「レスター様! お気を確かに!」
器用なことに立ったまま気絶するレスターを横から支えながら、クリスは気付けとして頬を叩く。
しかしながら今日までに散々無理をしてきた疲労と負担が祟ったのだろう。彼が意識を取り戻す気配は無い。その姿を見て、マリーはある確信を得た。
(れ……レスターの知り合いだって言うあの子だ……!)
レスターの知人である2名の女性。その内、かつて護衛を務めていた相手である9歳の少女のことが彼の口から語られていた。*1
その際、レスター自身は確かに「9歳だった」と発言していたのだが、少女――ユーニスの発言からするに「当時」9歳だった、ということなのだろう。
そのことを察したマリーは、彼の紛らわしい言い方を思い返して渋い顔になった。
「まあ……大丈夫ですか? レスター様」
「……ユーニス。入室するなら返事を聞いてからにせんか」
「申し訳ありません、閣下。逸る気を抑えられませんでしたわ」
「兄さま気絶したまま話続けていいの?」
「想定内でしてよ」
「え、エドガー様。この方は……?」
「……初めて会う者もおる。挨拶を頼む」
「そうですわね。お初にお目にかかります、わたくしユーニス・クラレンス・トラヴァーズと申します」
困惑のさなかにあるクリスが問えば、ユーニスはまさしく貴族の模範と呼ぶに足る優美な仕草で彼女らに頭を下げた。
感心でリンデの口から息が漏れる。いずれ彼女自身も学院に通わなければならない関係上、ある程度以上の礼儀作法の習熟が求められる。ユーニスの礼儀は参考とするのに申し分ないと言えた。
「レスター様の妻ですわ」
「な!?」
「えっ!?」
「はぇぁ!?」
「ちょっと待てい」
直後、正気を疑うその発言に、ユーニスを除くその場の全員が一瞬にして困惑に包まれる。
後見人であるところのエドガーですら寝耳に水だと言わんばかりに制止を呼びかける。動物であるフローやシュネですら、何やらエラいことになっていると感じ取ってソワソワし始めるほどだった。
「に……兄さまって結婚も婚約もしてないって言ってたはずよ!? ありえないでしょ、しかも学院に通う年齢で妻!?」
「あまりの衝撃でリンちゃんが真面目なこと言ってる」
「いや……これは私でも指摘する……」
「閣下、いかがでしょうか」
「そのような事実は無い」
パトリシアからの質問に対するエドガーの返答は明確なものだった。当然ながら、現在気を失っているレスターもそのようなことは認知していない。ユーニスは残念そうにひとつ息をついた。
「突然何を言い出すのだユーニス……」
「レスター様は今爵位を欲していらっしゃるとお聞きしました」
「――――」
刹那、クリスは僅かな殺気を発した。一方でユーニスはそれに気付いてすらいないかのように、涼し気な顔で受け流してみせている。
情報が漏れている。ユーニスの発言はその事実を示唆したものだ。レスターは限られた仲間にしかその野心を漏らしておらず、当然ながら爵位を得ようと考えていることなど彼女が知る由もない、そのはずなのだ。
密偵の類か、あるいはマリーを狙う暗殺者との繋がりを持つ存在か。警戒を顕にするクリスだが、マリーが手で制したことで殺気を収めた。
「空間魔法で聞いたようだね」
「ご明察でございますわ」
「ユーニス、お前またそんなことを……私とレスターの通信を盗み聞きしておったな」
「空間魔法?」
「……そういうことか」
次いでその理由を察したのは、古い経験から空間魔法の造詣が深いクリスである。
彼女の知る空間魔法の使い方とは発想の根幹が異なるため思い至るまでに時間こそかかったが、使いようによっては普通の密偵よりも更に精度の高い情報収集が可能となることも確かだ。
「彼女の瞳を見てみるんだ」
「……不思議な色ね?」
「虹色は空間の魔力適性の証。腐敗魔法の適性持ちよりも希少なんだよ」
リンデは思わず自身の眼帯に触れた。希少な腐敗魔法の使い手として村への貢献を目指している彼女にとって、自身の魔力適性はある種のアイデンティティと言っていい。
それを更に超える希少性の魔力適性の存在は、ほんのわずかにリンデのプライドを傷つけた。
普段ならば間髪入れずにフォローを入れるレスターは意識を失ったままだ。モヤモヤとした気持ちが胸に溜まっていた。
「普段我々の使っている魔法は、自然に空間魔法の要素が入り込みます。例えば村長様が魔法を使う時は岩などを操って宙に浮かべていたりしますね? この『移動』や『浮遊』が空間魔法の介在する部分です」
「実質、あらゆる魔法への適性があると言ってもいいね。物質を生み出すことができない代わりに、あらゆる物質に干渉して動かすことができるわけだから」
「……それに加えて、座標を知っている必要こそあるが、神器の『槍』の持つ能力のように遠く離れた空間同士を繋ぐこともできるはずだ。レスター様とエドガー様のお話を聞いていたというのはこのおかげだろう」
「と、申しましてもこの指先にも満たないほどごく小規模なもの。『槍』とは比べるべくもありませんわ」
クリスにとっての空間操作の基準とは、神器「星の槍」の引き起こす超級の現象だ。自由自在にあらゆる場所へ移動し、時に空間そのものを断裂させるなど、その規模は戦略級と言って相違無い。
一方、神器を介することなく人間一人の魔力で引き起こせる現象は、極めて小規模なものだ。座標を知っていなければ空間同士を繋ぐことはできず、空間の穴も数ミリにも満たない大きさにしかならない。生物には魔力抵抗があるため体内攻撃による狩りなども不可能。瞬間移動などもってのほかだ。
であるからこそ、ユーニスはこの活用法を諜報活動に見出した。ほんの小さな空間の穴しか開くことができないというのならば、それでできることを追求すればいいのだ、と。
「……まさかレスターの婚約や結婚の噂を流したのはキミか!?」
「噂とは憶測や偏見を交えて醸成されるものですわ。確かにわたくしも少々願望を口にしたことはありますが、子供の噂話ですもの。世論に影響など与えるに及びませんでしょう」
「む、むぅ……」
それはそうかもしれないけど、と渋るマリーに対し、ユーニスは内心で一息ついた。
嘘は言っていない。事実として、願望を口にしたことは幾度もある。
ただ、彼女はその空間魔法の才能をもって学院内や王都の人通りの多い場所に空間の穴を開き、自身の望むように噂を流し続けていたということだけは黙っていた。噂がエスカレートして既成事実化すればいずれは「そう」なる可能性が高いと踏んでいたのだ。
「話を戻しましょう。爵位が欲しいと仰るのでしたら、トラヴァーズ子爵家の正統後継者たるわたくしとの婚姻が効果的ではございませんか?」
「うむ……」
エドガーがユーニスの後見人として彼女を養育しているのは、いずれ子爵家を復興させるためである。上級貴族の実子であるレスターは、家格も血筋も能力もその相手として申し分ないと言えよう。
エドガー自身も、内心では薄々そうすることになる可能性はあると感じていた。
「お待ちください、侯爵閣下。その前に――シムゾニア皇帝陛下からの
「え、パット?」
そこに待ったをかけるのはパトリシアである。思わぬ人物からの想定外の発言に、エドガーはギョッと目を見開いた。
マリーの存在だけでも胃を痛めることになっているというのに、この上シムゾニア皇帝自身からの言伝だ。何を言われるものかと自然と身構える。
「洞窟の整備によって貿易路はそう遠からず完成します。いずれ帝国と聖王国は、現在よりも更に密接な国交を結ぶことになるでしょう」
「そうなるであろうな」
「そこで現地責任者であり閣下の実の御子息である村長様と、マルガレーテ殿下が婚姻を結ぶことで両国友好の証とするのはいかがか、との申し出でございます」
「なにぃぃっ!?」
「なんとォ!?」
「何故マルガレーテ様たちの方が驚いておられるのですかな?」
「ボクも初耳だからです……」
パトリシアが今回「帰省について行きましょう」と強硬に言っていたのはこれか、とマリーは確信を得た。
無論、彼女とて隙あらばアピールするつもりでいた。一方で、ここまで大胆な手を打つことまでは
しかし主人に黙ってこのような爆弾発言をするのはいかがなものだろうか? マリーは訝しんだ。
「むむ……」
「ぬぐ……」
双方の訴えは、侯爵家にとって有益なものには違いない。それを論理的に理解しているが故に、マリーとユーニスは互いに歯噛みした。
片や爵位を求めるレスターの構想を最速で実現でき、片や帝国との結びつきを強めて両国の橋渡し役となりうる。
もっとも、これはあくまで諸々の問題を度外視した上での話である。
「一旦お待ちいただきたい、マルガレーテ様。ユーニスも」
「はい」
「何か問題でもあるのですか?」
「まずユーニスは学院を卒業してからそういうことは考えなさい。いずれ家を継ぐと言うのなら事務仕事のやり方もちゃんと学んでこそなのだぞ。道を一つに絞って決めてかかってはならん」
「……そ、そうですわね……」
後見人の正論に、ユーニスは軽く目を逸らした。
無論、彼女とて学院で貴族としての仕事を真面目に学んでいるが、自由な時間はほぼ常に魔法を使ってレスターの動向を確認していた。サラク村の座標が分からないためにレスター個人のストーキングはできないが、もしも仮にエドガーがこれを伝えていれば学業に身が入らないということもあるだろう。
ほぼ確実にそうなるとエドガーも不本意ながら理解しているからこそ、ユーニスにはサラク村の座標のことを伝えずにいるのだ。一度でも現地に赴いてしまえば本格的にレスターのプライバシーというものは維持できなくなるに違いない。
なお、現時点でもマリーのせいで既にほとんどプライバシーは存在しないことを彼は知らない。
「そしてマルガレーテ様は今お命を狙われている立場でありましょう。レスター共々優秀な護衛に守られてはおりますが、四六時中守り続けることはできますまい」
「はっ。分断されたりなどすれば、残念ながら一方は守りきれないということもありえます」
「私はそのための護衛の役目も負っておりますが、相手次第という部分はありますね」
たとえ一対多数の戦闘であろうが瞬時に全滅させられるだろうとクリスは自信を滲ませるが、パトリシアはそこまでの能力は持ち合わせていない。
そうでなくとも、暗殺者は神器のレプリカらしき物体を所持しているのだ。空間座標を知られて直接転移され奇襲を受たならば、対応しきれないこともありうる。そのような状況に置かれていては、エドガーも肯定はし難い。
「そのような状態で婚姻などしては、ご自身の居場所を暗殺者に報せるようなものです。曲がりなりにも国交のためですからな。まずは襲撃を受けぬ前提を作らねばなりませんぞ」
「で……すよねぇ……」
これまた放たれる正論に、マリーは苦々しい笑みを返した。
現在ですらマリーは自身が襲撃を受けた理由を理解できていないのだ。当然ながら警戒を絶やすことなどできようはずもない。まずは原因を取り除かなければ、マリーのみならずレスターや村の住人も危険に晒す可能性が高いだろう。
「愚息も意識を失っておりますし、この話は今すぐに進めるべきではありますまい。まずはユーニスの卒業まで様子見、話はそれからに致しませぬか」
「くぅ……承知しましたわ」
「その辺が落としどころでしょうね」
その場での既成事実化を狙っていたユーニスにとっては残念極まりないが、一方でマリーはほんの少し内心安堵していた。
憎からず思っている相手とはいえ、不意討ちかはたまた事故のような勢いで婚姻関係を結ぶというのは彼女にとっても本意ではない。
(殿下も落ち着かれたようで幸いです)
パトリシアも内心軽く息をついた。シムゾニア皇帝から政略結婚の話が出たことは事実だが、それを申し出るタイミングは選ぶようにとも同時に命じられていた。
皇帝はまさしくエドガーと同様の危惧を抱いており、婚約をするにしてもあくまで暗殺者の脅威が消えてからという前提があった。あえて前提を除いた上でこの話を持ち出したのは、エドガーの口からその点を指摘してもらうためでもある。
電撃作戦で先んじて掻っ攫おうとするユーニスを牽制するには、それ相応の衝撃をもって横面を殴りつける必要がある。併せてマリーの動きも封じられてしまうことになったが、元から暗殺対策が万全になるまで動きは控えるつもりでいたのだ。結果的に、マリーは何も損をすること無く話は済んだ。
「……婚姻か」
「どうしたの姉さま?」
「い、いや……」
他方、レスターを支えながら様子を見守っていたクリスは、何やら自分でもよく分からない胸の奥のモヤモヤしたものを感じていた。
レスターが政治的意図の上で結婚するというのは、貴族である以上当然のことだ。しかしその「当然」を目の当たりにして、ほのかにこみ上げてくるものがある。
しかし、人生経験の足りないクリスにとってはその正体は一向に見えてこない。ただただ、困惑するほかなかった。
そんな困惑の雰囲気を醸し出す姉を見て、リンデはいい空気を堪能した。