明日の授業で扱う論文を読んでいた。
西澤哲の「虐待を受けた子どものプレイセラピー」と、滝川一廣の「自閉症児の遊戯療法入門」。どちらも一度は読み終えている。二周目は、内容を理解するためというより、授業で何を言うかを決めるために読んでいた。
発言しなければ、読んでいないように見える。発言すれば、自分がどこまで分かっていないかが分かる。
スマートフォンが震えた。
花火の誘いではなかった。院生のグループに、明日の教室が変更になったという連絡が来ていた。了解の意味でスタンプを押すと、同じものが続けて五つ並んだ。
去年は隅田川の花火大会に誘われた。
今年は誘われていない。
大学時代の友人たちは、ほとんどが社会人になった。俺は大学院に進んだ。関係が切れたわけではない。たまにメッセージは来るし、こちらから送れば返事も来る。ただ、花火に行く人間を決めるとき、最初に名前が浮かぶ相手ではなくなったのだと思う。
論文へ戻った。
遊びを通して表現されるものを、治療者はどう受け止めるのか。
その一文を読んで、昨日、祖母のいる特別養護老人ホームへ行ったことを思い出した。
共有スペースでは、何人かの入居者が色紙をちぎっていた。テーブルの中央に糊が置かれ、壁には黄色い紙で作られたヒマワリが貼られていた。
祖母もその前に座っていた。
職員が俺の名前を呼び、祖母に孫が来たと伝えた。祖母は顔を上げた。しばらく俺を見てから、笑った。
俺だと分かったのかは聞かなかった。
面会が終わる頃、職員が、居室まで一緒に歩いてもらえますか、と言った。
祖母の腕を取った。
随分と細かった。
長袖の服の上から触れただけなのに、肘の位置が分かった。冷房の風が当たっていたためか、手首も冷たかった。
以前、どこを持っていたのか思い出せなかった。
脇に手を入れていた気もするし、肘を支えていた気もする。力を入れすぎると痛いだろうし、緩めれば足元がふらつく。去年まで毎日のように支えていた身体なのに、どのくらいの力が必要だったのか分からなくなっていた。
祖母が一歩進んだ。
俺も足を出した。歩幅が合わず、祖母の身体がこちらへ傾いた。
反対側にいた職員が、すぐに祖母の腰へ手を添えた。
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
祖母に言ったのだと思う。
廊下の途中で、祖母が立ち止まった。
「どこに行くの」
「部屋に戻るんだよ」
祖母は返事をしなかった。
また歩き始めたので、俺も腕を支えた。今度は職員と歩幅を合わせた。三人で歩くと、さっきより祖母の身体が揺れなかった。
居室に着くと、職員が祖母を椅子へ座らせた。俺は手を離した。
祖母は俺の手がなくなったことに気づいた様子もなく、窓の外を見ていた。
帰り際、職員から、また来てくださいね、と言われた。
誰に向けた言葉なのか、一瞬分からなかった。
論文のページをめくった。
祖母の腕の細さを思い出し、自分の手首を反対の手でつかんだ。温かかった。指には少し力が入りすぎていた。
窓の外で低い音がした。
少し遅れて、花火だと分かった。
スマートフォンを開くと、大学時代の友人が夜空の写真を投稿していた。画面の中で、白い花火が建物の上に開いていた。撮影場所も、一緒にいる相手も書かれていなかった。
写真を閉じた。
明日の教室変更について、別の院生が質問していた。担当者が答え、それにまた同じスタンプが並んでいた。
論文の余白に、授業で話すことを書いた。
遊びとして現れたものの意味を、治療者が先回りして決めない。
そこまで書いて、ペンを止めた。
祖母が俺を見て笑ったことにも、廊下の途中で立ち止まったことにも、本当は意味があるのかもしれない。ないのかもしれない。
分からないまま、次のページを開いた。
もう一度、花火の音がした。
机の上に置いた左手が、何も支えずに開いていた。