「洞窟の探索に向かいませんか?」
午後からの作業について思案していた折のこと。クリスの口からぽろっとこぼれたその意見に俺は思わず眉根を寄せた。
災禍の洞窟。旧サラク村滅亡の原因であり、現在でもある意味この村の根幹をなす厄介な存在だ。
単なる魔獣の巣というだけでなく、地下帝国に繋がる数少ない直通路。ある意味ここも国境線の一つであるとも言える。
とはいえ死の危険を冒してまでこんなところを通ってくる人間は(クリスたちのようなワケありを除けば)おらず、あまり立ち入りたくないというのが本音だが……。
「そうだよな……一回行っとかなきゃだよな……」
「すごいイヤそう」
嫌なんだよ。
行かざるを得ないけど。
いくらクリスが強いって言ってもあんな危険地帯普通に怖いし、何より……うーん……。
「ぜ、全力でお守りします」
「ありがとう。でもちょっと話が違うんだ」
「と、おっしゃいますと……?」
「問題はこなさなきゃいけない
具体的に言うと、洞窟内部の地図を作り、魔獣の分布図を作り、魔獣の増加ペースを推測した上で日ごと、週ごと、月ごとの減らさないといけない個体数の試算を出し、生態調査もし、むやみに魔獣が地上に上がってこないように一定間隔で扉を作り、植生を確認して食物連鎖の流れを確認し、場合によっては舗装もして……。
一つ一つ挙げていくと、みるみるうちに二人が苦々しい顔になる。
そうなの俺今からこの書類全部作らないといけないの。ウフフ。
目を背けたいけどこれ放っておいたら災厄の再来だし、下手したら今度はサバルくらいまでは軽く滅ぶから目を背けられないんだ。
嫌そうにするくらいは許してほしい。
「早急に事務員を雇うべきでは……!?」
「来てくれないんだよ」
誰も好き好んでいまだに危険地帯と名高いサラク村まで来ないんだよ、困ったことに。
しばらくはこの激務が続くことだろう。
「れ、レスター様……行きたくないなら行かないのも手かと……」
「そういうわけにもいかないんだな、村長だから……」
……まあ、最初の調査さえしっかり終わらせてしまえば、後が楽になるのもまた事実だ。
頑張れ俺。負けるな俺。合言葉は「一日で済ませる必要はない」だ。一日で終わる作業量じゃないとも言う。
折れるんじゃあない俺の心!!
「ともかく行くなら早いうちがいい。準備が終わったら早速向かおう」
「承知しました。となると……武器や防具ですか?」
「いや、食料と荷車……」
「…………」
そうそう死にはしないにしても、遭難の可能性は常に付きまとうからな。
強いだけではどうにもできない部分のカバーは、俺の仕事とというわけだ。
クリスはメチャクチャ恐縮していた。
災禍の洞窟は、洞窟と呼ばれてはいるがその構造はアリの巣に近い。
大小さまざまな空洞をワーム型の魔獣が通った跡が繋ぎ、それを他の魔獣が踏み固めて通路とする。空洞ができる経緯は、魔法的な要素と魔獣的な要因とが混在していてはっきりしたことは言い切れない。中には地底湖のようになっているものがあったり、魔獣の生態に合わせた環境に改変されていたりと、およそ物理的な常識で括れない魔窟というのが印象だろう。
こうした独特な地形は迷宮だとかダンジョンだとか呼ばれることも多いが、これの由来は定かではない。そもそも成立の要件から考えると普通に洞窟だとか洞穴だとか呼べよ、と狩猟組合の知人に言ったところ、「違うのだ!」と叱られたので何やら特別なこだわりがあるらしい。わけがわからない。
ワーム種も
ともかく、洞窟に侵入した俺たちは、魔獣の巣にたちこめる死臭に顔をしかめ――。
「あ、これ私が駆除していった跡ですね」
初手でズッコケた。
どんな凄惨な環境なんだと戦慄してたら原因お前かよ!
いや冷静に考えるとクリスしかいないんだが……こうして改めて見るとすごいな。
「うっわ」
魔法で明かりを灯すと余計にその惨状がよく見える。まさしくそこは死体の山――ちょっと前のサラク村の状態よりも更に酷い。
俺たちは誰からともなくそっと口元に布を巻いた。見た目もだが臭いがヤバい。
「
「はい、あの、一直線に」
「どうやって?」
「鼻と眼です」
今は利きませんが、と軽く補足を入れつつクリスが眼帯をずらして示す。
そういえば、沼熊の時も同じようにしていたな。
「
それ以上の具体的な説明は、変に時間がかかるので聞かずにおいた。クリスに説明をさせると一分で済む話が十分以上にまで延び延びになりかねん。
ともかく、クリスがやったのは、大気中に漂う魔力の流れを観察することで、外に繋がる最短ルートを見つけ出したということだろう。
「ん? ……んん」
さて、こうして悠長に話をしていられるということは、まだ魔獣の接近がないということだ。
これは少しおかしい。なぜなら、これだけ豊富にエサがある状況にもかかわらず、魔獣が寄ってくる気配がないということだからだ。
「クリス、急で悪いが念入りに警戒してくれ。リンデは荷車から離れるな」
「急にどうしたのよ?」
「村でもクリスが追い払うまで魔獣の死体に獣が群がってきてたはずなのに、ここではそれがない。ちょっと異様だ」
「言われてみれば……」
虫くらいはいるようだが、それも一般的なよく見る範疇の
「多分、このあたりの魔獣が逃げ出すだけの何かが起きたんだと思うが……」
「うん。うん?」
「地震や地底火山の噴火のような天災、強大な頂点捕食者が通りすがったか、あるいは――」
「姉さまのせいじゃないこれ?」
「え?」
「ん?」
「頂点捕食者? みたいなもので、すっごく強くって、災害みたいに凍らせたり毒を出したり」
……あれ? 言われてみればそうかな……? そうかも……?
魔獣が束になってかかってもまとめて始末するほど強くて、この辺りの土着じゃないよそ者。進行方向の邪魔者を手当たり次第に殺していって食べもせず放置するなど、行動や思考が全く理解できない災害めいた怪物。
考えてみるとそんなヤバい奴がテリトリーにした可能性の高い場所に近づこうとする獣はいないかもしれん……。
燃え上がってた警戒心が急にスンと鎮火するのを感じた。
「悪い。無駄に警戒させてしまった」
「い、いえ。そもそも私の招いた事態ですので……」
「後先考える余裕も無かったんだろう。仕方ないよ」
地上に出ることだけを唯一の希望にして、果ての見えない暗闇を走るのはどれほど辛かったことだろうか。
俺も見習って果ての見えない仕事も頑張らないといけないだろう。
果てはどこにあるんだ仕事の終わりの。
「それにこれはある意味チャンスだ」
「そうよね、魔獣の数が少ないってことだもんね」
「ああ、一気に下まで降りて地形調査ができるかもしれない」
元来た道を戻ることになってしまい、二人には少し酷なことだが、このルートを確保できれば必ず村の今後のためになる。
地下帝国との折衝が死ぬほど大変なことになるのは確実なんだが……いや、そこを今すぐ考えようとするのやめろ俺!
「最終目標は
「お待ちを。国境は現在どのように制定されているのですか?」
「戦後の会議でやり込められたらしい、が――心配しなくていい。洞窟の帝国側出口まで丸々うちの領だ」
「え。広くない? 広いわよね?」
「広いぞぉ」
「なんでやりこめられたのにむしろ領土が広……いやごめん聞きたくないわ察したから!」
「はっはっは」
だから魔獣があっち側にやってきて被害出したら
政治的な駆け引きでね。そもそも国土が限られている地下帝国は、戦後復興と補償の問題に関して特に力を入れていた。そんな中でわざわざ魔獣の巣を抱え込んで余計な被害を出したくないのは至極当然だろう。よって領地としてうちに押し付けて魔獣の管理問題にかかる責任も丸ごと押し付けたわけ。
その流れで結果的にだが、帝国の方にも飛び地のようにアシュクロフト侯爵領が存在する。これは洞窟の巣から出てきた魔獣を討ち取るために例外的に設けられた、領事館というか砦というか――ともかくそういう施設だ。
俺もあまり生々しく変な陰謀が渦巻いてる世界の話はしたくないし、察してくれて助かった。
政治の方面はその、ね……情とか義とか度外視しないといけない部分あるから……。
「よし、方針を共有するぞ。クリスは残敵の掃討を頼む」
「はい」
「リンデはできる範囲でいい。死体に腐敗魔法を使って、分解・発酵を促進させてくれ」
「わかったわ。でも火で焼いた方がよくない?」
「酸素が尽きるからしっかり用意をしてないとダメだ。やる時は言うから待て。で、俺は道の舗装と横穴の封鎖、採掘と記録作業、レポート作成と」
「多くありませんか!?」
「フフフ」
しょうがねえだろ。できないことやらすわけにいかないんだから。
俺のできることの幅がたまたま広かった、だからやる――とそれだけの話だ。やるしかないのだ。
幾多の魔獣の死体で形作られた、比較的安全な道を行く。
さっき言った通り、俺の仕事はバカげた多さだ。なのでまず完璧さよりも多少の粗を前提にして素早く完遂することを目指すことにした。
メインストリートほどしっかり石畳を敷くのではなく、とりあえず地面をなだらかにする程度。横穴を塞ぐのは扉のように行き来を前提にするのではなく、整地にあたって出た余分な土や岩を詰め込む程度にとどめておく。これで仕事も早くなり魔力もかなり節約できた。
「まだ帝国と貿易を行うつもりはないとお見受けしますが、道を丁寧に作っていらっしゃるのはなぜですか?」
「クリスも含め、狩人の定期巡回のためだな。道は整ってるに越したことはない」
槍の一本で高位魔獣でもホイホイ瞬殺していくクリスは、ある程度どんな環境でも身軽に動ける……のだが、魔獣の死体は重要な素材の宝庫だ。これはやはり持ち帰っておきたい。
そのためには台車を持ち込んだり、専用のトロッコなどを引いて輸送路を作り出す必要がある。前準備程度でもやっておいた方が後で楽だ。
その過程で死体もできるだけ土に返しておきたい――こちらはあくまで努力目標だが、思ったよりもコツを掴むのが難しいらしく、既に一部は腐乱死体の山と化していた。
もっとも、自前の能力で焼却処分できるので大した問題にはならないのだが。消費した酸素も、風魔法で補ってやれば万全だ。
「地味……!!」
そんなこんなで二、三時間。三階層ほど降りたところで、しびれを切らしたリンデがボヤきはじめた。
「こら、リンデ……!」
「まあ、すこぶる地味だな……」
「レスター様!?」
否定はできん。だって事実だから。俺がレポートまとめてる間も二人手持ち無沙汰そうにしてるから視覚的にも理解できる。
「とはいえ仕事ってものは大半が地味なものだよ。他人のやらないこと、できないことを代行して対価を貰うわけだからさ」
「兄さま肝心の対価貰ってなくない?」
「…………」
改めて考えると……それはそうなんだが……。
俺、村長で雇用主だから給料貰うんじゃなくて出す立場だし、対価云々以前に無給だし……。
「これは貴族の特権に伴う責務だからな」
あくまで「民」あっての存在が貴族である。それ故に貴族はインフラの整備や公共施設の運営など、貴族の立場であってはじめてできるような仕事を通して民に報いる義務がある。
あるけど、インフラの整備ってこんな直接的なやつだったかなぁ!?
……と、ともかく、俺は今までも、今でも、貴族である恩恵にあずかっている以上、対価や報酬を求めるのは筋違いであるという話だ。
「特権……今なくない?」
「それは違う。俺は生まれたときからずっと特権を享受してるんだ。村の運営だってそう。貴族だからこそ父上から援助が得られてる。今やってることは、そうして貯まったツケを払っているに過ぎないよ」
「貴族も楽じゃないのね」
「……まあ、世間の印象よりはな」
世間で思われているよりも、貴族というのはいくらか真面目だ。
娯楽本でよくある悪徳貴族みたいなことしたらすぐに国から潰される。それにそもそも、領民が貧しいなら、税を吸い上げられない領主だって自動的に貧しくなっていくんだ。今もなおこの手の話が根強く語られているのは、実例として過去そういう貴族がいたという記録と、反貴族勢力のプロパガンダ……あと流行りの娯楽本が原因だろう。
「何? 世間の印象って」
「いや、そういう本が……うっ」
「本!?」
ま……まずい。ハチャメチャに期待した目でこっちを見てくる……今すぐにでも見せてくれと言わんばかりだ。
本を見せること自体は別に悪いことってほどでもない。幅広く、手軽に知識を得られるし暇潰しにもなる。が……
保護者としてこの辺どうなんだ、という話である。年齢制限のある本はどうにも……その、情操教育に悪い。今でも問題発言が多いのに更に悪化しかねない。
……いや、一般的な本でも割と教育に悪いなこれは、というものはあるんだが。
「お願い、本買って! っていうか買いに行かせて!」
「今日の作業が終わったら、父上に送ってもらうように頼んでみよう」
「やった! ありがとう兄さま!」
フフフ……こいつ純粋な気持ちでおねだりしてるのか不純なのか全く分かんねえ……。
頼むぞ父上、刺激は強くないけど面白い、くらいの娯楽本を選んで送ってくれ。リンデ自身が選ぶ余地があるとコイツは確実にあまりよろしくない本を購入するからな……。