蜜、それに色々のフルーツビネガーなどがふわりと香った。大広間での晩餐に新入生たちが手をつけづらいことを、上級生たちは自らの経験から重々承知しており、ここに小さなパーティを催したのだった。大きなソファの周囲にふわふわ浮かぶ大小の皿にのっているのは、大広間のそれと比べたらささやかではあるが、そのおいしそうなことといったら、エドアルドには比類するものを思い出せなかった。
「僕らの寮は、キッチンに近いから」と、監督生は得意げに言った。「こうして多少融通を利かせてもらえるんだ。だから、諸君、屋敷しもべとは仲良くしたほうがいいよ。彼らはあれでなかなか優秀で──実際僕らの中にも、彼らに敵わないのがざらにいるよ──しかも、かなり内気なんだ。もし彼らの気を損ねたら、別にどうというわけじゃないけど、ちょっと後悔する落ち込み方をされるからね」
エドアルドは、勝手な想像と目の前の談話室とを比較して、深く恥入った。それは彼が背負った少年も同じだったらしく、小さくお礼を言うと背から降りたが、その後も付かず離れず、エドアルドの視界をうろちょろしていた。それがあんまりわざとらしく、また懐かしき孤児学校の年少の子を思い出す様子があるので、上級生にパイをよそってもらったエドアルドは、声をかけることにした。
「やぁ、さっきは大丈夫だったかい? どうもすごい震えようだったけど」手を差し出したエドアルドは、相手が天井に突き刺さらんばかりに飛び上がったので、多少面食らったが、構わず自己紹介を続けた。「僕はエドアルド・スワッブル。同じ寮になったんだし、よろしくね、君は──」
「ペインティング」小柄な少年の返事は、たっぷり数分待ってからやっと発せられた上、消え入りそうなほど小さな声だった。
「それは名前、それとも、苗字かい?」エドアルドの何気ない質問は、またしても気の毒な少年を大恐慌に追いやった。
「ああ、やめてよ! 僕に名前を聞くなんて、そんなひどいこと!」そう言って、ほとんど泣きそうな顔をしながらぴょんぴょん跳ねる少年を、エドアルドは慌てて慰めた。
「そんな、ひどいなんて、僕は思っていなかったんだよ、ただ気になったんだ。ごめんよ、ペインティング」
「ううん、僕が悪いんだ。だって、僕の名前はおかしいんだもの。ペインティングっていうのだって、実際変だけど、まぁその順番に生まれちゃったんだから、仕方がない。でも、苗字が変なら、せめて名前くらいはましにしてくれたって良いじゃないか!」
ついにわっ、と泣き出したペインティングを、エドアルドも追求はしなかった。だが残酷なことに、生徒の私的なトラウマなど気にも留めない学校の、部屋割りの名簿と称したレメゲトンによって、
エドアルドは周囲から注ぐ好奇の目に耐えかねて、まずはペインティングをソファに座らせ、モルド・サイダーのグラスを握らせてやった。ペインティングはローブの袖で涙を拭いながら話し始める。
「僕だって、君みたいに良い名前だったら、もう少しくらいは、堂々とした性格に育ったと思うんだよ。でも、現実に与えられたのは、聞いた人たちをニコニコさせるしか使い道のない名前。それに、みんながニコニコしたとして、僕も一緒に大笑いって気持ちになるわけじゃないだろう?」
「それは……そうだね、うん。ところで、君も孤児だろう? 僕もドレクネーベルの、オスバートの出なんだ。君はどこの学校だい?」
「僕は、ロンドンの近くの、クリークルだよ。あんまり良いところじゃないけど。少なくとも、僕にとってはね。だって、なんたってあんな名前を──それに、苗字だって、Pの順番にペインティングをつけるなんて! 他のアルファベットの苗字も、なんだかおかしなのばっかりなんだよ。ああ、君の学校の人には、文学的才能が備わっていたんだね。素敵じゃないか、スワッブルって」
エドアルド自身は、自分の苗字が素敵などとは考えたこともなかったが、ペインティングはどう見ても真剣そのものであったから、お礼を言うに留めた。
「うん、それに、エドアルドなんてのは、最高だよね。いかにも”まとも“な名前だよ。Eに対してエドアルド、素敵な名前だよ。僕の学校じゃ、Eにはエスカロニアか、エンバルマーなんだから、全く文学的才能が──」
「ああ、それに関しては、オスバートを褒めてもらうわけにはいかないな」エドアルドは訂正のために口を挟んだ。「エドアルドっていうのは、僕の母が付けた名前らしいんだ」
そう言うとペインティングは、モルド・サイダーのグラスを強く握りしめながら顔を上げた。
「すると、君は、親を知っているのかい?」
エドアルドは首を横に振る。少し繊細な話題に、遠慮なく踏み入ってしまったことを後悔した。
「いや、少しも。まだほんの赤ん坊のころ、できたばっかりの孤児学校に、僕を置いたっきりどこかへ行ってしまったというんだから。そのまま、死んでしまったのか、それともまだ生きているのか、僕にはなんにも分からない」
「へぇ、じゃ、希望はあるんだね。僕の両親は、“解放”の時、マグルのせいで確かに死んじゃったらしいから……」
あまり明るい話柄ではなかったが、今の魔法界には孤児が溢れていたから、そう悲壮な会話というわけでもなかった。なにしろブリテン島だけでも、孤児学校が六つはあるのだ。どこの学校は食事がおいしいとか、あそこは職員がやたらに厳しいとか、そういったことは孤児学校出身者の間では定番の話り草である。
従ってペインティングも、ようやっと肩の力が抜けてきたようで、体の震えはおさまり、時々自信なさげな微笑まで浮かべるようになった。するとこれが、なかなかの美少年だったが、一つ欠点をあげるとするならばそれは、青色の目がこぼれ落ちそうなほど大きくて、常に何かに驚いているかのように見えることだった。
二人が談笑している間にも、ハッフルパフの上級生たちは持ち前の優しさを最大限に発揮し、大皿やら小皿やらに盛り付けられた種々の料理が、次から次へと運ばれてくる。これらは監督生曰く融通を利かせてもらったものだったが、屋敷しもべも肉の類はなかなか用意できず、かわりにグレイビーソースをたっぷりかけたプティングが、小山のような量、運ばれてきた。皆がたらふく食べ、飲んでいると、誰かがホグワーツの校歌を歌いはじめた。大広間では、まるで魔法省の宣伝放送のそれのように堅苦しく、ただただ緊張しきりだった歌も、ハッフルパフ寮生にかかれば、たちまち楽しい大はしゃぎに変貌した。楽譜を漂白剤に漬けたかのような、いかにも役人的な歌をここまで愉快にできるとは、やはりハッフルパフ寮生は劣等生などではあり得なかった。エドアルドは、ポテトののった皿を携えたジャックを見つけ、呼び寄せると、肩を組んで歌い出した。そしてなんと、あのペインティングですら、おどおどしつつも合唱に加わったのだ。一体この中の誰が、明日早くにも授業が始まることを気に留めていただろうか?
だが、ただ一人、デルフィーニ・レストレンジの姿だけが見えなかった。そのことにエドアルドが気が付いたのは、祝宴も終わりに差し掛かり、一人、また一人と寝室へ向かい始めた時のことであった。