深夜の商店街。
ラーメン屋だけが空いていて、人通りは全くないこの時間。
商店街の入り口にあるラーメン屋の前で、商店街の新しいシンボルモニュメントとして着工されている噴水がある。
数ヶ月続いていた工事中の看板に、完成予定日が追加されているのを一瞥してから、前野は振り向いて口を開いた。
「昼には詳しい事を連絡するつもりだ」
そう言って、彼は店の前で一達と別方向に歩き始める。
店の中で声を上げてからずっと無言だったマツリが、彼の背中を強く睨んでいる気がして、ヒラタイはどうしたら良いのか分からず、あたふたしていた。
「めちゃくちゃに凄く狸が好きなのかな……。確かにそんな感じするけど」
「太地……お前、バカなのか」
「突然ミヒロが罵倒してきた!!」
「狸なんだろ」
「いや……」
唐突にミヒロの口から漏れたそんな言葉に、ヒラタイは口を閉ざす。
「あれ……狸」
ふと、レジ子がそう言った。
彼女が指差す先。
夜の商店街の角で光る、獣の瞳。
何匹かの狸が、前野に向かって走ってくる光景がヒラタイ達の目に映る。
「前野さん!!」
一が声を上げた次の瞬間、三匹の狸は一斉に前野の前に飛び出て──お腹を叩いて鳴らし始めた。
「なんだそれ!?」
しかも、かなりリズムが良い。
「……何度も言っているだろう。君達の音楽は、人間には響かない」
しかし、前野は驚くこともなく狸達を無視して歩き出す。
何度か近寄って腹を叩き、それでも前野に無視された狸達は、三匹で意を決したように彼に飛び掛かり──前野が噴射したスプレーによってひっくり返った。
「やっと直接俺を狙ってきたか……」
前野はまるで分かっていたかのような態度で、懐から縄を取り出して足元でひっくり返っていた狸を一匹縛ろうとする。
「え、すご……」
一はただ唖然とした。まるでプロのハンターである。漫画のワンシーンのようでもあった。
「イクゾウさん……!」
「はい? イクゾウさん……?」
唐突に、マツリが悲鳴のような声を出す。前野の行動に夢中になっていたヒラタイは、マツリに視線を戻そうとするが──
「──あれ? マツリちゃん?」
──マツリはそこには居なかった。
「カエセ」
そして、ふと頭上から聞こえてくる、おどろおどろしい声。
全員が視線を上げる。
そこに居たのは、電柱よりも背が高い、巨大な骸骨だった。
「が、がしゃどくろぉ!?」
がしゃどくろという妖怪の伝承が日本にはある。
それは、死者達の骸骨や怨念が集まって出来た巨大な骸骨の姿の妖怪だ。
夜な夜な彷徨い歩いては、生者を握りつぶして食べると言われている。
ツチノコや山の神様、ユニコーンにも会ってきた。
しかしコレはそういう人畜無害の存在ではなく、ユニコーンに出会った時に襲ってきた悪霊と同じ──危険な存在。
何故、そんな物が突然。
唖然とするしかない。
「ハナセ、ミンナヲ……!」
がしゃどくろは、その巨大な骨の剛腕を前野に叩きつけようとする。
悲惨な光景が目に映る──そう思った次の瞬間。
「おい止まれ!! でないとこの狸を縊り殺す!!」
ミヒロが、がしゃどくろの前に立って、地面に転がっていた狸を持ち上げてそう言った。
「ミー君……!?」
「何してんのミヒロ!?」
「……マツリなんだろ、お前」
狸を持ち上げたまま、ミヒロはがしゃどくろを睨んで問い掛ける。
がしゃどくろはガタガタと震えて、固まってしまった。
「マツリ……ちゃん?」
ミヒロの発言に、ヒラタイは目を丸くする。どういう事なのか、全く分からない。
「なんだ、気が付いていたのか。とりあえず、助けてくれた事には礼を言った方が良いかな?」
「あんたを助ける為にやった訳じゃない」
そう言って、ミヒロは前野から狸を掻っ攫った。もう一匹の狸も持ち上げて、がしゃどくろの前に歩いていく。
ミヒロが連れてきた狸を放り投げると、合計四匹の狸が抱き合って泣き始める。なんとも微笑ましい光景に見えた。
「狸可愛い……!」
「うーん、そうだね〜。……ミヒロ、これどういう事?」
「だから、狸なんだって、太地の弟子は。……そうだろ?」
ミヒロが月日の質問に答えて狸の一匹に視線を向けると、その狸は申し訳なさそうに立ち上がり、茶髪の少女──マツリ──へと姿が変わる。
「マツリちゃん……」
「師匠……ごめんなさい。全部……嘘なんです」
少しの間、時間が止まった。
静かな夜の商店街で、彼女は頭を下げて固まっている。
「……知ってたよ。嘘なのは」
ただ、ヒラタイの口から漏れた言葉に、マツリは驚いて顔を上げた。ヒラタイはというと、恥ずかしそうに頭を掻いている。
「まさかとは思っていたけどね。……俺に弟子がいる訳ないし、俺なんかの弟子になったところで──」
「それは……!」
「でも、悪い子じゃないとは思ったから。何か理由があって、それなら……騙されても良いかなって。……
「呆れたな……」
ヒラタイの言葉を聞いて、ミヒロは溜め息を吐いた。お人好しもここまでくるとタダのバカだろう。
ただ、ヒラタイの中でいくつか合点がいく事があるにはあった。
入院していた時に最初に見舞いに来たレジ子。アレはマツリが変身した姿だったのだろう。
彼女はあのライブを見ていて、レジ子のライブだけの発言を聞いて、自分が弟子であると信じさせる為に「従兄弟」だと言っていたレジ子に化けた。
「あ、でもスーパーのゴミ漁るのはやめて欲しいかも」
「それは私じゃなくて……クロさんですね」
「違うんかい!!」
背後の狸に手を向けるマツリを見て、ヒラタイはすっ転ぶ。逆にそうじゃないなら、マツリの事を狸だとは疑ってすら居なかった自分が恥ずかしい。
「で、その狸達をどうするつもりだ」
ヒラタイ達の元に歩いてくる前野。
無意識に、ヒラタイはマツリの前に立って手を広げていた。
「師匠……」
「マツリちゃんは俺の弟子だから。手は出させない」
「狸と知ってその態度とは。まぁ、狸は可愛いしな……分かるよ。一応言っておくが、狸を触ったら手をちゃんと洗った方が良い」
「この人根本的には良い人じゃん」
月日はそう言うが、前野は何故かラスボスのような雰囲気でゆっくりと近付いてくる。狸達は固まって震えていた。
「事情を話そうか」
そして、彼等の前まで来て、前野は口を開く。
「以前言った通り、俺の箱は狸の巣になっていた潰れたライブハウスだ。俺が買い取って、今の形になった。元居た狸は追い払った訳だが……その追い払った狸達の一部がそこの化け狸と三匹という事になる」
「その狸が、自分達の棲家を取り返す為にあんたに喧嘩を売ってるって事か」
「そういう事だ。初めは面白くて放っておいたんだが……怪我人が出たりしたら、話は別だろう。いくら見た目が可愛くても、人にとって害があるならそれは害獣だ」
正論だった。
彼はただ、人間社会のルール通りに、人の社会を守る為に狸を駆除しようとしている。
それを邪魔しようとするのは、ただのエゴでしかない。
「良い機会だ、化け狸君。君達の気持ちを聞かせてくれ。……確かに俺は、君達から棲家を奪った恨むべき存在だろう。ただ、君達は家賃を払っていた訳ではない」
「どうしようミヒロ。私マツリちゃんの味方をしたいけど、この人正論しか言わない」
「困ったな。手を出した狸側が全面的に悪い」
「二人ともこっちの味方だよね!?」
「私は……私達は、音楽が好きでした」
マツリが口を開いて、月日達は黙ってそれを聞く事にした。
確かに前野は正しい事しか言っていない。
けれど、大切な友達が弟子と
「あなたが来る前から、私達は……あの場所で音楽を楽しんでいた。……私は、狸の中で偶に生まれる、化け狸です。人に化けられるから、偶に人に混じって、人の事を勉強します。……だから、私達が人間の皆さんにとって邪魔な事は……分かってるんです」
けれど、──マツリはそう口を開く。
それは、とある狸の正直な気持ちだった。