遥かなる蒼穹へ 【東方project×ONE PIECE】 作:くーりっしゅ
私は常に心に留めている。世界が変わるのは、一瞬のことだと。
いつになっても詳細に思いだすことができる。私の世界が変わったまさにそのときの、両親の驚きの顔を。一緒に話を聞いた従者が誰で、それぞれどんな反応をしたのかを。雨が降っているのに太陽の陽が差し込んでいたことも、焚かれていた香のにおいも、すべて心に刻まれている。――天人となり、天界に引き上げられる旨を伝えられたときのことを。
地子とまだ名乗っており、いまの見ため通りの年齢だった私には、それがどのような意味を持つのかはそのときはわからなかったけれど、母が泣いて喜び、父が目の前の方に頭を下げたことから、何かよいことがあったのだとは思った。そして実際に天界へと足を運び一目見たときに確信したのだ。あのとき、世界が変わったのだと。
だから私は、今度のことも詳細に思い出すことができるだろう。忘れることが不自然なものごととして、私の頭は認識しているだろう。私の2度目となる、世界の変革を。
そう、いつだって。私は。
このときのことを。忘れない。
「総領娘さま、起きてください。総領娘さま」
その一日の始まりは、衣玖の声だった。別に、珍しいことじゃない。こいつはいつも、朝に私の部屋に来て、眠りという、安息の時間を侵しにくる。もちろん私がすでに起きているときもある。寝ているところを叩き起こされることもある。今回は後者の方だった。それだけのこと。
「ん~? ……あー、おはよ。衣玖」
だから私はいつものように目元をこすり、ぼうっとする頭を持ち上げ、彼女を見る。すみれ色の髪に帽子をのせて、赤と白のフリルをつけた羽衣を身にまとう姿がそこにある。いつもの永江衣玖だ。
私は正直言って、朝が弱い。それも、わりと致命的なまでに。寝坊するのは当たり前、起こされないと太陽が真上に昇るまで寝ているなんてこともざらだ。しかし、それはよくない。よくないのだ。夜なんかみんな寝ていてつまらないのだから、朝早く皆が起きているときの時間を多くしなければならない。だから、うん、寝ているのを邪魔されるのはつらいけれども。どんなにそのとき私が嫌がっても起こしてくれる彼女には、割と、感謝している。
しかし、今日はいつもとちがった。そして、私の「いつもどおり」はここまでだった。
「総領娘さま」
起き抜けの私の両肩を、がしっとつかまれた。衣玖の腕だ。いきなりのことに身体がびくっとはね、目を見開いた。
「いくつか、お聞きしたいことが」
「う、うん」
かたい声でそう返す。こんなことをされるのははじめてだった。衣玖の、私の従者の様子は、なんというか、普通ではなかった。いつも冷静で、理知的に構える彼女の姿はどこにもない。少なくとも私は、こんな衣玖の姿をみたことがなかった。彼女の紅色の瞳も、目元によったしわも、引き結べられた口元も、わずかに震えている彼女の腕も。すべて私の知らない衣玖だった。
怒る? ちがう。悲しむ? ちがう。わからない。わからないが――真剣だ。
「総領娘さま、あなたのお名前は?」
「比那名居天子、天人」
衣玖の声には、疑問を挟ませない響きがあった。
「天人になる前のお名前は」
「地子」
「昨日はなにをされました」
「いつもどおり。食って呑んで歌って。あと、紫が遊びに」
「そうですか。紫とは、スキマ妖怪の八雲紫のことですか」
「ええ、それ以外に誰がいるっていうのよ」
「彼女と戦いましたか。戦ったのなら、その方法は」
「もちろん、スペルカードで」
「では最後に。私たちの下に広がる世界はなんといいますか」
「衣玖どうしたの? そんなの、幻想郷にきまっているでしょ」
そこまで言うと、衣玖はようやく私の肩から腕を離した。掴まれていたところに、まだ少し、ぴりぴりとした痛みが残る。衣玖はいったん目を伏せ、それからすぐに顔をあげて「失礼いたしました」と頭を下げた。
「総領娘さまは――私の知っている総領娘さまのようですね」
「は? 何言ってんの。頭おかしくなった?」
「そうですね、それだけだったらどんなにいいか……」
困ったものです、と衣玖は眉根を寄せて小首をかしげた。やばい、ホントになんかあったんだろうか? 永琳のとこに行かなきゃだめだろうか。それとも思いっきり休暇をとらせるか。うん、それがいいかもしれない。思えば、衣玖ってあんまり、いやほとんど休みとか取らないし。疲れてるのかも。ごめんね衣玖。
「なんか、すごく失礼なコト思われてるような気がしますが……総領娘さま、周り見てなにか気がつきません?」
失礼な。私なりに不出来な従者のことを心配してやっているのに。やはり天人の御心を推し量ることは無理なのか……って、あれ? あれれ? おかしくない?
「部屋が、ちがうんだけど」
「お気づきになられましたか」
はあ、とこれみよがしにため息をつかれる。やっぱこいつ従者としては最低ランクだ。主人を敬う気持ちが欠片もない。吸血鬼のメイドをちょっとは見習え。……ってそうじゃなくて。
おかしい。明らかにおかしい。私は思考の海にどっぷりとつかる。
昨晩はちゃんと自分の部屋で寝たはずだ。寝る前に酒とかも飲んでなかったから、それはたしか。ちゃんと私の部屋に入って、洗いたての寝巻きに心地よく身を包んで、干したてのふとんにくるまることにこれ以上ない幸せを感じて。そう、ぐっすり寝たはずだ。これは間違いない。じゃあ、なんで私の部屋が、私の部屋じゃなくなってる?
いつのまにか誰かが模様替え? いやいやいや。家具の配置が変わってるとかならともかく、家具そのものが変わってるとかありえない。もしそんなことをするような輩がいたとしたら、いくらなんでも気付く。寝てたベッドさえ変わっているのだ。気づかなかったら、私は天人以前の大バカ者だ。⑨だ。沽券に関わる。
そうなると考えられるのは。
「――誘拐? わたし、さらわれた?」
「いえ、それはないかと」
衣玖がすぐさま否定した。
「ここは、総領娘さまのお部屋です。少なくとも、周りの方々は、そう認識されています」
「……ちょっと言ってる意味がわからないんだけど」
ここで私は恥ずかしながら、ちょっぴり、ぷっつんきた。あまりにも、私の置かれている状態がわからなすぎて。
「頼むから、私の、無知な頭でも、わかるように! 説明してくれないかしら!? 永江衣玖さん」
そう言うと衣玖は、鳩が豆鉄砲喰らったような顔をした。……うん、ちょっと反省。
しかし衣玖はすぐに調子を取り戻し、いつものおどけたような態度で言った。
「かしこまりましたわ比那名居天子さん。……でも、これはもう。見てもらった方が早いですね」
そう言うと衣玖はずかずかと大窓のほうまで歩いてゆき、カーテンをしゃっと開けた。窓の外からまぶしい光の柱が差し込み、白く塗られた床より更に明るい白を落とした。そして外の景色が現れる。窓の奥にはテラスが、ガラス越しに映っていた。……テラス? なんでそんなのあんの?
そして衣玖は私の手首をつかみ窓をあけ外へと連れ出す。外に私を出したところで、どん、と背中を押した。私はバランスを崩し、テラスの奥へとよろめき、ちょうど柵になっているところに手をつき、衝撃をおさえる。下を向いてしまっていた、首もあげた。そこでようやく、私は外の全貌を見た。
瞬間、目が点になった。
「……は?」
白。私の視界すべてが見渡す限りの白に支配されていた。つきぬけるような青空の下で、雲が海のように白く広がり、かすみがかりながらも果てしなく、水平線の奥まで続いている。その光景は、まばゆいばかりに白く輝く海原のようでもあり、あらゆるものを支える大地のようでもあった。
下に目を向ければ、そこにはわずかに緑を添えたねずみ色の山が力強く屹立するのが見てとれる。ところどころに赤塗りの楼閣が点在し、その間を明りがかすかに揺らぐ灯篭が並び、道を作っている。出仕の時間帯なのだろう、その山道に多くの人が登ったり降りたりしているのがわかった。
住むために、長い年月をかけたのだろう。ぱっとそんなことが思い浮かんだ。斜面は切り立ち、山道から足を踏み外せばそのまま雲の下まで突き抜けていくだろう。住処となる楼閣はその斜面に石づくりの土台が作られ、そのうえにまるで芸術品のような巧みなバランスで建てられている。そのくせ崩れる危険性をなぜか微塵も感じさせないのは、とても不思議でならなかった。
んで、私がなにを言いたいのかというと。
「どこよここ……」
この一言に尽きるのです。ハイ。
「正直に言って、私も検討がつきません。なんでこんなところにいるのか……」
はあ、と衣玖が肩を落とす。私もため息つきたい、ほんとに。うん、なんなのここ。わけわからない。表立って取り乱してはいないけれど、内心私はすごくこんらんしていた。ええ、私はおおいに混乱している次第でありますですよ、はい。
とりあえず一応、原因を考えてみよう。いまの状況では、ちょっと、いやけっこう、これ以上なく、あてにならない自身の頭ではあるけれども。
考えられるのは、大きく分けてこの3通り。
①天界を誰かがふぁんたじーちっくに改装。どこかの誰かさんが一晩でやってくれました。
②私たち揃って幻術にかけられている。すべては幻想郷の妖怪のせいだったんだよ!
③どっかの知らない異世界に転移。現実は非常である。
個人的には1以外のどれかではあると思う。正直、天界の形を変える、それも一晩で行える者が幻想郷にいるとは、とても思えない。八雲紫レベルならもしかすると可能なのかもしれないけれど、このぐらいのことをやらかすのならそれなりの準備が必要となるはずだ。天界にいる天人がすべて、誰も気づかなかったとは考えづらい。
以上のことを衣玖に伝えると、ひきつった笑いを返された。失礼な。
「いや、考察自体は割とまともなんですが……なんなんですか、その言いまわし?」
「紫がやってたのをまねてみた。で、どう思う?」
「そうですね、現段階ではどの可能性も捨てきれません。私も起きて気づいてから真っ先に総領娘さまの下に来ましたから。ただ、来る際に見かけた方の中には、私の見知った顔の方も何人か見受けられましたが……」
「なによそれ。じゃあやっぱり天界が大幅リニューアルしたのかしら」
にわかには信じがたいけれども。とつぶやく。天人全員がグルになって画策した可能性もなくはないが、地形まで変える必要性など皆無だし、なによりそんなおもしろいこと、私以外の天人が思いつくわけがないと思うのだが。っていうか、ホントに天人がこんなファンキーなことやれる人たちだったら、天子は退屈など感じていない。
「たぶんそうじゃないと思います……というのも道すがら、総領娘さまの場所を人に尋ねたのですが」
そう言うと、衣玖は渋顔をつくって言い淀んだ。煮え切らない態度に、ちょっといらっとする。こんな事態だ。いまさら、何を言われたって驚かない自信がある。
そんな雰囲気が伝わったのか、衣玖はやがておそるおそるといった体で口を開いた。
「……その人、下の世界を『セイカイ』っていってたんですよね」
「『セイカイ』?」
世界の名前? 『星界』だろうか? それとも『青界』だろうか。
「疑問に思いますよね。後から察するにおそらく青の海と書いて『青海』だったのでしょう。で、まあとにかく、そのときはわからなかったのでより詳しく聞いてみたんですよ。そしたら……」
「そしたら?」
「ここは、その『セイカイ』のあるところを通るんだと言われて」
「あるところを通る?」
「ええ、その名前を聞きました。はっきりと」
偉大なる航路、って。
おうふ。
とりあえず外に出なければ話にならない、と私と衣玖は部屋をあとにしそこらあたりを歩きまわった。この建物は、存外に広い。空を飛んでここまできた衣玖によれば、だいたい紅魔館ほどはあったそうだ。調べれば何かわかるかも、と私たちが考えたのは至極当然のことだった。
偉大なる航路――海賊の墓場とも呼ばれるその存在は、私たちにとって起爆剤だった。自分たちがどんな状況に置かれているかの、とっかかりとしての。
正直ワンピースの世界だとわかったとき、私はすこし安心した。全くの知らない世界、というわけではなかったからだ。古来から一番恐れられるものは「わからない」ということだ。私は数日で50巻ほどを読破したから、割と記憶は鮮明だ。同じものを読んだ衣玖もいる。それだけで不安はすこしやわらいだ。
だから、お互いそれなりに冷静になって考えられた。廊下を歩きながら、話し合う。そして私と衣玖は、ともに同じ点に着目した。それは、私たちがつい先日読んでいたワンピースという漫画の舞台となるものが登場している、ということだった。
この世界が幻にせよ実際の出来事であるにせよ、私たちをこういう風にするためには、「ワンピース」という漫画の存在を知らなければならない。そして、幻想郷の中で「ワンピース」の存在を知っている者はひとにぎりだ。紫、衣玖、そして私の3人。もしかすると紫の式あたりも知っているかもしれないが、その場合でも紫と同一視していいだろう。あと、最近まで外の世界にいたマミゾウあたりも怪しいか。化かすのが得意なたぬきだし。
そう考えると、この状況を作り出した下手人は2つのパターンに分けられる。つまり、ワンピースを知っている者の場合と、私たちのワンピースの記憶を用いたものの場合だ。前者での重要参考人は紫またはマミゾウだろう。対して後者の場合は、私たちの記憶を盗み見れるさとり妖怪あたりだろうか。複数犯の可能性ももちろんあるが、両者のうちのどちらかがこの一件に関わっている可能性は高い。
あ、紫の本が誰かに見られたとか、偶然そっくりな世界に転移しましたとかそういうことは考えてません。推理も対策も打ちようがないし。特に後者は。
そう話し合っていた矢先のことだ。
私と衣玖は一人の男と目があった。よく知っている顔だった。名居家の、つまり父の上司の家の人。といっても私がへーこらするとかはない。普通に飲みの席で話し、歌の席で批評する。普通の天人の軽い知り合いのおっさん。そんな感じだ。まあ、私の素行のことで小言をいうのがうるさいけれども。
とにかく情報が少なすぎたし、見知った顔だったこともあって、ついいつも通りにおはようございます、と挨拶をしてしまった。あ、と一瞬の後に焦ったが、彼は別に私に不信の目を向けることはなかった。ちょっと胸をなでおろす。悔しいことになでおろす胸はそんなにないけど。
しかしその次の瞬間、あまりのことに心臓が、びくっとなった。
「おはようございます、総領娘さま。本日もご機嫌麗しゅう存じます」
そういって目の前のおっさんはかくん、と頭を下げた。それも深く、90度近くに。
私は、冗談抜きで目が点になった。なにかいま、ありえないものを見た気がする。ぱちぱちと、まばたきを数回。うん、やっぱり頭下げてるよね。衣玖をちらり。茫然とした表情。うん、私だけのまぼろしでもない。
え? なにこの敬われてます的な態度。いつものように「また外に行くのか、もう少しつつしみを持て」とか言うんじゃないの?
「しかし、総領娘さま。僭越ながら私ごときに『ございます』などつけるのはいかがなことかと思われます。あなたさまにそんな言葉使いで対応されますと、王室の権威が損なわれてしまいます」
「あー、権威がね。うん。そうだったわね」
わからん、なにもかも。とりあえず話を合わせよう。そうしよう。
「その様子だと、どうやらお出かけになられるご様子。下の街にくりだされるのでしょうが、夜までにはお戻りくださいませ。繁華街の入り口近辺にコナッシュジュースの新しい店ができたとお聞きしておりますので、そちらを訪れるのもよいかもしれません」
なんだよコナッシュって。なんか粉っぽそうだよ。
「いいですねコナッシュ。くりぬいて飲むの好きなんです」
ぱん、と手を合わせてうれしそうに言う私の従者。おい、なんで知ってんだてめえ。
「衣玖殿ならすぐに着けるからよいですな。なにしろここから約3000m下の白海の島雲。雲の道があるとはいえ、行くのは少々骨でして。飛べる、というのはじつに便利ですな」
はっはっはっと笑う名居家のおっさん、いやおっさんに似た男性A。笑い方までそっくりだ……って白海? 島雲?
「……空島!」
「おおう! びっくりした。総領娘さまいきなりどうなされたのですか? たしかにここは空島の一つですが」
おっさんが言う。そりゃあいきなり大きな声出したらびっくりするよね。悪いことをした。……じゃなくて。ここが空島? いや、確かに白い雲が水平線まで広がっていたし、下に偉大なる航路があるって聞いていたけれども。
「え? でもここ山でしょ? 雲じゃないじゃない。空島なら、雲でできてなきゃおかしくない?」
「あー……総領娘さまは下の街で青海人ごっこをしたがっておりまして。その予行演習にさっきから付き合わされているのですよ」
困ったものです、と衣玖はあご下に指先を当ててつぶやいた。おいこらこの馬鹿従者、人を勝手に(しかも天人たるこの私を)イタい子扱いするな。おっさんも納得したようにするんじゃない。
「なるほど。しかし総領娘さまそんなことはおやめくださいませ。総領娘さまは次期国王の身。いずれはこの国を治めていくお方です。威厳を落とすようなことはできるだけ謹んでくださいませ」
「……次期国王の身?」
なんかすげえこと言われた気がする。
「もちろんでございます。天子様はこのヒナナイ王朝の王家の総領。必然的に王位を継承なされる地位にあります。総領娘さまは一人娘であらせられますから、王位継承権ももちろん1位でございます。なにがおかしいことがありましょうか」
え、私が? 王様の娘? つまり王女? この国の?
なにがどうなってんの。わけわかんない。
あまりのことに茫然としていた私に、衣玖が助け船を出した。
「えー総領娘様はまだ、王位を継がれることに戸惑いを覚えていらっしゃるようです。総領娘さまはまだ年若いため、もう少し自由でいたいと」
「常々そのようなことをおっしゃっていますな。しかし、王位継承はいずれは訪れること。そのときまでに心持ちを固めておかれたほうがよろしいかと。もっとも、王はまだお若いうえに総領娘さまもお若い。もしやすると総領娘さまのご子息が王位を継がれることになるかもしれませんね」
はっはっはっと笑う。それから彼は、仕事があるのでこれにてと一礼し、去っていた。私はそれを茫然と見送った。あの男にはいつもの語らいだったのかもしれないが、私にとっては嵐だった。びっくり情報の連発だった。
私たちはしばらくそこに、立ち尽くしていた。
「いまの総領娘さまとかけて、八雲藍と説きます」
ちょっとして、衣玖が言った。……くだらなそうだが聞いてやるか。
「……その心は?」
「プリンセスてんこ」
ボディブロー。けほっ、と衣玖はすこし身をよじった。……あれ? 結構強くやったつもりなんだけど。なんかぴんぴんしてる。よし、もう少し強いのを。
「やめてくださいませ。……でも、これでまた……」
「謎が増えてしまったわね……」
私と衣玖で、ダブルため息。もう、なんなんだろう。この世界。
ここ、どこの空島? 漫画に出てきてないよね? あと、なんで山が雲の上に浮いてんの? 私の境遇にしたってそうだ。なんで知り合いが私をうやまうの? そもそもなんで私が「いて当然」みたいな感じになってんの? そんでもって私が王女? そんなのいくらなんでもがらじゃないでしょ。
いろいろなことがぐるぐると頭を駆け回る。記憶、風景、疑問、それらがないまぜになって私の頭のなかでシェイクされる。考えても考えても、考えがまとまらない。なにもかもが、わからない。
この時初めて、私は怖いと思った。わからないことは、恐怖だ。何の説明もできず、納得もできないものごとは、自分のなかで呑み込めない。ただ体の中で暴れまわるだけだ。動機が早くなる。早くなれば血はより循環するはずなのに、血の気が引いていく感じがする。手先が微妙に震えているのは、おそらく気のせいじゃあるまい。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせるようにつぶやく。言葉を、浸透させろ。その血に流しこめ。怖がってたって、前に進めない。私は天人だ。この世を超越した存在だ。だから、このくらいなんともない。
「……大丈夫、大丈夫」
衣玖が私を見てる。そうだ、私は一人じゃない。衣玖が、私の従者がいる。主人として、無様な姿はみせられない。衣玖は私のあとについてくるんだ。私が動かなきゃ衣玖も動かない。恐怖とか不安とか、そんなつまらないものに私の心の椅子を占めさせてる暇はないんだ。情報の分析、進むべき道について頭を巡らせるんだよ。
「……だから大丈夫」
「……大丈夫ですか、総領娘さま」
衣玖が心配そうな面持ちで尋ねる。ぎゅっと手が握られる。なめるな。私を誰だと思ってるんだこの馬鹿従者。
「……ええ大丈夫よ、衣玖。とりあえず資料室とか、そういうところを探しましょう。この近辺の地理のことや私の置かれている環境とか、そういうのを知る必要があるわ。あと、今が漫画のいつぐらいにあたるのか、そういうこともわかるようにしましょう」
「……ええ、そうですね」
私は衣玖に背を向け、歩き出す。衣玖が、ついてくる気配がわかる。そう、これでいい。これでこそ比那名居天子だ。なにもかもがわからないこの世界。自分であることさえ放りだしたら、私に何が残る。
明かり取りから、空が見える。突き抜けるぐらいの蒼穹の空。天界と同じ色の空。
けれどいつもと違う空。
白くまばゆく降りそそぐ光が、廊下を照らす。幻想郷と変わらないその光は美しく、残酷だった。
※プリンセスてんこ=紫の式、八雲藍のスペルカード。本来は「プリンセス天狐」
間がだいぶ空いてしまい、申し訳ありません。