薄い朝靄のなか、甲板に立つシェアトは、灰色の海を見つめていた。
風は強くなかったが、潮の匂いが鼻を刺す。
彼女のすぐ横には、黒いコートのフードを被ったルーカスがいた。
「……この海の向こうにあるんだね。ホグワーツは」
ルーカスの言葉に、シェアトは無言で頷いた。
ここまで来ても、どこか現実味がなかった。
長い歴史と偏見に満ちた魔法の学び舎。
そこに、アメリカの純血として足を踏み入れることの重さが、ようやく胸に落ち始めていた。
だが、迷いはない。あの男――ダンブルドアに言葉を投げつけた時から、彼女の進む道はもう、定まっている。
波が砕ける音を背に、二人は静かに甲板を後にした。
ロンドンに入る頃には、朝日が街全体を包んでいた。
二人は一度、小さな宿に立ち寄り、ホグワーツへの最終準備を整えた。
「そういえば、ハリー・ポッターもシェアトと一緒に今年、ホグワーツに入学するらしいよ」
「ハリー・ポッター……?エイブラハム・ポッターの子孫?親戚?」
「まぁ、確かに同じポッターで血は繋がっているかも知れないけれど。ハリー・ポッターは例のあの人を倒して、生き残ったらしい」
ハリー・ポッターという人物が初耳のシェアトは、信じられないといった表情になった。
その表情に軽く笑いながら、ルーカスは続ける。
「噂によると、死の呪いを跳ね返したっぽい」
「え!?死の呪いを!?どんな呪文を使ったの?」
「僕はハリー・ポッターじゃない。本人に聞いてみればいいじゃん」
そんな会話をしながら、宿を出た。
朝日が差し込むロンドンの空の下、シェアトは黒いトランクを引きながら、ルーカスとともにキングズ・クロス駅の外れに立っていた。
時刻は午前十時を少し過ぎた頃。周囲には人の波。だが魔法使いである彼らの歩みは、9と3/4番線という"境界"に向けてまっすぐだった。
「本当に行くんだね、シェアト」
ルーカスがそう呟いた。黒いコートの襟を片手で押さえながら、彼はまっすぐシェアトの目を見た。
「うん。もう決まったことだよ」
即答する彼女の声音は冷静で揺らぎがない。
それでも、ルーカスの目には、その奥に隠された戸惑いの影がわずかに見えていた。
「心配なんだ。あんな会合のあとで、君がひとりホグワーツに行くのがさ」
「ひとりじゃないよ。寮で仲間も出来るだろうし、なにより……」
彼女は一瞬言葉を止め、トランクの取っ手をぎゅっと握り直す。
「——私には、目的があるから」
ルーカスはそれ以上、何も言わなかった。ただ無言のまま、ポケットから何かを取り出し、シェアトに差し出した。
それは、灰色の石に魔法陣が刻まれた護符だった。
「これは……?」
「特注の連絡用の石だよ。非常用のポートキーにもなる。何かあったら、迷わず使って」
「……ありがとう、ルーカス」
小さく、だが確かに笑みを浮かべて、シェアトはそれを受け取った。
彼女は一歩、壁に向かって進み——そして迷いなく、9と10番線の柱へ駆け出した。瞬間、姿が霧のように消える。
残されたルーカスは、柱をじっと見つめたまま、深く呼吸を吐いた。
「……気をつけて、シェアト」
その声は、彼女には届かない。
蒸気が立ちこめる9と3/4番線。赤く輝くホグワーツ特急の車体は、まるで魔法の象徴のように誇らしげに線路上に鎮座していた。
大きなトランクを引きながら、シェアトはゆっくりと車両へと歩を進めた。
車両の前面には、金色で「HOGWARTS EXPRESS」の文字。その下を、家族連れの生徒たちが笑いながら通り過ぎていく。
そんな中に一人、誰とも会話をしていない少女がいた。
シェアト・スペイシャル。
黒いコートの下に、仕立ての良い制服。左手には、ヴァイオレッタから授かったばかりの杖——ブラックウォールナットとルージュウルフの毛から成る、深紫の艶が、ほの暗い異質さを宿しているその杖は、彼女の来歴を無言で物語っているようだった。
彼女は空席を見つけて静かに座ると、窓の外をじっと見つめた。
汽笛が鳴る。
高らかに、どこか懐かしくもあり、不安を吹き飛ばすような音。
そして列車がゆっくりと動き出す。
窓の外、向こうに、ルーカスの姿が見えた。
彼は口を動かした——声は聞こえなかったが、確かに「またね」と言っていた。
シェアトは、軽く片手を上げて応えた。
ホグワーツへの旅が始まった。
魔法と過去と、そして自分の宿命を見つめるための、第一歩が。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
登場人物設定を挟んでからホグワーツ編に入っていきます。
◇登場設定解説
・ エイブラハム・ポッター
MACUSAの初代闇祓い12人の内の一人。
アメリカの魔法使いであるが、ハリー・ポッターの遠い親戚であることが確認されている。
高齢になる前に亡くなっており、おそらく任務中に殉職したと思われる。
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