朝食後、全員分の食器を洗う。
全ての皿を拭き終わったタイミングでチャイムが鳴った。
ナノハがドアに向かう。
養ってもらっているため、雑用でも何でも率先してやっていた。
「あ」
ドアを開ける。
開けた先にはフェイトがいた。
「よ」
軽く挨拶をする。
「こ、こんにちは」
たどたどしい挨拶が返ってくる。
まだ会って二回目だ。フェイトの対応が普通である。
逆にナノハの態度が馴れ馴れしいとも言えた。
(わかってはいるんだけど……どうにもいつもみたいに対応しちゃうな)
今は他人、今は他人、と頭の中で反芻する。
「お邪魔します」
フェイトが家に上がる。
来ることは知っていた。
高町なのはとフェイト、二人の魔法少女は本日トレーニングをする約束をしていた。
「フェイトちゃん!」
「なのは」
姉がお出迎えに現れる。
「ごめんね、すぐ準備してくるから」
タタタっと部屋に向かう。
この場に残されるナノハとフェイト。
何とも言えない空気が流れていた。
「元気に、してるの?」
「ああ、おかげさまでな」
再び静寂が訪れる。
気まずくなり立ち去ろうとする。
「お待たせ!」
なのはが戻ってくる。
それと同時に恭也が顔を出した。
「なのは」
二人のなのはが恭也を見る。
「すまない。用があるのはこっちだ」
少年のナノハを見る。
「呼び方変えたら?」
美由希から助言が出る。
「そうだな……ナノ、と呼んでもいいか?」
より一層女の子みたいな名前となる。
絶対に嫌だ。なんて言える立場でもない。
衣食住の面倒を見てもらっている。甘んじて受け入れるべきだ。
「はい……」
消え入りそうな声であった。
「それでだ」
意気消沈の弟のことは露知らず、すぐさま本題へと移る。
「これから一汗流さないか?」
道場へのお誘いだった。
特に断る理由もないので了承する。
「あの」
振り向く。
声の主は意外な人物だった。
「見学、してもいいですか?」
フェイトが顔の高さでちょこっと手を上げていた。
声には遠慮があった。
だが、それとは裏腹に目には強い意思が宿っていた。
こちらに関しても断る理由もない。
恭也が承諾し、この場にいる全員で道場へと移動した。
恭也が木刀を振るう。
ナノハと美由希が同じ動作をする。
何度か繰り返し、いつしか動きは完全に重なっていた。
風切り音が一つになり、フェイトたちの耳へと届いていく。
「そろそろ温まってきた頃だろ」
ウォーミングアップが終わる。
これより、恭也とナノハの試合が開始されるところだった。
「開始の合図はいらないな?」
「うん」
美由希が離れ、フェイトたちの横に付く。
青年と少年が向かい合う。
恭也の申し出により、今回はなるべく実戦に近い形での試合を行う、という話になっていた。
恭也が構える。
基本的な構えであり、どのような動きにも対応できる構えだった。
対してナノハは両腕を下げ、剣先が下を向いている状態となっていた。
隙だらけである。
もしそう思ったのなら死は確実だろう。
もちろん恭也に油断はない。
小さい子どもだからといって、ナノハの殺気に気付かないほど間抜けではない。
兄に隙は存在しない。
(やっぱ、強いな)
当たり前だが恭也は強敵だった。
一本取るには相当骨が折れそうである。
微塵も隙はない。ならば、隙ができるように動くまでである。
試合から死合いへ。
打ち込むイメージ、ではなく斬り殺すイメージを浮かべる。
イメージを現実のものとするべく、脳から指令が発せられ、信号が指先へと伝達される。
ピクリとナノハの指が動く。
(左からの一文字斬り)
放たれた殺気から動きを察知する。
反応したことにより、恭也の重心がわずかにズレていた。
間合いが詰まっていた。
恭也の予測していた反対側から斬撃が襲い掛かる。
瞬間、ナノハの木刀が砕け散っていた。
カラン、コロン、と折れた部分が床に転がっていく。
試合が一時中断される。
ナノハが飛んで行った木刀のとこまで行き、静かに拾い上げた。
「……こ、殺す気か?」
「こちらのセリフだ」
恭也は見誤っていた。
ここまでとは思っていなかった。
あまりにも実力が高すぎた。
自分より上、もしくはさらなる高みにいるかもしれない。
そう思わせてくるほどだった。
木刀を破壊したのは咄嗟だった。
もし受けに回っていた場合、その次の動きに付いていけるか不明だった。
だから初手で制した。
何としても兄の威厳を守るために。
「いや、申し訳ない。実戦形式と言ったのは俺だ。殺す気で来るのは当たり前だし、ナノはそれに応えてくれた。責めるのはお門違いだな」
非を認めて謝罪する。
相変わらずの誠実さだった。
「もう一戦頼めるか?」
「いいよ」
折れた木刀を美由希に預ける。
散った破片も回収し、それから試合を再開した。
勝敗は一勝一敗である。
一戦目は恭也に軍配が上がった。
ナノハ自身、熟練された御神流を体験したのは初めてだった。
感心している場合ではないのだが、自らの技とはキレに違いがあり過ぎた。
知っている技だが、知らない技と思えるほどである。
初見で完全に見切るのは難しく、攻防の末に喉元へ切っ先を突きつけられてしまった。
恭也は見事、兄の威厳を保つことに成功していた。
だが二戦目ともなれば同じようにはいかなかった。
御神流だけでなく、ナノハは独自の剣技も使用していた。
時には暴力性を見せ、荒々しい剣技かと思いきや、洗練された一閃も飛ばしてくる。
その二面性に翻弄されてしまい、結果ナノハの勝利で終わった。
「強いな」
水が渡される。
「ありがとう」
受け取り、一気に飲み干す。
「たくさん修行したんだろうな」
「どう、だったかな」
「ナノの世界の俺と修行してたんじゃないのか?」
「一度もしたことないかな」
流石の恭也も驚いていた。
嘘は言っていない。それは言葉の端から感じ取れた。
「姉ちゃんとは何回かしたことあるけど、剣の振り方はほとんど実戦で覚えた」
「……そうか」
それはナノハの戦い方からも感じていたことである。
そのどれもが生き残るために身に付けたものだった。
努力と汗の結晶、誰かを守るための力。
そういった類のものではなく、必死に、それこそ今を生き抜くために覚えたものであった。
そして必要ならば相手を絶命させる。その覚悟も打ち合いから伝わってきていた。
(死ぬような目にも遭ったんだろうな)
殺し合いを経験した者の剣技は質が変わる。
まず迷いがない。
迷いが死に直結することを知っているからである。
この齢にしてこの強さ。
(ナノならあるいは……いや確実に)
恭也は確信していた。
間違いなく、ナノハなら到達できる。
修得したならば、御神流剣士として完成に至る技。
御神流の奥義の極、「閃」。
ナノハならその極地へと踏み入ることができる。
そこに疑いはなかった。
なぜならば、次に試合をしたならば恭也は勝つことができないと実感していた。
技は見切られた。その上、すでに技のキレも恭也を上回っていた。
今後、二度と及ぶことはない。
二戦目で敗北させられた時点で悟るには十分だった。
「今日はここまで」
鍛錬が終わり、解散となる。
「ナノ」
道場から出たところでお声が掛かる。
呼んだのはフェイトだった。
「どうした?」
少し上擦った声が出てしまう。
初めて呼ばれたせいもあるが、話しかけてくるとは思っていなかったためだ。
「その、付き合って、ほしいんだけど」
固唾が飲み込まれる。
ダブルなのはによるものだ。
最近、濃厚でだいぶ重めな色恋沙汰があった。
そのせいか警戒心が高まってしまう。
(落ち着け。俺とフェイトは会ったばかりだ。そっち方面の話じゃない。そうだ、絶対に)
どうにか心を落ち着かせる。
(大丈夫、フェイトちゃんはそういうのよくわからないはずなの。フェイトちゃんには十年早いと思うの)
失礼なやつだった。
「いきなりでごめんね。でも、どうしても力を付けたくて」
胸を撫でおろす。
どうやら考えていたようなことではないらしい。
「協力できることならするけど、付き合うって何に?」
「私たちのトレーニング。これからなのはとする予定なんだけど、よかったらナノにも来て欲しい」
「それは構わないけど」
姉に目配せをする。すぐに了承の合図が出た。
「あ、ごめんねなのは。相談もしないで」
「気にしないで。みんなでやった方が楽しいし、もっともっと強くなれるよ」
「うん。ありがとう、なのは」
二人は仲良しだった。
「ところで、なんで俺を?」
「シグナムっていう騎士がいるんだけど、その人が剣を使った戦いをするんだ」
「あー、なるほど」
理由はすぐに理解できた。
剣士を相手にした訓練ならナノハが適任だろう。
「お願い、できるかな」
「いいよ」
快く了承する。
そのまま訓練場まで行き、守護騎士を想定しての模擬戦を実施した。
身支度を済ませる。
忘れ物がないか確認する。とはいっても、持ち物はレイジングハートとミサンガのみだ。忘れ物をするほうが難しいくらいである。
なるべく物は増やさないようにしていた。
いつか帰る日が来る。持って帰るのも大変だし、たくさん残していっても申し訳ないからだ。
本日、クリスマス・イブの日である。
過去、闇の書が覚醒した日でもあった。
「行くか」
今日、ナノハは元の世界へと帰る。
靴を履き、ひもを結び終える。
「出かけるのか?」
後ろには士郎がいた。
「うん」
振り向かない。
振り向いたら、もう戻れなくなる気がした。
「遅くなりそうなのか」
「結構、かかるかな。先にごはん食べててよ」
いつも通りのように言葉を発する。
しかし、親である士郎が子どもの変化に気付かないわけがなかった。
「それは、寂しくなるな」
それほど長い時間一緒にいたわけではない。
それでも、士郎はナノハのことであれば何だってわかった。
なぜと問われれば答えは一つしかない。
家族だからである。
「帰ってきたら、ラーメンでも食べに行こう」
「また怒られちゃうよ」
「そうだな。また二人で怒られよう」
もっと、一緒にいたかった。
もっと、父と遊んでいたかった。
もっと、時間があったなら──。
(──父さん)
泣かない。
涙は見せない。
ナノハは、男の子だから。
今日、ここでお別れである。
士郎の前でなら、ナノハは子どもになることができた。
ナノハは子どもでいられる時間が短かった。
自立することを余儀なくされ、自分のことは自分でするほかなかった。
桃子や恭也、美由希と遊んだ記憶はないに等しい。
家族の前で子どもでいることはいけないことだったからだ。
こちらの世界でも、どうしても桃子たちには控え目な気持ちがあった。
しかし、士郎に対してはそこまで遠慮するようなことはなかった。それは心に染みついていた遠慮がなかったからだ。
楽しかった。
心の底から父と子どもでいられた。
ずっと続いてほしい。
幾度となく夢の続きを繰り返し願ってしまう。
(もう、いいんだ。もう、十分さ。たくさんもらった。幸せな夢だった。だから、もう行かないとな)
夢にはいつか終わりが来る。
それに、ナノハを待っている人たちがいる。
立ち上がり、ドアノブに手をかけた。
「じゃあ、行ってくる」
「気を付けてな」
ドアが閉まっていく。
閉まる直前、その声は確かにナノハへと届いた。
「風邪、引くなよ」
昔、もう一人の父親にも同じことを言われたなと思い出す。
決まり文句だとはわかっている。
だとしても大切な人から送られた言葉は別である。
それは特別な言葉となり、二度と忘れることがないものとして心に残り続けるのだった。
「ツラ貸せよ」
しんみりとしていたところ、ちびっ子に絡まれてしまう。
のこのこと付いていった先にはシグナムがいた。
騎士甲冑は着ていない。
マフラーにコート、雪がひとひら二人の間に落ちていく。
「そのコート、暖かそうだな」
「ああ、主にいただいたものだ」
「そっか。はやては優しいからな」
気のせいかもしれないが、二人の騎士の物腰が柔らかくなっていた。
「なぜ我らの居所を話さない」
「聞かれてないしな」
「聞かれれば答えると?」
「まあ、そうだな……いや、どうだろう。はやてが嫌な思いするっていうならとりあえず黙ってるかもな」
聞きたいことが増えていく。
なぜそこまで八神はやてのことを思っているのか。
疑問は増えるばかりだが、今は後回しにする。
「目的は何だ?」
「俺は俺の世界に帰る。今はそれだけだ」
「次元漂流者ということか?」
肯定の意を示す。
「送ろう。どこの星だ」
今度はナノハが疑問を持つ番だった。
「一応聞くけど、どういう風の吹き回しだ?」
「おまえの力は脅威だ。敵にしておくのはリスクが高い。転移の手伝いだけでリスクが排除できるのであれば安いものだ」
「それだけか?」
何もかも見透かされている気がした。
(戦闘力だけでなく、頭も切れるのか)
シグナムが過分な評価を追加する。
ナノハは諸々の事情を知っているため、このような評価になるのは仕方のないことだった。
「魔力の蒐集もさせてくれって言いたいんじゃないか? それぐらいなら協力するぜ」
蒐集に関しては知っていてもおかしくない。
管理局やフェイトたちから聞いているのが普通だろう。
ただわからないことがある。
それは先ほど後回しにした疑問についてだ。
「なぜ主に心を寄せる。その慮る心はどこから来ている」
知り合いではないはず。
このような友人がいるとは聞いたことがなかった。
「とりあえず、事実だけ話していくぞ。俺は並行世界から来たんだが、そっちの世界でははやてとも仲良くやっていた。もちろんおまえらともな。こっちじゃ知り合いですらないけど、俺からしたら他人とは思えないし、出来る限り手を差し伸べたいと思ってる。理由としてはこんなところかな」
神妙な面持ちをしていた。
信じることはできない。しかし嘘を吐くような人物も思えない。
シグナムとしては実に判断が難しかった。
一方、ヴィータは非常にわかりやすかった。
「ふざけてんのかテメー」
「嘘は言ってねぇよ」
「信じられっかよ。ガキのホラ話に付き合えるほどこっちはヒマじゃねーんだ!」
「ガキはおまえもだろ」
「んだとコラ!」
「仮に」
ヴィータとナノハの言い合いが始まりそうだったため、シグナムが割って入った。
「おまえが並行世界から来たというならば、再び並行世界へ渡る手段を取ることになる」
「そうなるな」
「通常の手段では不可能だ。我らが今すぐに叶えてやれることでもない。そして私が思いつく方法があるとすればただ一つ」
一気に空気が変わる。
糸が千切れそうなほどに張り詰めた空気となっていた。
「闇の書を完成させれば、莫大な魔力を使用することができる。どのような願いでも叶えられるだろう」
明確に、わかりやすいほどの敵意が向けられていた。
「それが狙いか?」
シグナムがデバイスを取り出す。
後ろにいたヴィータからも闘気が漏れ出していた。
「落ち着けって。横から搔っ攫ったりするようなことはしない。そりゃ使わせてもらえればいいなぁとは考えてたけど、それはちゃんとはやての了承を得てからだと思ってる。無理やりだなんて考えていない」
「はいそうですかとはいかねーだろ。テメーがはやてを襲わないって保証はねー。ならここでブッ飛ばす以外ねーだろうが!」
「おまえの言葉を信じるには私はおまえのことを知らなすぎる。簡単には信用できん。居所を安易に話さないでいてくれたことには感謝している。しかし、それだけでおまえの全ての言葉を信じられるほどでもない」
もはや説得は難しそうだった。
何より二人からは余裕が感じられない。こういう場合、自分自身に都合の良い話しか耳に入らないものである。ましてや信頼関係を構築していないナノハの言葉など聞けるはずもなかった。
「やはりおまえの存在は危険過ぎる。ここで逃せば、いつ我らが狩られる立場になってもおかしくはない。防衛戦は我らにとって不利だ。勝ち目はないだろう。それに我らに残された時間は少ない。ここで確実に口封じさせてもらう」
待機状態のレヴァンティンが戦闘モードへと変わる。
「名前を聞いておこう」
白い魔導師と同じ名前を名乗る。
並行世界から来たという少年。同じ名前に同じデバイス。
ナノハの言は真実である可能性が高かった。
だが、もはや関係ないことである。
「その名、我が咎と共に忘れないと誓おう」
決意を胸に、覚悟と共に剣を握る。
「ヴィータ、ここが我らの死に場所だ。覚悟は出来ているな」
「たりめーだ。シグナムこそイモ引いたりすんなよ」
決死の覚悟だった。
命に代えても首を取る。それこそが二人に課せられた使命だった。
景色が変わる。
待機していたシャマルの結界である。それと同時のことだった。
『ナハトヴァール起動』
ヴィータの懐から闇の書が現れる。
浮上していき、ちょうど三人を見下ろせる位置で止まった。
『守護騎士システムは消去』
機械音声で無慈悲に告げられる。
それを聞いてナノハがとてつもない焦りを見せていた。
「レイジングハート!!」
即座にバリアジャケットを展開する。
全速力でこの場を離脱していく。
(捕まるわけにはいかない)
元にいた場所からかなり離れる。
遠くからシグナムたちの様子を伺う。
すでに二人はナハトに捕らえられていた。ナノハに対しての追撃はない。どうやら上手いこと捕捉範囲から抜け出せたらしい。
ナハトヴァールは闇の書の完成を優先していた。
守護騎士ではナノハに勝てないと判断したためである。
ほどなくしてフェイトと高町なのはが現れる。
二人はナノハに気付いてはいなかった。非常に好都合である。見つからないように物陰へと隠れる。
ナハトヴァール付近ではさらなら動きがあった。
ザフィーラとシャマルが蒐集され、その後リインフォースが出現していた。
深い闇を打ち払うため、魔法少女たちの戦いが開始される。
『加勢しなくてよろしいのですか?』
「危なくなったら手伝うよ。けど、あいつらなら大丈夫だろ」
過去、高町なのははこの状況を乗り越えている。
ならば心配はいらないだろう。
そう思って眺めているとフェイトが取り込まれてしまっていた。
『マスター』
「い、いや、大丈夫、大丈夫だ。フェイトは強い。俺なんかよりずっとな。絶対に戻ってこれるさ」
『承知しました。それでマスター。ここからは予定通りに?』
「ああ、今のうちから魔力を集めておこう」
『All right』
今のところ、事は想定通りに進んでいる。
帰還するためには多くの魔力が必要である。
失敗はできない。
だからといって急いで一気に集めてしまえば流石に気付かれる。
焦りは禁物である。
見つからないよう、慎重に魔力素の回収作業を開始した。