鬼滅の刃 〜星空を舞う蝶〜 作:ありす(旧名:紅茶・ルミエール)
数週間後、悲鳴嶼の元を辞することになったあげはは、再び隠と共に、次の場所へと向かっていた。悲鳴嶼から特別な指示があったわけではないが、あげは自身が「もっと呼吸について深く学びたい」と伝え、育手を紹介してもらったのだ。その育手というのが、「岩の呼吸」の育手である**「岩嶋玄斎(いわじま げんさい)」**だった。
「悲鳴嶼様、本当にありがとうございました!」
出発前、深々と頭を下げたあげはに、悲鳴嶼は何も言わず、ただ静かに数珠を擦っていた。だが、その背中には、確かな期待が込められているようだった。
「ここが……岩嶋玄斎様の屋敷でございます」
隠が、山の中に佇む質素な家屋を指し示した。悲鳴嶼の元とはまた異なる、どこか年季の入った空気が漂っている。
突如、ガラガラ、と引き戸が開けられる。中から白髪の老人が顔を出した。その目は鋭く、しかしどこか温かみも感じさせる。
隠が玄斎に訪問の意を説明する。
「岩嶋玄斎様でございますね。この子が、先週鍛えて欲しいと伝えたい。胡蝶あげは様です」
「ほう。新しい子が来たのかのぅ。岩嶋玄斎じゃ」
それが、あげはと、彼女の真の育手となる人物との出会いだった。
「胡蝶あげはと申します! 本日は、お忙しいところ申し訳ございません。悲鳴嶼様のご紹介で参りました!」
あげはは丁寧に挨拶した。
「悲鳴嶼からの紹介か。お主、なかなか面白そうな匂いがするのう。ささ、中へ入れ」
玄斎はにこやかにあげはを招き入れた。
「早速だが、お主、全集中の呼吸の基礎はもう身につけておるのか?」
玄斎が座布団に座るなり、開口一番に尋ねた。
「はい! 少しだけですが、悲鳴嶼様の呼吸を真似て、感覚を掴むことができました!」
あげはは躊躇なく答えた。玄斎は目を丸くする。
「ほうほう、そりゃまた驚いたのぅ。あの悲鳴嶼の呼吸を、見るだけでか。末恐ろしい才能じゃのう!」
玄斎は感心したように頷き、茶をすすった。
「では、実際に呼吸をやってみせてくれんか。ワシがしっかり見てやろう」
「はい!」
あげはは、再び悲鳴嶼の元で覚えた呼吸法を実践した。体が重くなり、地面に根を張ったような感覚。
「うむ、確かに。これは紛れもなく岩の呼吸の片鱗じゃ。しかし……」
玄斎はしばらくあげはの様子を見ていたが、やがて首を傾げた。
「お主の体には、この呼吸は少々重すぎるようじゃのう。体が無理をしておるのが分かる。このままでは、大成は難しいかもしれん」
玄斎の言葉は、あげはが抱いていた直感と完全に一致していた。
「やっぱり……! 私も、そう思っていました……!」
あげはは、自分の感覚が間違っていなかったことに安堵した。
「じゃが、見よう見まねでここまで掴んだ素質は本物じゃ。おそらく、お主にはお主の体に合った、全く新しい呼吸法を見つけ出すことができるはずじゃ」
玄斎は、優しい眼差しであげはを見つめた。
「新しい、呼吸法……ですか?」
「うむ。呼吸の基本は素晴らしい。じゃが、お主の身体に合わせ、それを昇華させるのじゃ。ワシは、その手助けをしよう。お主が真の呼吸を見つけるまで、ワシは付き合うぞ」
玄斎の言葉は、あげはにとって、希望の光だった。自分の進むべき道が、明確に見えた気がした。
「ありがとうございます、玄斎様……! 私、頑張ります!」
あげはの新たな修行が、今、ここから始まった。それは、「岩の呼吸」の基本を土台としつつも、彼女自身の体と才覚に合わせた、唯一無二の戦い方の模索だった。
岩嶋玄斎の屋敷での日々は、悲鳴嶼の元で過ごした日々とは、また異なるものだった。悲鳴嶼の元では、あげははひたすら「見て盗む」ことに徹していたが、玄斎の元は、まるで熟練の職人が弟子を導くように、丁寧で、しかし妥協のない探求の場だった。
「お主の身体は、悲鳴嶼のように岩の如く堅牢ではない。じゃが、その代わり、バネのような柔軟さがある」
玄斎はそう言って、あげはの細い腕を指先でなぞった。彼の眼差しは、あげはの潜在能力を正確に見抜いていた。
「その力を最大限に活かすには、重さで叩き潰すのではなく、力を溜めて一瞬の爆発力で空間を切り裂くような呼吸が必要じゃ」
玄斎の言葉は、あげはが漠然と感じていた「違和感」を、明確な指針へと変えてくれた。彼女の体格では、岩の呼吸の型をそのまま踏襲しても、真価を発揮できない。だからこそ、自分の身体に合わせた、唯一無二の新たな呼吸法が必要なのだと、あげはは強く確信した。
試行錯誤の日々が始まった。
玄斎は、まずあげはに「岩の呼吸」の根幹である足捌きの重要性を徹底的に教え込んだ。地面に吸い付くように立ち、重心を安定させること。全身の筋肉を連動させ、一歩で地面を爆発させるような「力強い踏み込み」を生み出すこと。それは、華奢なあげはにとって、想像を絶するほど過酷な訓練だった。
「もっと深く! 体の芯から力を引き出すのじゃ!」
玄斎の声が響く。あげはは、何度も何度も足がもつれ、転び、泥にまみれた。吐き気を催すほどの疲労感に襲われながらも、彼女は諦めなかった。
(この踏み込みが、私の呼吸の土台になるんだから……!)
あげはは、玄斎が示す「岩の呼吸」の型を、まずはそのままの形で習得しようと努めた。体幹を鍛え、全身の筋力の効率の良い使い方を叩き込む。毎日、日が昇る前から日が暮れるまで、木々に縛り付けられた丸太を押し、巨大な石を運んだ。吐いては立ち上がり、倒れてはまた立ち上がった。
そして、その合間に、彼女はひたすら考え続けた。
(どうすれば、この小さな体で、瞬間的に最大の力を引き出せるんだろう? 刀を振るう一瞬だけ、岩のように重くなる……でも、岩じゃなくて、もっと速く、鋭く……?)
彼女は、悲鳴嶼から感じ取った「静」と「動」の概念を思い出していた。じっと静止し、全身の力を一点に集中させる「静」。そして、その溜め込んだエネルギーを一瞬で解放し、爆発的な動きへと転換させる「動」。
ある日の訓練中。
玄斎が指示した「弍ノ型 天面砕き」の動きを繰り返していたあげはは、ふと、ある閃きを得た。それは、まるで夜空に星が瞬くような、突然のひらめきだった。
「玄斎様! もしかして……重心を、一瞬で移すようなイメージですか?」
あげはの言葉に、玄斎は目を細めた。その表情には、弟子が核心に迫っていることへの喜びが浮かんでいた。
「ほう? 詳しく話してみなさい」
「はい! その……踏み込む瞬間に、体の中心にある力を一気に足の裏に叩きつけるようにして、その反動で、一気に跳ね上がるような……。そう、まるで星が流れ落ちるみたいに!」
あげはは、興奮して身振り手振りで説明した。その瞳は、まさに夜空の星のように輝いていた。玄斎は、しばらく黙ってあげはの言葉を聞いていたが、やがて、深く、満足げに頷いた。
「面白い。やってみせなさい」
あげはは言われるがまま、再び構え、呼吸を整える。全身の感覚を研ぎ澄まし、意識を足の裏へと集中させる。そして――。
ドンッ!
という乾いた音と共に、あげはの体が、これまでとは比べ物にならないほどの速度で前方に飛び出した。それは、岩のように重厚な踏み込みというよりは、地面を蹴って弾丸のように飛び出す、流星の如き加速だった。彼女の体が描いた軌跡は、まさに夜空を駆け抜ける流星そのものだった。
「おおおおお!」
玄斎は、思わず声を上げた。あげはが編み出したのは、従来の岩の呼吸とは一線を画す、全く新しい「踏み込み」の形だったのだ。
から、あげはは玄斎の指導のもと、この新しい踏み込みを「星の呼吸」の核として磨き上げていった。
「『静』の時間は、短いほど良い。だが、その一瞬に全てを凝縮するのじゃ」
玄斎はそう助言した。あげはは、まるで夜空に止まる星のように、一点に集中し、全神経を研ぎ澄ませる練習を繰り返した。そして、その集中が極限に達した時、彼女は一瞬で爆発的な力を生み出し、流星のように駆け抜けることができるようになった。
この新しい呼吸法は、あげはの華奢な体にぴったりと合った。無理なく、しかし最大限の力を引き出すことができる。彼女は、日を追うごとに、その速度と威力を増していった。
約一年半の厳しい訓練の末、ついにあげはの呼吸の原型が完成した。それは、岩の呼吸の「どっしりと構える」という基本はそのままに、あげはの俊敏性と「静から動への爆発力」を極限まで高めた、唯一無二の呼吸法だった。
呼吸法の完成と同時に、玄斎はあげはに剣術を教え始めた。玄斎が使う刀は、岩の呼吸の特性を最大限に活かすためか、通常の隊士の刀よりも分厚く、重いものだったが、彼が繰り出す剣術は、まさしく岩そのもの。重く、堅固で、決して崩れない。
「岩の呼吸の型は、元々は刀で使うものだった。悲鳴嶼が持っている、斧や鉄球は、その応用じゃ」
玄斎はそう説明し、あげはに岩の呼吸の基本的な型を刀で繰り出す方法を教え込んだ。
「重心を低く保ち、大地と繋がるように構える。そして、一撃に全魂を込めるのじゃ」
あげはは、玄斎から教わる剣術を、自身の新しい呼吸と融合させることを試みた。岩の呼吸の重厚な一撃に、「力を生み出す溜め」と「流星の如き速度」を組み合わせる。
あげはの動きは、時には岩石のように重く、防御を不可能にするほどの一撃を放ち、またある時には、夜空を駆け抜ける流星のように、目にもとまらぬ速さで敵を斬り裂いた。
体力作りも怠らなかった。玄斎は、呼吸に耐えうるしなやかで強靭な肉体を作るための訓練も課した。山の斜面を駆け上がり、重りをつけたまま素振りを繰り返す。
全ての訓練が終わり、あげはの動きが完成してきた頃、玄斎は言った。
「お前の動きは、まるで星のようじゃ。普段は動かぬ星のようにどっしり構え、素早く踏み込んで流星の如く翔ける。よく頑張った、この呼吸を『星の呼吸』と名付けよう」
その言葉は、あげはの胸に深く刻み込まれた。自分の努力が、こうして形になったのだという喜びが、全身を駆け巡った。
「星の…呼吸…。これが新しい、私だけの呼吸…!」
「そうじゃ。あげはよ、お主は才能がある。この呼吸を磨き上げれば、まだまだ強くなれるかもしれん。
努力を怠るなよ。」
「はい!」
この日、鬼殺隊に流星の如く名を馳せる、最強の剣士が誕生した。
はい、育手の「岩嶋玄斎」の登場です。原作では、岩の呼吸の使い手が悲鳴嶼さんしかいなかったので、独自で登場させていただきました。見た目は総髪の気前のいいおじいちゃんと言った感じですかね。
「『岩の呼吸』は刀でも使える」という設定ですが、『岩の呼吸』は五大流派の一つなので、悲鳴嶼さんが自分の弱点を無くすために鉄球を使っているだけであって、基本的には刀で扱うもの、と考察しました。刀の形状は、力強い振りに耐えるだけの太さを持っているのかもしれませんね。
異論は受け付けます。