リンデの勉強が日課になって数日。本来なら数年がかりで徐々に教えていくところを2年に凝縮しないといけないこともあって、ちょっと過酷になるなと俺は見込んでいるところだ。
しかしながら数日が経過してもリンデは特に顔色も様子も変わらず。はてこれはどういうことだろうと、ちょっとパトリシアさんに報告をお願いしてみた。
「村長様、リンデ様の勉強についての報告ですが、極めて順調です」
「……どういうことか聞かせてくれ」
「はい。もっと基礎的な部分からお教えすべきかと思ったのですが……字の読み書きと四則演算、この程度の基礎教養の部分は既に習得されているようですので」
「そういえばそういうところはあったな……」
クリスが読み書きができないのでたまに勘違いしそうになるが、リンデは別に読み書きができないわけではない。これは実家で試験をした時に既に確認していたことだ。
が、四則演算までできるというのは初耳だ。まあ、割と頭が良い方なのでそういうこともできるとは思ったが……いい意味で計算外だ。
「常識に疎い部分はありますが、閉鎖環境で過ごされていたのでこれは致し方ないことかと。社会関係や地理、魔法についてお教えすれば概ね水準には達されるでしょう」
「それなら良かった。が……」
「はい」
「……言いたいことがあるなら言っていただいて結構だ」
「帝国貴族の基礎教養程度のことをお教えしようと思って既に習得しているというのは、つまりキメラとしての素体が高貴な身分であった可能性が高いかと」
「………………」
もうやだこういうの。
すっかり慣れた自分も嫌だ。
想定もしてたしきっと何かあるだろうなぁと思いつつ、しかし特に記憶が喚起されるようなことも無かったし大丈夫だろと思ってたのに。
聞く覚悟も準備もしてないけど心の方を切り替えるしかねえ。決めるぜ覚悟。
「
「帝国の、それも高位貴族かと。私が慣れておりますので帝国式でご教育させていただいておりましたが順応が早く……字の癖やイントネーションなども考慮すれば聖王国民というのは考え辛いですね」
「クリスの出自を考慮すれば恐らく50年前、戦時の被害者だと思うが行方不明者の記録などは参照できるか?」
「難しいですね。当時の戦死者、行方不明者は貴族庶民問わず多数。氏族を絞り込めばまだ見当もつきますが……」
「……なるほど」
クリスの氷と毒の魔力適性は生まれついてのものではないだろうからケースが違うな。あれは氷狼とその他素体の要素が強いはずだ。性別すら違うのだからまず何もかもを弄り回されてるだろうし。
となると、十中八九素体は竜人族だろう。腐敗の魔力適性を持つ人間自体があまりにも希少だ。だったら魔獣の特性の方を利用して適性を持たせたものと考えるのが妥当だ。
獣化した際の姿も竜の要素は強いが、狭角や尾に生えるムカデのような関節肢に甲殻……虫の魔獣の要素を付随された感も強い。
「恐らく素体そのものは竜人族だろうとは思う」
「少し当たってみましょう」
「……ただ、既に50年も経過している。あまり厄介な話になりそうならすぐに手を引いてほしい」
「承知しました」
元の家だってリンデの素体にされた人を今もなお探しているとは考え辛いからな。
それと竜人族っていうのが……言うのがなあ……。
マリーに殿下に……帝室関係者がまさしく竜人族だからなぁ……厄介のにおいしかしないから……この話もうノータッチで行った方がいいと思うんだよなぁ……。
「胃薬です」
「そこまで察しなくていい」
もちろんそろそろ痛み始めたので飲むが。
「そういえば、殿下がナポの実の収益を気にされておりましたよ」
「結果は好調。即日完売と伝えておいてくれ」
「はい」
恐らくもう既に伝わっているだろうが。
そもそもこの前、パトリシアさんもまるで部屋の話を聞いていたかのように現れたんだ。元々ホテルでもやってたんだからこっちでもやってるだろ、盗聴。
村長邸はその性質上、村の住人の相談や依頼を聞くためにある程度オープンでなければならない。地下は完全に身内だけのスペースにしているが、防備があった方がマリーも安心だろう。
「――さて」
「いかがされましたか?」
「少し厨房に行く」
「お供いたしますか?」
「いや、いい……」
俺がこういう時厨房に立とうとするのは、普段の料理と違ってただのストレス解消だ。他人を付き合わせるのは気が引ける。
さて、というわけで、いつものようにリンデとクリスを連れて厨房に移動して料理研究だ。
と言っても研究なんてマリーのやってることほど大層なものではなく、単なる趣味と実益を兼ねて試作品を作ってみるだけだ。マリーからは「後でボクの分も残しといて」とメッセージが来た。
今回は村の新名物としてナポの実を使った料理を、と考えているのだが……。
「普通に考えたらフルーツの名物ってデザートとして作るもんじゃないかしら」
「知ってる」
……普通にフルーツを名物として扱って料理にするならお菓子が最適である。
リンデからの至極真っ当な指摘に、俺の心はちょっと折れかけた。
「勉強はいいのか?」
「今日の分は終わったもの。兄さまこそ仕事はいいのかしら?」
「ノルマは済ませた。どちらかというとアイツに言ってくれ」
「フ――――」
ギャィィンとギターを鳴らして応じる、なぜか俺が試作料理を作ると聞きつけて飛び込んできたトビーを指差す。
……コイツの耳が早いのはまあいいとして、普段なら仕事してないといけない時間のはずなのに何やってんだコイツ。
「ラシェルさんにご連絡した方がよろしいでしょうか?」
「とりあえず料理の感想聞くだけ聞いてから回収してもらおう」
リンデもクリスも別に舌に問題は無いが、外部の意見も当然あった方がいい。試作品の味の感想を聞かせてもらえるならこちらも助かる話だ。
ここでサボってる負債は自力で残業でも何でもして精算してもらうことにしよう。
「兄さまデザート作れないし食べられないわよね」
「な……なにっ」
「ああ、だから『菓子』じゃなく『料理』として作る」
そういえばトビーには俺がお菓子類全般ダメになったって話してなかったっけか。なんか久しぶりにアイツの驚いた姿見たな。
ま、詳細は語れないからトビーのことは置いといてだ。
「私も少し……想像ができないのですが、どのようにお使いになるのですか?」
「フルーツをデザート以外の『料理』に使う例は結構ある。例えばステーキにフルーツソースを合わせたりだな。もっと分かりやすく言うと、酸味のためにレモンを絞ってかけるとか」
「なんか無意識にレモンがフルーツのカテゴリから外れてたわあたし」
あとはリンゴのすりおろしを使ってタレを作るというのも代表例だな。
レモンソースなんかを魚に合わせるのはよくある手法だ。冷製パスタに桃を添える手法も聞いたことがある。とはいえ食べ慣れないとその辺は異質に感じるので、出すべき相手はある程度見定める必要はあるが……今回は試食なのでちゃんと試してくれるだろう。
「じゃあまず一品目な」
「サラダですか」
「ナポを使ったドレッシングで作ったサラダだ」
ナポの実はバナナに似て舌触りが滑らかで、甘みなどはマンゴーなどに近しいものがある。酸味はそれほど強くないが、白ワインビネガーでこれを補う形を取る。
滑らかな口当たりを活かすために潰して「濾す」ことで繊維質な部分を取り除く。あとはオイルを合わせ、香辛料や塩などを使って味を整えればドレッシングは完成だ。
「美味しいです」
「ほォ。甘みが強ェな。葉野菜メインで渋めの構成なのもそのせいか」
「んー、これ好きかも。甘めのサラダもいいわね」
ふむ、好感触かな。
シンプルなサラダだからそもそも粗が出辛いというのもあるが、比較的繊細な舌のリンデが好きと言うなら今後も使って問題無さそうだ。
……供給源という問題はあるから、しばらくは限定メニューだな。ナポの樹もそんなに無いし。
さて、こちらが問題ないなら次だ。
「二品目、ナポのマリネ。ドレッシングはさっきとは別のものを使ってる」
次に出したのは、ナポを生ハムとフレッシュチーズ、玉ねぎとハーブと一緒にドレッシングで和えたマリネだ。
ドレッシングにナポを使っていないのは果実単体の味を際立たせるためだ。ただ、これはサラダと比べるとナポそのまま使ってるのでシンプルにすぎるという問題もあると思ったのだが……。
「美味しいです」
「こりゃいい、塩気が甘みを、甘みが塩気を引き立てて果実そのままの味ってモンがよく際立って分かるじゃねェか」
「美味しいけどあたしは胡椒ちょっと少なめがいいかも。生ハムの塩気があるから刺激が強めだわ」
「なるほど、参考にさせてもらうよ」
思ってたよりもいい具合だな。シンプルすぎるが故に調味料の味が影響しやすいから、酒呑みのトビーは辛さが心地よく感じているのだろう。
リンデの言う通りなら、辛いものや酒が好きな人以外は少し香辛料を減らす調整がいいかもしれない。
じゃあ、三品目にしよう。
「次だな。すりおろしたナポの実の果汁で作ったタレに漬け込んだ……熊肉丼」
「もっとシャレた名前はねェのか」
「見たままにしか言えないから困る」
「美味しいです」
「姉さまそれしか言ってなくない?」
……クリスの語彙についてはこの際置いておこう。気を使う方だが、嘘をつける人間じゃない。美味いと言っているなら美味いんだろう。きっと。
続くようにトビーとリンデも熊肉丼を口に運ぶ。両者とも悪い感触は無いが、一瞬の後リンデが首を傾げた。
「美味しいけど……なんだろう、何ていうか……」
「美味い、が――コイツにはちと問題があンな」
「言ってみてくれ」
「ナポである必要あンのか? タレの味の決め手にしてンのは分かる。だが表に出てねェ」
「あ、それ。それが言いたかった」
「お前の狙いは名物にすることなンだろ。だったらナポが前面に出てねェのは的外れだぜ」
「あー……まあ、そうなるか……」
今回の熊肉丼はできるだけローコストでなんとかならないかと思った末のもので、隠し味として使ってるだけのものになる。普通に世の中にあるような焼き肉丼に近いものだな。
が、当然ながらナポの味というのは決め手にはなっているがあくまで「隠し味」であって前に出てきているものではないのも確かだ。
村の名物としてナポという果樹を推すのに正しいかと言われると……うーん、確かに違う。
「先に聞けといて良かった」
「存分に感謝しろ」
素直に感謝したくねえ。
まあいいや。実際こいつが言語化してくれないとリンデが気付きつつも何も言えないってことになって、問題を見逃してしまう可能性もあったし。結果オーライということにしておこう。
「じゃあ最後の一品だ」
脂と肉の焼ける音と匂いがして、一番に体を跳ねさせて反応を見せたのはクリスだ。従者として何も言わないのが礼儀としているのか黙っているが、ソワソワしているのが目に見えて分かる。
「グリフォンのソテー、ナポのソース。揚げた未成熟のナポのスライスも添えてある」
「未成熟!?」
「テンション上がるじゃねェか」
「未成熟に!?」
「コイツは一体何言ってンだ!?」
「すまん、こいつ少し脳みそが煩悩で汚染されてるんだ」
なぜかロリコン扱いされかけたトビーのギターが、ギャインと高い音を奏でた。
グリフォン肉はこの前のナポ採取の際に現れたアレだ。
グリフォン種の肉の特徴はなんというか、鴨に近い。全体的な旨味がとにかく力強い。と同時に豚脂のような口溶けの良さがあり、口の中で旨味がドンと広がっていく。であるからこそ、あまり他の味が弱いとこの旨味を支えきれなくなる。
このためソースには少し気を使った。ブドウ酢――確か師匠はバルサミコ酢と言っていた――を主体に味の厚みを増し、にんにくや各種ハーブ、バターなどを用いて重層的に演出する。
まあ、ともあれ肉料理としてはわかりやすい方だろう。
「美味しいです!」
「それは良かった」
クリスの声音が少し上がった。好きな味だったのだろう。
……この辺の反応の良し悪しも参考にはなるな。
「イイじゃねェか。こういうのが欲しかった。肉の味の引き立て役になりきらず、ナポも前にちゃんと出てくる」
「未成熟のナポの実って揚げたらお芋みたいにホクホクするのね」
「悪くねェ。メイン張るにゃ上等だろ」
「よし。となると、問題はグリフォン肉の供給か……」
グリフォン種は獅子と鳥の中間のような形をしているが、それ故に主に空を己の領域としている。つまり洞窟に出てくる可能性が低い。
かと言って外で頻繁に見かける存在かと言われると、そもそもグリフォン種がそんな大量に外にいたら今頃もうちょっと文明は後退してる。
その辺の兼ね合いは少し考えるしかないか……と、俺は気配を消して忍び寄る存在に気付きつつ軽く顎に手を当てた。
「コイツは売れるぜ。俺が保証してやる」
「ではお腹も満たされたことでしょうしそろそろお仕事を始めていただいてよろしいですね」
「ゲッ」
彼女は一瞬翠玉の両目を輝かせると、目にも止まらぬ速度でトビーの後ろに回り込んで腕を捻り上げてしまった。
「お疲れ様です。試食品ですがいかがですか?」
「後でいただきますのでお取り置きいただけるとありがたいです」
「オアアッ」
「何で二人とも何事も無かったかのようにやり取りできるのかしら……」
「いつものことだからじゃあないか?」
そんなこんなで、感想を言ってくれて助かったのは事実なのでお手柔らかにと去り際に伝えて今回の試食会はお開きとなった。
……おかしいな。そういえばストレス解消のつもりだったのに俺また仕事してないか?