鬼滅の刃 〜星空を舞う蝶〜 作:ありす(旧名:紅茶・ルミエール)
吉原遊郭、京極屋。夜は更け、遊女たちが客を迎え、華やかな喧騒が渦巻いていた。
その夜、最高位の花魁、蕨姫は、店の奥にある女将の部屋へと呼び出されていた。部屋には、京極屋の女将、お美津が一人、静かに座っている。
お美津の表情は、いつもの穏やかなものではなく、深い憂慮と、かすかな恐怖の色が浮かんでいた。
「あんたね、蕨姫」
女将は、静かに、しかし有無を言わせぬ口調で語りかけた。
「最近のあんたの、新入りへの対応が酷すぎるんじゃないかい。少しでも気に食わない子がいると、すぐに追い出す、いや、それだけじゃないね。最近は、あんたの周りで店を抜け出したり、自殺したりしている人が出ていると聞くよ」
女将の目は、蕨姫をまっすぐに見つめていた。
「自殺した子だって、あんたが追い詰めて殺したようなもんだろ。私は、あんたを信じて、この京極屋の看板を背負わせたんだ。あんたは、この店をダメにする気かい?」
その言葉は、蕨姫の平静をわずかに乱した。蕨姫は、いつもの美しい笑顔を消し、首を傾げながら、女将を見上げるような姿勢を取った。
「誰のおかげで、この京極屋が大きくなってんだと思ってんだ、婆」
蕨姫の声は、低く、冷たい響きを帯びていた。その眼差しは、女将の心を凍りつかせた。
その威圧的な、そして冷酷な眼差しを見た瞬間、お美津の脳裏に、遠い昔の記憶が蘇った。
「あたしがまだ幼い頃、とても美しい花魁がいたという話を聞いたんだよ。彼女は、あんたみたいに怒ると首を傾けるのが癖だったら強い。しかも、姫という名を好んで名乗っていたらしい…」
そして、その花魁も、蕨姫と同じように、首を傾げながら人を見下ろすような、異様な威圧感を持っていた。
「あ、あんた……もしかして……」
お美津の声は、恐怖で震えていた。
「あんたは……人間じゃ……」
その言葉が、お美津の口から発せられた、その瞬間。
蕨姫の姿が、一瞬にして変貌した。顔に浮かんだ血走った血管、額に浮かび上がった「上弦」と「陸」の文字。彼女は、上弦の鬼、堕姫の本当の姿を現した。
「お前は私が思っていたより、ずっとずうっと頭が悪かったようだね。残念だよ、お美津」
堕姫は、そう言って、その身から極彩色の帯を出現させ、お美津の体を一瞬で絡め取った。帯は、お美津を窓の外へと引き摺り出し、そのまま空中で静止させた。
夜風に揺れるお美津の体は、抵抗する術もない。
「気付いた所で、黙っておくのが、"賢い生き方"というものなんだよ」
堕姫の冷酷な言葉が、夜の闇に響き渡った。
お美津は、恐怖で顔面蒼白になり、着物の帯に隠し持っていた護身用の包丁を、震える手で突きつけようとした。
「そんな怯えなくても大丈夫さ。安心しな」
堕姫は、嘲笑うかのように、冷たい言葉を続けた。
「乾涸びた年寄りの肉は不味いんだよ。私は、醜悪で汚いものを絶対食べたりしない」
その言葉は、お美津の心を、肉体の恐怖以上に深く傷つけた。
「お前は、この高さからグシャっと転落死。さようなら、お美津」
「ま、待って…」
堕姫は、そう言い放つと、帯から力を抜き、お美津は抵抗する間もなく、夜の闇へと落下していった。落下した鈍い音が、響き渡る。賑わっていた遊郭の街は騒然となった。
お美津の殺害を終え、堕姫が京極屋の部屋に戻ると、そこには、鬼舞辻無惨が、人間の姿で静かに座っていた。無惨の存在は、依然として何の気配も音も感じさせない。
「調子はどうだ?」
「無惨様……!」
堕姫は、その存在を前に、即座に地面に額を擦り付け、恭しく正座の姿勢を取った。
無惨は、冷たい眼差しで、堕姫を見下ろした。
「随分と人間を喰ったようだな、堕姫。以前より、その力が増している。良いことだ」
無惨の言葉に、堕姫は、歓喜の震えを感じた。無惨に褒められることこそが、彼女にとって最大の喜びだった。
「はい、無惨様。」
「これから、お前はずっと残酷で、ずっと強い鬼になる。」
無惨は、そう言って、堕姫の心臓の奥底にある秘密の感情を揺さぶった。
「そこで、お前に一つ頼みがある」
「何なりと、お申し付けください、無惨様! 貴方様の命令とあらば、この命に代えても!」
堕姫は、興奮して顔を上げた。
「この辺りに、鬼殺隊の隊士が潜入しているだろう。その始末を、お前に頼みたい」
無惨は、穏やかに、しかし有無を言わさぬ口調で告げた。
「この任務は、お前にしか頼めない。引き受けてくれるか?」
「喜んでお引き受けいたします、無惨様!」
堕姫は、無惨からの特別な命令に、歓喜した。
「片方は柱だ。おそらく、此方が鬼だと、すぐに看破するだろう。勘が鋭いとも聞いている。」
無惨は続けて言った。
「お前は柱も殺している強く、美しい鬼だ。遅れをとることは無いだろう。私はお前に期待している。」
無惨は、そう言って、静かに姿を消した。
無惨からお褒めの言葉をいただき、更に直接任務を頂いて上機嫌の堕姫は、お美津の落下死で京極屋が騒然としている中、機嫌良く自分の部屋へと戻った。既に蕨姫としての姿に戻ってはいるものの、周囲にいる人々は、皆蕨姫の姿に終始怯えていた。
(柱か……! あの、不細工な三味線の女は違うけど、その隣にいた綺麗だけど、どこか鋭い視線を持っていた女中…。あれも鬼殺隊士なのだろうか)
堕姫の脳裏には、不細工な泣き虫と、華やかな美貌を持つ女中の姿が浮かんでいた。特に、あげはの冷静な美しさは、堕姫の印象に強く残っていた。
「さあ、かかってらっしゃい。柱だろうが、何だろうが、皆殺しにして喰ってあげるよ」