「これでよし、と」
さて、マリーが使ったものと色違いの器にリンデの作った卵液を投入。これで二人のプリンがだいたい完成した。
「蒸すのは?」
「平均して15分から20分……ものによってまちまちだな。時間は俺の方で見ておくよ」
「簡単なデザートって話なのに、これだけ手間がかかるのね」
「この手間を省くために、便利な道具があり、専門の職業があるわけだな」
「レスター様も少し専門職の方に仕事を振るべきでは」
「人が増えたらな」
主に事務作業やってもらいたい。あと各種工事。俺は村長業務と料理だけやっていたいところだ。
遠い将来の話になるだろうけど。
「そういえば熱いまま食べちゃダメかい?」
「美味しくないぞ。卵液と砂糖の馴染みが悪くて尖った味わいになるし、舌触りも悪い。冷やしたほうが無難だ」
「
ブレッドプディングなら温かい方がアリなんだけどな。
ともかくそんなワケで一晩明かして翌朝。珍しく早く起きてきたマリーを交えて、試食会が始まった。
その記念すべき最初の一口は――。
「甘ッッッッッッッッッ!!」
「舌が痺れる」
「ジャリジャリする」
「えーっ!?」
結論から言うと、散々だった。
割と覚悟して食べたのにちょっと体の芯から熱が引いていくのを感じる。味の要素を理屈で分析するごとに意識が飛びそうだ。
いや、これは俺個人の問題なんだけれども……!
「マリーちゃん砂糖入れすぎ!」
「下に行けば行くほど甘い……うう……朝から目がしばしばする……」
「……丁寧に処理をしなかった分、
「うぐ……冷静に指摘されるとちょっと堪える……」
「何でこんなに入れたのよ?」
「糖分欲しくって……」
完全自分基準で作ってしまった、と。
正直わからんでもないが、デザートにそれは悪手だ。普通の料理と違って、菓子は緻密な数字の上で作らないとすぐに味が崩れる。
とにかく味を濃くして誤魔化す手もあるが――ああ、くそ。嫌なこと思い出した。
「レスター様? 顔色が良くないようですが……」
「気にしないでくれ。体調は悪くない」
そう、体調自体はそこまで悪くない……はずなんだが。
たかだか3週間そこらで限界を迎えるほどヤワな鍛え方をしてるつもりもないし。
「じゃ、じゃあ次はあたしのね!」
目に見えて緊張した様子のリンデが、プリン容器を差し出してくる。意を決して皆して口に運べば、それは――。
「普通だね」
「うん……普通だ」
「くっ……ふ、普通……!」
「私は美味しいと思うが……」
あえて言葉にすると、実に「普通」だった。
甘さは決して少なくないが、卵と牛乳の風味も感じ取れる極めてスタンダードなプリンだ。
「普通で、考えうる限りで最良だ」
「えっ」
「普通なのに最良……?」
「お菓子つくりが初めてなのに、レシピ通りに過不足無く『普通』の味に仕上げるのはなかなかできることじゃない。マリーみたいな例もあるし……」
「ぬぬ……」
なんだか普通じゃ物足りないね、で最初からアレンジに走るのはたいへん危険だ。基準となる味も分からないまま判断する形になるのだから。
たとえ成功して美味しくなっても、それがあまり良くない成功経験になる。レシピを信用せず、ひと味もふた味も加えた形こそがデフォルトとして料理や菓子を作ってしまう。「レシピ通りが一番美味しい」とされるようなものでも構わずだ。
この点、レシピを違えずそのまま作ったものは第一歩として最適だ。
「そもそも、一般的なレシピは万人の口に合う『普通』に仕上がるよう書かれてる。つまりお手本通りに作れたんだ。素晴らしいよ」
「そ、そーお? へへ、えへへ……」
……よし。これでだいたい言うべきことは言ったか。言ったな?
照れてるリンデは微笑ましいが、そろそろ俺は精神の方が限界だ。隣に控えるクリスの肩を叩いて意識を向けてもらって……と。
「何でしょう?」
「すまんクリス。しばらく意識飛ばすから後よろしく」
「は?」
伝えるべきことを伝え終わると、堰を切ったように頭の中に過去の情景がフラッシュバックしてくる。
色味が普通と違うケーキ、きらびやかな菓子の数々を展示する菓子屋……そして炎上する街と人。館。甘い匂いに引き出された記憶がぐちゃぐちゃに脳内をかき回し――ほどなくして俺の意識が吹き飛んでいった。
「レスター様? レスター様!?」
「ええ……?」
「……失神している」
「ええ……!?」
宣言通りに
椅子にもたれかかった状態で、頭を後ろに倒したある種綺麗な失神である。可能な限り迷惑をかけないという矜持が現れているかのようだった。
(えっ、いやお菓子……お菓子で……!? じゃあ血糖値……なわけないか)
状況を考えれば、彼が気を失った理由はマリーとリンデが作ったプリンのせいで間違いない。特に、クリスは真横で一匙口に運ぶごとに顔色が悪くなっていくさまを目にしていたため、確信を持ってこれを断定していた。
甘すぎるものを食べたせいで血糖値が上がり、意識を失うという例は世の中にある。しかしこれはあくまで加齢による高血圧などの症状や体質に依るもので、もしそうならレスターは普段から気にかけているはずだ。菓子が作れないが、果物を食べることはできるという背景もある。原因は精神的なものであろうことは明白だ。
この状況、パニックを起こしたクリスとまだ幼いリンデにはまだ対応はできないだろうと、困惑の中でマリーは車椅子を動かした。
「クリス。レスターを近くに寝かしてくれないかい。リンちゃんは手ぬぐいと水を用意してきて」
「さっ……ぬ……わ、分かった」
「ほ、他に何かいるものあるかしら」
「んー……あ、レスターの家族の連絡先知ってたら教えてほしいな。こうなるの知ってるなら、事情を聞いておきたいんだよね」
「おじ様でいいかしら……」
「おじ様? まあ事情知ってそうな人なら誰でも構わないよ」
クリスは一瞬、平時のように「指図はやめろ」と言いかけたが、理性でこれを押し留めた。
リンデは水と手ぬぐいを持ってきてマリーに渡すと、すぐにタブレットに登録されているアシュクロフト家の回線に繋いだ。その通信相手は他でもない、レスターの実父であるエドガー・アシュクロフトだ。
数度の呼び出しの後、軟体型タブレットに映されたのは見るからに上機嫌な様子の壮年の男だった。
『おお、リンデではないか。元気にしているか? レスターから無茶を言われたりしておらんか? ん?』
「ぅお……」
「大丈夫よ。それとごめんなさいおじ様、今回はちょっと急ぎの用事があって」
マリーはまず通信に現れたのがレスターの実父――つまりこの周辺の土地の最高権力者であることに、思わず息を呑んだ。現侯爵家当主となれば文句なしの大貴族である。ホイと連絡を入れていいような相手では断じてない。
次いでそんな彼がリンデに対し、孫に対して接するような態度を取っていることに若干引いた。キメラへの偏見が無いことと、リンデ自身の無知さ人懐こさ、日頃から何かと連絡を入れて交流している事実に由来する事態ではあるが、心を開きすぎである。
いずれにせよ、このままでは祖父と孫(のようなもの)の和やかな会話が始まってしまうと察したマリーは、やや強引にそこに割り込むことにした。
「ご歓談のところ申し訳ない、アシュクロフト卿」
『む。あなたは――』
「マリー・フレーベル。先日は村への滞在の許可をいただきありがとうございました。また、このような形での顔合わせとなってしまったのは失礼と存じているのですが……」
『壮健なようで何より、フレーベル女史』
「マリーちゃん敬語使えたんだ」
「『こら』」
同時に小さく叱る声が上がる。普段、レスターに対して砕けた態度で接していようと、ほんの少し前まで彼女はまっとうに社会に出て活動していた人材である。それが必要な場面であれば、外面も取り繕えて当然だ。
「単刀直入に申し上げますが、先程閣下の御子息がお菓子を食べて失神してしまいました。何か原因をご存知なら教えていただきたい」
『菓子を……誰が作ったのだ?』
「あたしとマリーちゃん」
『そうか……まったく、我が息子ながら無理をする』
エドガーはそう呟くと、悔いるように自らの顎を撫でた。併せて、眉間のシワが深まる。話すべきか、そもそも話していいものか……という小さくない葛藤がそこにある。
しかし、既に問題が起きていることは示されている。語らなければなるまい、と判断するまでには数秒とかからなかった。
『レスターは4年ほど前まで領内の麻薬を取り締まる密偵の任に就いていたのだ』
「密偵……へえ、なる……ほど」
余裕を装った口ぶりの裏で、マリーは内心「あれ本当だったの!?」と大いに叫んだ。
荒唐無稽な話として信じていなかった彼女自身にも問題はあるが、信じないだろう前提で冗談めかして語るレスターも問題がある。そうに違いない――マリーはそう結論付けた。
『その最後の仕事が心に傷を残しているのだろう』
「概要を伺ってもよろしいですか?」
問う声音には強いためらいの色があった。聞かなければならないが、できれば聞きたくはないという気持ちがにじみ出ている。
単純に内容に想像がつくという点は元より、侯爵直属の密偵などほぼ間違いなく部外秘の機密である。その構成や仕事内容を知るというのは、すなわち暗部に近付くということでもある。心理的に抵抗があった。
『話をする前に、リンデは席を外してくれんか』
「えっ、何で!?」
『まだリンデも知らぬことを多く語る必要がある。今ここで説明をしながらというのはいささか時間的な問題がな……』
「……それもそうね」
姉さまと代わってくるわ、とすぐに納得してリンデはレスターの介抱へ向かった。
もしこの話がマリーの想像通りなら、確かに予備知識は数多く必要となる。また、それ以上に子供に聞かせるには刺激の強い話だ。入れ替わるようにタブレットの前に姿を見せたクリスもまた、優れた聴力のおかげで内容を理解しているため、大筋を察して意気消沈していた。
『さて、レスターの件だが……4年前、菓子に麻薬を混ぜて蔓延させようとしていた組織があってな』
「レスター様もその捜査に?」
『左様。証拠も証人も揃え、追い詰めようとしたのだがな。奴らは街に火を放ち、関係者を口封じに殺して逃走した。街でも大勢の死人が出てな。それ以来、菓子を見ると当時のことを思い出すようだ』
「街は……どうなったんです?」
『このような事件があっては住んでいられんと、住人が去って廃墟化したよ。公的には既に自治体とは認められておらん。便宜的に私の直轄地ということにはなっておるが……魔獣がいない以外は以前のサラク村と同じ状態だ』
(
果たしてこれは貴族が背負っていい類の過去であろうか。助けを求めるように彷徨った視線はクリスとぶつかるが、彼女にかかる英雄ではないかという疑惑を思い出しそっと視線が逸らされた。
そもそも暗殺者に狙われ死にかけた経験があるマリーもまた、これに劣らないほどに重い過去である。
「あなたは私のことを血に飢えた獣か何かと思っていないか?」
「そこまでは思ってないよ……」
むしろ、キメラとなってなおその身に秘める獣性を完璧に制御しているのは、驚くべきことと言えよう。
一方で、クリスは戦前生まれで現在の価値観と馴染めていない部分がある。戦場育ち故に生命に対する感覚も一般とは離れているのではないかとマリーは疑っていた。
「クリスは戦時に
「戦場で感受性や共感性、命の大切さを見失う者がいることは否定しないが、全て一緒くたに語るのはよくない。大きな戦果を挙げた者の中にはディーン様……レスター様のお祖父様もおられる。私はいいが、そういった方に失礼だろう」
「それはごめん」
「よし」
クリスも悲惨な経験をした人間の一人だが、それを基準に不幸の大小や精神の負荷を語るつもりは無かった。
境遇の落差や環境、本人の精神の耐久力や感じ方も多分に含まれるため、安易に比較したり同一視したりするのはそれだけで軋轢を招くものだからだ。実際にそれによって生じた溝が致命的なものとなった例を経験した以上、あくまで自分が語っていいのは一般論だけだとクリスは理解していた。
「……ともかく、私とて一般論くらいは弁えている」
「まあ、そっか。それで閣下、対処法などは?」
『無理に食べさせるようなことが無ければそれでよい。あれは自己管理のできる息子ゆえな、自分からは近寄るまい』
(今地味に親バカ発揮した?)
「了解致しました。多忙の所、お手を煩わせてしまい申し訳ありません」
『むしろよく報告を上げてくれた。こういった話は隠蔽されることも多いゆえな、大儀であった』
「あ、いえ」
小さくため息をつきながらエドガーが通信を切るのを、二人は見送った。
依然として「味見役が味見をすると体調を崩す」という致命的な問題は解決していないが、その背景は理解できた。進展は無いが収穫はあったというのが、彼女らの一旦の認識だ。
原因が心の傷であれば、それを克服できるのは本人だけだ。加えて、レスターが菓子を作れなくとも、別に菓子職人さえいれば対処できる程度の問題でもある。対処するにしても優先度はそれほど高くないと言っていいだろう。
問題は、どちらかと言えばレスターの経歴だ。マリーは額に手を当てた。
「レスターが元麻偵か……」
「まてい? 密偵ではなくか?」
「略称で、俗称だよ。アシュクロフト侯爵領で主に麻薬捜査を担当している密偵、として有名だね」
「密偵が有名というのはどういうことなんだ……」
「そういう組織があるというだけで抑止力にはなるものさ。麻偵は内情も構成員も一切公表していない。隣にいる誰もが『そう』かもしれないと疑わせるわけだね」
レスターが自称していたことに嘘が無かったことにクリスは安堵し、同時にこれは安堵していいものかと少し首を傾げた。
密偵というものはある種嘘によって成り立つ職業だ。既に引退しているとはいえ前職で培った経験はレスターの血肉となっているし、街に出た時の態度から見ても以前の癖が抜けきっていないことも確かだ。調査のために嘘をついたこともあった。種類を問わず「嘘」を嫌うクリスの前では可能な限り控えているため不快感は無いものの、今後も仕事を頼まれれば嘘をつくことは止められることではない。
また、マリーはあえて言葉にしなかったものの、引退したという情報それそのものが欺瞞の可能性があるとクリスは睨んでいた。離職したと周囲に思わせられれば、警戒の目は多少なりとも和らぐことだろう。
(……レスター様が「仕事」をせずに済むよう取り計らうのも従者の仕事か。辛い過去を思い出す機会など、少ない方がいい)
クリスもまた、あまり思い出したくない類の過去を持っている。故郷は滅び、やりたくもない戦争に駆り出され、命のやり取りにも慣れきり、果ては謀略と裏切りで抹殺され死体もいいように扱われてこの有り様だ。
そんな過去を精算するかのごとく、現在は全てが理想以上の生活を送ることができているため精神的に不安定になることは無いものの、嫌な過去があった事実は変わりない。
何より、歴史的には50年前のことであっても、クリスの主観としてはほんの数週間前の出来事である。確かな実感と共感、そして何より自分と同じ気持ちを味わわせまいという献身があった。
日常系のお話で重めのまま一話終えるのもなんなので明日も更新します。