Q.あなたは幽霊に取り憑かれてしまった!どうする? A.図書館に行く 作:こおり0859
8月が始まり、より一層の夏の盛りが感じられる今日この頃の昼下がり、私は北海道札幌市の新川通りを歩いていた。
琴似川と新川からなる長い一本の流れに沿って北西へと真っ直ぐ引かれたこの通りには、ずらりと桜が植わっている。この桜並木の全長はかなりのものなのだが、具体的な距離は私の知るところではない。遠く前に目をやると、その並木道はどこまでも続いているように見えた。
川とそれを挟む土手、さらにそれらを挟む広い道路には爽やかな風が吹き込み、呼応するように青々と茂る夏の葉桜がざわめく。札幌の突き抜けるような快晴に葉の緑がきらめいていた。当然花のひとつも残っていないが、それでも微かな桜の香りが鼻腔をくすぐっていく。
春には花見客で賑わうこの通りではあるが、季節を大きく過ぎた今、私のほかに歩くものはいない。新川地区は札幌の中心街から少し北へ外れたところに位置し、この桜並木以外に何か観光名所があるわけでもない。店が立ち並ぶような通りでもなく、人の気配はひっきりなしに走り去る車からしか感じられなかった。
今は令和7年、西暦で言えば2025年。地球温暖化が叫ばれるようになってから既に久しく、今ではサステナビリティにSDGs、脱炭素社会と、その仲間は順調に数を増やしている。
この札幌も例に漏れず年々気温が上がっているとはいうものの、東京に比すれば湿度は低く、風もある。歩道を覆うように伸びた桜の枝が降り注ぐ夏の日差しを肩代わりするので、折角持ってきた日傘はその役割を失っていた。
私は傘を閉じてプラプラと持て余しながら、周りと比べてどこかひんやりとした桜の木の下で歩みを進める。土手から見下ろす新川は水と緑に溢れていて、見るからに涼やかだ。
夏の盛りではあるものの、これでは「
貧弱な語彙に見切りをつけて、目的地へと意識を戻す。これから私は神社に行くのだ。聞くところによると、本日はそこで祭りが開かれているらしい。
気づけば桜並木の一番気合の入ったところを超えていたらしく、川沿いの木々がどんどん小ぶりになっていく。木漏れ日として気配だけを感じさせていた太陽が姿を現し、一瞬目が眩む。取り戻した視界に映る私の手は日に照らされてなお青白く、生命に溢れた夏の新川とは対照的に全く生気を感じさせない。
私は誇り高き札幌の無職であり、無類の引きこもりをも兼任している。最近は所用あって外出の機会が増えたものの、それでも、日の光に焼かれることにはいまだ慣れない。
足を止めて、UVカット加工が念入りに施された傘を差す。急場しのぎの小さな日陰は直射日光を防ぎこそするが、これまでずっと日差しに焼かれていたアスファルトから立ち上る熱気には無力だった。足元から這い寄る熱に私は眉を顰め、あの快適だった木陰を未練がましく振り返った。
振り向いた先、少し遠くの一際大きな葉桜の影の中に、緋色の袴姿の若い女が一人浮かんでいる。いわゆる巫女装束だ。肩には赤いショールのようなものを羽織っており、8月の陽気にそぐわない装いである。反面、髪型は巫女にしては涼しげで、癖毛が多少飛び出たマッシュカットとなっている。よく見ると後頭部にはレイヤーが入っており襟足だけ少し長い。これは先日調べたので知っているのだが、こういう髪型のことを「ウルフカット」と呼ぶらしい。顔は特筆するところのない輪郭・パーツで構成されており、それなりに整った造作であるとは思うが、不思議なことに3日も経てば忘れてしまうような印象の薄さがある。
彼女は枝葉を大きく広げたエゾヤマザクラとソメイヨシノを交互に見比べているようだった。
木漏れ日の中に浮遊する巫女装束の女は、私の視線に気づくと薄い笑みを浮かべながら、水面に漂う葉っぱのようにこちらへ寄ってきた。近づくほどに感じられるその妙にのっぺりとした質感が、彼女がこの世ならざるものであることを示している。
私は、4月からこの女に取り憑かれている。その経緯はひとまず置いておくとして、この女曰く、「自分は幽霊だ。生前の記憶が曖昧なのだが、とにかく心残りがあることだけは確かである。私の正体を探り、無念を突き止めてほしい」とのことだった。そして、何とも迷惑なことに「さもなくば、三代祟る」とも続いた。
結論から言うと、その心残りはこれから向かう神社にある。様々探ってみたところ、彼女は新川沿いに位置するその神社と縁の深い幽霊らしい。とりわけ今日の祭りは彼女と密接に関わっているようだ。
ちなみに、調査の大部分は図書館のサービスを利用してのものだった。図書館はいい。誰にだって基本無料でこの世のすべてを教えてくれる。
例えば、私が急にこの桜並木のことを詳しく知りたくなったとする。そんなときにまず試してみるのが「レファレンス協同データベース」(※2-1)というサイトだ。
「レファレンス」というのは図書館用語である。意味はよく定まっていないのだが、おおまかに「調べもののお手伝い」を指すと思っていい。図書館員に「これが知りたい」と言えば、なんらかの手段で助けてくれるのだ。回答の仕方には様々あるが、「この本のここにこう書いてありますよ」だとか、「ここをこうすると調べられます」だとか、とにかく相談者のニーズに沿った情報を提供してくれる。
国立国会図書館が取りまとめるこの「レファレンス協同データベース」では、全国の図書館に寄せられた相談事例を見ることができる。
ゆっくりとこちらに近寄ってくる女の到着を待ちがてら土手のへりに腰掛け、スマートフォンで「レファレンス協同データベース」にアクセスする。
試しに、このサイトで「新川 桜」と検索してみよう。すると、「北区新川桜並木に咲いている桜の種類、作られた経過等知りたい。」(※2-2)と題されたレファレンス事例が目につく。札幌市中央図書館から提供されたものらしい。どうやら私以外にもこの桜並木のことを詳しく知りたくなった人がいたようだ。
回答を見ると、北区役所のホームページや「21世紀へ贈る 新川さくら並木」と「新・北区エピソード史」の2冊の本が紹介されている。ここで今すぐ見ることのできる北区役所のホームページを漁ってみると、その中に掲載された「北区制50周年記念エリアガイド Feeling like a SMALL TRIP」(※2-3)に辿り着いた。
この電子ガイドブックを開くと、桜並木の誕生秘話が漫画形式で語られている。どうやらこの桜並木には「新川さくら並木」という名前がついているらしい。その歴史は古く、1976年に地元の有志によって事業がスタートし、一度頓挫するも1997年に再始動、そして現在の7.5キロに及ぶ長い桜並木が完成したのだという。より詳しい話は図書館から提示されている2冊の本を読んでみるのがよさそうだが、私の仮想の知識欲は十分に満たされたのでここまでにしておこう。
このように、図書館は本の貸出以外にも調べもののためのサービスを用意している。先程の「レファレンス協同データベース」はその一部でしかなく、他にもサービスやツールは山ほどある。今回の「新川さくら並木」は今からおおよそ50年前の出来事に端を発していたことが分かったが、図書館に頼れば100年、200年前のことでも比較的簡単に、しかもそれなりに正しさの保証された情報を集めることができる。げに素晴らしきかな、図書館。ビバ図書館。
暇つぶしに図書館を褒め称え終えたところで、幽霊がようやく追いついてきた。お前の遺念余執を鎮めるために引きこもりの信念を曲げてまで外出しているのだから、もっとキビキビと動いてほしいところだ。ゆったりお散歩に興じている場合ではない。
紅白の浮遊体と共にしばし進み、川の西向こうに折れ曲がると、住宅街の中に鳥居が見えた。無事、目的地――神社に着いたようだ。
この神社は、それほど大きいものではない。小さな境内にはそれに見合う小さな社殿と社務所、それから手水舎があるのみだ。社殿の隣には大きな木が一本生えており、建物よりもむしろこの樹が一番目立っている。
閑静な住宅街にあることもあってか、祭りの開催中であっても出店が並ぶようなことはないようだ。神輿も見当たらない。見たところ、
様子を窺っているうちに二人の参詣客が鳥居をくぐり、本殿の前で手を合わせて帰っていった。
せっかく神社に来たので私もそれに倣おう。社殿の軒先に置かれた賽銭箱へ5円玉を放り込み、鈴を鳴らして二礼二拍一礼する。鈴が先か礼が先かは賭けだったが、隣に浮いている巫女装束の女が咎めてこないところを見るに、特に問題なかったのだろう。
今日だけ開け放たれているのだという社の中を覗くと、中央の小綺麗な棚にご神体と思しき鏡がひとつ鎮座していた。周囲にはその鏡を盛り立てるように神社特有のギザギザした紙やら謎の植物やらが配置されている。あれはお供えみたいなものらしいから、「盛り立てる」という表現は違ったかもしれない。まあ、何でもよろしい。
依頼人である女を見ると、何と言えばよいのか、随分と曖昧な表情をしている。わずかに伏せられた瞳からは、ほっとしたような、それでいて何かを惜しむようなそんな雰囲気が感じられるが、それは彼女の心残りを調べ上げたことで湧いてしまっただけの、私自身の感傷だ。この幽霊がどんな思いでいるかなど私には分からない。
どう話を切り出そうかと迷っていると、新川から運ばれてきた風が勢いよく吹き込み、狭い境内の砂を巻き上げた。思わず手の甲で目を庇う。そして風が止み、腕を降ろした時には、隣にいたはずの幽霊の姿は消えていた。神道に成仏のような概念があるかは知らないが、とにかくそんなようなことが為されたらしい。光の中に消えていくとか、天に昇っていくとか、そういった演出はないようだ。
鳥居をくぐり、日傘を差してひとり帰路につく。かれこれ4か月、思えば長い道のりだった。そもそも時期が悪かったなと、あの4月の出会いを思い出す。
あれは、まだ冬の抜けきらない寒い日のことだった。