エリーカさんが帰って、というか強制送還させて翌日。
流石にそうそう連日ハプニングが起きるようなことは無く、この日は穏やかに仕事が進行していた。
「いやーオズワルドはん入ってきて助かったなぁ、
「まったくだ。おかげで随分余裕ができるようになった」
「ははは……光栄にございます」
オズワルドさんは照れくさそうに、禿頭をつるりとなで上げて少し顔を赤くした。
十数年前までは教会からの協力者という立場で自治体運営に携わっていた人だ。変な癖があるというのは、タブレットが無い時代ゆえのものだろうというのは察せられるが、順応速度が思いの外早いことには驚かされる。
「と言っても、私一人ではどれほどお力になれていることか……」
「謙遜せんでもええて。ていうかな、今までウチら二人で回してたのがおかしいねん、事務仕事。なあ坊」
「一人増えたんだからいいだろ」
「もっと増やし言うとんねん。これから貴族に成り上がるんやろアンタ」
「それは……そうだが」
難しいんだよ、人を雇うの。
予算を組むのはまあいいとしても、まず一定以上に信用できる人間じゃないといけないし、できれば背景も洗いたい。適性次第では事務仕事より優先してやってほしいこともあるだろうし……あと何より目立たないせいで募集かけてもなかなか人が集まらない。
今のサラク村はハンターが花形職業と言っていいからな。もっとも、それ自体はトビーたちの狙い通りだし悪いことじゃないんだが……。
「村長様、少しお時間よろしいでしょうか?」
どうすれば事務職の増員ができるかな、と首をひねったところで扉がノックされる。
声からするとパトリシアさんのようだ。いつもなら用事があれば隠し通路でも使って勝手にやって来るところだが……。
「入ってくれ」
「失礼致します」
そうして姿を見せたパトリシアさんだが、そこにマリーの姿は無かった。
おや、とメレディスが首を傾げているが、職務故にそういう状況がどうしても多いだけで常に一緒にいるわけではない。
こうして一人で来たということは、何か個人的な用事なのだろう。
「何かあったかな?」
「問題は特にございません。ただ、一点お願いしたいことがございまして……」
「お願い?」
「休み欲しいとかやろか」
「それは特に必要ございません」
必要としてくれ。
屋敷にいる人数もそれほどじゃないから仕事もあまり多くないとはいえ、毎日家政としての仕事をしてくれているしどこかで疲労が蓄積していてもおかしくないんだ。
「そのお休みを取るための前準備と申しますか……家政の増員をお願いしたいのです」
「あー、そらまあ……なあ。これからのことも考えると一人でやるんはなあ」
「お一人でやっておられるのですか?」
「一人でも問題なく仕事はこなせましたので」
そう言って、パトリシアさんはクールに
眼鏡をクイッとやるのは位置を直すためであってクイクイやること自体が目的じゃないんだが……まあいいか……。
「しかし今後のことを見据えると増員は必須。少なくとも来年の春までには、教育を済ませた家政を10人ほど揃えておきたいというのが正直なところです」
「来年……あ、そか。爵位貰うわけやしな」
「10人か……分かった、なんとかしよう」
「よいのですか村長殿、断言してしまって」
「職場環境を整えるのは俺の仕事ですから」
しかし10人か……多いな。帝国の方にもパトリシアさんのように派遣してくれないか尋ねてみるとして、父上に紹介してくれる人材がいないかも聞くべきだろう。
一応、村の中でも募集はしてみるが望み薄だな。今までそんな募集なんてほとんどしてこなかったし、急に乱心したとか思われるかもしれない。
「自分の周りの環境を整えるんはヘタなんにな」
「今すぐ必要がないことの優先順位が低いだけだ」
「自分の優先度低く置くんは問題やろ。あんた自治体の長やで」
「……それもそうか」
そこを言われると……そうだろうなとしか言えない部分は自覚がある。
やっぱりまだある程度自分を捨て石にする覚悟でいた麻偵の頃の癖が抜けきれてないのかもしれない。これも職業病のようなものだろうか。
「ともかくやるだけのことはやってみる。帝国のことで力を借りることもあるだろうから、その時は頼みたい」
「はい。承知致しました。では失礼致します」
入ってきた時と同じ、完璧な一礼をして去っていくパトリシアさん。彼女を見送ってすぐ、何事かに思い至ったらしいオズワルドさんがふと軽く手を叩いてこちらに向き直った。
「ついでに私からお願いをさせていただいてもよろしいでしょうか、村長殿」
「おおん? 何や何や新入りがお願いとは」
「メレディス」
ただでさえ言葉遣いのせいで若干威圧的なところがあるのに、変に絡んだら真面目なオズワルドさんが萎縮してしまうだろう。そう考えて軽く目で制すると、メレディスはテヘペロと軽く舌を出しておどけて見せた。
冗談のつもりなんだろうけどなぁ……オズワルドさんは適当に苦笑して済ませてくれてるが、真に受けることもありうるのでできれば普通に接してほしいところだ。
「で……なんです?」
「セラフィを事務員として登用していただきたいのですよ」
「セラフィマさんを?」
「……まあ確かにあの子結構筋は良かったけどなぁ」
そういえば、セラフィマさんが以前屋敷にやってきた理由は納税の書類などの書き方を教えてもらうためだった。
その時は色々他にやることがあったのでメレディスに任せていたのだが……なるほど、筋が良いと言うならそうなのかもしれない。
「しかし本人が了承するかという問題もありますが……」
「そうですな。やりたいことが他にあると言うならそれで問題ありませぬ。しかし、今のあの子はやることに迷っていると思うのですよ」
「迷っている……ですか」
思い返すと、オズワルドさんが不在で色々とやることが増えたという程度で、彼女自身が何をしたいかということまで踏み込んではいなかったかもしれない。
俺と仲良くなりたいというのは度々言っていたが……いや、それは今置いといて。
なんとなく本人の気質から農業に向いているのかもしれないと思ったが、これは俺の偏見だしな。父親として近くで見てきたオズワルドさんが言うなら事務方にも向いてはいるのだろう。
「他にやることが無ければ当面、というお話ですが」
「分かりました。声をかけてみましょう」
「ありがとうございます、村長殿」
「いえ」
……こっちとしても事務員が欲しいのは事実だしな。今更取り繕えはしない。
パトリシアさんが家政の人材を求めているのと同じで、今後爵位を賜るというなら事務仕事ができる人材だってそれなりに……いや、できればかなりの数が欲しい。
今のうちから目をかけておいて人材育成に取り掛かることができるなら上々だ。こちらも色々なツテを使って集めるしかないだろう。
俺が人を信用できるかどうかという問題は一旦後回しだ。
「貴族の当主って大変だな……」
「当たり前やろ」
何を今更と思うかもしれないが、俺はそもそも侯爵家からは離れるつもりでいたんだ。覚悟も何もしてなかったんだなこれが。
もちろん父上の姿を見てきて苦労も知っているが、こうして改めて自分がそういう立場になると考えると色々認識との齟齬も出てくるというか……。
こればかりは場数を踏んで調整していくしかないのだろう。
「すみません、少しよろしいでしょうか」
さてそろそろ仕事に戻ろう――としたところで
クリスから俺に頼みごとというのも珍しいことだ。何があったのだろうと招き入れると、クリスは神妙な雰囲気で入室してきた。
「今日は千客万来やな」
「……どうしたんだ?」
「少し相談があるのですが……しばらく後のことなりますので今お話してもよいものかどうか……」
「そのあたりの判断はこっちでする。とりあえず言ってみてくれないか?」
「はっ。では……」
しばらく後のこと……となるとやはりこれも爵位絡みの件だろうか。
ほぼ内定してるから考えておかないといけないのは実際そうなんだが、俺よりも周りの方が身構えてる感あるな今のところ……。
「……泳ぎを、教えていただきたいのですが」
「は?」
「お、泳……?」
「急にどうした……?」
突拍子もない発言にその場の皆が呆気に取られる。よもやクリスに限って遊ぶために泳ぎを覚えたいなんて言うことは無いだろうが……というところまで考えてはたと気がついた。
俺が爵位を賜るとしたら、支配域にトラヴァーズ港が加わることになる。つまりは海だ。
……海に行くからには水泳技能が必要だと思ってるのか?
「く、クリス。何で泳ぎなんて話に?」
「これからレスター様は恐らくトラヴァーズ港を統治されることになるのだと思われます。その時に泳ぐことができないと困るのではないかと……」
「なあ坊、これ変な勘違い起こしとらん?」
「……うん」
想像ドンピシャリである。
というか何気にクリスが泳げないことが判明したわけだが……正直、それ自体は大したことじゃないんだよな。その状態で水竜を狩る程度のことはできるのだし、なんなら水上で戦うことになるとしても水面を凍らせてしまえば済む話だろう。泳げないことが問題視される環境ではなかったわけだ。
しかしこれからは違う…………と、少なくともクリスは思い込んでいる。海に面した土地に行くからって別に泳げないことが問題視されたりはしないぞ……。
「クリス。別に港に行くからって泳げないといけないわけじゃないぞ」
「……そうなのですか……!?」
「船乗りになるなら泳げた方がいいかもしれないけど、そうじゃないだろう?」
「はい。私はあくまで護衛ですので」
「それに……ほら、クリスなら水に落ちる前に凍らせられるだろうし」
「そうですね」
「何なら沈む前に足上げて水上走れるんとちゃうか」
「……なるほど?」
おい本当にできそうだから無茶振りするのやめろ。
というか、泳げないというのも珍しいな。戦闘に関わることなら大抵なんでもできるような印象があったが。
……と思ったが、サラク村滅亡から生き延びて以降は孤児院暮らしだったらしいし、敵方も水産資源に乏しい帝国で水中戦という機会がまず無い。必要無かったと言えばそれまでか。
「しかし、レスター様の従者としてそういったことができないのでは示しがつかないと思うのです」
「そんなことはないと思うが……そんなに気になるか?」
「はい……」
まあ、泳げないと言うよりは多少でも泳げる方がいいのは事実か……。
俺に頼むのは……まあ、外部の人間に泳げない姿を見せられないというのが大きいだろう。ハンターとしてはフェデリカさんと同格として喧伝しているし、既にハンターたちからも実力者として尊敬の目を集めている。なら仕方ないか。
「分かった。そこまで言うならなんとかしよう。メレディス、少し時間を作る」
「はいな。ま、ちょっとくらいなら任せとき」
「ありがとうございます……!」
「とりあえず人目の少ない時間帯にしておこう。俺も……まあ、あんまり人前で見せられないものもあるしな」
「あ……そうですね」
皆がいるところで傷跡を晒して変に騒がれても困る。
……いや、大半はハンターだし傷跡のひとつやふたつで騒ぐほどじゃないかもしれないが、経緯に触れられると困るんだよ。一応麻偵の仕事内容って公表してないし。
何にしろせっかく頼られたんだしなんとかしよう。クリスに頼られるのは……まあそこそこあるが、事務的なこと以外だと珍しいしな。
――俺だけじゃなくクリスの方も水着に着替えるという事実に気付くまであと数時間。