きっと人生で何度も思い出すだろう。
ありふれた日常の記憶とともに。
大学最後の夏。隅田川の花火大会に誘われたが「院試の勉強があるから」と言って断った。友人よりも勉強を優先するつもりはなく、本当の理由は言えなかった。いや、ずっと言えていない。今日も祖母の介護があるのだから。ただ、それだけのことなのに、口にすると何かが自分の中で決壊してしまいそうだった。
夕食は昨晩の残り物だった。ミネストローネと少しだけ硬くなったバゲット。食べ慣れているはずの酸味が、今夜はやけに舌に刺さった。スプーンが器の縁に当たる音が、いつもより大きく感じられた。
パンをかじった拍子に、テーブルにカスが散った。指でつまむのが億劫で、しばらくそのまま放置した。皿の端で煮詰まったトマトの赤が、乾いた血のように見えてくる。貧乏ゆすりが止まらなかった。
意識を自分の内側に向けると、ろくなことを考えない。さっさと食事を終え、台所を片づけて祖母の部屋に入った。
換気していても、薄く染みついた尿の臭いがある。もう慣れていたはずなのに、今日は妙に鼻についた。
テレビでは隅田川の花火大会が生中継されていた。音量は小さく、画面だけがパッパッと色を変えて光っている。
祖母は枕を少し高くして横たわり、目だけをテレビに向けていた。どこまで見えているのか、どこまで分かっているのか、もう判断はつかない。
色とりどりの火花が夜空に弾ける。音は絞った。部屋に響くのは、花火の明滅と空調の作動音だけだった。
「綺麗だね」
そう声をかけた。返事はなかった。祖母の目は、画面の向こうではなく、もっと手前の、記憶の霞の中をさまよっているようだった。たぶん、あの鮮やかさは、もう彼女の脳には届かない。もう、ほとんど燃えかすのような状態で、ただ生きている。
もしもこの花火が、祖母の内部に眠る神経細胞のどこかを刺激して、過去の記憶を一気に目覚めさせたら——そんな都合のいい三文芝居が頭をよぎる。でも、実際に覚醒したのは、俺の中の記憶の方だった。小学生の頃、まだ祖母に手を引かれて行った近所の夏祭り。綿菓子の甘ったるい匂いと、足元のアスファルトの熱気。覚えているのは断片だけで、どれも薄汚れた油染みのように、心の隅にべたついている。
部屋に漂うアンモニア臭に混じって、火薬の匂いが恋しくなった。きっと、祖母が死んだあとも、俺はこの家の匂いと共に、ぼやけた記憶を何度もフラッシュバックしながら生きていくのだろう。
だから、どうせなら祖母には、花火みたいに一瞬で燃え尽きて、潔く命を散らしてほしい。そんな冷え切ったことを考えて、すぐに打ち消す。いや、正確に言えば、それは今考えたわけではない。もっと前、小学生のときにすでに思いついていた思想をフラッシュバックしただけにすぎない。あの頃の俺は、「人はなぜ長く生きるのか」が本当に不思議だった。
昔、祖母はよく笑っていた。
頬にくっきりと皺を寄せて、うれしそうに笑う人だった。夏休みになると、俺の手を引いて商店街を歩いた。惣菜屋のコロッケを買って、暑さで汗だくになりながら家まで帰る。途中で公園のベンチに座り、焼けたアスファルトの匂いをかぎながら、ふたりでそれを頬張った。油が紙袋に滲みて、手のひらがベタついたことを今でもはっきり覚えている。
その帰り道に「今年もまた行こうね」と言われたのが、夏祭りだった。
黒い着物を着ていた祖母は、浴衣の子どもたちのあいだで少しだけ浮いて見えた。でも、花火が打ち上がった瞬間、誰よりも高く空を見上げていた。
「ほら、見てごらん。花が咲いたみたいだね」
そう言って俺の肩に手を置いた。その手のぬくもりが、体温というより何か別の、記憶の源に直接触れるような感触だった。
あの頃、祖母は記憶の宝庫だった。
父の幼い頃の話。祖母自身の若い頃の恋人の話。終戦後の焼け野原の話。
誰も覚えていないことを、誰よりも正確に語る人だった。俺はその記憶を覗き込むようにして聞いた。まるで、いくつもの引き出しの中を、そっと開けていくような感覚だった。
けれど、そんな祖母が、記憶の扉を自ら閉ざすようになったのは、俺が小学校6年生にに上がる頃だった。
最初は、ちょっとしたもの忘れだった。玄関の鍵をかけ忘れたり、同じ話を何度もしたり。けれど、それは年齢相応のものだと思っていた。
それが急に変わったのは、ある冬の日だった。
俺が帰宅すると、祖母は風呂場にいた。湯はとっくに冷めていた。湯船の中で、祖母は下着のまま丸まっていた。何時間もそこにいたのだろう。唇は紫色で、声が出なかった。何があったのかと問いかけても、ただ目を伏せていた。
そのとき、祖母の手の皮膚が、妙にしわしわで、まるで使い古された雑巾のように思えてしまった。その感触は今でも掌に残っている。
病院で「認知症の初期段階です」と告げられたあと、家の中の空気はゆっくりと変わっていった。
父は仕事を理由に帰宅時間を遅らせ、母は祖母と距離をとるようになった。姉は大学に進学してからそのまま家を出た。両親は共働きで、夜遅くに帰ってくる。姉は悠々自適に彼氏と一人暮らしだ。
祖母のことについて両親に不満をまき散らしたことがあった。帰ってきた言葉はもう、正確には覚えていない。
俺が長男だから。
家の手伝いはしてよ。
デイサービスとか、ヘルパーさんってお金がかかるでしょ。
頼む。
――気がつくと、俺ひとりが祖母の生活の隣にいた。
自然にそうなった。ただ、ご飯をつくる人がいないから自分がつくったし、薬を飲ませる人がいなければ自分が飲ませた。オムツもちゃんと交換させてるし、入浴や着替えもしっかりとやってるんだよ。
不満は溢れる。だけど、祖母が見えない誰かに向かって「ありがとうね」とつぶやく声を聞くたび、どうしてか胸の奥に鈍いものが残った。自分がこの家の「残りもの」になった気がしていた。
残された者が、残った者の世話をする。
それだけのことなのに、なぜこんなにも心が削られていくのか。
ある夜、祖母が突然泣き出した。
「ごめんね、ごめんね」
何度も何度も、子どものように。
俺はその背中を撫でることしかできなかった。そのとき初めて、祖母がかつて記憶の宝庫だったことを、誰も認識していないのだと思った。
彼女の中に蓄積されたものは、家族の誰も引き継いでいない。
だから今、彼女の記憶が少しずつ剥がれ落ちていくとき、それを惜しむ人間はこの家に俺しかいない。
記憶は、誰かに語られなければ、ただの沈殿物になる。思い出されなかった記憶は、油汚れのように、台所の隅で時間と共にこびりつく。祖母の頭の中に堆積していたものが、いま静かに酸化し、臭いを放っている。それを「臭い」と感じることができるうちは、まだいい。その臭いに慣れきってしまったとき、自分も同じように沈殿していく気がする。
冷蔵庫の上には、古いアルバムがある。
誰も開かない。埃が積もっている。祖母がまだ祖母になる前の顔。若くて、笑っていて、少しだけ意地悪そうな目をしている。そんな写真を見ても、今の祖母と結びつけることができない。格好良く黒い着物が似合っていた祖母はいない。お餅を焼いてくれた祖母はいない。俺の手を握って歩いてくれた祖母はいない。優しい目をしていた祖母はもういない。
テレビを消した。祖母の視線はずっとぼんやりと空間に向けられていた。そっと部屋を出て、リビングに戻ると、別のテレビの音が壁越しに反響していた。消すべきかどうか一瞬迷って、そのままにした。どうせ後から帰ってくる両親が消すだけだ。後で小言は言われるだろうが気にはしない。それよりも、スリッパのペタペタとした音が耳に刺さるようだった。脱ぎ捨てて、風呂場へ向かう。
シャワーの音すら、煩わしく感じる。音を立てれば煩わしい。かといって、音を立てずに何もしなければ、今度は静寂がうるさい。どうすればこの感じから逃れられるのか分からなかった。
この家には、祖母と俺と、それから孤独が住んでいる。いつからか、孤独は住人になった。正体はわからないが、確かに生活の一部として根付いている。目に見えるものではないが、触れたら粘りつきそうなほど実体がある。
そしてきっと、この孤独の存在も、俺の認知機能がイカれたら忘れてしまうのだろう。