結局バイト先から帰宅したのは11時過ぎだった。
「た、狸め……」
レジ子達の話を聞いて廃棄のゴミ箱を確認すると、案の定大惨事になっていたのである。
SNSで見かける狸のほんわかしたエピソードとは裏腹に、野生動物とは逞しくも恐ろしいのだと気付かされた。
「ただいま〜。ごめんねー、バイトが長引いちゃって」
「師匠! お帰りなさい! お仕事お疲れ様です!」
「なはー、ありがとう」
まるで新婚夫婦の会話だとか思ってしまう。正気を保つ為に、ヒラタイは自分の頬を叩いた。
「師匠……?」
「なんでもないよ。ご飯ちゃんと食べた?」
「はい! 夕方暇だったので、商店街でボランティアをしていたら商店街の人達にお野菜とかお魚をもらってしまいました」
「商店街でボランティアをしていたら商店街の人達にお野菜とかお魚をもらってしまいました???」
突然訳の分からない事を言うマツリ。首を傾げながら台所に向かうと、キャベツやじゃがいも等が幾つか転がっている。
「立派なお野菜と……デカい秋刀魚だ……」
水々しいキャベツに立派な大きさのじゃがいも、そして秋刀魚が二匹。
「師匠にお世話になってばかりなので! 私、お金は稼げませんが……これはほんの気持ちです!」
「いや、貰って良いの……? 本当に……?」
「はい!」
「助かるよ……」
ずっと思っていた事があった。
「……そういえば、マツリちゃん」
「はい、なんでしょう師匠!」
「──今日、俺のバイト先に狸が出たんだよね」
──自分は狸に化かされているんじゃないかって。
「ぇ……」
「ゴミ箱を荒らされて大変だったんだよ。狸も生活が大変なんだねぇ」
そもそも狸に化かされていたという事にした方が、色々な事に納得がいく。
なんの取り柄もない自分を師匠なんて呼んで慕ってくれて、仕事から帰ったら女の子が家にいて食材まで持ち帰ってくれるなんて話、化かされているに違いない。
「た、狸は……そうで、すね。良くない狸だと思います」
「うん。良くない。それに、見付かったら保健所に連れていかれちゃうかもだし。あ、マツリちゃん」
「は、はい……」
「明日はカラオケ楽しみだね」
──でも、別に良い。
「え、あ……はい?」
「ちなみに俺は狸好きだよ〜。可愛いし。良くSNSで狸のお話とか見てる」
騙されていても、別に良い。
もし何かの間違いで彼女が狸だったりしても、きっと彼女は悪気があってやっている訳じゃない。何か理由があるのなら、自分は騙されていても良かった。
けれど、それがもし悪い事で、彼女が罪に問われる事になるのなら、辞めさせなきゃいけない気がする。
自分は非力で、彼女の助けになる事は難しいかもしれない。
だから、今は師匠として、彼女の歌が上手くなるように力を尽くそうと思った。
☆ ☆ ☆
この国では秋になると、なんとかの秋とか言って何かを楽しもうとする。夏の暑さから解放されて、何かをするには程良い季節だからだろうか。
「久しぶりに秋刀魚食べたよー。美味しかったね」
「師匠は料理もお上手ですよね!」
「ミヒロには劣るけどねー」
秋刀魚を筆頭に秋が旬な食べ物を食べる為に食欲の秋と言ったり、読書の秋と言って本を売ろうとしたり。
「よっしゃ揃ったな! カラオケの秋だぜー!」
このように何かの動機にしたりと、今では便利な言葉として使われているのだ。なんでもありである。
「年柄年中行ってるだろ」
「一君カラオケ好きだよね〜」
「一は頭の中がずっと春なのにねー」
「今凄い罵倒された気がするけど気にしないぜ!」
「春だねー」
一行は商店街のカラオケに集まっていた。メンバーはミヒロにレジ子、一と月日、そしてヒラタイとマツリである。
「ところで師匠、カラオケって何をする場所なんですか? ライブハウスに雰囲気が似てる気がしますけど」
「カラオケをご存知でない???」
「多分歌を歌う場所だと思うのですが!」
「あ、うん。正解。正解だけども」
彼女はカラオケを知らないらしい。そんな訳がないだろうと思ったが、この野生児みたいな変な発言にも慣れて来た。
「あ、珍しい。スープバーあるじゃん。レジ子ー、マツリちゃん、オニオンスープ飲めるよ〜」
「玉ねぎいらない……」
「もー、好き嫌いして。マツリちゃんは?」
「玉ねぎは……ちょっと私も苦手です」
「あらま」
オニオンスープを注ぎながら、月日はドリンクバーにも目を向ける。コーヒーに炭酸ジュースから野菜ジュースまで様々なレパートリー溢れる普通のドリンクバーだ。
「ドリンクバーで特製スペシャルジュースを作ります」
「今日のレジ子スペシャルの犠牲者は誰だー?」
「カラオケで一番点が低かった奴」
「やべぇ、どれが点出たっけなぁ……!」
ドリンクバーに群がるレジ子達の後ろで、マツリは「凄い……無限にジュースが出て来ますね」と驚く。
「ほら皆行くよ〜」
まるでドリンクバーを知らないかのような彼女の手を引いて、月日は自分達が取った部屋に向かった。
六人だと少し狭く感じる、四角い部屋。
そんな部屋に押し込まれて、マツリは唖然とする。
「こ、ここで歌うんですか……?」
「カラオケ来た事ないの?」
「は、恥ずかしながら。……こんな狭い所で歌うんですね」
「それが良いっていうか……音が響くっていうかさ! ほら、せっかくだからマツリちゃんから歌ったらどうだ?」
そう言って、一はマツリにマイクとデンモクを渡した。
マツリは助けを乞うようにヒラタイに視線を向ける。どうやらデンモクすら知らないらしい。
ヒラタイがマツリに聞きながらデンモクに曲を入れ、イントロが流れ始めた。
ちょっと古めの青春ソング。狭い部屋で曲が響いて、マツリは驚いた顔で首を左右に振る。
歌詞を歌った。
音が響いて、反響して、全身の毛が逆立つような強い衝撃を感じる。
狭い部屋で響いた音楽が、彼女の耳を震わせた。
「──♩」
目が輝いて、楽しいという感情が溢れてくる。
そうしたら後は一瞬だ。音が、波が、感情が、狭苦しく感じたその空間を広げていく。
「楽しい……!」
歌い終わって暫く、マツリは目を輝かせて固まっていた。言葉にしなくても、彼女が楽しんでいたというのは誰でも分かっただろう。ただ──
「──68点か。レジ子、オニオンスープ苦手らしいからスープは入れるなよ」
──結構音痴だった。
「点数……! 点数出るんですか……!! 68点って、どのくらいなんですか!?」
「えーとまぁ……平均は83点とかそのくらいかな」
ヒラタイの言葉を聞いてマツリは口を開けたまま固まる。続いて一が歌うが、85点と高得点。
どれだけ自分が音痴なのか分かってしまった。頭を抱えたくなる。
「リズムと音程というのがあってね」
次に月日が歌い始めた所で、ヒラタイがマツリに話しかけた。その指は、カラオケのモニターに向けられている。
採点を入れると表示される音程バー。
月日が歌を歌うと、そのバーがちょうど光ったり、時折ズレた場所が光ったり。
「光ってるのが自分が出した声の音程。これが灰色のバーに重なってれば音程が合っているって分かるんだよね。後は、リズムもバーを見ていた方が分かりやすいかな」
「な、なるほど……」
「採点とか、俺も初めは落ち込む事あったけど。これを意識しながらやって点数上がっていくと嬉しいし。ゲーム感覚で楽しもう!」
「はい! 師匠! 私頑張ります!」
「その前に」
「はい、スペシャルジュースです」
気合いを入れたマツリの背後から、ミヒロとレジ子がとんでもない色をした飲み物が入ったコップを持ってきた。
何が混じっているのか、何故かコップの底が虹色に光っている。
「これが……カラオケ!」
マツリは学生特有のカラオケでの謎のノリに巻き込まれるので合った。