まってい貴族とTSキメラの地元復興計画   作:桐型枠

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116.わからない感情

 

 

 リンデの心配する顔に、クリスはわずかに顔を逸らしかけた。

 自分でも判然としない感情について語ることがはばかられたというのもあるし、それを言葉にすると何かが変わりかねないという思いがあったのも事実だ。

 しかし、既に内心を悟られている今、変に語らないことはそれ自体が答えにすらなりうる。観念したクリスは正直な言葉をひとつ告げた。

 

「……分からない」

「わからない?」

「分からないんだ……自分の感情が、よく……」

 

 それは偽らざるクリスの本音だった。もしこれが良からぬものなら蓋をして表に出さないという対処もできただろう。人として当然あるべき感情であるなら、正しく発散する機会も設けられた。

 しかし、その判別がつかないからこそ、クリスは長く悩むことになってしまったのだ。

 深く悩む姉の姿に、リンデは何かに気付いたように指を鳴らした。

 

「――恋ね」

「急に変なことを言うんじゃない」

「変なことって失礼ね。今までの姉さまの様子を見て独自の見地から判断した結果よ!」

「それを偏見と言うんだ」

 

 リンデのものの見方はやや偏っている。これは多少なりとも普段の彼女の言動を知っていればすぐにたどり着く結論だ。

 時折真面目な話をすることもあるが、口を開けば半分は猥談なのがリンデである。そういう話に持っていきたいがためのいつものたわごとだろうとクリスは半目になった。

 

「そもそも恋なんて誰が誰に」

「姉さまが兄さまに」

 

 その指摘に、クリスは今までにない顔のしかめ方をした。

 不服であるという感情が盛大に漏れている。鉄面皮の姉の未だかつてない様子に、しかしリンデは怯まない。己の妄想(すいそく)が正しいと信じ切っているからだ。

 

「私の忠義を疑うというのか?」

「そこに関しては疑いはゼロよ。っていうかね? 忠誠を誓ってる相手のことが好きじゃダメなの? 両立したって別にいいでしょ」

 

 リンデは手でハートマークを作りながら首を傾げた。

 人の心とは一側面だけで語ることができるものではなく、もっと脈絡がなく混沌としたものだ。クリスはとりわけ感情のコントロールが得意だが、そうしている中でも抑圧された感情というものは確実に存在している。

 リンデはそれこそがレスターに対する慕情と推測して(だったらいいなぁと思って)いた。

 

「い、いや……私は元々男で……」

「今は女の子じゃない。そういう記憶があるだけでしょ」

「割り切りすぎじゃないのか……!?」

「姉さまは割り切れなさすぎじゃない? まあ、あたしはそういう記憶ってのがほとんど無いからかもだけど」

 

 キメラとされる前の記憶がかなり明瞭に残っているクリスと異なり、リンデの記憶は断片的でおぼろげだ。

 何やら高貴な立場にあったような気がしないでもないが、地上に出たその日のうちに全ては過去として振り返らないことに決めていた。

 無論、これは極端な例のひとつだ。リンデとて、ここまで振り切れと言うつもりは無い。

 

「あとね、姉さまって過去のことに触れられたくなさそうにしてるけど、だったらもうちょっと今の自分と切り離すべきだと思うの」

「そ、それは……」

「郷土愛とか侯爵家への恩義とか、そういうのはあってもいいし大事よ?」

「そ、そうだろうとも」

「でも兄さまたちが配慮してくれてるのに甘えて誤魔化し続けるのは良くないんじゃない?」

「…………」

 

 クリスが返すことができたのは、弱々しい鳴き声だけだった。

 レスターやマリーがほぼ核心に近いところにたどり着きながらもそれを突きつけないのは、「クリスが話したがらない」という一点で線を引いているからに他ならない。

 嘘を嫌うクリスは直接問いを投げかけられれば正直に答えるしかない。だからこそ踏み込まない。そんな絶妙な距離の取り方にクリスが助けられているのは事実だ。

 友人や仲間だと信じていた者たちの裏切りで死を迎えたクリスにとって、他者との触れ合いは時に恐怖を伴う。貴族、紳士として教育を受け、対人能力の高いレスターの距離感はまさに最適だ。

 同時にそれは最適()()()。それ以上進みも退きもしないほどに。

 

「自分の感情がよく分からないって、そういう中途半端なところがあるからじゃないかしら」

「ちゅ……中途半端……」

 

 本人を含め、クリスの忠義を疑う者はいないだろう。しかし、今の彼女が抱いている感情は忠誠とは違うところから湧き出したものだ。

 戦場育ちでろくに情緒を育む機会の得られなかったクリスでは、その正体に気付くことはできない。

 急速にしょんぼりし始めたクリスの雰囲気にリンデは少しだけ心配を覚えた。

 

(ちょっと言い過ぎたかしら……)

 

 これからもクリスがレスターに仕えるにあたって、いつまでも意気消沈したままというのは護衛としてよろしくない。

 婚約段階でも既にこの状態だ。これからさらにマリーと結婚し、ユーニスとも結婚することになるのが確定しているのだが、その都度正体不明の感情に翻弄されていてはそのうち肉体の方に影響をきたす。

 せめて「片想いによる嫉妬」であるとか「主君を取られたようで寂しい」であるといった定まった感情の向きさえあれば発散も対処も適切にできるはずだ。

 そしてあわよくばレスターと「対処」してほしいしそのシーンを見せてほしいというのがリンデの本音だが、それは今は抑え込むことにした。

 

(でも、まずはちゃんと問題と向き合ってもらわないと。この先どう生きていくにしても、ずっとこんな風にまごついてるだけでいていいと思えないもの)

 

 最愛の姉と言えどここで容赦をして良いことは何もない。リンデ自身の欲望は一旦横に置き――時折手前に持ってきながら――彼女はとことん話をすることに決めた。

 幸いにも、レスターが外に出る様子は無い。オズワルドとの面談とその後の事務仕事のためだ。

 

「何なら別に恋でも恋じゃなくてもいいわ。でもいつまでもこうやって溜め込み続けるの良くないと思うの」

「それは……そうだが……」

「だからまずは……えっと……」

 

 では、鬱屈した感情を溜め込まないためにどうすればよいのか? そう改めて思い直すと、リンデの中には明確な対処法が思い浮かばない。

 ううん、と唸り声を上げるのと同時、壁面が一部開いてマリーが姿を現しリンデの発言を引き継いだ。

 

「まずちょっとクリスの感覚を言語化してみようか!」

「ぎゃあ!」

「……マリー!?」

「ちょちょちょマリーちゃん! 渦中の人が出てきちゃダメでしょ!?」

 

 ある意味、クリスを現在の状態に変えたのは張本人の登場だ。平時であれば動じない余裕もあるが、思考の渦にはまり込みかけている現在のリンデはそうもいかなかった。

 屋敷のあちこちに仕込みを済ませているマリーは、そんなリンデの様子は既に理解していた。普段の軽い調子は控えめに、軽く手を叩いて動揺するリンデに応じる。

 

「リンちゃんひとりじゃちょっと対応できそうにないからね。ボクがいた方が多分クリスも自分の状態をよく把握できると思うよ?」

「それはそうだけど……姉さま、大丈夫?」

「う、うむ……」

 

 突然のことに目を白黒させるも、クリス自身は大して悪感情を露出させることは無かった。

 一方で、彼女が表出させたのは悲哀に近い感情だ。わずかに目線が下がり、言葉が詰まる。ある程度こうした反応を予測していたためか、マリーは納得で小さく頷いた。

 

「で、どんな感じかな」

「……言語化するというのは、どういう理屈なんだ?」

「そうだね。言葉にすることでクリス自身にも自分の感情が分かりやすくなると思うよ。何ならボクらも相談に乗れるかもしれない」

「いや……マリーちゃんが相談に乗って大丈夫なの……?」

「まあ、そこは臨機応変にね」

 

 必要ならレスターを呼んで個別に話してもらう必要はあるだろうが、今はその必要は無いだろうとマリーは推測していた。

 表出しているのは嫉妬のような激しい感情ではなく、どちらかと言えば静かなものだ。

 マリーに対する敵愾心などは無く、むしろ話せばしっかりと自分自身の感情に折り合いを付けられるものと言える。

 わずかに間を置き、クリスはぽつぽつと語り始めた。

 

「……怖い、と思った」

「怖い? って何が……?」

「ご結婚なされたら、レスター様とこれまでのように接することができなくなるのではないか……と」

 

 結婚というのはそれだけ大きなイベントだ。偶然にもレスターにはその機会が二度も与えられたが、それによって人生観が変わるということは十分にありうることだ。

 そうでなくとも、結婚を経た以上人間関係で優先すべきは家庭となる。いち護衛がこれまでのように家族同然の付き合いができるとは限らないのは事実だ。

 

「レスターがそういうことすると思う?」

「そんなことはなさるはずが無いとは思うが……」

 

 レスター自身は良くも悪くも責任感の塊のような男だ。マリーやユーニスと結婚したとしても、クリスやリンデを蔑ろにするようなことはまず無いだろう。そのことはクリスも理性の部分では理解できていた。

 一方で、手ひどい裏切りを受けた過去が本能の部分を刺激する。万が一があるのではないか、と。

 

「要するに兄さまと距離を置かれるのが嫌ってことね……」

「………………」

 

 どう思う? とリンデは胸の前でハートマークを掲げた。

 まだ早い――マリーは腕を組んで応じた。

 クリスのそれは未だ幼い執着か、あるいは独占欲に近いものだ。男女の仲のそれと呼べるほど身を焦がすものはまだ無いだろう。

 

「ちゃんと兄さまとお話する機会を設けた方がいいんじゃない?」

「こ、このようなことを言っても迷惑だろう……!」

「迷惑はしないけどちょっと拗れそうだね。レスターもこういう機微に疎いわけじゃないけど……」

 

 むしろ、こういった相談に対しては丁寧に対応してみせることだろう。そして皮肉なことに、その対応が丁寧で親身であればあるほど、クリスの中の理性と本能が不整合を起こし不安定さが増していく。

 クリスにとってマリーはやや複雑な感情を抱く相手だが、マリーはむしろクリスに好感を抱いている。護衛として最大級の信用を置いているし、友人としても信頼に値する人物と考えていた。故に、力になりたいと考えているのも事実である。

 

「クリスはもうちょっと自分がどうありたいかを優先した方が安定するかもね」

「それは……護衛としては自分本意になるのは良くないのではないか?」

「姉さまは兄さま最優先すぎて自分が薄すぎるわ」

「こうありたい自分っていうのをもうちょっと明確に持ってた方がいいかもね」

「…………」

 

 クリスは己の内側に少しだけ目を向けた。

 今の彼女にとって、サラク村が復興し、かつて以上の隆盛を迎えようとする「今」こそがある意味では理想に近いのだ。

 仕えるに値する主もおり、守りたいものも数多くある。そして、武力という唯一の取り柄を発揮するための場所がある。

 故に失うことに対する恐怖が、トラウマを伴って湧き出している。精神の不均衡はその表れと言えよう。

 

「……少しだけ分かった気がする」

「ふふふ。ならボクが来た意味もあったかな」

「そうだな。助かった」

 

 クリスにしては珍しい唇の端を持ち上げる程度の笑みに、思わずマリーの顔もほころんだ。

 そこでふと、リンデは思った。主君の妻になる相手なのにこんなざっくばらんな態度取って大丈夫なの? と。

 ある程度以上の立場を持つ相手には概ね丁寧な態度で応じるクリスだが、彼女にしては珍しく、マリーに対しては出会った頃の態度のままだ。これはマリー自身が望んだこともあるが、クリス自身が己の頑なさを解きほぐすに値する相手と考えているということでもある。

 

(案外姉さまにとってマリーちゃんは特別な友達ってことなのかも)

 

 軽く頷き、リンデはそう結論付けた。

 

 

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