芦屋未鳩と平良太地は、自分達が通う大学の前に立っていた。
コロッケを探す中で出会ったじゃがいもおじさん。
彼が言うには、この大学の食堂にコロッケが売っているらしい。
「戻ってきたわね……」
「でも、ここにコロッケがあるんだ……」
多少弱まってきたがまだ強い風に飛ばされてきたチラシが二人の顔面に叩き付けられる。
二人はボロボロだった。
服装は乱れ、全身ズボ濡れで、髪の毛はグチャグチャになり、ヒラタイの髪にはフライドチキンの骨とかが突き刺さっている。
それでも、二人の感情は穏やかだった。何故なら、コロッケが食べられるから。
「行こう、未鳩さん!」
「コロッケを食べるわよ!」
二人は迫真の顔で大学に入っていく。目指すは大学の食堂だ。
時刻は朝七時。ギリギリ食堂が空いたばかりの時間。
早足で、希望に満ちた顔で、二人は歩く。廊下を走ってはいけない。そんな事は分かっていても、流行る気持ちを抑えられなかった。
「コロッケ……!!」
「……ん?」
食堂に着いて、叫ぶ。一人の教授が、大量のコロッケを皿の上に乗せて、テーブルの上に座った所だった。
「ま、まさか……」
「コロッケ売り切れよ」
食堂のおばちゃんが、申し訳なさそうな顔でそう言う。
二人は走った。コロッケを大量に買っていた大学の教授の元へ。
「「先生そのコロッケを分けて下さい……!!」」
「こんな朝早くからどうしたのかね。まだ雨もすごいと言うのに」
教授は若干呆れたような顔で、二人の大学生に視線を向ける。
彼は民俗学の研究をしている
「どうしてもコロッケが食べたくて!」
「昨日からずっとコロッケを求めて彷徨ってるんです」
冷静になると、どうしてこんな事をしているのかと思ってしまうが──しかし、今は目の前にあるコロッケに夢中で二人は冷静さを欠いていた。
「なるほど。……君達は、台風コロッケというネットミームを知っている……もしくは聞いた事があるかね?」
「台風……?」
「コロッケ……?」
宇佐区教授は、表情を変えずにそんなよく分からない言葉を漏らす。二人は見覚えがなくて、首を傾げた。
「では説明しようか」
教授は何故か突然、普段の講義のように話し始める。
コロッケが食べたかっただけなのに、なぜ抗議を受けているのだろうか。
「二千一年の八月二十一日。台風十一号パブークが、この東の都に接近した際。……ある人物が電子掲示板にこう書き記した──念のため、コロッケを16個買ってきました。もう3個食べてしまいました──と。ハンドルネームは『こちら横浜』だったそうだ」
「え、ぁ、はい……?」
だからなんだ──と、二人は眉間に皺を寄せた。確かに、今は台風が来ていて、自分達はコロッケを食べたがっているが。
だからなんなのだ。
それが、二人の感想である。
「だからどうしたと思う者も居るかもしれない。が、しかし……これが、なんか、ウケたようでね」
「ウケた……」
「えぇ……」
「その後しばらく、ネット掲示板等では台風の時にコロッケを食べるというインターネット特有の風習が生まれたようだ」
所謂インターネットミームという物だ。しかし、それはもう二十年以上前の話である。二人は産まれてすらいない。
「台風コロッケの歴史はまだ終わらない。その後、二千十二年六月、台風四号が日本を訪れた際にSNSのトレンドワードに『台風コロッケ』がランクインした事で、更に台風コロッケは有名になった」
しかし、教授は真剣な表情で話を続けた。
「そうして二千十年代中頃から、台風が接近するとスーパーマーケットや弁当屋コロッケの値引きや大量セールを実施する店舗も出現し始めた──これが、台風コロッケというネットミームの概要だ。とても……興味深いとは思わんかね?」
「何が!? 先生民俗学の先生ですよね!? インターネットオタクのおっさんじゃないですよね!?」
「その通り。……これは、民俗学の話だ。よく分かったね、平良君」
「何が!?」
ヒラタイは頭を抱える。
「ある種、人の歴史というのは突拍子もない、時に通常理解の難しい事柄から発生する。特にインターネットという文化は、人類史においての新しい民族学として研究する価値のある物だとは思わんかね?」
「くっ……この人顔が真面目だし教授だからまともな事言ってるように聞こえる! もしかして俺が変なのか!」
「落ち着いてヒラタイ。あたしも変だとは思ってる。けど、どうしてもコロッケが食べたい理由は……このネットミームにあるんじゃない?」
大真面目な顔でインターネット民俗学を語る宇佐区教授に、二人の思考回路は狂っていた。否、この台風の中コロッケを探していた時点で狂っていたのだろう。
「では、せっかくなので講義らしい話をしようか」
教授は、大真面目な顔で話を続けた。
「例えばだが……この掲示板に書かれた食品が、コロッケではなくたこ焼きだったとしたらどうだろうか? たこ焼きが、台風たこ焼きとして現在のコロッケのように売れていたとする。すると、たこ焼き屋台をやっている者は多くの利益を得る事が出来るようになる。たこ焼きという食品は利益率が高いからねぇ。……しかしそうなると、多少人の生活にも影響が出てくるとは思わんかね?」
「んー、確かに」
「コロッケとかたこ焼きじゃなくて……これがカステラとかだったら、出費が増えちゃうわね」
教授の話を聞いて二人は想像する。
台風コロッケではなく、たこ焼きだった場合。
比較的な話だが、コロッケよりもたこ焼きの方が入手しにくい。
台風たこ焼きがネットミームになっていたら、台風の時にたこ焼きを探さなければならない。二人は、比較的どこでも売っているコロッケですらこうして丸一日探して見付からなかったのだ。
「この時、偶然、たこ焼きでも焼肉でもうどんでもカステラでもなく……コロッケが流行った。その流れは、こうして今現在の人の歴史を作ったという訳だ。人の歴史、文化という物は……ほんの些細なキッカケで変わる物なのだよ」
そう言い終えると、教授はコロッケを一つ食べる。
お皿の上に沢山乗っているコロッケ。
二人は唾液を飲み込み、教授を羨ましそうに見詰めた。
「さて、今私はコロッケを食べている。もしかしたら、これがたこ焼きだったかもしれない。……などと考えるのは、面白い思考実験だった」
そう言って、教授はテーブルに備え付けられている紙ナプキンでコロッケを掴み、二人に向ける。
「では、授業を真面目に聞いてくれた君達には……単位の代わりに一つずつコロッケを渡そうか」
「うわー! やったー!」
「ありがとう先生! 本当にありがとう!」
二人は教授から受け取ったコロッケにノータイムで齧り付いた。
外はサクサク、中はホクホク。
ソースなんていらない、ジャガイモの素直な味わいが、衣の中から溢れてくる。とにかく美味しい。この為に、台風の中を歩いてきたのだ。
そして、ふと思う。
正気に戻って、二人は顔を見合わせた。びしょ濡れのお互いの姿は、あまりにも悲惨に見える。
「ところで先生、なんで俺達はこうまでしてコロッケを探し求めてたんですかね?」
「そうよ……。台風の中、こんな……異常じゃない?」
「いや……そんな事を私に聞かれても、知らん。怖い」
しばらくの間、沈黙。
教授がコロッケを食べる音と、弱まってきた雨と風の音だけが聞こえる食堂で。
「俺達……」
「あたし達……」
「「何してたんだろう……」」
二人のバカが、佇まんでいた。