リンデは激怒した。必ずやあの無駄に自制心の強い兄貴分を我慢の限界の向こう側に押し出さねばならぬと決意した。
リンデは政治も貴族社会の機微も分からぬ。読書(エロ本探し)と思索(エロ妄想)で一日を潰して過ごしてきた。故にえっちな気配には人一倍敏感だった。
胸のでかい美人従者と二人でプール、何も起きないはずはなく……そう確信していたというのに、やったことはせいぜい手と手が触れる程度。これではたまらない。
アクシデントでも故意でもいいからおっぱいのひとつやふたつ触らんかい! とこっそり様子を覗いていたリンデは空き部屋で思わず吠えてしまうほどだ。
レスターは本人も言っていた通り、全く煩悩がないというわけではない。ただ我慢しているだけだ。
クリスのようなスタイルの良い体を見れば思わず目が引き寄せられてしまうし、裸を見て動揺もする。が、そこからなかなか崩れない。
その場で仮面を作り出して視界を閉ざすと言うなら序の口で、貴族に生まれついたが故の矜持と強靭な意志力で、外から見ると一切動揺していないかのように振る舞うこともできる。それだけならまだしも元麻偵の技能や心構えも備えているため、本心を隠して押し殺すことも得意分野だ。
貴族子弟として見るならまさに完璧とも言える在り方だ。正しくあろうとする姿勢そのものをリンデは尊敬しているし、貴族たるものこうあるべきだろうと認識してもいる。だがその完璧さ故にえっちな展開が遠ざかることは心から許せない。
彼女の内心は複雑だった。
クリスの新泳法、あるいはホバー移動法が完成してから一夜明け、リンデはマリーの部屋に訪れていた。
「あたしが思うに姉さまから押せ押せで行けば兄さまはオチるわ」
「なるほど完璧な作戦だね、ありえないという前提に目を瞑れば」
「くっ……」
リンデの発想は、その場で現実が突きつけられて切って落とされた。
方向性そのものは間違っていない。レスターがプールでクリスの水着姿を見て顕著な反応を示したのは事実である。そのままクリスが攻めたらなし崩し的に陥落ということもありえないわけではない。
が、レスターは攻め手が強ければ強いほど守りが硬くなるタイプである。押せば引き、受け流すことでのらりくらりと躱していく姿がマリーにも想像できた。
加えてクリス自身の問題だ。もし仮に幼い情緒や育ちきっていない感情などの諸問題を解決したとしても、従者として徹底的に一線を引く彼女が攻めに転じられるビジョンが浮かばない。
むしろ「迷惑にならぬよう気持ちを秘めることも従者の務め」と意固地になるところまでが想像できるほどだ。
「二人ともクソ真面目だからそう生半可なことではどうにもならないよ」
「分かってるわよ。そういうとこをあたしも尊敬してるんだから。兄さまも姉さまもそんなことするわけがないわ」
「残念ながらね」
「何でやらないのよしなさいよ」
「情緒大丈夫?」
二人を敬愛しているからこそ、リンデはその行動パターンをよく理解し、マリーの言葉にも一理あることを理解していた。
それはそれとして見たいもんは見たい。
彼女は支離滅裂だった。
「そもそもリンちゃん何でそんなに人のえ……えっちなとこが見たいのさ」
「分かんない。気付いたらこうだったから魂に刻まれてるんじゃないかしら」
「魂までピンク色なのか……」
それはもしかすると、生前に恋愛というものを経験できなかったがゆえのものではないか。
一瞬そう考えたマリーだが、もしそうならもっと恋に恋するような少女らしい人格になるはずだ。つまり素でこれである。
嘆くべきか笑うべきか彼女は判断に迷った。
「以前から思っていたのですが――」
「ん、どうしたのパット?」
「殿下は村長様がクリスさんとご結婚なさることに関しては、抵抗が無いのですね?」
「あー……」
そんなところでふと、部屋の隅で待機していたパトリシアが疑問をこぼす。
事実として、マリーはこれまで、クリスの背を押すような形でレスターとの仲を進展させられるよう取り計らってきた。
それは友人としてなら納得のいく行動だが、恋敵あるいはそれに類する存在として見るなら不合理極まりない行為だ。
レスターとマリーの婚姻は政略結婚であると同時に、マリーにとっては初恋の相手と結ばれる恋愛結婚の側面も含まれる。だというのに何故わざわざ敵に塩を送るような真似をするのか――リンデならば何だっていいからえっちなことを見るチャンスだ! と言ってしまえるだろうが、そうでないなら彼女の行動は支離滅裂に見えるのだ。
「いやボクも側室が増えるのは嫌だよ」
「おや?」
その疑問に、マリーは苦笑いで応じた。
確かにクリスに対して親しみはあるが、それは決して正室の座を譲るほどではない。もしそこを争うことになったなら、マリーもそれなりの対応はしただろう。
「嫌なものなのね」
「流石にリンちゃんには分かってほしいなぁ!?」
「えー……だってあたしまだそんな歳じゃないし」
「そろそろそういう年齢ですよ」
リンデにとって恋愛とは眺めるものであって当事者ではないのである。
再び苦笑いを浮かべたマリーは、そのことを察して小さくため息をついた。
「……ともかく!」
「はい」
「ボクはまあまあ嫌だけど、レスターの立ち位置を考えると今のまま側室が増えないってことは無いと思うんだよ」
「そうなの?」
「そうなんだよ。ユーニスとの婚姻でトラヴァーズ港が支配地域に加わるとなると……海外との交易も始まるだろうし、一筋縄じゃいかない相手も増えるよね。婚姻っていうのはお互いの友好を示す大きな手段だし、申し出てくる相手も増えるだろうからね。断りきれないってことはありうると思うんだ」
普段はそうした様子を見せないだけで、マリーも元々帝室の一員である。政治について造詣が深いとまでは言わないにせよ、それでも「それなり」程度には把握していた。
レスターの立ち位置は、外から見た時あまりにも都合が良い。家格血筋共に極めて良く、能力に波がないため何をやらせても大抵のことに対応できる。支配地域もサラク村とトラヴァーズ港という今後の貿易の中心地になりうる土地で将来性も悪くない。更に正室は隣国シムゾニア帝国の第二皇女で、レスター経由で帝国との繋がりを期待することもできる。
加えて問題となるのはレスターの性格だ。貴族としての意識が非常に強い彼は、それが家の利益となるなら誰が相手だろうと政略結婚の申し出に応じることだろう。
「でも流石に人数が増えすぎると家としてまずいだろうからね、その辺はある程度絞ると思う」
「子供が増える分には家の利益になるんじゃないの?」
「増えすぎることも問題なんだよねぇ……」
「子供が増えるということはそれに応じて権力が分散する――分家が増えるということです。場合によっては権力争いが勃発しかねませんよ」
「それは確かにまずいわね……」
故にこそ、場合によっては子供を謀殺することもありうるのがかつての貴族社会である。
現代では子供の数を制限し、貴族の立場から離すなどして対応している。大貴族でありながら兄弟三人しかいないアシュクロフト家などがその実例だ。
「で、その枠にクリスを入れておくことで側室が増えすぎることを抑制しつつ、クリスが手元から離れる可能性を潰しておく」
「前半は分かるけど後半はどういうこと? 姉さまが兄さまのとこから離れるわけないじゃない」
「んー……それはそう思うけどね。例えば……そう。クリスが神器継承者になったりしたらどうだろう?」
「逆に兄さまと政略結婚する理由ができない、それ?」
「ところがそうもいかない」
マリーは神妙な顔をして首を横に振った。
クリスが神器継承者であろうことはほぼ確実と言えるのだが、それを本人が明かさない限りは確定はしない。しかし、確定してしまえばどうあってもその件は公になるだろう。
クリスは神器など必要としないほどの能力を備えているが、万が一ということは常にありうる。
「聖王国はよくも悪くも神器を中心に発展してきた国なんだ。クリスが神器継承者と確定した場合、国は何を置いてでもまずクリスの身柄を確保しに来ると思うんだよね」
「あー……」
「神器の特性にもよるけど、国は新たな継承者を東西どっちかの守護に置きたがると思う。そのために爵位を与えて貴族家として独立させて……そうだね、執務と箔付けのために例えば王族あたりと政略結婚させるんじゃないかな」
「むぅ、それはダメよ。何かヤダ」
「でもそうなる可能性は高くなる。でも先んじてレスターと結婚してもらってたら、とりあえず引き離される可能性は大幅に減る……と思う」
クリスの持つ神器が「槍」であるならば、その可能性は更に減る。国のどこにいても連絡さえ受けたならすぐに出動できるためだ。
加えて、災禍の洞窟を通じて帝国と隣接しているサラク村の状況も天秤に乗せればより盤石だ。
「もっとも、どうあってもクリス次第ではあるけどね」
「………………も……っどかしいいいい……」
「あまり焦るものではありませんよ」
「ねえマリーちゃん、他にこう……姉さまが神器継承者になった場合でも大丈夫な手って何か無い?」
「えぇ……難しいこと言うね……」
聖王国の性質を考慮した場合、神器という要素が介在すると判断が非常に難しくなるというのがマリーの考えだ。
そうであっても、神器継承者であるということが開示されたクリスが自由を謳歌できる状況があるとすれば、ごくごくか細いものだ。
「……行方不明の神器が見つかって、その全部に継承者が見つかって、国内各方面の守護が万全になったら……とか?」
「分かった。あたし神器見つけてくるわ」
「ちょっと待ってよ!?」
「ちょうどいいじゃない。あたし三年間王都の学院に行くからちょっと時間に余裕があるはずよ!」
「いや勉強しなよ」
「これまでもずっと聖王国の方々が探されていたはずです。ただ漫然と探すのでは見つからないかと思いますが……」
「……見つけ方の問題よ! 多分!」
「無茶苦茶言うね……」
苦節50年。聖王国が経てきた神器探索の歴史である。
今なお国内を探し続けている聖王国の密偵各組織がリンデのこの発言を耳にすれば、半ギレで反論してくることは想像に難くなかった。
一方その頃の執務室。
「なんかリンデが無茶苦茶なこと言ってる気がする」
「何やその四六時中反応してそうな感覚は」