マツリは綺麗なお辞儀をしてから、頭を上げて口を開く。
「──と、いう訳で。改めまして。飯田マツリといいます。師匠の……遠い? 親戚です」
「私は上梨月日〜。バンドマネージャーだよ」
病院で会っていなかった月日が自己紹介をして、マツリにジュースを渡した。
マツリは遠慮しながらもジュースを受け取ると、子供のような笑顔を見せる。
「お、おいしいです……!」
「可愛い〜」
どうやら月日のお眼鏡にはかなったようだ。
「で、ヒラタイの練習が見たくて着いて来ちゃったって事で良いんだよね?」
「はい……。そしたら、熊みたいな人に襲われて食べられそうになってしまったところ……月日さんに助けられたのです」
月日曰く、職質を受けている時に身分証明を出来る物を持っていないとかで先生に囲まれていたらしい。
ただ、両親とか家族のゴタゴタがあると聞くと、頷ける話ではある。
「まぁ、そうなっちゃうから。今度からは黙って着いてきたらダメだよ〜」
「すみません……」
ヒラタイに注意されて、反省して小さくなるマツリ。
「はい! 休憩終わり。ほら、通しで練習するよー。マツリちゃんは、一緒にソファーで皆の練習見よっか〜」
そんな彼女を見かねて、月日が両手を叩いて声を上げた。
「それじゃ、やるか!」
一の掛け声に合わせ、ミヒロがスティックを叩く。
ドラムとベース、ギターの音色が狭い部屋で響いて、ヒラタイの歌がそこに乗った。
「……感情」
間近でその音を聞いて、マツリの口からそんな言葉が漏れてくる。
昨日ヒラタイに言われた「歌は感情を乗せるもの」という言葉が、頭の中で何度も響いた。
ただの大学サークルバンド。
けれど、その『ただの』が楽しい。そんな感情が、歌に乗って心に響いて来る。
ただただ、歌うのが楽しい。そんな気持ちが、伝わって来る。
「これが……歌」
「心を掴んでおられますなぁ」
目を輝かせるマツリの横顔を見て、月日は満足気に笑った。
ただの大学サークルバンドが、一人でも誰かをこんな顔に出来たのなら大成功だと、彼女はそう思う。
「どうだった?」
「最高でした! 師匠! やっぱり師匠が師匠で正解でした。私、師匠みたいになれるように頑張ります!」
「いやだからね!? そういうスキンシップはね!?」
「……なんなんだ?」
ヒラタイに抱きついて来るマツリを見て、ミヒロはお見舞いの時と同じように首を傾げた。
ずっと感じている違和感。
お見舞いの時から、何かが魚の小骨のように引っかかっている。
「あ、そうだ。皆、片付けと休憩ついでにマツリちゃんの歌を聞いて欲しいんだけど……。どうもねぇ、俺だけじゃなんとも言えなくて」
「えぇ!? 私が歌うんですか!?」
「せっかくだし」
「お、良いぜー。ヒラタイの弟子の歌声聴きたーい」
一がマイクを渡すと、マツリは深呼吸をしてからゆっくりと前を見た。
今さっきまで、楽しそうに歌っていたヒラタイの姿を思い浮かべる。
「──♩」
その声は、少し楽しそうな、明るい声。けれど──
「リズム変じゃね」
「「ミヒローーー!!」」
ミヒロの言う通り、どうもリズムがおかしかった。絶妙に合っていない。ドラムを叩いているミヒロだから、余計に感じたのだろう。
ヒラタイと一がミヒロの口を抑えようとするが、もう遅い。マツリはショックで泣き崩れる。
「私はどうせ音痴なんです……」
「大丈夫。私もね、ミー君にめっちゃ音痴って言われたけど……ベース練習してお歌を歌えるようになったから」
「ミヒロの口が悪い事は何も大丈夫じゃないんだよねー」
「別にめっちゃ音痴とか言ってないだろ。レジ子に関してはリズムという言葉の意味を知らんのかとかしか言ってない」
「その言い方に問題があるんだぜ……」
一旦ミヒロを黙らせた方が良いだろうか。そんな風に思っていると、ミヒロはスティックを持ってマツリの元に向かった。
マツリは「食べないでくださーい!!」と悲鳴を上げる。
「食べる訳ないだろ。……ほら、これ持って、ドラムに向けて。俺が手を叩く感覚でドラム叩いてみろ」
そう言って、ミヒロはマツリをドラムの元に連れて行った。そうして手を叩いて、マツリは言われた通りドラムを叩く。
「こうやって、音楽ってのは一定のリズムがあって……」
「こう……です、かね?」
部室に音が鳴り響いた。
夢を見ているような楽しさと、心の奥に響くような、そんなリズムの音。
端的にいうと、マツリはあり得ないくらいドラムを上手に叩いたのである。ミヒロが口を開いたまま固まるくらいには。
「……俺、クビか?」
「ミー君が居ないと困る……」
「いや、ミヒロをクビにはしないけど……これは、すげぇ。プロだ」
所詮アマチュアの感想だが、マツリの演奏はミヒロとは比べ物にならなかった。それこそ、プロと言っても過言ではない程である。
「昔から……その、鳴物は得意でして。太鼓とかカスタネットとか」
「……なんでそれであんな音痴になるんだ?」
「「ミヒローーー!!!」」
「リズムと歌に何か関係があるんですか!?」
「なるほどだから音痴なんだな」
「「ミヒローーー!!!」」
ミヒロは一に数分間説教をされた。
☆ ☆ ☆
帰り道、夕焼け空の下。
「遅くなっちゃったし、夕飯はコンビニで済ませようかなぁ。マツリちゃん、何か食べたい物とかある?」
「あ、あの……すみません。私お金を持ってないので、気にしないでもらって大丈夫です」
「そんな訳にはいかないよ。流石に、ねぇ?」
「でも、それこそ流石にですよ。昨日お蕎麦も貰ってしまいましたし。……一さんが、ライブの為にお金が居るって。お金は、大事です! 大抵の事はお金があれば解決します!」
「この世界の嫌な現実を叩きつけられて悲しい気持ちになった……」
「す、すみません……」
ヒラタイとマツリは、大学近くの商店街にあるコンビニの前で立ち止まる。
その近くには、先週初めてのライブをしたライブハウスがあって、二人の視線は自然とその施設に向けられた。
「何か、歌が上手くならないといけない理由があるんでしょ?」
「師匠……?」
「どうして俺なのかは分からないけど、マツリちゃんが態々俺を選んでくれたんだから。その気持ちには応えたいんだ。……大丈夫。こう、なんとか頑張るからさ!」
ガッツポーズをしながら、ヒラタイはそう口にする。
マツリは、ライブハウスとヒラタイを見比べて、目を泳がせて固まった。
「嘘でも嬉しかったから」
「嘘じゃ──」
「分かってるよ。……明日はバイトがあるけど、明後日は時間があるからさ。一達を誘ってカラオケに行こう!」
「師匠……?」
きっと、彼は分かっている。
自分が弟子だというのが嘘だという事を。
それでも彼は、自分を受け入れて、協力してくれようとしていた。
初めて会った時から感じている、そんな彼の優しさに付け込んで──
「私は……」
「大丈夫、上手くなるよ。だって……マツリちゃんは歌ってる時、凄く楽しそうだったから」
そう言われて、マツリは頭を上げる。ヒラタイは屈託のない笑顔で笑っていた。
何も疑っていない、そんな表情をしている。
「俺も、歌うの好きで、楽しいからさ。凄いプロになるとか……そういう話じゃなくて。マツリちゃんが憧れてくれた俺も、歌うのが好きだから。きっと、歌うのが好きなマツリちゃんも、上手に歌えるようになる」
「私は……歌うのが好きです」
「うん、見てると分かる」
「私……頑張ります!」
「頑張ろう! よーし、今日はコンビニじゃなくてお寿司食べに行こう! 回る奴だけど!」
「え!? お寿司ですかぁ!?」
──そんな彼の優しさに付け込んで、けれど、彼は分かってくれた。
歌が好きだという事を。
今は、その優しさに甘えたい。
いつか、失望されるのかもしれないのだとしても。