緑谷出久の息子の英雄譚   作:鬼龍院クマ吉

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エピローグ(下)『緑谷嘔吐久:デフィシエント』

 狭い路地裏で、少女が泣いていた。

 声を押し殺して、というより――声を()()()()()()、静かに泣いていた。

 少女の口元を覆うのは、黒い鞭のようなエネルギー状の物質である。そう、端的に言ってしまえば、緑谷出久がかつて持っていた個性――『黒鞭』そのものであった。

 しかし緑谷出久は既にその個性を失っているし、個性元の人間も死亡している。

 ならば、誰が――。

 

「ヒヒッ、ヒヒッ、ヒヒッ」

 

 少女を押し倒して、馬乗りになっている男の顔は見るに堪えないほど酷く歪んでいた。

 男はこれから少女に加える拷問を何通りか演算し、導き出している途中のようである。

 

「あぁ……いいですね、いいですね、いいですね。その笑顔。もっと、もっと、もっと、私に見せてください! 無様で、無様に、無様な表情をねぇ!」

 

 そしてその顔は――緑谷出久そっくりであった。

 言わずもがなクローンの一人であり、彼こそが博士に拉致を命じられた失敗作の一人――緑谷嘔吐久(えずく)である。

 発言は常に要領を得ず、反吐が出るほどの残虐性を持ち合わせる、失敗作の中の失敗作――それが緑谷嘔吐久(えずく)であった。

 

 今回、彼が博士から下された命令は、幼児の心臓の確保。

 つまり、心臓を傷つけないならば、何をしても良いということだ。

 この仕事は彼にとっての天職である。少女を怯えさせ、段々と命を摘み取るのが、彼が感じる最大の快感と言っても過言ではなかった。過言であって欲しかったが。現実は常に残酷で残虐で非情なのだ。

 

「解体、解剖、解体、解剖。君はどうやって死にたいのかな――ッ!????」

 

 緑谷嘔吐久(えずく)の肉体から――血飛沫、舞う。

 突如として、巨大な氷柱が彼を襲い――何とか『黒鞭』で防御は間に合ったものの、威力までは相殺できずに大きく吹き飛ばされる。

 失敗作であっても、彼はあの緑谷出久のクローンだ。すぐに緑谷嘔吐久(えずく)は態勢を立て直し、襲撃者を睨みつけるも――その正体を見て驚愕する。

 

「クソッ! 誰ですか、誰ですか、誰ですかッ――なっ……! 貴様は、貴様はぁ!」

 

「――何、してるの?」

 

 そこに居たのは、博士から絶対に交戦するなと言われたブラックリストに入ってた人物の一人であり、個性終末論の体現者――轟冷火(れいか)だった。緑谷番花と並ぶ雄英高校における最強の一角であり、彼女の個性の凶悪さは計り知れない。

 

 逃亡か――交戦か。

 その二者択一を緑谷嘔吐久(えずく)は決めあぐねていた。

 少女を人質に取るという戦法は、距離的に使えなさそうである。

 人質に取ったとして、この轟冷火が人質に興味を示すかも、緑谷嘔吐久(えずく)には未知数であった。

 

「……貴方、番花を襲った組織の仲間?」

 

「ええ、ええ、ええ。そうですが、そうですが、そうですが?」

 

 極めて余裕そうに、緑谷嘔吐久(えずく)は冷静さを持ち直す。

 ここは素直に従い、博士の言う通りに交戦を避けることに決定したのである。

 隙を見つけて、すぐに研究所へと帰還し、日を改めてまた幼児を襲えばいい。

 

 今回、少女は襲えなかったので、次は少年を襲おう。

 彼は自身の完璧な計画に舌舐めずりして、舌鼓を打つ。

 

 しかし、彼のその計画は一瞬にして瓦解した。

 

「そう……じゃあ、あの五人の()()()の方か」

 

 緑谷嘔吐久(えずく)は、交代し掛けてた爪先の動きをピタッと止め、冷火を射殺さんばかりの視線で貫く。

 

「なッ、なッ、なッ――舐めるなよッ! このクソガキがァ! お前の心臓でいい、博士に献上してやる!」

 

 安い挑発などではない。今の彼女のセリフは――心の底からの本音であった。

 だからこそ――今の緑谷嘔吐久(えずく)には酷く許しがたかった。

 有り体に言えば、彼には煽り耐性がなかった。めちゃくちゃブチ切れたのだ。

 

 発目庵――“博士”の課題の一つは、クローン達の異常なまでの煽り耐性の低さだ。

 どれもこれも、自身の存在理由(アイデンティティ)を弄られると、蛇蝎の如くキレてしまう。

 緑谷出久に、煽り耐性がないイメージはないので、きっとそういう特徴なのだろうと博士は納得している。失敗作の方は、中途半端に緑谷出久の記憶が混ざっていることで、自身の能力ではない方の個性――『存在理由(アイデンティティ)』の確立に必死なのだろう。

 

「クソガキッ、クソガキッ、クソガキッ! 私――“蝕鞭(しょくべん)”の緑谷嘔吐久(えずく)に喧嘩を売ったこと、あの世で後悔しなさいッ!」

 

 緑谷嘔吐久(えずく)の背後から、三十二本程度の『黒鞭』が勢い良く伸びる――!!

 彼は培養の過程で、『黒鞭』だけが異様に成長した変異体のクローンだ。彼の他の“失敗作”も同様に、緑谷出久が所持していた六つの個性の内、どれか一つのステータスに異常をきたしている。

 

 緑谷嘔吐久(えずく)は内心、ほくそ笑む。

 自身が所属する研究所の唯一の成功体は、あの緑谷番花に大敗を喫したという。

 なら自分が轟冷火を始末できれば――その時は自身が成功体として、一人の人間として扱われると考えたのだ。

 どんな残虐性を有していようが、彼も贋作であり、クローンでもある。

 哀しき生命体、緑谷番花が彼等をそう評したのは、強ち間違いでもなかった。

 

「死ねッ、死ねッ、死ねぇぇぇ!!!」

 

 無数の『黒鞭』が、轟冷火の四方八方を囲み、その命を奪う――!!

 轟冷火はつまらなさそうに手を軽く振り、呟く。

 

「――邪魔」

 

 緑谷嘔吐久(えずく)の身体の殆どと、三十二本中、()()()()が刹那の内に凍結し、砕ける。

 彼女のこの行動に、技名はない。

 ただの能力の開放――それだけである。

 

「ぁ……あああッ!」

 

 緑谷嘔吐久(えずく)は、絶句した。

 彼の名前にもある通り、えずきそうな気分であった。

 最後に残ったのは、護身用に自らの側に忍ばせていた『黒鞭』一本のみだ。

 緑谷嘔吐久(えずく)は、轟冷火の絶対的な能力の前に、それ以外の全てを失った。

 

「なんで、なんで、なんで……なんでだぁぁぁ!!!!!」

 

 このままでは即座に始末されると考えたのか、自身の持てる最高速度で『黒鞭』を操って、轟冷火に攻撃を仕掛け――ジュッという焦げる音が、耳に反響した。『黒鞭』と轟冷火の掌が擦れて、『黒鞭』に点火したのだ。

 

「……ぇ、あ?」

 

 それが何を意味するか、緑谷嘔吐久(えずく)は考えるのが一手、遅れた。

 導火線に火が点くが如く、ジリジリと火は、エネルギーである『黒鞭』を焼き尽くしながら迫ってくる。

 轟冷火の炎は――緑谷嘔吐久(えずく)を灰にするまで止まらない。

 

「止めろッ、止めろッ、止めろッ! この人殺しがぁぁぁぁぁぁあああ!!!」

 

 必死に叫び、逃れようとするも、彼の体を凍てつかせる氷がそれを許さない。

 

 抵抗する緑谷嘔吐久(えずく)にトドメを指すかのように――本人にそんな意図はないだろうが、甚だ疑問そうに、冷火がこてんと首を傾げた。

 

「貴方達って……クローンなんだから“人”じゃないでしょ?」

 

 それは彼らに対する禁忌であり――タブーである。

 その言葉に緑谷嘔吐久(えずく)は、再び脳の血管を爆発させ、口汚く罵る――

 

「……ぅ……ぁ……」

 

 ――事はなく、小さなうめき声を上げて、悲痛な表情で冷火をじっと見つめた。

 恐らくは悟ったのだろう。彼女の――轟冷火の発する言葉は全て本意だ。であれば、きっと彼女は、自身の事を最初から人ではなく――ヒトではなく、動物としか見ていなかったというのか。

 

 二世ヒーローと。

 クローンの。

 両者が抱える――コンプレックス。

 それは奇しくも似通っているようで――相反する性質を所持していた。

 

 数多の生命を奪ってなお、自分は――緑谷嘔吐久(えずく)は、人間という土俵にすら立てていなかった。

 生命を奪えば、価値ある人間になれると思っていた緑谷嘔吐久(えずく)は、歯を震わせて、瞳に涙を浮かべた。

 そして、声を震わせて、冷火に懇願し始めた。

 

「……た、助けてください……」

 

 か弱く、救済を求めるかのような声色を送られた冷火は、冷ややかな視線を緑谷嘔吐久(えずく)に対して送り返す。

 

 そして、慈悲はなく冷酷に。

 そして、怒り滾らせ情熱に。

 

 彼女は――言い放った。

 

「貴方は、今まで殺した相手の命乞いに耳を貸したの?」

 

「あ、ぁ――」

 

 緑谷嘔吐久(えずく)の身体に少しだけ炎が触れた途端、彼を覆う氷結の鎧ごと一瞬で溶かし切り、その場に居た全てが灰燼と帰した――うずくまる少女を残して。そんな少女に轟冷火は駆け寄って、しゃがみ込む。

 成績はかなり悪い彼女ではあるが、父親のお陰でヒーロー学には精通している。

 その成果が、如実に出た場面であった。

 

「……大丈夫? この辺は危ない、早く逃げた方が良い」

 

「う……うん! お姉ちゃん、ありがとう!」

 

 不幸中の幸いというべきか、轟冷火が緑谷嘔吐久(えずく)を灰へと変えた姿は見られていないようであった。少女が恐怖で蹲っていたのが、せめてもの救いである。

 

 緑谷嘔吐久(えずく)がいくら下劣な精神を有していたとしても、その顔面は緑谷出久そのものであり、一見すればなんとも思わない好青年である。そんなヒトに襲われたのだ、本来ならもっと精神的に重大なダメージを受けていても可笑しくはない。男性恐怖症に陥っても仕方がない程の恐怖を味わっただろう。

 

 しかし少女は元気に、腰をこれでもかと言うほど直角に曲げ、礼儀正しくお礼を言うと足早に去っていった。

 極度の恐怖を感じても、少女はきちんとお礼が言える子であった。きっと、親の教育がよく行き届いているのだろう。

 その幼い身体に秘められた強靭な精神力に、轟冷火は感心した。

 

「きっと、強い子に、なる」

 

 冷火は、路地裏の空から覗き込む微かな明かりに目を細める。

 少女は強く逞しく成長するだろうが、別に強い子に育っても、弱い子に育ったっていいと、轟冷火は思った。以前の自分なら、絶対に出てこなかった発想に、轟冷火は自ずと驚愕した。

 

 自分も、緑谷番花と接することによって変わってきているのだろう。と神妙な顔で推察する。

 轟冷火は、自身を構成する要素の中に緑谷番花という存在があるという事に嬉しさを覚えた。

 

「これも、進歩……」

 

 轟冷火は、慣れない笑顔を精一杯作った。

 緑谷番花が、そちらの方が可愛いと言った為である。

 轟冷火は、自信満々の表情で――少女に続き、路地裏を抜け出した。

 

 轟冷火は自身の独白通りの――そのままの人間であった。

 

 緑谷嘔吐久(えずく)が度を越した外道とは言え、所詮創られた命のクローンとは言え、生命体の命を奪う行為――殺人を犯したというのに、彼女は顔色一つ変えなかった。

 いや、彼女からすれば、殺“人”ではないのだろう。

 それでも――生命を奪っても――彼女はやはり、何も感じなかった。

 

 緑谷嘔吐久(えずく)の灰は突風に吹かれて、廃墟の屋上へと漂っていく。

 

「………………」

 

 屋上に佇んでいた黄金色の髪をした青年――緑谷雫は、舞い上がる灰を手で掴もうとして、止めた。

 失敗作とは言えども、一応は兄であった遺灰だ。しかし、それを掴もうと思えるほど――兄の復讐をしてやろうと思うほど、緑谷雫は兄弟愛に満ちたクローンではない。

 

 任務は失敗に終わったにも拘らず、緑谷雫は安堵していた。

 そして、この感情の行方を決定づけるには、少しばかり時期尚早である気もした。

 

 そして――緑谷雫は。

 これからの少女の幸福を祈って、静かに合掌をした。

 クローンという造られた存在が――誰かの幸せを願って祈ったのだ。

 

 その様子は人間とさほど変わらず――。

 しかし人間とは決定的なまでに、擦れ違っていた。

 

「自由、かぁ……」

 

 彼のその呟きは、兄だった遺灰と共に消えていった。





ここまで見てくれた人がいるのかどうかは分かりませんが。
見てくれたのなら、どうぞ卒業証書(評価、感想)をお願いします。
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