気だるさと頭痛と吐き気の中、意識が徐々に浮上する。
……我ながら、情けないところを見せてしまった。気分が悪くなることくらいは覚悟していたけど、まさかプリンで気を失うとは……。
もう4年も経つのだから、割り切れればいいと思うんだけどな……心の問題はどうも単純に解決できることじゃなくて面倒だ。
瞼の奥に焼き付いた光景が消えるのと合わせて目をゆっくり開いていく、と――。
「あ、起きた」
「…………」
やたらめったら近くにある、紅の瞳と目が合った。
どうやら寝込んだ俺の顔を、リンデが覗き込んでいたらしいが、そのまま顔同士が触れてしまいそうなほどに近い。
思わず手を差し入れて距離を取った。
「ぷぇ」
「近いぞ。何やってんだお前は」
「兄さま普段あたしたちの前で寝ることあんまり無いから、ちゃんと息してるのかなって」
「そういうこと安易にやると変な勘違い生むからやめとけ」
「そうなの? じゃあそうしとく」
とりあえずの納得だけしてもらって体を起こす。
好調からは程遠いが、ここんとこ毎日くたくたになるまで働いているのもあって、毎日こんなもんだ。
用意してくれていたらしい水で喉を潤すついでに舌に残る甘味を流し、俺はリンデを連れてダイニングに戻ることにした。
意識を失っていたのは……30分くらいか。戻ると、クリスとマリーの驚いた顔があった。
「すまない、少し意識飛んでた」
「! レスター様……」
「もう大丈夫なのかい?」
「ああ、まあ……」
大丈夫、と返そうとしたところで、二人の態度がやや固いことに気がつく。
クリスは見てわかるほど心配しているようだし、マリーも少し目を逸らしている。クリスだけならただの心配性で済むが、マリーもとなると……多分、俺が「こう」なった原因を聞いたんだろう。
「聞いた?」
「……うーん」
問えば、指で「ちょっとだけ」というジェスチャーが返ってきた。
……ってことは、父上あたりか、話したのは。領主クラスでもないと元とはいえ麻偵の仕事について話す権限無いからな。
とはいえ急に変な話を聞かされたら二人も困るだろうに……。
「他言無用で頼む」
「それだけかい?」
「それ以上に何かあるか?」
「隠してた過去を暴いたんだから怒るとかさ」
「今回は原因を話してない俺の方に非がある。気にしてないよ」
というか仕事の性質上、軽々に語れないのもある。
その上で、最高責任者の父上が話すべきと判断したのなら、俺がどうこう言っていい道理は無いんだ。
「ボク、レスターのそういう達観したとこ嫌い」
「なんてこと言うんだあなたは」
「普通怒るようなことされてるのに、悪態の一つもつかないのは逆に不健全だよ。クリスだって自分の過去を無理に詮索されたら良い気はしないだろう?」
「それは……そうかもしれないが」
「人間は感情の生き物だよ。抑制しなきゃいけない立場なんだから、たまには発散しないと。さぁ!」
「余計怒り辛いわ」
この流れで「さぁ!」じゃねえんだわ。言ってること自体は一理あるんだけど。
感情を正しく発散できない人はどこかで歪みがちだし、マリーがやるように外から促す形で発散する機会がある方が良いのは確かだ。
ただ、気遣いはありがたいんだが俺はそういうタイプじゃない。伊達に貴族の家に生まれ育ったわけじゃないんだ。感情を表に出せないがゆえのストレスにもそれなりに詳しいつもりだし、セルフコントロールも心得ている。その気になれば父上にでも兄上にでも通信すれば愚痴くらいは吐き出せるしな。
あと、もうちょっと踏み込んで言うなら、だ。
「それに、そもそも俺とマリーの怒りのツボは違うだろう。過去を知られるくらいは何とも思ってないよ俺は」
「じゃあ兄さまってどうやったら怒るの?」
「え。なんだろう……身内を傷つけられたり、食い物粗末にする奴見た時とか……?」
「お言葉ですが大抵の人が怒ると思います」
「そういえば食べられないのにプリンを吐き出すようなことだけはしなかったね」
「あと麻薬を広めようとする奴見た時とか」
「急にギア上げてきたね」
「お言葉ですが大抵の人が怒ると思います……」
そうか? まあ、そうか……。
とはいえ俺の場合普通の人と比較してもちょっと怒りの度合いが強くなりそうだ。我を忘れるまではいかないにせよ、ちょっとしたことでプッツン行くだろうなという自覚もある。
ともかく、俺の過去を知って強請ってやろうみたいな悪意でも無い限り、怒る理由自体があまり無い。そして一応治安維持職なので、知られたとして悪く言われる筋合いもそれほど無い。過去を知られたとしてもちゃんと経緯に筋が通っているなら、怒るわけにはいかないだろう。
そんな感じで話していくと、マリーは不満げに唇を尖らせた。
「そうやってオトナの対応されたら年長者として立つ瀬がないじゃないか」
「年長者に見られたいなら自然体の対応でそれらしいところを見せてくれ」
「ちぇー」
忘れがちだが、マリーは俺から見て6つは年上である。つまり村の中では最年長者……なんだが、この通りの状態なので基本そういう風には見られない。
これが40歳50歳となったら話は別だろうけど、実年齢は下の兄上とそう変わらないので、俺も年上ってよりも技術者としての色をより濃く感じてるんだよ。
「ボクだっていずれはさー、部下とか持ってこんな風に」
「何そのヒゲ」
「メタルつけヒゲだよ」
突如その場で魔法を用いて作り出した光沢のある……薄っぺらの金属板を指してマリーはそう称してみせた。
メタルつけヒゲってなんだよ。
いやつけヒゲなんだろうけど何でメタルなんだよ。
「こう、『キミぃ、根を詰めすぎるのも良くないから、今日は休んで家族サービスをするのはどうかね?』みたいな
「でもマリーちゃん表に出ちゃマズいんじゃないの?」
「ぬぐ」
リンデの指摘を受けて、メタルつけヒゲがへにょりと折れる。それ精神に連動してんの?
……だが実際、マリーはどこの誰とも知れない何者かに暗殺者を差し向けられる立場だ。それをどうにかしない限り、部下を持つって言っても難しいだろうな。全くの不可能ってわけじゃないだろうけど。
「将来的には暗殺者の問題が解決してそういう配慮が必要になるかもしれないのは否定できない」
「だよね!」
「ただ、その個人に必要かどうかをまず考慮すべきだとも思う。さっきの俺みたく別に問題ないのに……って時に軋轢を生む可能性もあるしな」
「ぬぬぬ……忠告感謝しとくよ……」
言っちゃ悪いけど、そもそもマリーって人の上に立たせていいタイプだろうか。
成果を出せば研究費なんてすぐ出るものだろう、という以前の発言を思い返すに組織に所属してたことは間違いないんだが、友達がいないとも言っていて人間関係が上手くいってるような雰囲気は無いし……。
……調整も村長の仕事ヨシ!
さて、なんだか色々あったせいで心配をかけたため、今日のところは洞窟の探索はやめておくという運びになった。
心的外傷とはいえ、気絶するほどというのは異様なので、過労も原因の一つではないかというのがマリーの見立てだ。だったら仕方ない、少し休もう――というわけにはいかないのが現状である。
特にホテルは……ホテルと同時に家だから、早いうちに体裁を整えないといけない。
そんなわけで、この日の主題は吹き抜けや各部屋に設置するためのガラスだ。
俺たちが集まったのは吹き抜け下に位置する最下層。マリーの研究フロアとして用意したとある一室だ。ほんの少し前まで殺風景だった部屋には、金属の巨大な寸胴鍋のようなものが鎮座していた。
「何なのだこのバケツの化け物のような物体は」
「おや、クリスは知らないのかい? これは魔導炉だよ。内部が高温になって、鉄なんかを溶かせるんだ」
ここ最近できた技術ではないとはいえ、工業に従事してないとなかなか見る機会は無いだろうな。あとは鍛冶とか。
クリスは元軍人だが、武器は……そもそも一般の武器を使ったことがあったかどうか。そのため、そもそも武器製造の過程は知らない可能性が高い。
あと魔導炉クソ高いんだよ。炉内温度を高温で安定させるために魔獣素材使うことが多いし、真面目に工場建てて製鉄業営むなら数百億から下手すると数千億くらいの投資は必要なんじゃないか。
「ちなみにこの魔導炉、仮に市場に出したらいくらだ?」
「はっはっは。値段なんてつけられないよ」
「………………」
「はっはっは……」
「マリー」
こいつ確実に俺に言えない類の素材使ったろ。という気持ちを込めて見つめると、マリーはそっと視線を外して居心地悪そうに胸元で両手を遊ばせた。
「……リンちゃんの鱗貰って耐熱機能強化したんだよね」
「絶ッッッッッッ対に表に出すなよお前……!」
「それは……確かに耐熱性能は高いだろうが……」
ルビー色の片目を見る限り、リンデの魔力適性は炎熱特化。もう片目が黒で腐敗適性も同時に持ち合わせているが、これらの属性はほぼ対極に位置しており、奇跡的なバランスの上で共存している状態と言える。炎と腐敗の二種以外の適性を削ぎ落としているのだろう。
で、削ぎ落としてる分、残った方は極端に適性が高まり、体組織である鱗もまた同様で……耐火性も耐熱性も、既存の素材よりも遥かに高いだろう。
「何かまずいの?」
「有用性が知られたら、鱗を剥ぐために無法者やら心無い人間が大挙して押し寄せるぞ」
「うげっ!」
鱗を「剥ぐ」って表現に反応するかと思ったが、流石に直接的な身の危険となると下ネタに走ることすらできないか。
探せば他にも耐火性耐熱性の高い素材はあるんだけど、居場所が固定されてることと話が通じることが何より大きい。単に交渉ができるってだけの話じゃない。とにかくゴリ押ししたりクレームに泣き落とし、脅迫が通じる目があるってことでもある。そしてリンデはそれがある程度通用してしまう感性が備わってる。普通に暮らす分にはいいことなんだけどな。
……まあ、最悪獣化して追い払う手もあるが……それは本当の最終手段だ。下手するとドラゴン状態のリンデはクリスすら超えるほどの怪物の可能性が高い。仮にマジギレさせた場合、周囲を腐敗させながら爆熱を撒き散らす10m級のドラゴンキメラなんて代物が爆誕するからな。軍隊でも対処できんわ。
「でも『作るな』じゃなくて『表に出すな』なんだね」
「……物資が足りなすぎる。ある程度は工夫でカバーする必要があるのは事実だよ。もし潤沢に金も物もあるなら絶対許可出さないけどな」
「気をつけるよ……」
金属加工のための炉が必要なのは事実だし、ガラス製造もこれでやるということならできるだけ性能は良い方がいいだろう。
そういう点で、作ったものは非常に有用だ。素材とそれにかかる諸問題を除きさえすれば……。
「で……こほん。改めて。皆はガラスの作り方は知っているかな?」
「水晶から作るのではないのか?」
「そんなに簡単じゃないと思うわ。多分何か混ぜないといけないんじゃないかしら」
「実はどっちも正解だよ」
「……えっ」
またいつものようにハズレと言われると思ったのか、意外そうな声がクリスの口から漏れた。
まあ一般的にはリンデの考え方が正しい。石灰石や灰汁を混ぜて融点を低くしたり、鉛を混ぜて透明度を上げたりするのが普通だ。
「石灰などを混ぜて溶けやすくした上で作るのが一般的なガラス。クリスが言ってる方は――これだな」
「そ、不純物をできるだけ除いて石英だけを融解させたガラス――ごめん今それどうやった?」
魔法で球状の石英を作って、指で回しながら組み換え魔法を用いアヒルの形に整形していく。前にサバルの街で伊達メガネを作るのにやったことはこの応用だ。
複雑な形状になると小物しか作れないが、こうやって熟達に繋がると師匠に言われているので、俺も機を見てやっている。
「レスターがガラスも張ればよくないかい、もしかして」
「強度も低いし大量に作れないから俺だけじゃ絶対に無理だ」
日常で使うコップや簡単なガラス細工ならともかく、建物に使おうと思ったら数も大きさも強度も心もとない。あと魔力不足でしんどい。
というわけで、魔導炉などの大量生産設備は絶対に必要だ、と納得してもらった。
「……まあ、そういうのもあるんだ。だからクリスの考え方も正解」
「ほとんどあてずっぽうだったのに当たってしまった……」
「カンがいいじゃないか。物事の本質を見る力が養われてきたのかもしれないな」
「そ、そそ、そこまでのことは……」
超照れてる。
しかし自己肯定感を養いちゃんとした情緒を育むのに称賛は不可欠だ。貴重な自己形成の時期をほぼ全て戦場で浪費しているからなクリスは。取り戻せる機会があるならなんとかしたいので、こうやってちょくちょく褒めている。ちょっと傲慢な考え方なのは否めないが。
ひどい裏切りを受けたらしい件から考えて、言葉も少し気を使う必要がある。当時からカンが良いとか、頭が回るという言い方は避けている。「なのに裏切りを見抜けなかった」という方向で落ち込むから。戦闘力を褒める時以外はあくまで「成長した」とする方が無難だ。
「と言っても石英ガラスは傷に弱いからね、ボクらの想定する建物に使うには少し向いてない」
「ガラスでできた壁なんて作ろうとするから苦労するんじゃないかしら」
「……そうだな」
ちなみにガラスの壁面の発案者は俺である。
まあ自分で自分のケツを拭いてるようなものと考えればいい。
外から見ると、箱型の建築物を左右に分けるようにガラスの帯がかかっているような状態だ。正面入口もここに設置する。人目を引く工夫として、既存の建物とは違う見た目にすることも重要だ。華美すぎず、それでいてインパクトのある外観を目指したんだが……インパクト重視しすぎて建てやすさという観点が抜けてたな。ちょっと失敗。
「タブレットのようにガラス内部に魔法式を書き込んで強度を担保するのではいけないのか?」
「あれは光るからね、ちょっとそれは厳しいかな」
「あっちは光ってるから画面の見やすさに繋がる構造的な利点があるが、壁が光ってるとちょっとな……」
「そうですか……」
魔法式というものは、普段は見えないようにカバーをかけたりしているんだが、実は魔力を通すとちょっとだけ光る。
この特性はタブレットも同様なんだけど、光ってることを利用して逆に半透明な画面を見やすくしている。薄暗い場所でも、逆に明るすぎるような場所でも一定の見えやすさがだいたい保たれていて、これはこれで設計の妙だ。
しかし、窓が光るのを設計段階でデザインに組み込むのは俺にはちょっと無理だ。光って透明感が失われることで窓が窓としての役割を果たさなくなってしまう。
「この際窓は壊れる前提で簡素に作ってもいいんじゃないか? 石英の割合を増やせば俺が魔法で直せるし」
「味気ないけど、そのくらいでいいか。流石に霊銀や魔晶なんてそうそう手に入らないしねぇ」
霊銀も魔晶も、いずれも長期に渡って高濃度の魔力の影響を受けることで形成される少々特異な鉱物だ。その性質から、古くから魔獣の巣窟と化しているような場所にあるためなかなか手に入らないし、市場に出回るのも少量だ。
しかし、これらは金属合金にごく少量混ぜるだけで強度が跳ね上がるといった有用な性質がある。当然だが、普通はもっと別の貴重なものに使われるべきで、ガラスの補強に使うなんて言ったら正気を疑われることだろう。俺でも本当に手に入ったら村周辺に壁でも建てるのに使う。
「……なんかちょっと手間が増えるだけみたいな口ぶりだけど、その手間と負担抱えることになるのだいたい兄さまじゃない……?」
俺は無言で曖昧な笑みを返した。
……そんなんいつものことじゃん?