耳を疑いたくなった。
「ど、どうでしょうか師匠! 私の歌は!」
「絶妙に……下手!」
頭を抱える。
お蕎麦を食べてから、ヒラタイはマツリの歌を聞いてみた。
そして彼女の歌は、絶妙に下手だったのである。それはもう頭を抱える程に、だ。
「そんな……!」
「いや、ごめん。言い過ぎた。いや、その、違うくて、なんていうかその……歌い慣れていない感じが……その」
ヒラタイは自分をとてつもなく歌が上手い人間だとは思っていない。
けれど、趣味はカラオケで大学のサークルバンドのボーカルを勤めている。ある程度、歌を歌うという事に関して精通しているつもりだ。
だからこそ言える。
「なんていうかその、音痴だよ」
「うんち……?」
「おんちね??? 辞めようね、女の子がうんちとか言うの」
彼女は音痴だ。
声は可愛い。けれど、声の出し方が分かっていない。恥ずかしがっているような、とにかく歌声がギクシャクしている。
「良い!? 歌を歌う時に恥ずかしがったらダメだよ!! 歌っていうのは感情を乗せるものなの。恥ずかしがって歌ったら、その恥ずかしいって感情が歌に乗るんだから!!」
「ひぃ!? ごめんなさい!!」
「口は大きく開けて!! 堂々と!! まずは恥ずかしがらない!! そこから!! 今度、皆とカラオケ行くから、マツリちゃんも一緒に行くよ!!」
「ひぇぇぇ!?」
寝るまで数時間、ヒラタイはマツリに歌というよりも歌を歌う事へのマインドを教えるのだった。
そうして気が付けば、夜二十三時になっていて。
「……しまった白熱し過ぎた。マツリちゃん、家って近いの? アレだったらタクシー代くらい出すけど」
入院代で軽くなった貯金を思い起こしながらも、女の子をこんな時間まで拘束してしまった事を反省する。
「家……? ないですけど」
「はい???」
せめて送っていくか、タクシー代くらい出そうと思っていたら、想像だにしていない返事が返ってきて思考がフリーズした。
「安心して下さい! 師匠の睡眠の邪魔はしません。寝る時には出て行きます!」
「家族は!?」
「居ますが、今はどこにいるか分からなくて」
「一人で生きてるの!? 家は!?」
「追い出されてしまい」
「追い出されてしまい???」
羅列される凄まじい事情にヒラタイは頭を抱える。しかも家族の話が絶妙に聞いて良い話なのかラインが分からない。
そういえば、入院していた間、マツリはずっと病院にいた気がした。帰る場所がないのなら、ある今納得である。
「そういう訳で、私の事は気にしないでください! 明日また来ます!」
「待てぇぇえええい!!」
マツリの肩を掴んで、ヒラタイは叫んだ。今から口にする発言は、側から見てどうかと思われる発言だろう。
それでも、自分がどう思われても、言わずには居られない。だって、こんな女の子が野宿とかして良い訳がない。
「今日は泊まって行きなさい」
男一人暮らしが、女の子を家に泊まらせるというのは、事案と言われてもおかしくない。だが、野宿させるよりは良い。なんなら自分が野宿して部屋を渡しても良い。
「ご、ご迷惑では……?」
「こんな夜遅くに外でどうしようって……。アレなら俺が出ていくから、部屋にいてよ……本当に、こう……危機感がさ……!!」
何も分かっていないのか、マツリは首を横に傾けていた。
「今日はここのベッドで寝なさい!! 俺は……トイレにで──」
「ベッドまで使って良いんですか!! やったー!! 憧れてたんです。師匠、一緒に寝ましょ〜」
「うーん、そうかそうか〜。憧れてたか〜。良かったね〜。それじゃ、寝──るかバカチン!! 何考えてるの!? お風呂入って歯磨きして一人で寝なさい!! 着替えは……えーと! あるよね!?」
「服、これしかないです。師匠の服を借りたりしても良いですか?」
「明鏡止水!! うおーーー!!!」
「師匠!?」
ヒラタイはマツリをベッドに放り投げ、着れそうな服を放り投げ、自分は寝る準備をする。明鏡止水の心得により、その日はある意味熟睡出来た。
翌日の朝。
バイトは明日から再開だが、今日は学校でバンド練習もある。
問題は、マツリをどうするかだった。
「おはようございます! 師匠!」
「早起きだね」
「ベッドって凄いんですねぇ。枯葉の上で寝る時の十倍は休めた気がしますよ!」
学校に行かなければならないので、マツリを置いていくしかない。
「どういう生活してるの本当に。マツリちゃん、学校とか行ってるの?」
「行ってないですね」
どうやら学生という訳でもないらしく、家に居てくれても構わないが、それはそれでどうなのかと悩む。
「普段、昼間は何を……?」
「昼寝か、お腹が減ったら狩りとか?」
「原始人?」
偶に発言が未開の地の人間みたいで驚くが、毎回驚き過ぎても疲れるのでリアクションが低くなってきた。
それはそうと、このご時世に趣味が狩りなのは凄い。猟銃とか使うのだろうか。
「俺、大学に行くのと、夕方は大学でバンドの練習があるから。帰りちょっと遅いんだよね。もし特に用事もなければ、家に居てくれても良いし、何処かに出掛けても良いし。だから、これ鍵──」
「バンドの練習……!!」
ヒラタイがスペアキーをマツリに渡そうとすると、マツリは目を輝かせて飛びついてくる。
「だからマツリちゃん! そういうのはだね!」
「師匠、私……バンド練習見たいです!!」
キラキラと輝くマツリの目。本気で何かを期待し、楽しみにしている少女の顔。
「……ごめん、学校に許可を取らないといけないから。また今度で」
「……くぅーん」
「……そんな寂しそうな顔しないで。えっと、ほら、家でゲームとかしてても良いからさ!」
家もなく、家族もなく、学校に行ってすらいない。
きっと大変な事情があるのだ。
そんな彼女の頼みを断るのは心苦しいが、先生に聞いたりと下準備もせずに連れて行って困るのはマツリかもしれない。
彼女は多分、身分証明書みたいなものを持っていないだろうから。それどころか、荷物もない。本当に何者なのかも分からない。
「ごめんねぇ……何か色々考えるから。とりあえず、今日は家で待ってて欲しい。これ、鍵ね。えーと、ゲームとタブレットがこれで冷蔵庫にある物勝手に食べても良いし、緑のカップうどんも食べて良くて──」
鍵も渡して、家の物もある程度説明してから、溜まった燃えるゴミを持ってアパートの部屋を出る。
ゴミを出す一角で、近所のおばさんに「おはようございまーす」と挨拶しながらゴミを置くと──先に置いてあったゴミ袋が荒らされているのが分かった。
「おはよう。見てコレ、カラスかしらねぇ? ネット掛けてあるのにねぇ」
「酷いですねぇ……。賢いカラスなのかな」
ゴミ袋は破かれて、中身の生物が飛び出してしまっている。匂いも酷く、ヒラタイは鼻を抑えながらおばさんに頭を下げて、学校へと向かった。
「そういやちょっと寝坊しちゃって朝ごはん食べてないや……。マツリちゃんもお腹減ってるよなぁ。……帰りになんか買い物とかしなきゃ。一達に頼んで、練習ちょっと少なめにしてもらおうかなぁ」
今日の予定を頭の中で組み立てながら、道路を歩く。
何か小さな影が、ゴソゴソと足音を立てて彼の背後を着いて歩いていた。