夜道で突然、女の子に弟子にして下さいと言われた経験はあるだろうか。
「私を……弟子にしてください!!」
「……はぃ?」
普通はない。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょぉっと待って!! もう一回聞いて良い!?」
ヒラタイは混乱する頭の中で、状況を整理する為に、とりあえず聞き返す事にしてみた。もしかしたら、聞き間違えかもしれない。
「私を弟子にしてください……!!」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
「人違い……? え、待って……なんの話かさっぱり」
そもそも、弟子なんて言葉は漫画やアニメか寿司職人のドラマでしか聞いた事がない。何か凄い力を持った人が、その力を教える相手。それが弟子だった気がする。
であれば、聞き間違いではなく人違いなのかもしれない。
しかし辺りを見渡すが、他には誰もいなかった。
「……俺に言ってる?」
「はい!」
どうやら人違いでもなかったらしい。
「貴方の歌に……心が揺さぶられたんです! お願いします。私を弟子にしてください!」
「歌ぁ!?」
少女は綺麗な姿勢で頭を下げる。服装が服装だから、どうも危なっかしい。
ヒラタイは両手を上げて目を逸らしたが、チラリと視線を向けた先で、少女の手が震えているのを見て煩悩が何処かに飛んでいった。
「俺の、歌を聞いてくれた……って事?」
「……はい。その、凄く素敵に思って」
誰かに褒められて嬉しくない人間はそう居ないだろう。
でも、だからこそ、ヒラタイの答えは決まっていた。
「ごめん。そう思ってくれたのは嬉しいんだけど……俺はその、誰かに何かを教えられる程、凄い男じゃないんだ。……頭を上げて欲しい」
少し姿勢を落として。少女の顔を見ながらそう口にする。
少女はその言葉を聞いて頭をあげると、親の死に目にでも出会ったような顔で後ずさった。
「いや、その、本当にごめん。けど! えーと! 俺なんて──」
「こちらこそすみません……急に、変な事言ってしまって」
「あ、いや……」
「……すみませんでした」
少女は後退り、唇を噛みながら振り向いて、逃げるように走っていく。
「俺って奴は……」
本当に悪い事をした気分になった。
けれど、あんなに可愛い女の子が自分なんかに歌を教えて欲しいなんて。きっと、もっと良い師匠に出会える筈だろう。
自分なんて──そう思ってしまうのはともかく、赤の他人の自分よりも、良い人は沢山いる筈だ。
「可愛い声だったなぁ……。というか、駅まで送るくらいした方が良かったかなぁ……いやぁ、それはそれでキモがられそうで嫌だなぁ」
ウンウン唸りながら、どうするのが正解だったのかと頭を抱える。
断ったのは正しかった筈だ。
でも、もう少し断り方があったのかもしれない。さっきの女の子は、一達と一緒で、自分の歌が良かったと言ってくれる優しい女の子だったのだから。
「寝よう」
悩みながらも歩いていると、自分が一人暮らしをしているアパートに辿り着く。他人に相談するには突拍子もない話だし、とにかく今日は疲れた。
話のネタにするのも、あの女の子に失礼だろう。
そう思いながら、家の鍵を開けた所で──
「ごめんなさい」
「ぇ──」
声が聞こえて、次の瞬間──
「──どうしても、上手くならないとダメなんです」
──鈍い衝撃と共に、意識が朦朧として、消えていった。
☆ ☆ ☆
知らない天井だ。
「
真っ白な天井。フカフカなベッド。花の香り。
そして、抱きついてくる、犬みたいな女の子。柔らかい感触に、脳が当然覚醒する。
「い、いや、待って!? ここは何処!?」
女の子から離れるようにゆっくりと体を持ち上げると、そこは病室のようだった。
検診衣に身を包み、頭にはどうやら包帯が巻かれているらしい。
全くもって状況が理解出来ない。
隣で自分の事を『師匠』と呼び、抱きついて来た女の子は確か──
「目が覚めたかい」
病室に医者らしき男性が入ってくる。
「え、ぁ、はい。あの、俺は一体……」
「その子の話によると、君は家の前で転んで頭を打ったらしい。見に覚えはあるかな?」
「転んで、頭を打った……はぁ?」
そんな記憶はない。けれど、確か──そうだ、家に着いた瞬間、頭に何かがぶつかって、それだけは覚えていた。
「転んだのかも……」
「その子の証言通りだね」
「その子……?」
振り向くと、明るく短い茶髪の、小型みたいな丸い顔をした女の子が座っている。
──この女の子は確か、帰り道で弟子にしてくださいと頼んできた女の子だ。
「
女の子はそう言ってヒラタイに顔を近付ける。女の子への耐性がなくて、彼は一瞬固まった。
「……いや、ちょっと待って。俺、断ったよね?」
「何を言ってるんですか師匠? 断った?」
「いや、だから、師匠になる事を」
「もー、嫌ですね師匠。ずっと前から私は師匠の弟子ですよ? え、もしかして……忘れちゃったんですか!?」
驚愕したような顔をして、女の子は大きな声を上げる。医者が口の前で人差し指を立てて、女の子は頭を下げた。病院では静にしなければならない。
「この子は君の高校の頃の後輩で、歌の弟子だと言っていたのだけど。……違うのかな?」
「え、いや……えーと? えぇ?」
ヒラタイの頭は混乱していて、女の子と医者が何を言っているのか分からなかった。
もしかしたら、自分がおかしいのかもしれない。そんな風にすら思ってしまう。
「記憶障害の疑いもあるのね。もしくは、意図が分からないけど、君が嘘をついているか」
医者がそう言うと、女の子は一瞬固まってから「そんな訳ありません……! 師匠に嘘をついて何の徳があるんですか!」とまた大きな声を出す。
医者に再び人差し指を立てられ、女の子はしょんぼりと丸くなった。
医者に「嘘をついている」と言われた一瞬、彼女の手が震えたのを見て、ヒラタイは少し考えて、口を開く。
「いや、嘘をついてるようには見えないんですよね。俺の勘違いかも」
「え……?」
「なるほど。とりあえず、意識はハッキリしているようだし、検査の結果も悪くはないから……。そうだな、一旦検査入院にして、記憶障害の件は少しゆっくり調べようか」
「それでお願いします」
ヒラタイが返事をすると、医者は「それじゃ、少し席を外すよ。書いてもらう書類とかを持ってこようか」と言って病室を後にした。
「……あの」
「お、俺……本当に記憶障害なの?」
震えた声が口から漏れる。冷静に考えてみると、怖くなってきたのだ。
家に着いたと思ったら、気が付いたら病室で寝ていて。
自分の記憶にない弟子が出来ている。おかしな話だ。
「いやぁ……マジかぁ。ひえぇ……ちょっと待ってね、俺……君の名前も知らないんだよね。いや、本当に弟子だったらごめんね。別に忘れたくて忘れた訳じゃなくて……いや、混乱してて。本当にごめん。傷付けたくはないんだけど、覚えていなくて……!」
アワアワと、手を振りながら声を漏らすヒラタイ。どうしても思い出す事が出来ず、彼は両手を合わせて女の子に謝罪をする。
なんて、優しい人なんだろうか。
そんな風に、彼女は思った。
「マツリ、です」
「まつり……?」
「飯田マツリ。私の名前です、師匠。……あの、忘れちゃったんですか?」
でも、いや──だからこそ、私はあなたの