では、よろしくお願いします。
「本当になんとお礼を言えばいいのか…」
「いえいえ!たまたま通りかかっただけですので、怪我とかなくてよかったです!」
迷子の女の子(名前はカナと言っていた)と共に待つこと5分ほど、そろそろ迷子センターに向かおうかと思っていたところに、母親を名乗る女性が慌てた様子で駆けつけてきた。
二人の話から察するに、女の子はおもちゃ屋の店頭に並んである商品に夢中になり、それに気づかず母親が先に行ってしまったようだ。普段であれば外出の際は必ず手を繋いでいるのだが、今日は帰りのバスの時間が迫っていたため慌てていたらしい。少し手を離した瞬間にーーと言った具合だ。
自分の不注意が招いた事態に母親は、女の子と見守っていてくれた坂浪に何度も謝罪と感謝の言葉を口にした。
「じゃーねー!おねえちゃん!」
「うん!じゃあねカナちゃん。今度はお母さんの手、離さないようにね!」
待っている間にすっかり仲良くなったようで、去り際に女の子は元気よく手を振っていた。坂浪も女の子の名前を呼びながら笑顔で手を振り返す。
「いやぁ、お姉ちゃんは優しい人ですなぁ…」
「え、なんで?」
「そういうところが、ですよ」
そんな坂浪を見て優花がしみじみと呟くが、坂浪はその言葉に首を捻る。どうやら彼女の一連の行動は『優しさ』には含まれてはないらしい。
優花もそれを察したのだろう、頷きながら彼女の肩を軽く叩く。理解者ぶってるところ悪いんだけど流れでお姉ちゃん呼びするのはやめてね。
「んじゃ、さっさと行くか」
「あ、そうだね」
「いえーい!楽しみー!」
親子の後ろ姿を見えなくなるまで見送った後に二人に声をかける。思わぬハプニングに少し時間を取られたが、改めて楽器店に向かうことにした。
#
坂浪の行きつけだと言う楽器店もモールの中にあるらしい。先ほどいた2階のおもちゃ屋からエスカレーターで1階に降り、俺たちが入ってきた入口とは反対方向にモール内を移動する。
「結構奥まったところにあるんですね〜」
「そうだね。私もマップ見ないと気づかなかったよ」
あまりこちら側には来たことはなかったのだろう優花が、辺りを見回しながら呟き、それを坂浪が肯定する。
坂浪の言う通り、俺たちがいつも使う出入り口とは真逆の場所なため、楽器店を探すという目的がなければまず見つけられないだろう。
「あ、あそこだよ」
「お〜、なんか雰囲気ありますね!」
もうしばらく歩くと目的の店に到着した。店の名前は『紡音楽器』。
『つむね』と読むらしいその店は、坂浪によると全国展開されている、そこそこ有名な店舗のようだ。全くもってそちら側の知識を持たない俺は「ほえー」という感想しか浮かばなかった。
外装、内装共に暗めで統一されており、店頭のショーウィンドウにはベースだかギターだかが飾ってある。坂浪の後を追って中に入ると、チェーン店にしてはこぢんまりとした印象を感じた。俺たちの他に客はいなさそうだ。
「わぁ、楽器がいっぱーい」
「これはなかなかだな」
そのあまり広くはない店の壁は所狭しと弦楽器で埋め尽くされていた。よく見る茶色のものから鮮やかな蛍光色のものまで様々な楽器があり、俺も初めての光景に少しテンションが上がる。
そこからは坂浪が買い物をしている間に、優花とともに商品を眺めていた。ギターやベース、バイオリンにシンセサイザーなど、普段はあまり近くで見ることのない楽器の数々に目を奪われる。
「そういえばお兄ちゃんも昔ギターやろうとしてたよね」
「男はみんな一度は志すもんだ」
「そういうものなの?」
「そういうものだ」
だってかっこいいしねバンドマン。中学までは見向きもしなかったのになぜあんなに軽音楽部に魅力を感じるのだろうか。モテそうだからだろうか。運動部には入れない俺たちみたいなやつも、なんかモテちゃいそうだからだろうか。うん、これ以上はやめておこう。
「へぇーそうなんだ。私でよければ教えようか?」
「えっ、…いやいいよ」
そんな適当な会話をしていると、買い物が済んだのか、気づけば後ろにいた坂浪が声をかけてくる。びっくりしたぁ、驚きすぎて勢いで断っちゃったよ…。
しかし、実際あの頃の熱意は一種の気の迷いのようなものだ。一応受験生でもあるし、やることもまだまだ山ほどある、流石にそんなことをしている暇はない。
「そうだ!そんなことよりアスカさん!せっかくなんで一曲歌ってくださいよ!」
「なんだせっかくって…」
「うん、いいよ!」
優花のカラオケに来た時のようなノリに引っ掛かりを覚える俺であったが、坂浪はあっさりと承諾した。え?いいの?
こういうことは恥ずかしがって断ると思っていたが、予想に反して乗り気であった。まぁ、まだ出会って2日目なので予想も何もそこまで彼女についての理解はないのだが。
その後坂浪はレジにいる店主らしき人に試奏の許可を取った後、手頃な椅子に座り準備に移った。なにやらチューニングのようなことをしているが俺たちにはさっぱりだ。
しばらくして用意ができたのか、リラックスするようにギターを構え直す。よく見るタイプの特徴のないアコースティックギターであったが、思っていたよりも様になっていた。結局顔が良ければなんでも似合うのかしら。
「じゃあ始めるね」
「わー!」
演奏に入る前に声かけをする坂浪に、優花は小さく拍手をする。坂浪は少し悩むような素振りをして弦に指を置く。おそらく何を引くか決めていたのだろう。
そして静かに彼女の手が動き出すーー
#
演奏が始まった。視線は自然とピックを握るアスカさんの指に吸い寄せられる。ゆっくりと丁寧な動きで弦を弾く。曲は少し前のものだけど、私でも知っている有名バンドのバラードだ。
まさか、今日初めて会った人の演奏を聴くことになるなんて。自分からお願いしておいてなんだけど、そんな展開はまったく想像していなかった。しかもこんなに綺麗な人の演奏を。
出会ってまだほんの少ししか経っていないのに、彼女といるとその優しさや純粋さが、一つひとつの仕草からまっすぐ伝わってくる。
だからなのかもしれない——彼女のことを、もっと知りたいと思ったのは。
弦を抑える細い指が滑らかに動く。
上手い…かどうかは正直言って分からない。それほど耳も良くないし、楽器についても全然分からない。それでも聞いている限り音を外している様子もなく、余裕を持った演奏は、彼女の努力の賜物なのだと感じた。
——しかしその後、イントロが終わり彼女の演奏に声が乗った時…空気が変わった。
「すご…」
思わず声がでた。隣を見る余裕もなかったが、お兄ちゃんの息を呑む気配を感じる。
店に配慮したのだろう、若干抑え目ではあったものの、その歌声は真っ直ぐに胸を打ってきた。透き通った声が、まるで直接心に触れるように響く。
もし天使という存在が本当にいるなら──
その声はきっと、こんな音色なんじゃないだろうか。
そう思わせるほどの澄んだ気持ちと声が私の全身を包み込んだ。
多分、テクニックとかじゃない。音程や抑揚のとり方もすごく上手だけど、それだけではないと感じる。ただ聴かせるためじゃない、誰かに何かを伝えるために。彼女に取って『歌』とはそういう存在であると、そう感じさせる何かがあった。
#
「…ふぅ。ど、どうだった?」
歌の1番を歌い終わったところで手を止める。普段は知り合いに向けギターを演奏することも、歌を歌うことすらもなかった。だから優花ちゃんにお願いされた時は少し嬉しくて、直ぐに承諾してしまった。でも歌い始めて少ししてから二人の顔は不自然に固まったままだ。
どこかダメだっただろうか、ギターも歌もそれなりに練習はしているけど、まだまだ自信はない。そんな不安から気づけば二人に尋ねていた。
「「………」」
「あ、あれ?」
しかしその声に、二人は反応することはなかった。呆然とした表情でこちらを見てはいるが、自分を見ている感じはない。まさに心ここに在らずといった顔である。
(そういえばさっき、初めて優花ちゃんと会った時も同じ顔をされた)
直前の不安は何処へやら、二人の顔を見てそんな呑気なことを考える。しかしそんなことを考えている間も二人が動き出すことはなく、心配になって椅子から立ち上がろうとした時──。
「は!?あ、あれ演奏終わってる!?」
「な!?ま、まじだ…」
椅子を引く音で意識が戻ったのか二人が声を上げる。どうやら演奏が終わったことにすら気づいていなかった様子だ。
私の演奏も聴けるものではなかったのかもしれないな。やはり慣れないことはするべきではなかったか。
「ごめんね、下手…だったよね」
「え!?ち、違いますよ!むしろ逆です!」
「え?」
聴くに堪えなかったのだろうと謝罪をしたが、返ってきたのは想像とは真逆の言葉であった。
「めちゃめちゃ上手かったですよ!なんか、こう…上手く言えないけどほんとにすごかったです!…ね!お兄ちゃん!?」
「…お、おう」
驚いたアスカが小さく首を傾げると、優花は焦るように身振りを交えながら続ける。
あまり具体的なことは言われなかったが、嘘をついている雰囲気ではなかった。隣で黒瀬くんも何度も頷いている。
その後も二人は私の歌の感想を言い合っていたが、私にそれを聴く余裕はなかった。
(よかった。ちゃんとできてたんだ…)
心の中でつぶやき、ホッとして胸を撫で下ろす。
人前で歌を歌ったのはこの二人を合わせて4人目。皆一様に褒めてくれたが、最近どうも調子が出ていないように感じる。
理由は明白。私の心が荒れているから。今の私は不安や恐れで胸がいっぱいだ。
『〜♪』
そう考えているとスマホが鳴った。スマホの画面に表示されている名前は『仁さん』。慌てて時刻を確認すると16時を少し過ぎていた。
「あ!ごめん、私帰らないと!」
「お、そうか。すまんな時間取らせて」
「私たちも帰るので出口まで一緒に行きましょう!」
電話には出ずに素早く帰り支度をする。店主に礼を言ってから店を後にし、モールを出た。
#
「ではまたー!」
モールを出て、遠くなっていく坂浪に優花が手を振る。いつの間にか空は茜色に染まってきていた。
「いやー、いい人だねアスカさん」
「…そうだな」
「でも、お似合いだと思うよ、二人」
「しょうもない事言うな」
彼女が去った道を眺めながらそんなことを言う妹の頭を軽くこづく。「痛っ!」と大袈裟なリアクションをして、頭を抑えながら不満げな顔をする優花は無視した。
「優花はもう帰るか?」
「え?うん、晩御飯の前にちょっと掃除しときたいんだよね。お兄ちゃんどこか行くの?」
「あー、ちょっとな。晩飯までには帰るよ」
そう言うと優花は珍しそうな顔をして首を傾げる。俺も帰りたいのは山々なのだが、少し用事がある。今日である必要はないが、できるだけ早く済ませておきたい。
あと、少し気になることもある。
「ふーん、分かった。気をつけてね」
「おう、優花もな。何かあったら連絡してくれ」
珍しく少し寂しそうな顔をする優花だったが、そう言うとすぐに背を向けた。せっかく機嫌を戻してくれたのに、何とも申し訳ない気分になりながら、遠くなる優花の背中を眺める。見ない間に幾分か背は伸びたが、まだまだ年相応の女の子と言った風だ。
「…帰りにプリンでも買っとくか」
なんとはなしに、そう心に決める俺だった。
#
優花が曲がり角に入るのを見届けてから、素早く辺りを見回す。
(坂浪と別れてからまだ数分だ。そう遠くには行ってないはず)
一年前とは少し変わってはいるが、駅周辺とは言えそれほど高い建物はない。少し視線を巡らすと一際高いマンションが目に入る──あそこか。
少し駆け足気味でマンションへと向かい、エレベーターで最上階に登る。ロックがあるタイプのマンションでなくて助かった。力技で入れなくはないが、出来ればあまり目立ちたくはない。
エレベーターのドアが開くと、屋上に向かう。当たり前のように鍵のついたフェンスに阻まれるが、無理やり乗り越える。高所のためか少し風が強く、肌寒さを感じた。
それほど大きな屋上ではなかったため、お目当てはすぐに見つかった。
「仁さん」
「…お前か」
屋上の端に立つ背中に声をかける。180cmを超える長身の男。筋骨隆々とまでは言わないが、服の上からでもわかる程度には鍛え抜かれた体だ。黒髪の短髪は彼の雰囲気を表しているかのように刺々しい。
湊仁(みなとじん)──坂浪家の分家である湊家の人間で、坂浪アスカの姉代わりだった湊ナナミの従兄弟だ。
仁さんは坂浪の護衛役を担っている。いや、厳密には彼女の『力』の……か。
それは湊家が代々務めているお役目だ。元々は次期当主の湊ナナミの役目であったが、彼女が行方をくらました後、彼に引き継がれる形となった。
彼は俺の声に顔の半分だけ向けた後、すぐに前を向き直った。おそらくその視線の先には坂浪がいるのだろう。
「異常はないですか?」
「あぁ。……あるとするならば、休日の昼間までお前がアイツと接触したことだろうな」
「あ、いやそれは…偶然のことで…」
「何度でも言うが、俺はまだお前たちを完全には信用していない」
俺の問いに釘を刺すように返される。
こえぇんだよ、この人。ちゃんとした仕事は今月からだけど、付き合い自体はそこそこ長いんだからそろそろ心を許してくれよな。
まぁ、『完全には』と付けるあたり、最低限の信用はあるのだろう。実際夕方までとはいえ、学校内での護衛は俺が担っている(もちろん彼自身も近くで待機しているが)。しかし、これくらいの用心深さがなければ、彼のお役目は果たせないのも事実だ。
どちらかと言うと、一族のお役目に外の人間が関わるのが面白くない、と言ったところだろう。彼を見ていると、それなりの誇りを持って任務を務めていることが分かる。
だが現実的に見て、彼らだけでは坂浪を守り切ることは不可能に近い。一族と言っても大した規模ではなく、坂浪家と湊家を合わせてもまともな戦力になるのは仁さんくらいだ。それほどまでにイデア保有者の数は少ない。
「分かってますよ…」
「それで、わざわざ何の用だ?」
頭をかきながらそう言うと、仁さんはこちらを振り返ることもなく問いかけてくる。
「聞いてると思いますが、昨日始末した奴、能力者でしたよ」
「…そのようだな」
イデア保有者は希少。それ故に危機感を覚えるのは、昨日の男がイデア保有者だったことだ。偵察なのだろうが、状況的に見て明らかに使い捨ての駒だった。
つまり敵はイデア保有者を軽々と使い捨てられるほどの戦力を握っていることになる。
それを言外に告げると、彼にも伝わったのだろう声色に少し険しさが増す。
「それと昨日、坂浪にナナミさんのことを聞かれました」
「なんだと、言ったのか?」
「いえ、一応止められてるので」
「…ならいいが、そもそも何故そんな話になったんだ」
湊ナナミ。昨日坂浪に聞かれた時は知らぬふりをしたが、俺は彼女を知っている。今の行方こそ知らないが、彼女の目的や動機もなんとなく察せられる。
俺は昨日の帰り道での出来事を簡潔に話した。全てを聞いた後、仁さんは小さくため息をつく。
「少し考えれば分かるだろう。迂闊な真似は控えろ」
「そうですね、すいません。でも彼女も馬鹿じゃないでしょう」
「……。」
「もう、隠しておくのも限界じゃないですか」
「それは……俺が決めることではない」
俺の言葉に仁さんは少し間を置き、複雑そうな顔をしながら答える。
現在、坂浪には彼女を取り巻く状況のほとんどが伏せられている。己の秘められた力のことや、護衛の対象であることは告げられているようだが、いつ狙われてもおかしくない状況であることは彼女は知らない。もちろん昨夜の出来事も。
というのも坂浪家のイデアは少々特異なものだ。元々イデアの能力の源は『人の中の揺らぐことのない核』にある…と考えられている。
それは願いや信念、心など人によって解釈は様々あるが、確かなことは『一人一人によって異なる』ということだ。つまり基本的には似た能力はあれど、全く同じイデアは存在しない。
だが、イデアは奇跡を起こす力だ、勿論例外もある。
その一つが坂浪家のイデアであり、彼らは現状唯一確認されている『イデアの継承』を行う一族だ。
それは一子相伝。何代にも渡り続けられており、子が18を迎える年に継承の儀が行われる。
そしてその儀式にも色々と下準備があるようで、中でも大事なのが『心の平穏』だそうだ。
通常のイデアでもそうだが、荒んだ心を落ち着かせ、己の願いや目的にのみ集中することが力を引き出すコツだ。『イデアの継承』も坂浪家のイデアの能力の一つであるならば、その辺りも共通するのだろう。
坂浪への情報を制限しているのもこの性質が理由だ。
坂浪にとって、ナナミさんの件や敵組織の襲撃は彼女の不安を煽るには十分すぎる、との判断だろう。俺が彼女の護衛に加わっていることも念の為に口止めされている。
しかし、昨日からの坂浪の様子を見るに、彼女も自分の周りの異変を察知している可能性はある。
俺にナナミさんの話をしてきたということは、少なくとも彼女自身は己や己の周囲の事について知りたがっているのだろう。
そうであれば、いっそのこと彼女にも情報を共有するべきではないかと俺は思う。少なくとも、ナナミさんの件については彼女も知る権利がある。
彼女の誕生日は6月6日、あと2ヶ月も先のことだ。
儀式が終わるまでは、敵も大々的に攻めてくることはないだろうが、既に兵を放ってきているこの状況では楽観的にはいられない。すぐにでもこちらの戦力を削りにくる可能性も低くないだろう。
であれば、出来るだけ早く坂浪自身にも相応の備えはしておいてもらいたい。
だが結局のところ、どの選択が正解かは結果を見るまではわからない。この選択により、最悪の場合は儀式自体が失敗になりかねず、それは坂浪家だけでなく、『坂浪アスカ自身』にとっても最も避けなければいけない事態だ。皆が慎重になるのも仕方がない。
「話はそれだけか?」
「えぇ…まぁ」
「ならもう行くぞ」
はい。と俺が返事をする間もなく、次の瞬間には彼の姿は消えていた。相変わらず早い。坂浪の護衛にあの人ほどの適任はいないだろうな。
「はぁ」
意識することなくため息が漏れる。事態が急を要することは、俺が言わずとも仁さんもわかっているはずだ。念の為に伝えたが、果たしてどうなることやら。
もうすでに日は落ちかけている。にも関わらずまだ用事は済んでいない。またしてもため息を吐きそうな気分になりながら、俺は次の待ち合わせ場所へと向かった。
#
ピンポーン。と昔ながらの聞き馴染みのあるチャイムが鳴る。場所は先ほどいたマンションと程近い別のマンション。5階建てで古くも新しくもないごく普通のマンションだ。その最上階の西端にある501号室の前で中の反応を待つ。
『開いてるから入って〜』
「え、あ、はい」
インターホンではなく直接頭に響く声に一瞬戸惑いつつ、言われた通りドアの取っ手を捻る。外見で感じる印象より重いドアを開けると、料理中なのだろう、食材の焼ける匂いと音がした。
「お疲れ様です。梓さん」
「おつかれさま〜、悪いわねこんな時間に」
リビングに向かい、キッチンにいる女性に挨拶をすると、笑顔が返ってくる。
彼女は『夏目梓(なつめあずさ)』。俺の…俺のなんだろうか。上司なのか上官なのか隊長なのか、何はともあれ俺よりは偉い人だ。まぁ、この世に俺より偉くない人間など存在しないが。
「いえ、他の人たちは?」
「あぁ、そっちの部屋」
グレーのタンクトップに黒のレギンスという、なんともスポーティな格好でフライパンを握る梓さんは、逆の手で持つ菜箸をリビングの隣、引き戸で仕切られている部屋に向ける。
2LDKの室内はリビングにはほとんどものが置かれておらず、広々と言うよりは少し寂しさを感じる雰囲気だ。俺はそこを横切り、引き戸を開ける。中はリビングとは異なりしっかり家具が置かれ、物が雑多に転がっている。そこには3人の人物がいた。
「お疲れ様です」
「お!来たなカガリ!相変わらずナヨっちいなお前はァ!」
「よっ。お疲れ様」
「うぃ〜す」
声をかけると三者三様の反応が返ってくる。
この家はD.I.S ──正式名称Division for Idea Securityとかなんとかのアジトの一つになっている。D.I.Sは『とある人物』によって集められた部隊のようなもので、俺は正式に加入しているわけではないので詳しくは知らないが、構成人数は10人程度しかいないらしい。
最初に声をかけてきたのは『伊吹剛(いぶきごう)』。D.I.Sのメンバーで坊主頭のマッチョだ。名前と見た目通りの豪快な性格で分かりやすく、スッキリした人だが、少し暑苦しい熱血漢。
二人目もD.I.Sのメンバーで『七瀬蒼司(ななせそうじ)』。明るめの茶髪に細い目、幸の薄そうな顔にメガネをかけている。最年長で物静かであるが、頼れる大人の雰囲気がある。
最後は『セリカ』。こいつはD.I.Sのメンバーでもなければ本名すら知らない。小柄な女性で灰色がかった黒髪のショートカット。いわゆる情報屋のような事をしており、様々な情報を報酬に合わせて仕入れてくる。金で動くタイプだが、仕事は正確で早い。
梓さん達とは長い付き合いらしいが、信頼できるかと言うと悩むところだ。あと手先が器用でメカニック的なこともでき、俺の使うエアガンも彼女に改造してもらった物だ。
部屋の右手前に剛さん、左壁際に蒼司さん、そして一番奥にセリカがそれぞれ寛いでいた。俺は中に入り、部屋の左手前の蒼司さんの隣に腰掛ける。
「できたわよ〜」
「おお、待ってましたァ!」
「ありがとう梓さん」
「うひょ〜うまそ〜」
俺が座ると同時に梓さんが料理を運んできた。豚肉の入った野菜炒めが大皿に盛られ、出来立ての香りは晩飯前の俺の胃を強烈に刺激してきた。
「カガリも食べる?」
「…いえ、家で妹が作ってるので」
「あらいいわね」
梓さんの魅力的な誘いに少し揺らいだが、これ以上優花の機嫌を損ねるわけにはいかないので断っておく。
梓さんはD.I.Sのリーダーであり、まとめ役だ。普段は落ち着いていて頼りになるが、怒らせると誰よりも怖い。長身でスタイルも良く、雑にまとめられた長髪がよく似合う。女性ながらどこか男らしい雰囲気を持っている。
俺が今D.I.Sと共に行動しているのも、彼女が手を回してくれたからだ。D.I.Sを結成した人物──梓さん達が『ボス』と呼ぶ人物は、中々に用心深いようで、自分が信頼出来ると判断した人間だけを集め、このチームを結成したらしい。
そのため説得するのには時間がかかったようだが、最終的にはリーダーである梓さんのボディーガードという形で作戦に参加することを許可された。要は彼女が個人で雇った用心棒という体だ。
俺としては、自分に何を見出してくれたのか甚だ疑問ではあるのだが、彼女のおかげで色々と行動しやすくなったのは事実で、感謝はしてもしきれない。
D.I.Sの主な活動内容は治安維持──イデアを持つ者による犯罪の取り締まりや保護。分かりやすく言えば、イデア専門の警察といったところだろうか。……もっとも逮捕権などあるはずも無いのでどちらかといえば、自警団のようなものだ。
当然、メンバーは全員がイデア保有者だ。ただし、イデア関連のトラブルなんて全国的に見ても年間で数件あるかないか。普段は地味な仕事のほうが多い…らしい。
普段は治安維持のために各地に散らばっているようで、今回の作戦も基本的にはここにいるメンバーだけで動くことになっている。
「じゃあ、食べながらでいいから会議始めるわよ。セリカ、お願いね?」
「あいよ〜。と言っても奴ら──『クラウン』について特に新しい情報もないけどな」
クラウン。俺たちが現状最も力を入れて調査している組織だ。その名は、王を気取っているのか、はたまた道化を演じているのか。昨日の男も、十中八九この組織の一員であろう。
本拠地、構成人数ともに不明。分かっていることは組織の目的とボスのイデアくらいのものだ。
イデアの名は『支配』。目的はこの世界をその手中に収めること。
もちろん、一個人のオーラ量でこの世界丸ごと能力下に置くことは到底不可能だ。だからこそ彼らは坂浪を狙っている。通常、オーラを他人に譲渡することはできないが、イデアは不可能を可能にする力だ。ヤツの『支配』ならばおそらくそれは容易い。
「昨日カガリがヤった奴に『成り代わって』色々調べてみたけど、流石に半日じゃ成果はなしだな〜」
「まぁそうよね〜。ありがとう引き続き頼むわ。もちろん安全第一にね」
セリカの報告に梓さんはため息を吐きながら感謝を述べる。
セリカのイデアは『変化』。詳しい能力は秘密らしいが、自分や他人の姿を別の人間に変える能力を持っている。制約は多いようだが、声や体臭、味の好みまでも変わるようで、まず気付かれることはない。この能力を使って様々な場所から情報を仕入れている。
「──っと。こんなとこかな〜。じゃあウチはここいらでお暇しますか」
「え、もう?最後までいたらいいじゃない」
その後、一通りの報告を済ませたセリカは、しっかり自分の分のご飯を平らげてから立ち上がる。
「おいおい。ウチは情報屋だぜ?あんま信用してんなよ」
んじゃ、ごっそさ〜ん。と言い残し、肩越しに手を振りながら彼女は部屋を出ていった。
「んもぅ」
「相変わらず掴めない奴だな」
「あれも彼女なりの誠意なのでしょう」
反抗期の娘を前にしたような梓さんに、先ほどまで黙って報告を聞いていた剛さんと蒼司さんが続く。
「…まぁいいわ。それじゃ!当面の方針を決めとくわよ」
空気を切り替えるように梓さんは手を叩く。
俺たちに課せられた任務は、大きく分けて二つ。一つは『坂浪アスカの護衛補助』、
もう一つは『クラウンの情報収集』だ。
敵が仕掛けてくるとすれば、目立ちにくい夜間が最も考えやすい。だから昼は情報集め、夜は坂浪神社の周辺を見回る、というのが基本の流れだった。
俺は学校もあるので毎日というわけにはいかないが、3人がローテーションを組み、二人が巡回、一人が待機、その合間に時折俺が加わる形になっている。
4月の頭から始まった任務だったが、昨日の偵察の件もあり、早急に話し合いが必要になった。そこでまず、昨夜の詳しい状況と、先ほど仁さんとした話を三人に共有する。
「なるほどねぇ。ま、アスカちゃんについては向こうに任せるしかないわね」
「そうだな。俺たちの任務はあくまで護衛だ。不確定要素が多い現状では、彼らの決定に任せるしかないだろうな」
「カガリの言い分も分かるけどね…人の感情を制御する難しさは、僕たちが一番わかっているから」
「…ですね」
坂浪の扱いについては向こうと何度もすり合わせをしたのだろう、梓さんは諦めたような表情で語る。剛さんもそれに同意し、蒼司さんは俺の意見を汲み取るように微笑み、軽く肩を叩いた。
実際問題自分たちではどうしようもないことを考えても仕方がない。それよりも今後の敵の出方について話し合うべきだろう。
「問題は昨夜の件ね」
「あぁ、昨日の今日で仕掛けてくることはないだろうが、近いうちに必ずまた来るぞ」
「備えはしたいが、相手の戦力もわからないんじゃ、動きづらいな」
結局は情報不足、それに尽きる。さらに言えば戦力不足も著しい。基本的にはここにいる4人と仁さんだけで迎え撃つしかない。イデアの性質上、そう易々と新たな人員を補充することは難しく、そもそも一般市民を戦いに巻き込むことは望ましくない。
D.I.Sのメンバーの多くは、俺と同じく“偶然イデアを発現してしまった者”から選ばれているようだが、そんな人間が都合よく現れるわけもない。
最悪の場合は各地のメンバーを招集することになるだろうが、今のところボスからそのような話は出ていないようだ。
現状の戦力で事足りると判断しているのか、もしくは他に懸念することがあるのか。
「はぁ…手詰まりね。後手に回るしかないわ」
「くそ!奴らの拠点さえ見つかればこちらから攻めてやるものを!」
「セリカくんだけに頼るのもな…何か手がかりさえ掴めればいいんだけど」
その後小1時間ほど話し合ったが、良い解決策はなく、どうにかして情報を集めるしかないという結論になった。しばらくの間は襲撃に備えるため、可能な限り俺も夜の警備に加わることになりそうだ。家族にバレないかだけが心配だが、まぁどうとでも誤魔化せるだろう。
「あ、そうそう!カガリこれ」
「え、なんですかこれ」
会議も終わり、そろそろ帰ろうかというところで、梓さんから何やら手渡された。これは、服だろうか。
「あなた一応一般人だからね。急造だけど変装用に」
「あ、あー…そうすか」
梓さんが説明している間に服を広げると、真っ黒なフード付きのコートだった。多少のデザインはされているが、ほとんど無地の様なもので、なんと裏地は白だ。え?これ着るの?ほんとに?
「ふふーん、かっこいいでしょ?セリカに頼んでフードをかぶっている間は顔が見えづらくなる効果も付けてもらったのよ!」
「……ありがとうございます」
俺の引きつった表情に気づかず、得意げに説明を続ける梓さん。確かに俺の厨二心を刺激するものはあるものの、流石に今は気恥ずかしさが上回る。
この人たまに変なセンス発揮するんだよなぁ。作戦中のT1だのT4だのの呼び名も彼女が決めたものだが、普通に恥ずい。…まぁとはいえ理には適っているのでありがたく頂戴することにしよう。
実際、俺の顔が奴らにバレた場合、家族に危害が加わる可能性もある。対策はいくつか考えてはいたが、そもそもバレないならそれに越したことはないな。
どうやら効果はセリカのイデアによるもので、定期的にオーラを補充してもらわなければいけないらしい。
しかし条件付きでのイデアの遠隔発動の付与とは、随分と高度なことができるものだ。
やはり、イデアについての知識や技術で彼女の右に出るものはいないな。
改めて礼と別れの挨拶をしてアジトを出る。予想より少し遅くなってしまったが、急げば晩飯には間に合うだろう。
「あとは……コンビニか」
別に約束したわけではないが、二度も忘れるわけにはいかないと一人呟き、帰路を急いだ。
#
コツ…コツ…コツ…と、無機質なコンクリートの廊下を足音だけが響く。場所はクラウンの人間しか知らない地下施設。
昔、ある財閥が経営していたグループ、今ではこの国最大級の規模となったその組織は、有り余る財を使い、これらの施設を作った。
その名は『神城グループ』
様々な分野の事業を吸収し、今やこの国の社会を牛耳っていると言っても過言ではないほどの地位を築いている。そのグループの裏の稼業を秘密裏に担っているのがクラウンだ。
(早い召集だな)
銀城は歩きながら考える。
少しデザインの加えられた黒いスーツは構成員全員に支給されているものであるが、幹部の中で常用しているのは彼だけ。黒の長髪を無造作に纏め、色黒の体は190cmを超える巨体、はち切れんばかりの筋肉はまるで山のようだ。
前回の召集が2ヶ月ほど前。いよいよ本格的に計画を進めるというお達しを受け、行動を始めた。部下を一人偵察に送ったのも命令によるものだが、その偵察も昨夜から音信不通、おそらく既に捕えられたか殺されているだろう。
廊下の突き当たりで足を止める。目の前には自分の背丈を優に超える扉と見張りの構成員が二人。銀城が扉に近づくと見張りは黙ったまま扉を開けた。
「助かる」
最後まで声を発しない二人に礼を言いながら扉の奥へ歩を進める。その中は100人は収容できるであろう広さで、天井は高く、壁は豪華な装飾で彩られている。部屋の最奥には一つの椅子──玉座が据えられている。
まるでRPGの魔王の間を思わせる広間には一人の女が立っていた。
「あら、銀城さん。久しぶりねぇ」
「紅月か」
その女──『紅月柚葉(こうづきゆずは)』はこちらに気づくと声をかけてきた。炎の様に赤い着物を纏い、髷を造り豪華な髪飾りをしている姿は、まさに花魁そのものといった風貌だ。胸元を大きく開け、ゆったりと甘い話し方は彼女の美貌と合わせ多くの男達を魅了する。
「仕事の調子はどうだ?」
「こんな所でも仕事の話?相変わらずお堅いこと」
ただの世間話のつもりで話を振ったが、紅月はつまらなさそうな顔でため息を吐く。
彼女は銀城と同じく、クラウンに四人いる幹部の一人。幹部は一人を除き、いくつかの事業を取り纏めるリーダーも兼ねている。
とは言っても、彼らに商才があるわけではなく、大抵は長年の蓄積されたノウハウによってマニュアル通りに人を動かすだけであり、幹部の選出基準のほとんどはイデアによる戦闘能力とカリスマ性だ。
「おやおやおや。皆さんお揃いですねぇ。私が最後でしたか」
「エフ…」
扉が開き、現れたのは3人目の幹部『エフ』。
シルクハットに燕尾服という装いは奇術師を思わせるが、顔の半分を覆うマスクと独特の喋り方から感じる印象は、どちらかといえば道化師に近い。
ダークブルーで統一された衣装に、海外の血を引いているのだろう中性的で整った顔立ちと金色の髪は、まるでファンタジー世界から抜け出してきたかのような雰囲気を漂わせていた。
「最後だと?まだヤツが来ていないだろう」
「おやぁ、ではあそこに見えるのは誰でしょうか」
「なに?」
銀城の問いにエフは口角を上げながら視線を部屋の左壁に向ける。その視線の先、壁にかけられた燭台の灯りと影の境目に、一人の男が寄りかかっていた。
「貴様、いつからそこに──」
銀城の問いに、男は閉じた目を開くこともなく無言を貫く。その姿は影に隠れほとんど見えないが、右腰に吊るされた刀の鞘だけは妙に明瞭に映っていた。
馴れ合いを嫌い、最低限のコミュニケーションしか行わない男だ。
しかしその態度に、彼と浅からぬ因縁を持つ銀城はじりじりと苛立ちを募らせる。
いかに裏社会の集団であっても最低限の規律があり、勝手な振る舞いは許されない。現在のクラウンで最古参の一人で、ボスへの忠誠心の高い銀城にとっては、その態度を咎めずにはいられなかった。
文句の一つでも──と足を踏み出そうとした、その時。
「…相変わらず悪趣味な部屋だ」
部屋の奥から声が響く。
決して大きくはなく、力強さもない。だがその響きは否応なく心臓を圧迫し、膝を折らせるほどの威圧感を帯びている。空気は緊迫し、まるで酸素さえも逃げ出しているかのように呼吸が荒くなる。
それを証明するかのように、気づくと銀城達は跪いていた。
銀城が通った扉とは真逆、玉座の奥にあるクラウンの長だけが使用する扉。そこから現れた声の主は、ゆったりとした動きで玉座に腰掛け、足を組む。
「だが…悪くない」
特徴的な銀色の髪を後ろに流し、ダークスーツを着ている姿はまるで老紳士。しかし齢七十を超えて尚、衰えを知らないその眼光と鍛え上げられた身体、そして溢れ出る圧倒的な覇気は……まさしく『王者』の風格。
現神城グループ総帥兼クラウンの王『神城聖司』
表舞台に現れることなく裏でこの国を支配している覇者は、眼下で膝を折る3人と壁に寄りかかったまま、薄く開いた目を向けてくる男を眺める。
その不遜な態度を気にすることもなく──寧ろその様子を楽しむように目を細めながら──王は口を開く。
「さて、我が望みを叶えるため『神子』の元に兵を送ったが、『永久の犬ども』は存外に優秀なようだ」
前置きもなく、独り言のように発せられるその言葉を聞き、銀城は王の命により送り込んだ部下──森野数也を思い浮かべる。なかなかに汎用性の高いイデアを持っていたが、本人のオーラ量が少なく、期待した以上に使いこなせてはいない印象だった。
「アレン」
「はっ」
王の呼びかけに応じ、新たに現れた男。
金色に輝く長髪を持ち、銀のフレームの眼鏡と、その奥に光る切れ長で鋭い眼は、彼の確かな理知を表していた。
アレン•スターリング。王の側近兼、王直属の護衛部隊『スローン』のリーダーであり、更にはクラウン全体の指揮官でもある。
何処からともなく王の隣に現れた彼は、銀城が身につけているものに、更に金色の刺
お読みいただきありがとうございます。お話作るのって難しいなと思う回でした。
次の更新はいつになるのやら…。出来るだけ早くできるような頑張ります。
では、次も読んでいただけたら嬉しいです。