闇の時代と一杯の紅茶   作:The-Artless-Dodger

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教育的生活環境

 

 

 ある一部の人に言わせれば、悪徳の名札が貼られるべきあらゆるものは1998年以降駆逐されてしまい、今現在この世界に生き残ったものは全て無辜なる仔羊であるらしい。そういった人物は常に、自分自身も当然無辜であるという見当違い甚だしい前提を設定するもので、そもそもだからこそこの様な意見を白昼堂々吹聴して回ることができるのである。ただこのような簡潔な一般化を排して、より高度な観察を行おうとするのならば、以下のようになるだろう。即ち、悪が消えたと信じる人物は、とんだ田舎者、もしくは恐ろしく都合の良い脳みそに恵まれた人物のいずれかである。

 

 2008年のロンドンでは、もはや遠い過去に死に絶えたと思われたあらゆる悪徳が地獄の底から蘇り、街中を跋扈しているかのようだった。過酷な労働、貧しい食事、悪臭をもたらす水と煤煙、人身売買──そして何より、塀の向こうで展開している惨事を全く意に介さない平和で賑やかな大通り。もし200年前の記憶を有しているほど十分に長生きな人がいれば、彼は時が巻き戻ってしまったと思ったに違いない。

 そんな偉大なる二面性を有した大都市の中で、ひときわ恐れられているのがノクターン横丁である。以前より悪名高い裏路地として名を馳せてきたこの場所は、今では他ならぬ魔法省官僚たちによってほぼ公的に立場を保証されるに至り、我が世の春を謳歌していた。そのくらいのことは、まさに田舎者であるエドアルドも知ってはいたが、彼にとって不幸だったのは、他ならぬラム・タバード氏がその住民であったという事実である。

 

「そんな顔をするなよ、坊主」

 

 タバード氏は目を伏せるとローブの中から煙管を取り出し、青色の煙をふかしながら言った。エドアルドは、口調が変わるだけで、ある人間の印象がいかに紳士からかけ離れたものになるか思い知らされた。

 

「騙された、そう思っているんだろう。しかしな、今回のことは俺にとっても全く不本意なことなんだ、本当に。“かのお方”に誓ってな」

 

 タバード氏は自身の言葉を証明するかのように大きくため息を吐き、何かよく分からない染みのついた肘掛け椅子に腰掛けた。エドアルドは咄嗟に逃げようと思ったが、ガラス窓の嵌め込まれた扉は固く閉じびくともしなかった。

 

「出してください!」エドアルドは恐怖に駆られそう叫んだ。「お願いします!」

 

「出たきゃ出ても構わん」タバード氏はそう言いながら窓を指差した。「出ても一向に構わん。しかし、それで割を食うのはお前のほうだぞ。一歩この店から出た途端、悪事に関しちゃ優秀なハゲタカどもが寄ってたかってお前に襲いかかるだろう」

 

 蜘蛛の巣が張った窓の外には、薄暗い石畳の道が見えていた。道行く人々はどれほど好意的に言い表すとしても不健康としか言いようがなく、そしてその不健康は犯罪による精神の荒廃の為であることは明らかに思われた。

 

 エドアルドは仕方なしに振り返り、やさぐれたような態度で煙管を咥えているタバード氏に対峙した。

 

「本当に」タバード氏は繰り返した。「不本意なんだ。この俺にガキを育てる余裕が──趣味があるように見えるか?」

「ならどうして、僕を引き取ったりしたんですか」エドアルドは当然の疑問を口にした。

 

 タバード氏は答える前に、傍の机に置いてあった瓶を手に取りエドアルドの方へ傾けた。が、聡明な少年が断ったので、杖を振り栓を開け、一気に飲み干した。

 

「その理由は、俺とお前との共通の知人にある」ファイア・ウイスキーを飲み喉を灼かれたタバード氏の声は嗄れていた。「この冬、お前がロンドンに来た時、男に出会っただろう。そう、そいつだ。赤毛で、ガニ股で、サラザール・スリザリンですら拍手喝采するほど狡猾な男! しかし俺にとって不思議なのは、お前のような素晴らしい“魔法”を持った子供を、どうしてあいつが俺に預けたかだな」

「僕を? 預けたって?」エドアルドはびっくりして聞いた。

「そうだ。フレッチャー──あいつの名前だ──は俺に突然こう言った。オスバート孤児学校に住んでいる“エドアルド”を引き取って養え、そうすればツケはチャラにしてやると! 全く愚かしい話だが、まだ若いころ俺はあの薄汚い詐欺師から金を借りてたんだ。しかし筋金入りの守銭奴であるフレッチャーが、急に慈善家の心に目覚めたってのも筋が通らない。それならまず先に自分の悪どい商売を畳むだろうしな」

 

 タバード氏の話を聞き終えたエドアルドは、果ての見えない迷宮に放り込まれたような心地がした。当初の危惧は完全に的中し、今回の養子縁組の背後には例の浮浪者がいたわけだが、その目的は全く判然としないのである。その点はタバード氏も同様で、しきりに悪態をついていたが、その半分以上は“業界用語”であり、エドアルドには意味が分からなかった。

 

「それじゃ」エドアルドはおずおずと呟いた。「僕の生まれについて、というのは嘘なのですか?」

 

 この幼い哀れな孤児が、今回の件で最も期待していた事柄は、果たされそうにはなかった。今や親切の皮を脱ぎ捨てたタバード氏が、エドアルドの両親に関するいかなる知識も持ち得ないことは確実だと思われたのだ。自分は見え透いた嘘にまんまと騙され、誘拐されたのだろう──エドアルドはそう確信していた。

 

「いや」しかし、初老の魔法使いは意外にも首を横に振った。「全くの嘘っぱちではない。正直は美徳なり、だぞ坊主。そりゃ、予言者なんてのは出鱈目もいいとこだがな。あいつらにお世話になるのは、騙されやすいカモを探す時だけだ。だが、お前の生まれについていくらか推測することはできる」

 

 そう言うとタバード氏は声を落とした。

 

「まず前提条件として、フレッチャーは自分の得になることか、自分が損しないこと以外では動かない。気の毒な孤児の保護なんて、普段のあいつなら考えもしないだろう。金稼ぎか賭け事以外のことを考えるのは脳みその無駄遣いだと思っているようなやつだからな。すると、フレッチャーがお前を俺に押し付け、その後まるで関与する気もないところから察するに、奴はお前を商売に使おうってんじゃあない。おそらく、俺と全く同じ動機──つまり、誰かに借りがあったかなにかだな」

「誰かって言うと──」

「可能性は二つだ。フレッチャーにツケの支払いを要求できるような奴と言えば、俺の同業者か、もしくは貴族だろうな。お前はそのどっちかの生まれ()()()()()()

 

 タバード氏の口から語られた情報は決して多くはなく、それこそ“推測”に過ぎなかった。しかしエドアルドの心にどれほど甚深たる印象を与えただろうか! それまで完全に霧の中に隠れてきた彼の両親へと繋がるか細い糸が、今回の出来事を通してにわかに姿を現したのだから。ただの推測──だがそれは説得力のある推測だった。エドアルドは短い人生の中で未だ何事をも成していない。ならばそのエドアルドに他人がわざわざお節介を焼こうとするのは、両親の成したことが関係しているに違いないのである。

 

「それじゃ──」エドアルドは火山から噴き出る溶岩のようにのべつ幕なしに湧き上がってくる疑問を口にしようとした。しかしそれは言葉として発せられる前に、タバード氏の荒々しい口調によって遮られた。

「これ以上質問はなしだ。答えられんから、聞く価値もない。先に言っておくが、フレッチャーと話そうと試してもうまくはいかんぞ。あの小賢しいじじいはもうノクターン横丁にはいない。常に闇夜を飛び回っていて、こっちが用事がある時には居場所も掴めないくせに、都合の悪い時ばかり玄関先に現れる、そういう奴だからな。分かったら今度は俺の話を聞け」

 

 タバード氏は少年の眉間に杖先を向けた。薄暗い部屋の中で、貧相な調度品に似合わず色艶のいいタバード氏の唇が重々しく開かれた。

 

「俺は、お前を引き取り育てる約束がある。忌々しいことにな。だが、もしだ、お前がこれからの生活の中で、俺の親切な忠告を聞かずに下手なことになれば、俺はフレッチャーの奴に堂々宣言してやるぞ。義務は果たした、あんな聞き分けのない子供を今日まで育てて、その上埋葬までしてやったんだから、とな」

 

 この遠回しな脅迫を聞いたエドアルドは、恐怖のあまり呆けたように目の前の男を見つめた。声も出せずに震えているエドアルドを認めた魔法使いは、ひとまず満足したらしい。軋む背もたれに大きく寄りかかり、上機嫌で煙を吐き出した。するとその青い煙はゆらゆらと漂い、大きな斧を研ぐ不気味な大男の形をとった。それは裏切り者を断罪する死刑執行人に違いなかった。

 

「食費以上は稼いでもらうぞ、坊主。当然の義務だ、そうだろう? なんとお前は来年からホグワーツに行っちまうんだから、それまでしっかり働かないとな」

 

 なにが面白いのか、タバード氏はくすくす笑いながら言った。

 

「ええ、もちろん、働きます。でも、僕は何をすれば良いのか──」エドアルドが遠慮がちに切り出すと、タバード氏は大きく手を振った。

「まずは掃除、洗濯、そして掃除だな。しばらくしたら魔法薬の作り方を教えてやる──言っただろう、ここは魔法薬店だ。そこらの薬屋とは訳が違うぞ、なにしろ法律で禁じられた代物も売っている。良かったな、坊主! お前は俺への恩返しどころか、学校の予習までできるぞ!」

 

 饒舌に語るタバード氏のどこまでが本音か、エドアルドには判断がつきかねたが、事態の深刻さは変わらなかった。ともすればエドアルドは、重大な法令違反に加担させられるかもしれない。倫理的にはサナトリウムのように清潔な孤児学校で育てられた彼にとって、穢れた犯罪者に身をやつすことは恩ある人々への耐え難い裏切り行為だった。

 小さな頭の中をぐるぐる回っている葛藤は、その原因たる魔法使いも知るところだった。しかし、彼はだからと言って慈悲深く救いの道を指し示すほど良心的人物ではなかった。

 

「さぁ、分かったらさっさと掃除をしろ! お前が一分間呆けるごとに、俺の財布からガリオン金貨がこぼれ落ちているということを忘れるなよ──ちょっと待て、坊主!」

 

 結局従うほかないエドアルドが、部屋の隅に打ち捨てられ、それ自体不潔の温床と化している箒に近づこうとすると、タバード氏が制止した。エドアルドは一瞬、タバード氏の気分が変わり、お前のような穀潰しを養うのはやはりどう考えても割に合わんから、荷物を纏めてとっとと帰れと怒鳴ってくれるのではないかと期待した。が、振り向いた瞬間、エドアルドを貫いたのはどこか悲痛な怒りをたたえた二つの眼球だった。自分で呼び止めておきながら、タバード氏はまるで唇に鉛のおもりでも括り付けられているかのように、口を開かなかった。長い時間がたち、とうとう喉の奥から搾り出された言葉は、重々しい響きを持っていた。

 

「赤は、やめろ。気にくわない」

 

 それだけ言うとタバード氏は椅子から立ち上がり、床を軋ませながらどこかへ行ってしまった。エドアルドはしばし立ち尽くしていたが、やがて髪の毛の色を艶やかな金色に変え、箒を手に取った。しかし、本人は赤褐色の髪色をしているタバード氏が、なぜエドアルドにはその色を許さなかったのかという謎に取り憑かれ、なかなか身が入らなかった。

 

 

 

──────

 

 

 

 養父との生活は、奇妙なぎこちなさと居心地悪さに支配されたものだった。彼は決して、怒鳴り散らかしたり、食器を飛ばしたりするような激情家ではなかったが、愛想良く頭を撫でながら、朝の挨拶をするような性格でもなかったのである。タバード氏は事前の宣告通り、エドアルドに色々の雑用を申し付け、その仕事ぶりを鷹のような疑り深い眼で観察しては、不満げに鼻を鳴らして立ち去るのが常だった。それは懐かしき孤児学校の職員の一部に見られた態度──つまり、可能な限り子供などという厄介な動物に関わりたくない、という態度に他ならないようだった。ただ、酒を飲んだ晩には、普段の仏頂面からは想像できないほど上機嫌かつ饒舌になり、エドアルドの日々の成果をこれ以上なく賞賛するか、あるいは徹底的にこき下ろすのだった。

 しかしこの共同生活は、かつての退屈というこの世の中で最悪の邪悪とは無縁でもあった。埃をはらおうと引き出しを開ければ、何世紀も昔に死んだのであろうドクシーのミイラがいくつも転がっている。棚に並べられた壺や瓶の中身も、マダム・スクランブルならば即座に“危険物”の名札を貼り、学校の敷地内から放り出してしまうような代物ばかりだった。そしてエドアルドくらいの年頃の子供は、全員とは言わないが、大人が危険と言えば言うだけ俄然興味を持つものである。

 

 タバード氏の店(ボロボロに朽ち果てた看板を読み取ることができれば、そこには“アーマーズ・ハウス”と書いてある)にやって来てから二週間が経つと、雇い主は早くも徒弟の研修は問題なく修了されたものと考えたらしい。ある朝、以前とは比べ物にならないほど清潔になったベッドから叩き起こされたエドアルドは、何がなんだか分からぬうちに、大釜の前へと引っ立てられた。

 

「いいか、坊主」タバード氏はエドアルドの手に、柄の錆びた小刀を握らせながら言った。「今からお前が作ることになる薬は、まだ紅茶でも淹れたほうが高値で売れるだろう、お遊びみたいなもんだ。本来ならば売り物になる薬をすぐにでも作らせても良かったんだが、そうすると棺桶の費用が余計にかかるからな。俺は、そう、未来への資投(invistmont )として貴重な材料と時間を割き、お前に教育することにした。この意味が分かるか」

「ええ」エドアルドは養父のいつになく真剣な調子にたじろぎつつも頷いた。「多分分かると思います」

「多分じゃ困るな、多分じゃ」タバード氏は養子の黒い頭を杖の持ち手で軽く小突いた。「言っただろう、これは()()の一種だ。マグルの連中が得意だったやつだ」

「マグル?」エドアルドは眉を顰めて言った。「あなたはマグルのすることをしようと言うんですか?」

 

 この時初めて、エドアルドは養父から向けられる視線に軽蔑が込められていることに気づいた。自身の言動、あるいは自身で評価している程度に比すると、タバード氏は辛抱強く冷静な人間である。特に素面の彼は、金持ちの客に対する媚びへつらい、貧乏な客に対する職業的な無関心、その他あらゆることに対する冷笑的態度によって構成されているように思われた。そんな彼が、偉大なるファイア・ウイスキーの手助けなしに剥き出しの感情を露わにしたのである。エドアルドは驚くよりも先に、何かとんでもないことをしでかしたのではないかと恐れた。

 

「ふむ」タバード氏は杖でボロボロの机を何度か叩き、少し後退りながら顎髭を撫でた。その仕草の全てが、今から話すことは──甚だ不本意ながら──相当に感情を抑えた結果であるということを事前通告していた。「なるほど──まぁ、頭脳明晰たるミスター・スワッブルのお考えに、いちいち異論を挟もうだなんて思わんがね。一つ言っておこう。ここから一、二リーグほど離れたところにマグルの老人が住んでいるが、お前はそいつの飼っている山羊ほども稼げやしない。分かるか、え? ただ床に水をぶち撒けてモップで擦るだけのことを仕事だと思っているお前が、実際に()()で儲かっている男のやり口について、大層なご高説を垂れるというわけだ!」

 そこまで一気に言い切ると、タバード氏は咳き込みながら肘掛け椅子に倒れ込み、柄にもなく興奮して捲し立てたことを恥じるような、微妙な苦笑いを浮かべた。

 

「坊主、実際に連中を見たことは?」

「ありません」

「そうだろう」そう呟いた養父は、やはり先ほどの怒りを後悔しているようだった。「実際連中は滅多に姿を見せん。無論、俺たちの方から玄関をノックすりゃ出て来るだろうが。何千万──何千万だぞ! それだけの非魔法族が魔法族から隠れ、狡猾なドブネズミみたいに目に付かないように暮らしている。しかし現実には、ここから少し離れたところで、ドラゴンの心臓のようにうごめき脈動しているわけだ──そしてその中には、なかなか商売上手もいる。俺の店はそういう連中も相手にしているということは、良く覚えておけ。でなきゃ」タバード氏のステッキが恐ろしい勢いで持ち上がり、驚き仰け反る暇もなく、エドアルドの眉間にピタリと狙いを定めた。「お前が損をする」 

 

 そう言ったきり、タバード氏は押し黙って新聞を開いた。明らかに会話を続けようという意思の見られない態度だったので、エドアルドは恐怖を飛び越え、半ば怒りすら覚えた。マグルとの交友が“耐え難いほど不適切”であるというのは、子供でも──それこそエドアルドのような──知っている公然の事実だというのに、どうしてそれを大っぴらに告白して、その上自分を非難するのだろうか?

 エドアルドはこの二週間で、彼の養父が少なくともある種の尊敬に値する人であるのかもしれないと思い始めていた。即ち、エドアルドのような真っ当な人間の世界とは別の倫理道徳において、その手腕、その態度は評価されるべきなのではないか、と。しかし、“かのお方”と、その側近たる賢く勇敢な貴族たちの定めた魔法界秩序に真っ向から刃向かうような男が、果たしていかほどの尊敬に値すると言うのだろう。そもそも、彼のしている商売自体、徹頭徹尾犯罪じゃあないか──

 

 エドアルドは今すぐこの店を飛び出して、養父の手が上着の裾を掴む前に誰か信用できる大人に縋りつき、然るべき機関へ通報するべきではないかという計画を、久しぶりに検討し始めた。それも、ここへ来た時よりもずっと真剣に。だが、エドアルドが二歩で進む距離をタバード氏は一歩で軽く跨いでしまうだろうし、彼はなぜステッキを手放さないのか皆目見当がつかないほどの健脚を誇っている。その上彼の右手には、その気になりさえすれば火でも水でも、そして縄さえも自由自在に呼び出せる、愉快な木の棒が握られているのだ。

 

 これらの要素を鑑み、エドアルドは作戦実行の延期という結論に至った。逃げるにしても、養父がベッドでぐっすり眠っている真夜中にした方が容易いだろうことは、今まさに大釜の下で燃え盛っている火を見るよりも明らかだった。

 エドアルドは、なにがそんなに興味深いのか、腹立たしいほど新聞に集中している──しようとしている──タバード氏への当てこすりを兼ねて、大釜の横に置かれたシミだらけの本に向き合った。そこに書かれていたのは、歯茎の腫れを治すという、相当に簡単な魔法薬の調合法である。しかしいくら簡単とは言え、“マグルの老人が飼っている山羊”が、小刀を使って干からびた薬草を細かく刻むことができるというのなら、是非とも見学してみたいものだとエドアルドは思った。そんな芸達者な山羊ならば、なるほど、さぞかし稼ぐに違いない。

 

 元々器用で賢いエドアルドが、怒りに背中を押され全力を傾注したのだから、完成した魔法薬は果たして素晴らしい出来だった。エドアルドが三度も呼びかけてようやく新聞から顔を上げたタバード氏は、大釜を覗き込み、「うーむ」と唸ったが、エドアルドはそれが満足を意味していると理解した。この推測は、翌日にもその正しさが証明された。というのも、タバード氏自らが魔法薬学の教師の役を買って出たのである。ともかく、タバード氏が出来上がった薬にたった一言の難癖すら言い得なかったことで、エドアルドはやや溜飲が下がった気持ちでいた。

 

 しかしやはり、その夜のエドアルドは、埃と茶葉が混ざった匂いの漂う自室で、火のついた蝋燭を前に思い悩んでいた。タバード氏の鼻を明かしたことで得られた晴れやかな気持ちも、ノクターン横丁に暮らす人々にあまねく覆い被さる、陰気な夜が及ぼす影響は避けられなかった。孤児学校の良いところは、その物質的な清潔さもさることながら、精神的に不浄とみなされ得るあらゆるものが、事前に取り除かれることである。それは、他方では辛く苦しい退屈となって子供たちに襲いかかるのだが、エドアルドはその退屈すら懐かしく思い始めていた。

 エドアルドは、マダム・スクランブルが手にかけた子供たちの中でも、屈指の“優等生”である。そして、これからの人生を歩む上でも、常にそうあるだろうと思っていた。そんな彼が、“反体制的人物”を養父という立場に据えるなど、どうして出来るだろうか!

 幼き苦悩者は、何度も燭台に手を伸ばそうとした。凍てつく寒さを防ぐコートをクローゼットから取り出し、魔法省の役人がエドアルドの告発を信用に足ると判断する助けになるよう、オスバート孤児学校の校章が刺繍されたブローチを引き出しから引っ張り出した。しかしそこまで準備してもなお、小さな手が燭台を掴むことはなかった。

 

「怖がるなよ、エド」エドアルドは、自分でも気づかないうちにそう口にしていた。「あの人は寝ている。外に出ても、すぐに犯罪者に出くわすとは限らないじゃないか」

 

 窓の外には、そこに暮らす人々全てが生き絶えたかのように暗黒のベールに包まれたノクターン横丁と、その真っ黒な家々の先に煌めく街明かりが見えていた。エドアルドは名前を知らなかったが、ダイアゴン横丁と呼ばれる美しい通りが放つ活気の光である。

 

「あの人は、反体制的だ。犯罪を生業として、マグルに()()している。なら、することは一つだ」

 

 エドアルドはついに立ち上がった。高潔な使命感とコートを胸に抱いて、燭台に手を伸ばし──ぎょっとして動きを止めた。質の悪い芯の上で、力無く揺らめいている小さな火の中に、あのエレファント&キャッスルで目撃した鬼火(will-o'-the-wisp)を見たのだ。

 エドアルドは呼吸もできず、恐怖に染まった瞳で蝋燭を凝視していた。色も数も違うというのに、確かにあの時の死を纏わせた病的な光が浮かび上がっていたのである! 風が吹けば容易く掻き消されてしまうに違いない小さな火は、しかし「うごめき脈動」して、エドアルドを非難しているかのようだった。

 

 哀れな少年にできたことは、火を慌てて吹き消し、ベッドに戻ることだけだった。穴だらけの毛布に包まり、震える体を縮こまらせて、必死に目を瞑っていた。幸いなことに、安らかとは言い難いものの確かな眠気がやって来て、エドアルドはまもなくのうちに寝てしまった。しかし、その耳元では、数えきれないほど多くのマグルが一言も喋らずひたすら行進する足音が、一晩中消えることなく鳴り響いていた。

 

 

 

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