魔道具の作り出す光と闇の狭間を、クリスは風のように駆ける。
帝室の血族が襲撃されるという大事件が起きたとは思えないほど、洞窟内は静寂に包まれていた。
視覚、聴覚、嗅覚、そして風の流れを感じる触覚をフルに活用して敵を探知し続ける。
クリスの脚力であれば洞窟のサラク村入口から帝国側出口までおよそ5分。整備された道であるためその速度は更に増す。平時より遥かに鋭敏になった彼女の感覚は、遠方からでも戦闘のにおいを嗅ぎつけていた。
(金属の擦り合う音に加えて血のにおい。この先だ)
槍を構え直す。クリスは長年の経験によりどのような状態からでも最適な攻撃を繰り出せるが、構え直すという動作が精神的なスイッチを入れるのに役に立った。
クリスは戦うことしか知らないが故に護衛という立場でレスターに仕えているが、戦いを好んでいるわけではない。むしろ嫌厭していると言っていいだろう。その気持ちを押し殺すための動作だ。
ほどなく、戦場が見えてくる。
漂う鉄臭さと獣臭さが人間以外の存在を予感させ、その推測を裏付けるように、崩れた壁面がクリスの目に映った。
レスターをはじめとする地の魔力適性を有する者たちが徹底的に固め、マリーが設計し、ギルドがこれを監修することで生半可な魔獣では突破不可能な強度を誇るはずの壁だ。破壊した何者かがいることは明らかだった。
(皆の頑張りをよくも……)
感情の高ぶりがクリスの周囲の空気を凍てつかせる。
この瞬間、彼女は標的が魔獣ではないことを悟った。真に除かれるべきは、この状況を作り出した「何者か」だ。
「魔獣どもを近寄らせるな!」
「なんとしてでも殿下をお守りしろ!」
喧騒が近づく。その中心には、焼けた車体を盾にして多数の魔獣と相対する騎士たちの姿があった。
崩壊した壁面から次々と現れる一角の魔獣は、火炎をまとっていることから考えれば一見するとこの状況を作り出した犯人のように思えるが、即座にクリスはその考えを手放した。
いかに魔獣の頭が良いとは言っても戦略的行動を取って特定の人間を狙うほどではない。彼らにとって「帝国第一皇子」という肩書など何の意味も無いのだ。そこに特別な意味を見出すのはやはり人間くらいのものである。
クリスは駆けながら眼帯を外し、魔力の流れを追える紫色の片目を晒した。戦場に流れる魔力を示す無数の色彩が暴れ狂い、軽微な負荷となって襲いかかる。
平時と比べれば負担が生じるのは当たり前のことだ、と彼女は負荷を振り払うように加速した。重要なのは、この場に流れる異質な魔力の出処だ。
洞窟の壁を走り、弧を描くように天井から一撃を見舞う。迸る冷気と共に戦場の中心に現れたクリスへ、否応無く視線が集中した。
「態勢を立て直せ!」
「!? りょ、了解!」
槍の一閃により、瞬時に二頭の一角獣の首が刎ね飛ばされる。同時に、後続の侵入を防ぐために崩落した部分を埋めるように氷の壁が現出した。
突如現れたクリスの指示に、しかし騎士たちは動揺しながらも即座に応じた。
彼らが列車の連結部を破壊して機関士たちをサラク村に向かわせたのは、まさにこういった増援を期待してのことだ。よもや単騎でやってくるとまでは思っていなかったものの、クリスの実力を目の当たりにすればそれも頷ける。
「円陣を組め!」
「「「はっ!」」」
皇子を守護する任を負う騎士たちは、想定外のことに遅れを取ったとはいえ紛れもなく精兵である。接近した一角獣を払い除けて陣を組むその動きには、一切の淀みが無い。
魔獣の心臓を貫きながら、クリスは内心で感心した。これほどの想定外でなければ、彼らだけで魔獣は撃滅できていただろう。
「何者かが魔法で狙っている! 注意せよ!」
「ご忠告痛みいる!」
それをさせてくれない理由の一端が騎士の口から発せられる。それを裏付けるように、クリスの瞳は異質な魔力の流れを捉えていた。
その正体を探るよりも先にクリスは横に跳び出した。直後、彼女が元いた場所に一条の光線が突き刺さり床を焦がす。
騎士たちが攻めきれない原因はこれだ。倒れた騎士の中には身を焼かれている者が少なくない。
(そこか!)
クリスは射撃の角度と出処から敵の居場所を算出し、急襲した。
異常とも言えるキメラの身体能力から繰り出される一撃だ。相手がただの人間、普通の武器であれば容易にそれらをまとめて砕き割るほどの威力を誇る――そのはずだった。
「あら、追ってきましたか」
「……!?」
クリスの槍を受け止めたのは、10代半ば程度と思しき少女だった。
その手にはごく細身の刃が取り付けられた弓が握られており、側面から衝撃を殺すようにして、クリスの槍をなんとか受け流していた。
薄闇の中、クリスは少女の顔を視認した。赤い右目と銀の左目。通常ではありえない魔力適性を示すオッドアイは、紛れもなくキメラの証である。
加えて想像だにしなかった点が一つ。
「サンドリーヌ……!?」
その顔は、若々しくはあれどクリスの知る己自身の仇そのものであった。
クリスがサンドリーヌに殺されて50年。サンドリーヌ・ゴーティエは生きているなら70代の老女のはずだ。当然ながらこのような少女ではない。
――と同時に、クリスもまた本来は死んでいたはずの人間であり、元々は女ですらない。ならば自ずと答えは導き出される。
「まさか……クリスですか? 随分とお可愛くなりましたね」
「自らキメラと化したとでも言うのか!?」
「ええ、そのまさかです。お久しぶりです――っ」
やり取りの間にも一閃が差し込まれ、サンドリーヌは大きく体を逸らしてこれを躱した。
互いにキメラ故にその身体能力は概ね互角。更には歴戦の古強者として50年前の戦乱を生き抜いた者同士だ。呼吸が読まれている、とクリスは感じ取った。
「過激な挨拶ですねっ」
「挨拶のつもりはない」
再びの一撃は、先ほどと同じように受け流す形で凌がれた。
しかし威力を殺し切ることはできず、サンドリーヌは思わず顔をしかめた。
「ここで無駄話に興じるつもりも無い。話なら捕らえてから聞かせてもらう……!」
「本当にあの頃のままですね!」
斬撃と斬撃が重なり、衝撃が駆け抜ける。
互いの武器は強靭な造りだが、分厚さと重量でクリスの槍の方が威力で勝る。これ以上の接近はまずいと、サンドリーヌは即座にその場から後ろへと飛び退いた。
「逃がすか!」
それを察してクリスは即座に槍を投擲した。神器でもないだろうに唯一の武器を手放すなどと、という思いもサンドリーヌの脳内に浮かぶが、それが確かに彼女の足に傷を負わせている以上無意味とは言い難い。
再びクリスが駆け出し、これを手にするまでに1秒未満。脳内で試算を弾き出した彼女は、「奥の手」のひとつを切った。
キメラとして持つ特異な部位――副腕だ。脇腹から蜘蛛の触肢に似たそれが飛び出し、彼女の弓を保持した。
直後、収束した火炎が熱線と化し、宙で分岐して一斉にクリスへ襲いかかる。
「!」
クリスはその進路上に盾として氷の塊を作り出した。熱線は氷の塊を貫き、蒸発させ――そして周囲に水蒸気を撒き散らす。
貫通した光線がいくらかクリスに痛手を負わせたが、彼女がそれで止まることは無い。鎖を引き戻すことで、サンドリーヌの想定よりも遥かに早く己の手に槍を取り戻したクリスは、サンドリーヌの持つ武器について考えを巡らせた。
(やはり神器ではない。「弓」なら蒸発させた端から水蒸気を「収束」させて無効化したはず)
副腕による狙撃は、超高速で動き続けるクリスには当たらず壁面を焦がすのみだ。
直に相対するとここまでの脅威だったのか、とサンドリーヌは歯噛みした。
「これ以上は付き合えません。さようならです」
当然、いつまでも相対しているわけにはいかない。サンドリーヌは即座に懐から神器のレプリカを取り出し、空間の穴を開こうと試みた。
――しかし、何も起きない。
思わず、ありえない事態にサンドリーヌは目を見開いた。そうなった理由を知ったのは、クリスの空いているはずの手元に光る「それ」を目にした時だった。
「
神器、「星の槍」。
その能力は空間を支配すること。遠く離れた空間同士を繋ぐことも容易なそれであれば、空間を「切り離す」ことも――継承者の手元に引き寄せることもまた容易である。
迎撃のためにサンドリーヌの持つ弓に備え付けられた刃が分離し、双剣となる。しかしクリスはそれを手にする隙すらも与えなかった。
サンドリーヌの体が、凍りついたように動かなくなる。それはまさにクリスがかつて使った神器の業の一つ。
(空間凍結――!!)
腕や足、動きの起点となる部位のみを空間ごと固定し、動きを封じる。全身を対象としてしまうと干渉そのものができなくなるため、繊細なコントロールが要求される技術だ。
まずい、などと思う余裕すら無かった。刹那、サンドリーヌの側頭部に強烈な衝撃が走り、意識を手放すことになったためだ。
「…………」
クリスは空間凍結と座標の固定を解くと、忌々しげにしながら「星の槍」を元の座標へと返還した。
継承者故に遠隔でその能力を発揮し、引き寄せることができるのなら、その逆もまた然りだ。
「……どう、説明したものか……」
戦闘の余波でボロボロになった洞窟を見回しながら、クリスは軽くため息をついた。
ただでさえ彼女は説明が下手なのだ。状況がややこしくなればなるほどクリスの説明は複雑怪奇になり、レスターがその解読で負担を被る。
とりあえず後で考えよう。
そう結論づけたクリスは、サンドリーヌの手足を厳重に拘束して抱え上げた。
人これを問題の先送りという。