闇の時代と一杯の紅茶   作:The-Artless-Dodger

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理不尽な試験

 

 

 読書の万能性を相も変わらず無邪気に信じ込んでいるカリキュラムは、どれほど攻撃を受けようと一寸たりとも動きそうには見えないという点で、まさにホグワーツの城に相応しいとも言えた。何しろ教員自身──魔法史は除外するものとして──この方針に全く反対であることは、数話前に述べた通り明らかであるのに、それでも微動だにしないのだから。暗記と試験とに汲々し、実践的学問を欠いた教育がついに社会との断絶に至る流れは、マグルの世界では早くも19世紀最後の年には、ある哲学者によって指摘されたところである。しかし魔法界は、20世紀最後の年に初めてこのような──曰く「なんとなく現実離れのした、影のような」教育形態に突入したのだから、たった十年でその問題点が魔法省によって把握され、改善策が実行に移されることなど、望むべくもないと考えるべきなのだろうか。否、というのがエドアルドの私見であった。ここには何か、単なる時間的問題とは一線を画した、遥かに大きな背景要因が潜んでいるように思われた。少なくとも、理事会の手になる「無思慮な生徒を危険な魔法事故から守る」という公式見解は、あまりに信用ならなかった。本気でそんなことを考えているとしたら、それは生徒以上に、その監督能力を疑われた教員たちへの侮蔑であろう。

 しかしその理由が何であったにせよ、目下の一大事は授業が退屈であるということに尽きた。孤児学校にせよ、ホグワーツにせよ、これが子供を苛む大病であることは、言うまでもなかった。レイブンクロー生などは、上級生から助言を受けて、早々に授業へ見切りをつけ図書館にて自主鍛錬に努めるようになっていた。かの寮は個人主義の権化のように思われがちだが、この類の話題では、円滑な情報交換が行われているらしい。しかし、新設の図書館が随分こぢんまりとしていて、蔵書に関しても全く不足していることは、彼らも延々不平不満を言っていた──「世の中には慎ましやかな脳みそじゃ満足できない人間もいるって、知って欲しいもんだ!」。

 

 このような状況だから、魔法薬学が人気の授業になることは必然であろう。授業二回につき一回開かれる実習では、最も怠惰な学生すら腕まくりをして臨んだ。スラグホーン教授は時々、生徒たちをシックル硬貨の山から珍しい物を選別するかのような目で見つめる人物である。しかしながら、そのようにして広めてきた人脈のおかげで、魔法省も「無思慮な生徒」に大鍋と匙を扱わせる気になったということだから、敢えて批判する者もなかった。

 

「何にせよ、魔法史はちゃんとやらないとなぁ」

 

 終業試験がいよいよ新入生の勘定に入り始めた頃、ジャックの呟きにエドアルドは頷く。魔法史の教授は、入学式で組分けを仕切っていた、あの禿頭の魔法使いであった。これがとにかく悪漢で、教科書を一言一句覚えていなければ全く勉強不足と宣うのだから、始末に負えない。その上、スリザリンを除く各寮で一人二人ずつ、この教科を苦手とする生徒を見つけ出し、およそ答え難い質問をいくつも飛ばして吊し上げにするのである。本人はこれを「底上げ」などと称しているが、答えられるとは当然予想していないのだから、時間をただ浪費するばかりで、本末転倒なのである。にも関わらず、彼は自分が愉快な教師だと信じて疑わない。その実、場を白けさせることに関しては、“かのお方”もよもや敵うまいと思わせる才覚の持ち主であるのだが。

 そんな彼は、試験もかなり厳しいというのが、もっぱらの評判であった。これは当然予想すべきことであるし、また上級生も太鼓判を捺した。そもそも書くべき文量が不合理なほど多い、瑣末な年号を羅列させられる、教科書を超えた知識を求められる、一部の問題文はアナグラムになっているがこれは特に本筋とは関係ない無意味な嫌がらせである、云々──

 

「噂じゃ、追試はものすごい量の書き取りだって。嫌だったら、頑張るしかないよ」

 

 エドアルドがそう言うと、ジャックは舌を出して目を回した。

 

「本気で言ってるのか? あんな内容を書き取るなんて! おれが教科書の著者だったら、あとがきにでも一言添えておくね、『この本、写すべからず。かような苦行は、我にて十分なり』ってさ──おいエド、お前、魔法史得意だよな? コツを教えてよ」

「コツって言ってもねぇ」エドアルドは天井を見上げて考え込むが、妙案は思いつかなかった。「書いて覚えるだけだよ。僕はそうしてる」

「へぇ、何回くらいだ?」

 

 エドアルドは指を三本立てた。するとジャックはいよいようんざりした顔で、机に伏してしまった。

 

「たった三回? ああ、お前はいいよ、おれは五回書いたって覚えられる気がしない。待てよ──五回書いたところで、試験が上手く行く気もしない。なら、今必死になって無駄な勉強するよりも、追試の書き取りだけやった方が得じゃないか?」

「ジャック、ジャック」エドアルドはクスクス笑った。「勉強って、損得じゃないよ」

「いいや、損得だね!」ジャックは俄然決意を固めたと見える。「エド、君は机に向かってつまらないことを書き散らすのが趣味なんだ。その点で、すでに得している、分かるだろ? その点おれは、そんな変な趣味はこれっぽっちもないんだ。第一、魔法使いの学校で、杖よりも羽根ペンを振り回す時間が多いなんて、おかしいじゃないか! それならそれで、せめて商売とか、役に立つことを教えて欲しいね」

 

 エドアルドは、ピップが親指を立てて同意する姿を思い浮かべた。

 

「でもジャック、仕方ないよ」エドアルドはジャックの肩を叩いて宥める。「僕たちじゃ上手く魔法を扱えない。そうだろ? 貴族の子供じゃないんだから」

 

 ジャックは腹立たしげに唸り、懐に隠していたチョコレートの包み紙を開けた。スリザリン生がくれたものだ。

 

「だったらおれも一か八か、地下牢に行こうかな」

「地下牢?」

「うん」チョコレートを噛み砕きながら、ジャックが答える。「噂だけどさ、たまに物凄く世界史に詳しいゴーストが出るんだって。この際、そいつに師事するしかないよ」

 

 そう言うとジャックは、エドアルドの返事も待たずに、階段へと駆けて行った。

 

 

──────

 

 

 

 ある日の夕食後、エドアルドが腹ごなしの散歩でもしようと立ち上がると、ちょうど背後からスラグホーン教授が手を振って近づいて来るところであった。堂々たる太鼓腹を左腕で押さえ、何度もずり落ちる眼鏡の位置を直し直し、ようやくエドアルドの前に到着すると、呼吸にはゼイゼイという音が混じっていた。しかし顔は喜色満面である。

 

「やぁ、やぁ、エドアルド! どうだね、試験勉強の具合は、ん?」

「こんにちは教授……ええ、ほどほどです」

 

 エドアルドがそう答えると、教授は髭を震わせながら笑った。そのままエドアルドの肩を抱くと、彼が退席しようとしていたことなどお構いなく、座らせようとする。自身、どっしりと鎮座なさった教授の立派な体重に、エドアルドも屈した。

 

「ほっほう! ほどほどとは、やはりハッフルパフ生は真面目でかつ謙虚だね。私の耳に入った限りでは、君は大変優秀ということはじゃないか! ハッフルパフも良い生徒を獲得した。スカルピン(Sculpin)先生も大得意だろう!」

「さぁ、どうでしょう」エドアルドはハッフルパフの寮監である、いつもぼんやりとした魔女を思い浮かべた。「あまり興味はないかも」

「うぅむ──」スラグホーン教授は腹を叩いた。「スプラウト先生なら、きっと我が子のことのようにお喜びになったろうが──ああいや、こちらの話だ、失敬。しかし君、過ぎた謙遜は悪徳だぞ? 何しろ君は、今年の一年生の中で一番魔法薬に長けておる!」

 

 エドアルドは素直に賛辞を受け取った。スラグホーン教授は何度も頷きながら、長机に置いてあったゴブレットを掴むと、一気にあおった。

 

「魔法薬というのは極めて繊細な作業だよ、君。あらゆる魔法がそうであるように、そこに必要とされるのは鋭敏な肌感覚。君は若くして、すでにその肌を持っている。温度計を用いずとも、大体の液温が分かるんじゃないかね?」

「ええ、はい」エドアルドはもう退席を諦め、自分も食後のお茶を楽しむことに決めた。

「そうだろう……大鍋を掻き混ぜたり、火から下ろしたりのタイミングが、バッチリだからね。ああいうのは、経験だな。杖を振るのも然り……」

 

 スラグホーン教授は、その実大変酔っていらっしゃるようだ。蝋燭の火の下ではよく見えないが、目を凝らすと頬が赤らんでいる。エドアルドは、前々から気になっていたことを尋ねてみることにした。どことなく、今の彼は口が軽そうに感じられた。

 

「先生、聞きたいことがあるんですが」

「何でも聞きたまえ、何でも」スラグホーン教授はゴブレットを掲げながら言った。

「ありがとうございます。僕が聞きたいのは……なぜ授業で杖を使えないのでしょうか? 僕ら市民は、魔法の使い方が不得手で暴発しやすいというのは知っているけれど、てっきりその制御を勉強するのが、ホグワーツじゃないかと。つまり──先生?」

 

 エドアルドの言葉は最後まで続かなかった。スラグホーン教授の顔から、笑みが消えていたのだ。代わりに浮かんだのは、どこか苦しげで、気まずそうな表情。口がぽかんと開き、唇は小さく震えている。エドアルドが心配そうに見つめていることに気づいた教授は、ようやく我に帰った。

 

「ああ、うん──君の理解は正しい。そう、暴発の危険がある。しかしエドアルド、二年生からは実習も増えるし、そう落ち込まんでもいいよ。それに、私の授業では、君も思う存分腕を振るっているだろう? 安心したまえ、あの分だと、君は杖に関してもきっと一流で間違いない」

「それは……はい、ありがとうございます。先生の授業は、とても楽しいですよ。それだけに、他の教科でも同じだけ楽しい時間があれば、もっと熱心になれる生徒も多いだろうにと思うと、惜しいんです」

 

 スラグホーン教授は俯いた。彼は──その特別な趣味の良し悪しはさておき──善人であることは間違いない。その彼が、何らか誠意に関わる葛藤に苛まれていることを見るに、やはりこの問題は単なる安全管理上の話に収まらないと、エドアルドは確信した。しかし老いた教授をこれ以上思い悩ませるのは不憫と思われたので、追究はやめにすることとした。

 

「すみません先生。学校の方針への文句みたいな言い方になってしまって」

「いや、いや、エドアルド、気にすることはない!」スラグホーン教授はあからさまにホッとした、しかしどこか後ろめたそうな顔で言った。「君らの不満はよく分かっておる。しかしすまんね、いくら私の顔が利くと言っても、こればっかりは──」

 

 二人はおやすみの挨拶をして別れた。スラグホーン教授は、「私がかつてのようにトムと昵懇だったらば良かったが、手紙だけの付き合いじゃあねぇ──」とぶつぶつ言いながら去って行った。

 

 寮へ戻ったエドアルドは、大口開けて寝ているジャックを横目に、ピップへの手紙を認めていた。ペインティングは何をしているのか興味ありげだったが、就業試験の近づくこの頃、彼は「物を書く」という行為にヒステリー症状を催していたので、何も言ってこなかった。

 

 返事は翌日届いた。やはり吠えメールであった。今度は慎重に、人気のない早朝の談話室のソファで、毛布を被って開封した。しかし返事は、期待したほど明瞭ではなかった。

 

「これに関しちゃ、おれもうかうかと言えないな! ラム(Lamb)の奴も、きっと話したがらないから、聞かない方がいいよ。あいつ、メェメェうるさいからね」

 

 手紙は咳払いをすると続けた。

 

「何にせよ、栄えあるホグワーツ生たるロムルス君に忠告を。昔、得体の知れない古本を迂闊にも開いた結果、酷く不細工になったレイブンクロー生がいたとか。君はハッフルパフ生だから、そんなことはないろうね?」

 

 燃え落ちる手紙を見ながら、エドアルドはそんなものかと思った。確かに藪に手を突っ込むようなことを、わざわざする必要もない。彼は灰を集めて暖炉へ放り投げると、心地よい微睡に落ちて行った。

 

 

──────

 

 

 しかし事は思わぬ形で再燃した。終業試験まで一ヶ月を切ったある日の、変身術の授業でのことである。マクゴナガル教授は相変わらず洗練された杖捌きを披露してみせた後、その背後に潜む精緻な理論をつらつらと黒板に書いていった。この授業の評価は、賛否両論といった所である。やはり杖を自らは振れず、ただただ板書の書き取りに努めるだけの修行である、というのが片方の意見。しかし、少し気合を入れて勉強すると、この板書は必ずしも取ってつけたようなものではないことが分かる。理論は必然的に要請されるものであったので、それに気づけば楽しみようはあるというのがもう一つであった。だがそれだけに、自らも小鳥を笛に変えてみたいというのは、誰しも抱く願いであるのは事実だ。

 

 その日は、一限目に変身術の授業があったので、マクゴナガル教授が一年生への試験説明の役目を担うこととなった。配られた紙に目を通した一年生たちがにわかに驚愕と不満の声を上げ始めても眉一つ動かさなかった彼女は、この任が容易ならざるものであることを織り込み済みであったようだ。

 

「筆記・実技併用試験!」ジャックの声は誰よりも大きく響いた。「いくら何でも読み違いですよね、先生?」

「いいえ、読み違いではありませんよ、トレーズ」マクゴナガル教授の態度は毅然としていた。「あなたの目は完全に健康です」

 

 教室中が一斉に怒りの声に包まれた。これは確かに不当である。もし実技というのが模擬授業であればともかく、苟も杖を手に取り呪文を唱えることを指しているのならば、一体誰が良い成績を望めようか。マクゴナガル教授も、予想はしていたようだが、流石に同情とバツの悪そうな色が目に滲んだ。

 

「ええ、ええ、分かります!」老魔女は声を張り上げた。「あなた方の言いたい事は、私は当然理解しています。しかし、成績は絶対評価ではなく、相対評価でつきます。お分かりですか? ここにいる皆さんは同じ場所から走り出すのですから、誰かが極端に不利ということはありませんし、例え特別に不出来であろうと、それで落第ということは万に一つもありません」

 

 言質を取った教室は、やや興奮がおさまったが、それでもやはりさざめいていた。教授はすっと背筋を伸ばしたまま、再び口を開いた。

 

「よろしいですか。皆さんの今すべきことは、変わらず筆記試験に向けて全力を尽くす事です。実技試験は、あくまで補助的な役目と思ってください。多少、筆記で間違いをしても、もし才能に恵まれていれば挽回できる、その程度のものです」

 

 教授の言葉はしっかりした調子で、生徒たちもようやく落ち着きを取り戻した。しかしエドアルドは、その顔にスラグホーン教授と同じ後ろめたさが過ぎるのを目にした気がした。

 

「来年度からは、杖を使った授業も始まります。今度の試験は、そのための準備ですから──ええ、あなた方の不満に思う気持ちは重々分かります」

 

 最後に、半ば囁くように付け加えられた言葉には、どこか無益な響きがあった。

 

 その日の夜、寮の寝室にて、ジャックは杖をくるくる回しながら呟いた。

 

「なぁ、試験勉強してみるか?」

 

 エドアルドは止めようとしたが、実際に割って入ったのはペインティングであった。このところすでに神経質になっていた彼は、ジャックの蛮勇で彼らの寝室が大惨事に見舞われることを決して許さなかった。

 

「やめてよ、そんなこと!」ペインティングは、彼が恐慌状態に入ったとき特有の、キンキンした声で言った。「危ない、分かるでしょ? 危ないんだ、危ない!」

「そうは言ったって、ペインティング。お前が嫌がろうと、先生方はやらせようとするぜ? 試験の日にはね。なら今振ってみたところで──」

「そういう話じゃなくて、今日やるのがいけないって言ってるの!」

「はっ、どうかな」ジャックはにやりと笑った。「お前、試験当日も、きっと『いけない』って言うぜ。賭けても良い」

 

 エドアルドはこの小さな諍いに介入もせず、静かに本を読んでいた。ローブに忍ばせた杖は、不満げに熱を持っているようだった。エドアルドとて、呪文を使ってみたいことは山々である。しかし──七変化である彼にとっては、ピップの言うように「不細工」になることは、そう大きな問題でないにせよ──下手なことに手を出すより、静かに来年を待つが吉である。それに彼は、養父の下で既に十分、非合法な魔法薬調合の鍛錬を積んだのだから、これ以上望むのは贅沢に思われたのである。

 

 





スラグホーン教授は今日でも、大好きな砂糖漬けパイナップルの不足に悩む事はありません。
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