働かざる者食うべからず。
その慣用句に従い、ナノハは喫茶店で手伝いをしていた。
今日は午前中だけの手伝いであり、午後は入れ替わりで晶と交代する予定だ。
時計の針が正午を指す。
「じゃあお先に」
「おつかれー」
着替えを済まして店から出る。
その帰り道。
冷気がナノハを撫で上げていく。
氷の女王からのお招きだった。
「学校はいいのか?」
「飛んで戻ればすぐだよ」
現在、昼時である。
すずかは午前の授業が終わったタイミングでここまで飛んできていた。
「少し、いいかな」
話し合いにしろ、武力衝突にしろ、いずれにしても何かしらの決着は必要だった。
「いいよ」
話し合いであれば望むところである。
すずかの後に付いていき、とある公園に到着する。
「元気そうで良かった」
「ああ、かなり良くしてもらってるからな」
自販機で飲み物を買い、すずかに渡す。
空いているベンチを探し、二人揃って腰を掛けた。
「わたし、なのはちゃんに謝るように言われたんだ」
「こっちに連れてきたことか?」
小さく頷く。
「でもわたしは謝らない」
平坦な口調。
それゆえに、言葉には一切の揺らぎがなかった。
「謝るくらいなら、最初からこんなことはしない。なのは君のこと、諦めることはできない。絶対にわたしのものにする。その意思は変わらないから」
「そっか」
缶ジュースの蓋を開ける。
一口飲み、喉を潤す。
「ちょっと安心したかな」
冷静だったすずかが目を丸くする。
ナノハの返答がかなり意外だったらしい。
「もし謝られたら、あまりいい感情は持てなかったかもしれない。でも、決めたことを貫き通すって言うなら俺は正面から向き合うよ」
すずかの言う通り、謝るくらいなら最初から連れてくるなという話である。
他人の意思を無視し、己の意思を貫き通す。通すことを決めたなら途中で折れることは許されない。何がなんでもやり通すべきである。
過去、ナノハがそうしたように。
「やっぱりかっこいいね。なのは君は」
「茶化すなよ」
「本心だよ?」
悪い気はしなかった。
少しばかり照れた様子を見せる。
「わたしはなのは君が欲しい。ずっと隣にいて欲しい」
「俺は俺の世界に帰る。だからその願いには応えられない」
正直なところ、すずかの想いは嬉しい。
月村すずかに好意を向けられて嬉しくない男はいないだろう。
けれども、受け入れることはできない。
無理やり連れて来られて怒っているから、という理由ではない。
そもそもナノハは怒ってなどいない。今回のすずかの行動だが、ナノハは強く非難するつもりはなかった。
ナノハ自身も同じような決断をしたことがある。だから一方的に責める権利はないと考えていた。
また、これ以外にも理由があった。
(世界の巻き戻しをしなかったら、月村に転移は起こらなかった)
ジュエルシードが以前とは違う動きをしている。おそらくだが、そのせいですずかが異世界転移に巻き込まれることとなってしまった。
推測の域は出ない。が、完全に否定する材料もない。
全てナノハのせいとは言えないが、原因の一端を担っていると言っても間違いではなかった。
だからこそ、すずかを強く責めることはできない。
なので異世界転移というすずかと同じ目に遭うことに関しては、甘んじて受け入れるべきだと考えていた。
「お互いに譲れないってわけだな」
「そうみたいだね」
「ならケリを着けよう。いつまでも話がつかないんじゃ、お互いにとってよくないしな」
「うん」
互いの思いは確認した。
これ以上議論の余地はない。
もう、やるべきことは一つだった。
「なのは君」
負けたなら言うことは聞くつもりである。
そうして腹をくくったナノハだったが、その覚悟は不要のものとなってしまった。
「チャンスをくれない?」
「え?」
空気が抜けていく。
そう表現するに値する反応だった。
「なのは君はわたしのこと好き?」
「そりゃ、友達としてなら」
「それ以上の感情を抱けるようにチャンスが欲しいの」
すずかに戦闘の意思はない。
以前なら力でねじ伏せにきただろうが今回は違う。
時間を置いたため、すずかも色々と考えていた。
戦って勝利するだけが手段ではない。ナノハを振り向かせるためにより良い方法を選択することも視野に入れていた。
「一緒に遊んだり、お出かけしたり、もっと仲良くなりたいんだ」
「……まあ、そうだな。戦うよりかはそっちのほうが良いか。けど、特別に女の子として扱うってのはよくわからないし、普通に友達と接する感じになるけど、それでいいか?」
「もちろん」
少女らしい笑顔だった。
普通の少年少女として接していたら、ナノハであってもこの笑顔に惹かれていただろう。
だがナノハはすずかの昏い笑顔を知っている。
アレを知っているため、残念なことにトキメキは無効化されていた。
「じゃあさ」
恐怖を思い出し違う意味でドキドキしていたところ、早速のお誘いを受けることとなった。
「明日家に来てくれる?」
紅茶が運ばれてくる。
メイドが丁寧にお辞儀をして、すずかの後ろへと控えた。
「こんにちは」
テーブルの横に女性が一人来る。
すずかの姉である忍だ。
「お邪魔してます」
「姉の忍です。よろしくね」
「高町なのはです」
その名を聞いても驚く様子はなかった。
「話は聞いてるわ」
諸々の事情は伝わっているらしい。
「魔法のこと、違う世界から来たこと、そしてあなたのことも」
「そうですか」
紅茶を一口。
音を立てずに飲む。
意外にも所作はマナーに則ったものだった。マナーはアリサに教えられたものである。
こんなお上品なことを知っていても仕方ないと思っていたが、どこで活きるか世の中わからないものである。
カップから口を離したところで、視線を向けられていることに気付く。
視線の元は忍だった。
あまり良い言い方ではないが、品定めをしているような目をしていた。
「聞いてもいいかしら」
「どうぞ」
一度ティーカップをテーブルに戻す。
「なのは君はどうしてすずかを……私たちを拒絶しないの?」
私たち、というのは良くわからなかった。
疑問は置いておき、ひとまず質問に答えておくことにする。
「理由は特にないと思います」
「人として理外の存在だとしても?」
「それは理由にはならないですね」
次元世界には色々な人がいる。人以外の存在だって見たことがある。
拒絶するか否かに関して、ナノハの知見からすれば重要ではなかった。
それに人であってもとんでもない存在はいる。
ジェイル・スカリエッティがいい例である。あのトンデモマッドサイエンティスト以上にヤバいのがいたら教えてほしいくらいだった。
「そう」
もう品定めはしていなかった。
忍はナノハの言葉に嘘はないと感じていた。
「不束な妹ですが、よろしくお願いします」
改まった態度で頭を下げる。
後ろのメイドも同じようにお辞儀をしていた。
「まだ気が早いよ」
「あら、そうなの?」
「一族のことはこれから話すつもり」
「……そう」
それから姉妹が一言二言交わし、忍はこの場を後にした。
すずかがナノハに向き直る。
「何も聞かないの?」
「デリケートな話っぽいからな。根掘り葉掘りなんてマネできないだろ」
気になるから質問をする。
これは誰にでもできる。
気になるからこそ口を閉ざす。
これが出来るようになるには人生経験が必要だった。
世の中、興味をそそられる情報ほど大きいリスクを孕んでいるものである。
「ちょっと意外かも」
「そりゃ悪かったな」
「悪いなんてことはないよ。またなのは君の一面が知れたことだしね。でも、良く言えば人に気を遣わない性格だなとは思ってたから」
「ふーん。悪く言うと?」
「ガサツな人かな」
「容赦ねぇな」
「ふふっ」
雑談もそこそこに。
すずかは一族のことについて話し始めた。
ある程度事情が伝えられ、おおよそのことについて理解する。
「わたしは、普通の人とは違うんだ」
身体能力が高かったり、人より寿命が長かったり。
夜の一族にはそういった特徴があった。
「それとね。生きていくには異性の血が必要なの」
吸血鬼。
形容するにはその言葉がピッタリだった。
「たまに飲ませてくれると嬉しいな」
「ま、まあ、必要なら、いいけどよ」
動揺が隠しきれていなかった。
そしてナノハの中である推測が立っていた。
(あれ? もしかして兄ちゃんって忍さんに血を吸われてたりするのか?)
恭也は忍とお付き合いをしている。
夜の一族についても知っていておかしくはない。
忍の歯が、恭也の首筋に突き立てられる。
そこから色々とあれやこれやとなっていく。
ナノハの頭の中で、あらぬ想像が掻き立てられていた。
「わたしの話はこれでおしまい」
ハッと現実に引き戻される。
「聞きたいことある?」
息を吸い込み、意識を話し合いに戻す。
「どうして、一族のことを話したんだ」
「そういう決まりなの。それに一生を共にする相手なら話すの当然だよ」
「なるほど……いやまだ一生を、なんてのは決まったことじゃないけどな」
「わたしの中ではもう決まったことだよ」
どこまでもブレることのないすずかだった。
「少しイジワルなこと聞いても?」
「いいよ」
ここからの問答は少し勇気がいる。
自分を棚に上げる必要があるし、意地悪と言われても仕方がないからだ。
「月村は、俺のことが好きなんだよな」
「うん」
「何が何でも手に入れたい」
「そうだよ」
「それによって俺の家族が悲しい思いをすることになってもか?」
返答が止まる。
すずかは覚悟を決めている。
だからと言って申し訳ないという気持ちがないわけではなかった。
「月村の思いは知ってる。手段はどうあれ、決めたことを貫き通そうとする意思があるってことも。その有り様は好きだし、ダメなことだって責めるつもりもない」
声が震える。
今のナノハはまるで懺悔をしているかのだった。
「それは、家族同士を引き裂いてまで、やることなのか」
すずかだけに言っているのではない。
これは自分自身に対してもだった。
目を逸らしていた。言葉にしないようにしていた。
何億、何兆という数の家族を引き裂いた。
数えきれないほどの思い出をなかったことにした。
本当に、それらを犠牲にしてまでやるべきことだったのか。
それらは未だナノハの中で答えが出ていなかった。
「それでも…………それでも俺なんかを手に入れようとするのか」
「そうだよ」
いつの間にか下を向いていた。
けど、すずかの迷いのない返事を聞いて自然と顔が上がる。
「なのは君が家族と会えなくなっても、なのは君の家族が悲しむことになっても、わたしはなのは君を手に入れる」
どうしてそこまで、なんて聞く必要はなかった。
答えはずっと前からすずかから発せられている。その想いの強さはすずかの目が証明していた。
吸い込まれそうなほどの暗闇。
想いはどこまでも暗く、何者にも染めることのできない闇があった。
道徳や倫理、そういった白い絵の具で染めようとしても、すべて黒く塗り替えされるだけだった。
「ごめんねは言わない。でも、これだけは誓って言うね」
愛には常に狂気が含まれている。
しかし、すずかにとって愛と狂気は同義だった。
「なのは君を愛し続ける。誰よりも愛して、死ぬその時まで愛し続けるよ」
真っすぐで、それでいてどこまでも狂気に満ちていた。
これがただ綺麗で光り輝くような言葉であれば、ナノハがここまで聞き入ることはなかっただろう。
ただ眩しいだけなら、それはきっと相容れることのない想いだったからだ。
過去、ナノハは選択を迫られたことがあった。
どちらを選択しても片方の世界は消える。常人であれば精神がおかしくなるほどの選択肢だ。
だがナノハは選択した。
世界を元に戻すため、自らがいた世界を消す決断をした。
それが本来の世界の人たちからして正しい答えだからである。
その一方、ナノハと一緒に生きた世界は消えた。
人の歩み、誰かを愛したという感情。
それらをすべて消し去ってでも、自らの意思を通すことにした。
世界を元の状態に戻し、人々の思いや歴史を消し去った。
それが心のままに動いた結果である。
自分の意思で選択はした。
けれど、正しい選択だったのかは今でも迷っていた。
答えはない。
誰も持ってなどいない。
だからこそ自分で見つけるしかなかった。
そして、迷い続けていたナノハだったが、すずかの想いを通してある一つの答えに辿り着こうとしていた。
誰かのために正しくある必要はない。
自分の正しさを信じて行動する。
心のままに行動したのなら、それがナノハにとっての答えなのである。
あのときの選択は正しかった。
そう信じられるほどにすずかの行動は真っすぐだった。
もう迷う必要はなかった。
月村すずかの言葉と行動が、ナノハの迷いを打ち消していた。
答えを得る。
ナノハの心が、すずかによって軽くなる。
(月村なら、もしかして)
ナノハと同じく、すずかも意思を貫いた。
何かを切り捨て、犠牲にしてでも決めたことをやり通そうとしている。
ナノハを愛し続ける。
その真っすぐで純粋な答えに、ナノハの心は救われていた。
(月村なら、俺のことを受け入れてくれるのかもな)
現状、真の意味でナノハの隣に立てるのはジェイルとアリシアだけである。
すべてを知った上で二人はナノハを受け入れてくれていた。
すずかもきっと、ナノハのしたことを理解し、受け入れてくれる。
話を聞いて上っ面だけを理解したような関係ではない。
心から理解し、互いに寄り添える関係となれそうだった。
そうなれば、すずかはナノハの本当の理解者として隣に立つことができる。
かけがいのない、家族とも言えるような関係になれるかもしれなかった。
「他に聞きたいことはある?」
もう聞くことはなかった。
ただ、すずかとはもう少し一緒に話をしてみたい。
そう、思い始めていた。
「……猫」
「猫?」
テーブルの上に猫が上がってくる。
手を伸ばし、ひと撫でする。
「たまに触りに来ていいかな?」
それはすずかに対しての歩み寄りの一歩だった。
「もちろん」
その後は他愛もない会話が続き、ただただゆっくりな時間が流れていた。