闇の時代と一杯の紅茶 作:The-Artless-Dodger
薄目に見ても、少女ははっとするような美しい容姿であった。青みかかった髪の毛は霊妙この上なく、七変化をもってしても模倣し難いものと思われた。そして──なぜそうと分かったのかははっきりしないが──恐らくエドアルドが目を覚ましたことに気づいただろうに、全く関心も持たず目もくれない。その有様は、マルフォイ婦人とのなんらか共通項を孕んでいた。
エドアルドは全く仰天してしまった。なにしろ、彼は──無意識ながら──わざわざ一番後ろの車両、つまり貴族の御一行から最も離れた車両に落ち着いたのだ。ならば、目の前にいる少女は一体何なのだろうか? 自分と同じとは思えない、一般人とは言い難い風格は、明らかに貴族のそれである。それとも、エドアルドが“貴族的”と考えていた女性像は、女性全般に当てはまるものなのだろうか。思えばエドアルドは、これまでの人生で女性と接する機会を、そう多くは持たなかった。もしそれが正しいのだとすれば、少年しかいない孤児学校に比べ、共学のホグワーツのなんと堅苦しいことだろう──そんなことを考えていた彼は、なおも狸寝入りを続けた。
休日のダイアゴン横丁の喧騒よりもよっぽど耳障りな沈黙は、長く続いた。エドアルドは薄く目を開けては閉じるを繰り返す。少女は、相変わらず車窓の外に冷徹な視線を注いでいる。延々と草原が広がっているだけなのに、見下すべきものがそんなにあるのだろうか? まるで、青々とした残像の中に、一々害虫を認めているかのようだ。するとその目の鋭さは、マルフォイ婦人ともまた違ったものに思われた。彼女は心からの無関心だったが、この少女は「見逃してやっている」と言いたげだ。蛮族の貴人とでも呼ぶべきか──。
やがて、九月の太陽はゆったりと丘の向こうに沈んでいき、陰鬱な闇がグレートブリテン島を包む中、ひた走るホグワーツ特急の暖かな照明も、エドアルドには蒸し暑い夏を思わせた。そしてついにホグズミードに向けて減速を始めた頃、少女はやおら立ち上がり、猫のように悠然とコンパートメントから出ていった。エドアルドは、しかしその後もずっと胸の上下を最小限にとどめることに注力し、ようやく長いため息をついたのは、車輪が完全に止まってからだった。
横にも縦にも大小様々な生徒たちの波に流される形で汽車から降りる。無機質な白い照明が赤い車体を冷たく照らしているのが印象的だった。
小柄で酷く神経質そうな、教師か何かであろう男に引率されながら、彼はずっと、例の少女の姓の頭文字がSよりも早くあって欲しいと願っていた。彼女のあとに順番が回ってくれば、噂に聞く組分け帽子への交渉の余地があるし、最悪の事態が未来へと続く途上に動かし難く横たわっていたとしても、「地獄行き」と一瞬で宣告されるだけましだろう。
そしてそれ以上に、エドアルドは彼女が貴族であって欲しいと願った。たったそれだけで、二人が違う寮に入ることは確実になるのだから。マルフォイ婦人の不思議な勘違いは、貴族のための寮に、なぜかエドアルドが入れると思っていることであった。
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インクをひっくり返したように真っ暗な夜空の中にいて、ホグワーツ城は聞きしにまして幻想的であった。大小様々の尖塔は、ところどころの窓から漏れる橙色の灯火でおぼろげに浮かびあがり、不思議な言い方だが、エドアルドはここまで魔法的なものをこれまで見たことがなかった。だが湖面に眼を向けると、ちらちら揺らめく光の反射が、果たしてセント・エラスムスが呼び出したものなのか、はたまた哀れなウィルが彷徨い歩く跡なのかは、判然としなかった。
そういえば──とエドアルドは思い出す。なぜ今まで忘れていたのか疑問だが、子供向けの大衆雑誌に、“ホグワーツの人喰い大イカ”の記事が載っていた。曰く、「黒い湖に潜む巨大な悪魔は、哀れな新入生が上級生の忠告を無視して暑い夏を水泳によって乗り切ろうと試みた途端、波立つ湖面を鋭敏に察知し、長大な触腕をもって引き摺り込む」という。彼は別にこの与太話を信じていたわけではなかったけれども、小舟の縁から体がはみ出さないように気をつけた。
小舟はやがて対岸に着いた。エドアルドが見上げると、ホグワーツ城の堂々たる巨躯が、覆い被さるように迫っていた。どんな嵐も、あらゆる雨も、いかなる魔法も受け付けなかったであろう一千年の歴史が、彼らを見下ろしていた。しきりに感嘆の声を発していた一同も、圧倒され、押し黙った。この威容を前に、一体どんな愚か者が、わざわざ自分の慎ましやかな経歴を披露するような真似ができるだろうか。
引率係の小柄な魔法使いが、酷いしわがれ声をしぼり出して、一同を舟から降ろした。舟着場は小さなランプが吊る下がり、咳き込むように弱々しく明滅する光をぼんやり投げかけるだけで、あとは真っ暗だった。黒い水が押し寄せては岸壁に砕け散り、飛沫となってエドアルドの足を濡らす。その優しい冷たさは、今や遠い昔のこととすら感じられる、ドレクネーベルの森を思い出させた。
「今から」
そう言ったように、エドアルドには聞こえた。小柄な魔法使いの声はほとんど潰れていたのである。抑揚から判断するしかなかった。
「城に上がって、組分け──出てくるが、連中は──騒がないで、ついてくるように」
恐らく一番大切であろう指示が判別できたことは、彼ら一年生にとって幸いだった。
しかし、組分け──その言葉はエドアルドを憂鬱な気分にさせた。一体自分はどこに入れるだろうか? 順当に考えれば、ハッフルパフ以外あり得ないのだ。日刊予言者新聞の連載漫画『愉快な寮生たち』を読んで育った彼には、ハッフルパフに入るというのは、どうしようもなく嫌な未来だった。寮杯ではいつも最下位、簡単な魔法薬の調合にすら失敗する、クィディッチの試合ともなれば、半数が地面から十インチ以上浮いていれば大金星──漫画に描かれていた、これらハッフルパフ生の輝かしい偉業の数々が、全て正しいとは思わないが、しかし世間一般の認識はそうなのだ。
高貴なるスリザリン、叡智を誇るレイブンクロー、蛮勇のグリフィンドール、そして劣等生のハッフルパフ。一般魔法族であるエドアルドにとって、選択肢は三つだが、望むのはレイブンクローただ一つだった。
とにかくそれだけが頭を占有していたので、そこから先、どのような道を通り、どれだけの素晴らしい魔法を見逃したのか、エドアルドは覚えていない。気づくと彼は、他の一年生たちとともに、
「ジャック!」エドアルドは一転歓喜に満ちて、人混みを横切り旧友の肩を叩いた。「久しぶり、ジャック!」
キングス・クロス駅では、あれほど複雑に思われたジャック・オボール・トレーズにも、いざ再会してしまえば、そんな物思いは全くくだらないものになってしまった。振り向いたジャックも喜色満面でエドアルドの手を握り、肩を抱いた。
「エド! ほんと、久しぶりだなぁ、エド!」ジャックの子供らしい紅い頬は、エドアルドとは違って、全く変わりなかった。「髪の色がちょっと明るくなったか?」
「そりゃ、明るくもなるよ! ジャックも、背が高くなったみたいだね」
一年前には並んでいた視線も、今ではエドアルドがやや見上げる格好になっていた。
「背が伸びたって? 毎日十時に寝かしつけられてたら、伸びるのも当たり前だな。そっちはどうなんだよ、エド。まるで古い花瓶みたいに顔色が悪いぜ?」
旧友のこの言葉に、エドアルドは胸の奥に小さな痛みを覚えた。ジャックに別れを告げた当時の自分と、今の自分とでは、全く変わってしまったように思われた。何せ、温室育ちのバラの株が、突然、岩が剥き出しで潮風の吹く荒野に植え替えられてしまったようなものなのだから。
「それに」とジャックは続けた。「汽車で会えると思ってたんだけど、どこに座ってたんだ? みんなもお前のことを懐かしがってたよ……ま、すぐに顔を合わせるだろうけどさ」
この質問にも、エドアルドは曖昧な笑みを浮かべるほかなかった。彼は、自分が今、もはや戻ることは叶わない子供時代に直面していることに気がついた。
さて、このような形で、エドアルドの返答はぼんやりとしたものに終始したが、ジャックとて聡い子供である。彼が養子に貰われた状況が、どこか尋常でないものであったことは察していたし、そこへ無理に首を突っ込むほど野暮でもなかった。そしてその間に、随分ゆっくりと進行していた準備も終わったようだった。小柄な魔法使いが掠れ声を三度に渡って張り上げ、ようやく新入生を静かにさせると、観音扉がゆっくりと開いた。
その時の感情を、どう表現すれば良いだろうか──エドアルドにとって、扉の先に待ち構えていたのは、あまりにむごい光景だった。周囲の一年生たちは──ジャックも含め──感嘆の息をもらしているが、全く同調できなかった。広大な広間の天井には星空が瞬き、何百何千という蝋燭が、宙に浮いてテーブルを照らしている。四種のローブに身を包んだ上級生たちは、万雷の拍手でもって新入生を迎えた。しかしそれは、何から何まで欺瞞的光景だった! 一体何が、エドアルドをしてこれ程の拒否感を生ぜしめるのかは、本人にもわからない。とにかく、この荘厳で、同時に華やかで、貴族的な空間が、エドアルドには堪えかねた。ホグワーツには、何か深刻な問題が隠れていると、鋭敏に感じ取ったのだ。
彼は人の波に押されるようにして、覚束ない足を前へと進めていった。上級生たちは、表情のないのっぺりとした仮面のようにすら見えた。
そうこうするうちに、一段は大広間の前方にまで到着した。エドアルドがそっと顔を上げると、教職員の長机の中央に、真っ黒な髪の毛の魔法使いが掛けているのが目についた。その男は、座っているにも関わらず、まるで仁王立ちしているかのような威圧感を発していた。肌の色が悪く、顔立ちも整ってはいないが、それ以上に、何を映しているのか分からない暗い眼が、エドアルドの心に恐怖を刻み込んだ。その魔法使いが滑らかに手を挙げると、広間は水を打ったように静まり返った。彼には、魔法使い以上に魔法的な力があるようだった。興奮した子供を、これほど容易く黙らせることがどれだけ難しいか、孤児学校で育ったエドアルドは重々分かっていた。
「入学おめでとう、新入生諸君」彼は毛ほどもめでたくなさそうな声を発した。「しかし、諸君らの健やかなることを披露する機会は、これからも十分あるのだから──まずは、目先の行事を済ませたいものですな」
これを聞いたジャックは、一言「ワーオ」と呟いた。「あいつが校長だってのは、不幸中の幸いだな。あんなのに授業されたら、たまんないぜ」
組分けが如何なる順序で進行するかは、読者諸君も既にご存知であろうことから、ここでは割愛させていただく。ただ一つ、特筆すべきことがあるとすればそれは、組分け帽子は昔よりも多少“寡黙”であるという点だろう。
エドアルドに目を戻すと、彼はもうすっかりこの異様な雰囲気が気掛かりで、先ほどまで頭を占拠していた組分けの問題は霧散してしまっていた。どの寮でも──この際、ハッフルパフだって──この大広間の張りぼてじみた薄ら寒さは無いだろうし、もし仮にこれがホグワーツ全体に関して共通なのだとしたら、その時はまっすぐタバード氏の元に帰り、陰鬱なノクターン横丁をすら暖かい楽園とするに違いない。第一、この大広間は、生徒の数に比べて広すぎて、従って長机も、役不足が過ぎるようだった。緑色のローブを纏った生徒たちは一箇所にまとまっているせいで、机の両端にはそれぞれトロールが五体ずつ腰掛けても十分なほどの余裕がある。一方濃紺の生徒たちは、仲が良い数人とまとまる以外は、お互いの間にできる限りの距離を空けておきたいようで、まるで歯があちこち抜け落ちているかのようだった。
そういうわけで、エドアルドは組分けの儀式にあまり集中できなかった。周りの生徒に合わせてパラパラと拍手は送るが、それよりも、頭上から熱い蝋が垂れ落ちて来ないかどうかが心配だった。しかし、儀式の半ばごろ、大広間が緊張した静けさに覆われた時は、エドアルドもまた壇上に注目せざるを得なかった。
「レストレンジ・デルフィーニ!」
組分けの儀式を取り仕切っている、禿頭で酷い肥満体の魔法使いが、貴族お抱えの演劇俳優もかくやという朗々とした声で、そう叫んだ。その瞬間、広間は凍りついた。それまでやんややんやと囃し立てていたグリフィンドール生も、くすくす笑いを隠そうとしなかったスリザリン生も、一斉に壇上へ目を向けた。エドアルドもまた顔を上げると、列車で会った例の少女が、まさに壇上へ上がる所であった。組分け帽子を一瞥して眉を顰めた彼女が、それでも椅子に腰掛けると、広間に囁き声が戻り始める。レストレンジ──その名を知らない魔法使いなど、鈍足のスニジェットのようなものだ。レストレンジ家の一人娘が御入学となれば、生徒たちの儚い関心が俄然高まるのも道理である。スリザリンの面々に至っては、互いをぎゅうぎゅう押し合って自分の隣を空けようと盛んな競争を繰り広げていた。
しかしエドアルドにあっては、感じたのはただ安心であった。列車の中では一言も交わさなかったが、それでも既に彼女のことを好んでいなかった。その彼女が貴族であると知れた今、同じ屋根の下で仲良く語らう必要も、またその可能性もどこにもない。そもそもエドアルドは高貴なる方々に対して一つ二つ申し上げたいことがあったし、デルフィーニ嬢のつっけんどんな態度は口に出すまでもなく明らかだったのである。すると不思議なのは、エドアルドがマルフォイ婦人に抱いた一種の好感であった。それは単に、彼女の無関心がエドアルドのように下賤で、華々しいパーティやら洗練された魔法の才やらとは縁のない孤児に対しては全く無害だったからであろうか。どうにもそれだけではないように思われた。
さて、そうこうしているうちにも、デルフィーニ嬢は古ぼけたボロ切れを被って凛と前を向いていた。ドラゴンがブーツを履いているような、ちぐはぐで奇妙な光景に、エドアルドは思わず込み上げる笑いを堪えようと必死であった。それはスリザリンの上級生の一部も同じだった──彼らもまた一年生の最初には、あの帽子を被っただろうに。エドアルドはここにも、“棚上げ”という魔法に関して貴族が発揮する、一般市民には到底真似し難い熟達ぶりを見出した。
しかし──さざめきは徐々に小雨程度になり、ついにはぴたりと止んでしまった。帽子が一言も喋らないのだ。時折り、唸るように震えるばかりである。これは尋常ならざる事態であった。すでに数人、スリザリンは可愛らしい新入生を獲得していたが、彼らは皆帽子が髪の毛の先に触れた時点で行き先を宣告されていたのだ。デルフィーニ嬢も苛立ちを隠せないようだった。帽子の長考が十分を数えようとしたその時である。彼女の髪の毛から青い稲妻が迸り、帽子から白い煙が上がった。禿頭の魔法使いが慌てて杖をあげたが、それが振り下ろされるよりも早く、帽子が嗄れ声で叫んだ。
「ハッフルパフ!」
スリザリンのテーブルが爆ぜた。皆一斉に立ち上がり、これは不当な組分けでありすぐにでもやり直すべき旨を主張したのである。禿頭の魔法使いは自身狼狽しつつも、額の汗を拭き拭きしつつ答えた。
「しかし、これは規則であるから、一度為された組分けは、やり直すわけにはいかない──ええと、ホグワーツの理事会によると……」
この気の毒な魔法使いによる弁明も功を奏することはなかった。文書主義の権化とも言うべき貴族の子として生まれながら、彼らはこの特殊な状況に対して例外的行動を取ろうと決めたようである。やり直せないのなら、そもそも儀式などせずともスリザリンに入れれば良いと叫び始めた。
エドアルドが教員の長机に目をやると、反応は十人十色であった。一人の若い、意地悪そうな魔女は、スリザリンの面々に助太刀して「特例措置」の適用を校長へ求めている。一方、四角い眼鏡の老魔女はどこか緊張した面持ちながらも、気品ある唇をキッと結んで事態を見守っていた。校長はと言えば、うんざりした顔で眉間を揉んでいたが、やがて立ち上がり、杖を横へすい、と振った。途端、エドアルドの唇は縫い合わされたように開かなくなった。それは他の生徒も同じことで、口に手を当てジタバタするのに、声は全く出し得ず、広間は再び静寂に包まれた。
無差別攻撃によって場を制圧した校長は、顎をやや上に向けると、滑らかな声で語り始めた。
「諸君らの憂慮する所は十分把握している、しかし──恐れ多くもお聞きしたいが、スリザリン諸君」校長は杖を振り、デルフィーニ嬢の頭から帽子を浮かせて、自分の手元に引き寄せた。「君らはこのホグワーツに一千年に渡って絶え間なく貢献してきた、この魔法的傑作よりも、自身の優れた頭脳による判断の方が誤りが少ないと。そう仰りたいのかな?」
校長は唇に凶悪な薄笑いを浮かべると、その間も全く動ずることなく椅子に座っていた少女に目を向けた。
「さて……ミス・レストレンジ。そうは言っても、もし君がハッフルパフの如き
エドアルドは、デルフィーニ嬢が癇癪を起こし、再び稲妻を放って校長を叩きのめそうとしやしないかと身構えた。しかし、振り返った彼女の顔を見たらしい校長は、笑みを消した。エドアルドら生徒からは、彼女の後頭部しか見えなかったが──デルフィーニ嬢の声だけははっきり聞こえた。それは酷く軽やかで、したり顔が良く似合う調子であった。
「いいえ、スネイプ校長。ご配慮には及びません」
ヴォルデモートが勝利した世界でのデルフィーニがどんな性格をしているのかは、なかなか想像し難いですよね。
しかし彼女は、そう一筋縄で“幸せ”になるような女性ではないと思います。