サラク村に2度目の夏が訪れた。村民が増えたこともあってプールは今夏も大盛況。空き時間に涼みに来るハンターや子育て中で水に慣らしたい雨タヌキなども入り乱れ、毎日のように歓声や笑い声が聞こえてくるほどだ。
中には人のいない夜の時間帯に入ろうとする者もいるほどなのだが、流石にこれは事故が起きかねないため時間制限を設けることにした。
正直、俺も人がいない時間に悠々と泳ぎたい気持ちはあるのだが、こればかりはどうしようもない。人が見てない時に溺れたりしたら大変だしな。
さて、そんな夏真っ盛りのある日のこと。夏の陽光を反射しながら村へやってくる人物がいた。あの事件以来、定期的に髪を剃るようになったオズワルドさんだ。
侯爵家に雇われている軍人に護送されながらやってきた彼は、屋敷の執務室までやってきて恭しく頭を下げてきた。
「ご無沙汰しております、村長殿。オズワルド・ジートキフ。罷り越しましてございます」
確かな足取りにしっかりとした発声。初対面の時の不穏さや不健康さは感じられない。
長く療養に時間を使ったのが功を奏したのだろう。今や見違えるほどの健康体を手にしていた。
……いや、本当に見違えるほどだ。肌艶も良いし、激痩せというほどではなくなっている。病巣も摘出したし、病院でそれなりに食事も摂れたのだろう。
「お元気そうで何よりです、オズワルドさん」
「お陰様でなんとか……と言ったところです。恥ずかしながら、戻ってまいりました」
「何も恥じることはありませんよ。それよりも、そちらは大丈夫でしたか?」
「大丈夫とは?」
「いえ、こちらで暗殺者の襲撃がありまして」
「は?」
護送してきた軍人が後ろで軽く頷いている。暗殺者への対処は俺が大概なことやっちゃったし色々思うところはあるだろうなぁと思う。
まあ俺も反省したのでここは一旦許してもらうことにしよう。婚約祝いということで。ファハハ。
……いや、笑うところじゃないと半ギレで父上に言われそうだ。
「軽く言われることでしたかな……?」
「もう過ぎたことですし、迎撃にも成功しましたので」
「なんというか当たり前のようにおっしゃいますな」
「優秀な護衛がいますから」
俺も参戦したなどと余計なことは言わずにおく。クリスにも父上にも怒られた後なのでこれ以上叱られるのも……ね!
いやまるっきり俺のせいだから反論のしようも無いのだが。
「……さて、こうしてお呼びしたのはあなたのこれからについてお話するためです」
「はい。覚悟はできております」
清廉な眼差しの奥に光るのは、罪を裁いてほしいという強い感情だ。
とはいえ先日も告げた通り、オズワルドさんには問うべき罪というものがそれほど多くない。騙された相手が暗殺すら厭わない犯罪集団ということも相まって、情状酌量の余地はあると言える。
今は反省もしているみたいだし……ともあれ対外的には罪を裁いたというアピールも必要か。俺は護送してきた人たちに視線を寄越し、一旦部屋から出てもらうことにした。
「と言っても……以前申し上げた通り、あなたは問うべき罪が判然としない状態にあります」
「は……」
罪悪感が先行しすぎているためやや盲目的になっているオズワルドさんだが、彼が直接傷つけることになったものはそれほど多くない。
麻薬を広められたりしたら俺も遠慮なく罰するが、実際にやったことは単純使用のみ。良くないのはもちろんそうだが、被害者の側面もあるのであまり強くは言えず。
もっとも、セラフィマさんの件に関してはまた別だ。
「ただ、娘さんのことは特に気にかけてあげてください。彼女こそあなたの計画に加担させられた被害者ですから」
「無論……そのつもりです」
オズワルドさんはこれまでのことを悔いるように一段と精神を引き締めるように息を吐いた。
セラフィマさんがああも無垢で善良に育ったのは、本人の資質もだが教育のおかげも多分にある。父親として悪意に触れることがないように、それだけ愛情深く大事に育てたのだろう。
正常な精神状態ではなかったとはいえ、籠絡とかのアレコレは今になって考えると本当に心苦しいのだろう。今にも死にそうな表情をしている。
「それで、仕事はどうなさるおつもりですか?」
「これまでのようにはいかないのは承知しておりますが、どうしたものかと……まだ肉体的には脆弱なままであります故……」
「肉体労働は難しいということですね。知ってます」
この人に肉体労働を任せるというのは、そもそも論外として考えてすらいなかったわ。
いやある意味刑罰にはなるかもしれんが、刑罰以前に死ぬだろ下手したら。
「では、書類仕事を任せたいのですが……」
「書類仕事があるのですかな?」
「ええ。我々と一緒に仕事をすれば大量にありますよ」
「……んん!?」
俺の発言が理解できたのかできていないのか、あるいは理解したくないのかと言った様子でオズワルドさんは目線を泳がせた。
……まあ理解できないよな。元々は敵対していた相手を事務員として登用しようだなんて、どういう神経をしているんだと思うことだろう。
「そ、村長殿。貴方がたと一緒に仕事というのは、つまり村の運営では……」
「そうですよ」
「私のような者に任せてよいことではないでしょう……!?」
「本来はそうなんですが……その……村の行政に携わりたいって人ってあまりいないんですよ……」
「えっ……」
「見栄えの良いハンターやすぐに人員が必要な農作業に従事する人が多く……」
辛い現実である。
いや、もちろんそっちも必要なんだよ人員が。それも優先的に。
特に食料の増産はこれからの重大な課題だ。今いる人たちの食料事情だけでなく、これから来る人や観光客向けの食事をしっかり用意しておかないといけないわけだし……これもセラフィマさんに「斧」を使わせないために必要なことだ。
が、それ故に他の仕事に振り分けるのが難しくなってしまって……という流れだ。あと、メレディスと俺で現状の仕事をなんとかこなせてしまっているのも大きい。「いずれ必要になる」と「今すぐ必要」では人材も後者に割かないと仕事が回らないし……。
「私は村の実権を奪い取ろうとしていたのですぞ……」
「今はそうではないでしょう。それに、やっていただくのは村の運営に直接関わることではなく、あくまで雑多な書類仕事です」
「それにしても……と思いますが……」
「もう色々と限界が近いんですよこっちは……」
「あ、はい……」
曲がりなりにも、オズワルドさんは教会を通じてかつて村の運営に携わっていた身だ。書類仕事ができないはずはない。
もちろん本人の言う通り、ある程度仕事は選別する必要があるが、ある程度誰でもできることを任せられれば俺とメレディスの負担は確実に減る。本人は遠慮したいようだがここで逃がすわけにいかないのだ。
人格も前回の件である程度知れたし、真面目な……ともすると真面目すぎるが故にあんなことになったのは察せられる。反省しているのも目に見えてわかるから、むしろなんとかして仕事を与えて社会復帰に導きたいというのもある。
「オズワルドさん自身の社会復帰のためという目的もあります。あまり深くは気になさらず」
「き、気にしないというのも難しいものですが……承知致しました」
「では、よろしくお願いします」
というわけで半ば強引にオズワルドさんを事務として登用することにしたのであった。
信頼できるかという点ではまだまだ時間と実績が必要だが、人格はある程度見えていることもあって多少は信用できるし……忙しくしていれば再び麻薬に手を出す暇も無いだろうという思惑もある。それに俺たちが近くにいれば監視にもなる。
何にせよ人員増は急務。これで一人巻き込めたということもあり、多少の負担軽減が見込める……はずだ。
そうであってくれるといいなぁという希望的観測も含む。
屋敷の一室。護衛が待機するために整えられた広い部屋で、クリスは一人静かに佇んでいた。
一欠片の隙もないその姿はまさしく護衛の鑑と評すべきものだが、一方で彼女の内申はこれまで経験したことのない言い知れぬ感情で荒れていた。
(レスター様が婚約……)
そうなることは既に定められていたことと言って間違いない。帝国と聖王国双方の国益は当然のこととして、レスター自身の貴族としての意識の高さがこれを断ることを許さない。
国家として、貴族家としての重責を果たしている以上、クリスはこれを祝福し喜ぶことが筋なのだが、なぜか彼女はその気力が湧かなかった。
尻尾は揺れず、頭頂部の耳に似た硬質な感覚器も力なくへにゃりと倒れ込む。見る者が見ればはっきりと分かるほど、今のクリスの気分は落ち込んでいた。
――しかし、そのような常ならぬ精神状態であったとしても、クリスの感覚や能力には一片の欠けも無い。
故に、部屋に近付いてくる足音があることと、その足音の主が愛すべき妹分であることに気付くことはほぼ同時だった。
「リンデか、どうし……どうした……?」
「へぇい」
そうして姿を現したリンデは、何やら
彼女の奇行は常のことである。クリスはいつものことかと軽く流した。
「姉さまヘイ」
「……急にいったいどうした?」
「兄さまがマリーちゃんと婚約したことであたしの見たいものが見られる可能性がグンと上がったのよ。テンション上がるなぁ~」
ずんたたずんた、とわざわざ口に出しながら体を揺するリンデに、クリスは軽く首を傾げた。
「レスター様は婚約段階でそういうことはなさらないのではないか……?」
「え」
「この結婚でレスター様は爵位を授かることになるだろう。貴族にとって子作りというのはそれ自体が仕事のようなものだ。不貞を疑われないようにするためにも、子供が産まれるようなことは……結婚するまで控えたほうがいいはずだ」
「え」
「あと結婚することになるのは次の春頃だから、リンデは学院に入学しているだろうし……そういうのが見られる機会は無いのではないか?」
「なんで……どうしてそんな……」
膝を落としたリンデの顔から色眼鏡がスポンと外れ落ちる。どこでどういう力が作用したのかとクリスが訝しんでいると、気を取り直したようにリンデは色眼鏡を懐に収めて立ち上がった。
「……まあいいわ。いずれこっそり見せてもらうから」
「見ようとするんじゃない」
「それよりも、姉さま」
不意にリンデの雰囲気が急激に引き締まる。こうなった場合に真面目な話をするかそうでないかは運次第であることをクリスは知っていた。
ここまでの話の流れからすれば馬鹿馬鹿しい話になる可能性も比較的高かったが、クリスを心配する視線から真面目な話と悟って彼女もちゃんと聞く姿勢を取った。
「この前、兄さまがマリーちゃんと婚約してからなんだかちょっと上の空よね? ……何かあったの?」