「……ムーレ……ヴリエ……?」
まずいことになった。
なにも一触即発の状況というわけではないのだが、あまり望ましい状況ではない。クリスの精神状態を思えば、ある程度手順を踏んでからというのが理想だったのだが、それが崩された。
いきなりの名乗りに虚を突かれたようにクリスの視線がわずかに泳ぐ。
「…………」
「…………」
……泳いでいる。
泳ぎ続けている。首まで傾げ始めた。
……何か……間違ったかな……?
「レスター様」
「え、うん」
クリスが視線で「どなたなんですか」と語りかけてくる。
……ちょっと待ってくれ。知ってるからあんな意味深な反応だったんじゃないのか? 俺も経歴から考えると当然知っているものと…………経歴?
あっ、思い出した。ムーレヴリエ子爵家って
クリスが死んだのは戦中。家名を伝えていなかったらそのまま知らずに亡くなった可能性は高い。というか、実際今知ってる様子が無いみたいだからそういうことなんだろう。
……セーフ! ……か?
「西部の都市を受け持っている子爵家の方だ」
「左様でしたか。これは失礼いたしました。私はレスター様の護衛を務めておりますクリスです……申し訳ありません、このような格好で」
「なんと、ハンターではなく護衛の方でしたか」
「洞窟に関してはクリスの方が慣れておりますので、第一陣に帯同してもらっておりました」
恭しく頭を下げるクリスに、4人は小さく感心したような声を発した。
洞窟に慣れているというのはそれだけの強者である証だ。普通は慣れる前に死ぬ。ハンターではないとはいえ、相応の強さを備えた猛者というのは、ニネット嬢らにとっては憧れの対象のようだ。
よし、この調子で穏当な形で家のことに触れられれば……。
「クリスと言えば、
「親友ですか?」
「ええ、ジュスト・カイレ・ムーレヴリエ爺上様です」
「ジュスト――」
アッ、まずい。穏当にとか考えた矢先にクリスが名前の方に強めの反応を示している。
嘘だろニネット嬢。そんな話題のフリ方ある?
……いや、ムーレヴリエ子爵家からしても、神器継承者を謀殺したなんて醜聞は避けたいはずだ。となると、ニネット嬢の祖父、ジュスト元当主が子供や孫に対してはそういう風に教えて真実を隠している可能性は高い。当時の最前線の詳細なんて分からないからこそ、神器継承者殺害の嫌疑をかけられてもなお貴族としての復帰を許されたんだ。本人はどのようにでも嘘をつき放題だ。
嘘のにおいを嗅ぎ取るはずのクリスが嘘を指摘しないところから見ても、少なくともニネット嬢はそのことを信じているのがうかがえる。別にアレ、真実を感知する異能とかじゃないからな。心音だとか振る舞いで無意識的に見抜くだけで、こんな風に伝聞で嘘を信じ込んでる人に対してはどうにもならない。
「…………」
「あ、あら?」
わずかにクリスの眉根が寄り、苦しいやら悲しいやら腹立たしいやらという感情が滲んだ。
この様子を見る限り、やはり元当主はクロか。
仕切り直そう。
「――クリス、
「……はっ、申し訳ありません。承知しました」
「リンデ、一緒に行ってきてくれるか?」
「ん」
さて、こうなると少なくともクリスがあんなになるほどのなにかがあったことは確定的だ。
あまり感情的になりすぎず、表向きビックリしただけくらいの反応に留まっているのが幸いといえば幸い。ニネット嬢たちが状況についていけずに困惑してるが、これならフォローもしやすいだろう。
「申し訳ありません。彼女は巷で有名な……よくない方の噂を支持しておりますので、少々驚いたのだと思います」
「なるほど、そうですね……そう思われるのも致し方ないかと」
「お嬢には悪いけど、絶対あのごうつくばりのジジイがホラ吹いてるだけだって。あんな性格してて、神器に選ばれた人と友達になんてなれるかよ」
「それは……そうだけど」
ひっでぇ言われようだが、事実でもある。
神器はそれ自身が意思を持ち、自らの使い手を選ぶ。ある程度の差異こそあるが、共通して確実に言えるのは、使い手を一度定めるとなかなか他の人間に扱わせないという点、そして一定以上の悪意を持つ人間には扱えない点だ。
この性質のため、神器継承者はそれだけで少なからず責任感を持つ人格者であることが確約される。民に圧政を敷く悪徳貴族を許容する人間など、まず神器には選ばれないだろう。
特に選り好みが酷い「槍」の継承者となると……う、ううん……ジュスト元当主はどんだけ本性隠して接してたんだ……?
「では、他のハンターの皆様が戻ってくるでしょうから、私は一度ここで失礼します」
「はっ。貴重なお時間をいただき感謝致します」
「レストランはしばらく開放しておりますので、どうぞごゆっくりおくつろぎください」
形式的な挨拶を済ませると、俺はその場をフェデリカさんに任せて裏手に戻ることにした。
ハンター同士で聞きたいことや参考にしたいこともあるだろう。申し訳ないが、今はちょっと引き受けてもらおう。
マリーもこっちについてきてガッションガッション音が立っているが、ゴーレムの性質上仕方ないとしておく。別に隠密行動が必要な状況でもないし。
……宿泊客から何か苦情とか出ると嫌だし、そのうち何か対策取れないか聞いてみよう。
『どう思う?』
「ジュスト元当主と何かあったのか確実だ。ムーレヴリエ子爵家を復興に導いた方だが、黒い噂が数え切れないほどつきまとってる」
『それが事実だったってこと? 何したのその人』
「『槍』の回収とその継承者の死亡確認」
『あー……』
可能性として高いのは、ドサクサ紛れの味方殺し。ただ、実力的に無理だろうというのがだいたいの人の共通認識だ。
「槍」を偽物とすり替えた可能性も噂されるが、これはうちの爺様が真贋の鑑定を済ませているのでナシ。裏切って継承者を殺せる何者かを手引した、というのが妥当なところかな。
『よくクリスは平静を保ってたね?』
「血縁ってだけの相手に八つ当たりできる性格でもないだろう」
『そうだね、じゃないと――』
「おっと、確定してないことは口にするなよ」
『とっとっと』
――じゃないと、神器からは選ばれない。
マリーの言いたいのはこんなところだろう。ただ、9割9分9厘確実でも、確たる証拠が無いかぎり断言しちゃいけない。万が一間違ってた時目も当てられないし、断言したのを本人に聞かれてしまうと変に追い詰める結果になりかねないからだ。
で、さて。クリスは割と俺の言ったことを真に受けていたようで、向かった先は地下生活スペースの浴場だった。
女湯の前である。普通にバシャバシャ体洗ってる音がする。
『ヨシ』
「防御モードオン」
マリーのゴーレムに勢いよく手を引かれるのを知覚した瞬間、俺は空いたもう一方の手で顔を覆って魔法を起動した。
『アッまたレスターが心を閉ざした!』
「今の俺は石仮面マン。視界ゼロの男だ」
発動したのはごく単純な石の生成魔法。これを薄く顔を覆うようにして使って己の視界を完全に封じたのだった。
なんというかマリーのやりそうなことなので察することができたのだが……あっコイツ、ゴーレムから出てまで魔法使って仮面剥ぎ取ろうとしてやがる! 視界ゼロだけど雰囲気と感触で分かる!
「ええいやめろやめろ! 覗かせようとするのはよせ!」
「なんだい別にあっちだって拒みやしないよ」
「それが問題なんだよ」
「え、何で?」
「たとえ合意があろうとも、覗きという間違った手段で裸を見たなんてことになったら『権力を盾に無理矢理許容させた』という噂が魔法を使ってまで仮面を取ろうとするな!」
「ええい堅物め! そもそも魔法を使ってまで自分の視界を封じるキミが言うことか!」
堅物だとかそういう問題ではない。貴族であり自治体の長を務める以上、やって当然の配慮でありリスク管理だ。
部下にセクハラかまして権力使ってなあなあで許されようとする村長なんて、ついてきてくれる村人いないだろ普通。
「そういうの誰に習うのさ。家の方針?」
「曲がりなりにも代々神器継承者を輩出してるわけだから、その辺の教育に特に厳しいのは確かだ。爺様からも、貴族としてというより神器継承者としての心構えをよく説かれてたよ」
俺は継承者にはなれなかったが。
まあそれはそれとして、うちの爺様はなんだかんだ統治者としての評価も高い。小さな村だが、そういった教えも含めて心構えとしては役に立っているはずだ。
「というわけで、俺は断固外で待つからな」
「つまんなー」
案の定特に理由無くて面白全部じゃねーかお前。
まあいい。そういうわけなので、鉄の触手をうねうねさせて自分自身を浴場へ運んでいくマリーを見送る。やはり石仮面はつけたままだ。これ「見」送ってねえな。
あいつ絶対裸かそれに類する状態のまま外に出すつもりだろうし多分これがベターだ。
「申し訳ありませんレスター様、お待たせしていると聞きまし……何ですかその仮面!?」
「チッ、やっぱりそのままか」
「兄さまのガード硬すぎるわよどうなってんのよ」
ほら来た!
待っているのは事実なのでクリスの嘘判定に引っかからなかったのだろう。うまく言いくるめて薄着の状態で外に連れ出したようだ。
そしてリンデも一緒なので、調子に乗ってこういうことするだろうことは目に見えていた。目は見えていないが。
「マリーとリンデは後で話がある。クリス、待ってないわけじゃないが服はちゃんと着てから出てくれ」
「はっ……しかしその面は?」
「心の防壁」
「は?」
なおこの防壁着脱自在である。
所詮仮面だし。
ともかくクリスがちゃんと服を着てきて、仮面を取ってから改めて先程の話に戻ることにした。空気はだいぶ弛緩しているが、別にそういう空気の中話しちゃいけないことでも…………話しちゃいけないことか?
まあいい、いずれにしても早めに共有しておくべきことなのは確かだ。変に禍根を残してもアレだし。
「真面目な話していいか?」
「うん……その仮面取ったらもっといいと思うけど……いや前もあったよねこの流れ」
「で、だ」
改めて石仮面を分解する。真面目な話だから仕方ない。
以前のマリーとの話の時と違ってクリスは超がつくほど真面目だ。変なことはしないだろう。
「ジュスト元当主と何かあったのか?」
「はい」
「言いたくないことか?」
「……部分的には」
……まあそうだろうな。前から過去の件についてはできるだけ話さないようにしていたし、語りたくないことも一つや二つじゃきかないだろう。
それでも、はたから見てただならない状況なのはよく分かった。ある程度取捨選択して話すのなら、流石に……いや、そもそもクリスに説明させて大丈夫かという問題はあるが。
「実は――」
「待った。一問一答形式にしよう。その方が恐らく話が早い」
「え。は、はい」
説明しようとするのを一旦制する。このまま語られてしまうとそれは……多分ひどいことになる。
何せクリスだ。絶対説明が説明として成り立たない。
「ジュスト元当主に殺されたのか?」
「いえ。奴ではありません」
「でも何かはあったんだよね?」
「……戦闘直後を狙って裏切りを受けた。私を殺そうとする者の手引きをされたんだ」
ふむ。だいたい俺の想像と同じか。
当時はキメラの体ではないとはいえ、神器継承者としては最盛期も最盛期。戦闘の直後とはいえ誰に殺されることがあるんだろうか?
「よく覚えてたな?」
「はい。息を引き取る寸前目の前で煽り倒されたので」
「性格悪っ」
「今思えばなぜ見抜けず友人として接していたのかと反省している」
ひでえ話である。
……しかし、一応友人であったことは事実なのか。複雑なことだな。
何かがあってクリスを裏切る決意をして、足場を固めて確実に殺せるタイミングを狙い、殺せるだけの力を持つ者を引き入れ……か。その周到さをもっとちゃんと民のためになる方向に発揮しろって話だよ……。
「……誰にやられたんだ? そのことは覚えているか?」
「はい、それは、一応。ただ……」
「ただ?」
「ありえないというか……信じがたいというか……なので、お話してよいものか……」
「信じられるかどうかはボクらで判断するから覚えてることだけ言ってくれるといいよ」
「……ならば」
一瞬の躊躇。しかし、判断するのは自分ではないと迷いを振り切ったか、普段と違って言い淀むようなことは無く、はっきりとクリスは言い切った。
「『弓』の神器継承者の女。サンドリーヌ・ゴーティエです」
「は?」
「え?」
俺とマリーは思わず顔を見合わせた。
……神器継承者は人格面で優れていることが確約されているはず、だったのだが。
どうやらそうでもない可能性があるらしい。