その場で一時解散を告げた後、エドガーはユーニスを連れ、マリーたちとは逆方向へと向かっていった。
どこかへ行く宛があるわけではない。ただレスターとユーニスを引き剥がすことが目的のようなものだ。そのことは薄々察しているだろうが、ユーニスは文句を言うことなくついて行った。
やがて書斎の前にたどり着くと、エドガーはひとつため息をついてユーニスに向き直る。
「レスターを気絶させて話を進めようとするなど、強引が過ぎるぞユーニス」
「……なぜ、気絶させたと?」
「あやつが未だに菓子を食べると気を失うほど当時のことを気にしているのは分かっていよう。お前があのようにすればどうなるかなど、言わずとも知れたことだ」
レスターの情報を集めるために通信を盗聴していたユーニスが、その事実を知らないはずはない。マリーたちとの通信の中でもトラウマのことには言及していたのだ。おおよその事情は掴んでいるはずだとエドガーは確信していた。
「本人の同意も得ておらぬというのに、あのように不意討ち同然のやり方で婚姻を迫る者があるか」
「それは……そうなのですけれど……」
「よいか。いずれ貴族として家を復興させようと言うならば、まず手段を選ぶことを学びなさい。民は卑劣な手段を取る為政者に信頼など寄せん。結婚という人生の重大な岐路となればなおさらだ」
「……はい」
あくまで理想論として説いている部分がある点については、エドガーはあえて言及しなかった。
貴族として、領民と領地を守るためにある程度汚い手段を取らなければならないのも事実ではある。しかしそれは領地運営をしていく中で学ぶべきことだ。民から見える部分では、可能な限り手段を選ぶべきであるという点もまた事実。学院に通っているような今の時期ならば、少なくとも理想論を貫く意思を持つべきであるというのが現侯爵家当主としての見解だった。
「けれど……もう5年になるのです。その間、レスター様とは一度もお会いになることが叶いませんでしたわ」
「……う、うむ」
レスターは事件後、数週間ほどの休養を取って傷心のまま3年間の旅に出た。当然ながらその間にユーニスはレスターと一度も会うことはできていない。
彼が家に戻ってきたのもユーニスが学院に入ってからのことである。寮に入れられている彼女が侯爵家に戻ってくる機会は新年などの長期休暇しか無く、それを理解しているレスターは父から仕事を貰ってユーニスを避けるようにしていた。
ユーニスが彼を命の恩人と知ったのは、レスターが旅立った後のこと。引き止めることもできずに見送ることになった事実は、彼女に少なからず影を落としていた。
「今でもずっと悪夢を見るのです。お父様とお母様が目の前で死んだあの日のことを……わたくしの腕の中で冷たくなっていくレスター様の感覚と一緒に」
「あの時、レスターは大怪我をしておったな」
「ええ。お父様からの命令でわたくしを守るために賊に立ち向かってくださいました。あの女が現れなければ、きっとあれほどの大怪我は負わなかったと思いますわ」
レスターが休養を取った理由は、ユーニスを守るために大怪我を負ったためだ。戦闘中に横合いから奇襲した弓使いの女性に狙撃され、胴と足に熱線を受け内臓を損傷。この傷がもとで戦闘の趨勢が敵側に傾き、彼は幾多の傷を負った。
急所だけは守り抜き、時間稼ぎに徹することで麻偵の仲間が駆けつけたため命を落とす寸前で彼は助かった。しかし同時に、自分の命を救うために目の前で
「レスター様は生真面目で、職務に忠実なお方です。それこそ、わたくしを守った時のように……必要とあらば命を投げ出しかねないほどに」
「……で、あろうな」
この日、レスターが気を失ったのはユーニスとの対面のショックだけでなく、日頃心身を酷使していることも原因のひとつだ。
村長という立場を与えられた彼は、立場に付随する責任を「義務」と捉えて必要以上の努力を自身に強いていた。日々洞窟を掘削するために数キロの道のりを行き来しつつ魔法を乱発し、住民が増えた時に備えて毎日魔力の枯渇寸前まで簡易コンクリートを増産し、深夜まで延々と事務作業を片付け続ける。睡眠は欠かしていないがその質は悪く、睡眠よりも気絶と表現した方が適切なほどだ。
サラク村の復興という重責を担うに足るとエドガーが見込んだのも、そうした四角四面で愚直とすら言える気質ゆえのことだった。結果的に村の経営は良い方向に向かったが、常に限界ギリギリまで己の身を酷使しているのは事実である。
「心配で、不安で、恐ろしくてならないのです。お父様やお母様のようにわたくしを置いてどこかで亡くなってしまわれないかと……」
「…………」
規格外の戦闘力を持つクリスと共に行動している以上、現時点で外的要因による死の危険はほぼ無いと言っても過言ではないだろう。
しかし、サラク村の座標を知らないユーニスはそこまでの実態を知ることは無かった。こういった考え方になるのも致し方ないと言える。
(レスターと同等か、それ以上に心の傷は重篤か)
彼女が心底から震え上がるほど「失う」ことに恐怖しているのは、両親の死を目の前で見届け、何より命が失われゆく心胆を寒からしめるような感触を幼い頃に経験したゆえのことだ。
そこには幼い頃に守ってもらった相手への慕情もあるだろうが、何より強烈なトラウマによる心の歪みが生み出した執着心と恐怖心こそがユーニスを過激な行動に走らせている。エドガーはそう感じ取った。
「だから目を離したくないのです。いつでもお側にいてくださらないと、心配で仕方ありませんわ」
「ユーニス。お前の気持ちはよく分かる。私も人の親だ。どこかで怪我をしておらぬか、病に倒れておらぬかと憂いておる」
「では?」
「が、それだけを理由に婚姻を許可するかと言われれば否だ」
鋭く放った一言に、ユーニスの顔が渋くなる。こういった侯爵家当主としての顔を覗かせた時のエドガーは既に結論を決めている。
「まずレスターの件。あやつもお前と同じく深刻な心の傷を抱えておる。先ほど見て分かったろう。不意に出くわせば気を失うような状態で、まともな結婚生活が送れると思うか?」
「そ、それは……」
この点は貴族家として致命的だ。接触を控える必要があるということは、血を残す事ができる可能性が低くなる。
家の復興を願うユーニスにとっても、命の恩人であるレスターが自らを避けているという事実は心に負担をかけるだろう。双方にとって不幸になりかねないというのならば、両者にとって縁深いエドガーがこれを許すことは無い。
「そしてお前自身の件。そもそもだ。まずお前はレスターのことを本当によく理解できておるのか?」
「まずプロフィールから披露してご覧に入れますわ」
「いや、そういう表層的なことではなく……内面、人格と考え方、価値観だ。
無論、互いに貴族の生まれであり同じ学び舎を経た人間だ。共通する考え方もあるだろう。
しかし、経験の差から互いに埋められないギャップというものはどうしても生じてしまう。特にレスターは3年間の麻偵時代の経験のみならず、続く3年間の修行時代を経てどこか達観したような、あるいは諦観したような部分を持つようになった。
トラヴァーズ港での護衛仕事の中で交流することはあっただろうが、当時の彼と同じというわけではない。それは確実にユーニスの中で違和感として結実する。
「お前はまずレスターと真っ当な交流を持て。最初は文通でもよい」
「おじさ……閣下、今どきは通信で事足りますわ」
「……うむ。通信でもよい。とにかく一方的な監視ではなくちゃんと言葉を交わすべきだ。でなければレスターの苦手意識も改善されんぞ」
「そ、そうですわね……あの、連絡先などは……」
「それは自分で聞くことだ」
「そんなぁ」
喪失への恐れは、拒絶への恐れでもある。一方的で偏執的なストーキング癖は、実際に会った時に拒絶されたくないという気持ちの裏返しでもあった。
妙なところで神経質な子供だ、とエドガーは呆れを深くした。
「それから最後に」
「え、まだあるんですの」
「――侯爵家の通信を傍受したことについてだが」
「あ」
「帝国からの賓客の前であるから先は黙っておったがな……他所でこのようなことをすれば死罪にもなりかねんぞ馬鹿者!」
「も、ももも、申し訳ございません!」
そこまで考えてなかったんかい。内心でエドガーは思い切りツッコんだ。
同時に彼女が貴族教育を受けたとはいえ、未だ思春期にある14歳の少女であることも思い出した。迂闊な部分があって当然の年頃である。
幸いなことに完全に身内で完結していることであり、目的も
「流石に処罰が必要だ。王都に戻ったら向こう3ヶ月の社会貢献活動を命ずる」
「は、はい……」
「学院に連絡を入れて、使用人を監視につけておく。今後同じことは二度と許さん」
「そんな、それではレスター様の情報をどう入手すれば……!?」
「本人に聞けばよかろうが!」
「へあぁ」
先ほどまで堂々とマリーたちの前で特大の爆弾を爆発させていた意気はどこへやら。
しわしわの表情で肩を落とすユーニスからはまるで覇気が無く不安感でいっぱいだった。
「ふおぉ!?」
「あ、目が覚めた」
「あ、れ、レスター様。大丈夫ですか?」
「お、おお……?」
目が覚めると、そこは実家の応接室の前だった。
どうやら肩をクリスに支えられているようで、しなやかで強靭な筋肉のような、柔らかいような……感触を覚える。
いかん、中身が中身とはいえ流石にこう、体裁が悪い。俺は即座に足元を確認し、その場から一歩横に出た。
「ああ、すまない。大丈夫だ……多分……」
「村長様、吐き気などはございませんか?」
「とりあえずは」
持参したらしい常備薬をパトリシアさんが差し出してくるが、一旦断っておく。
とりあえず吐き気のような体調不良は無い。問題がない時に無闇に薬を飲むと、逆に体にとっては良くないものだ。
特に俺が飲んでいるような胃薬などはどうにも苦みが強い。この後には夕食が待っているし、もしかすると俺が厨房に立つ可能性も……なくはないと思う。いずれにしても味覚に障る。なので飲まずにおく。
一応「お土産」もあるしな。
「まだ寝てなくていいのかい?」
「寝てられる状況じゃない。父上との話はどうなった?」
「えっと……」
「あー……その……」
「兄さまの妻を名乗る不審者が現れて無茶苦茶になったわ」
「は?」
何? 俺の……いや、え?
なんか知らん人でも来たのかそれは。まるで意味が分からんぞ。
「こ、子供だからとはいえ言葉が過ぎるぞリンデ……」
「
「ちょっと待ってくれ。誰がそんなことを? 急に窓の外から変質者が入り込んできたのか?」
「いや、あの子だよ。ユーニスって子」
「ユーニスが? 妻を名乗って? え? あ? は???」
「兄さまが過去最高に困惑してるわ」
目の前に星がちらついている。
頭がガンガンしてきた。何コレ。
憎まれても仕方ないと思ってたのに急に何言い出してるの? というか俺今何聞かされてるの?
もう困惑通り越して恐怖だよ。
「俺を混乱させるための何らかの奸計か?」
「正気に戻ってください、村長様」
「相当……何らかの焦りみたいなものはあると思うけど、とりあえず順を追って説明するね」
そしてマリーの口から語られたのは、俺が気を失った後のやり取りだ。
何か……急激に何やら結婚の話が持ち上がっているのは正直言って何がなんやらだし、急にマリーとその……帝国側がアプローチをかけてきてると聞いて気恥ずかしくなったりもしたがそこは置いておいて。
マリーからことの次第を聞いた俺は、やはり困惑するしかなかった。
「何で……どうしてこんなことに……?」
「こっちが聞きたいよ何したんだよレスター」
「何って……護衛の仕事を……」
「全力で?」
「そりゃ仕事だったから」
「……兄さまの『全力』かぁ」
「あー……」
「何だよ……何が問題なんだよ……」
何やらマリーとリンデ、あとパトリシアさんも微妙な目つきで俺を見てくる。
仕事は真面目にやるものだろう。特に貴族家同士が関わっているならなおさらに。
真面目にやった結果が生存者1人というのは反省するしかないんだが……だとすると何でユーニスは俺との結婚を申し出たんだ?
分からない……家の復興のためと言われればまあ分からなくもないが、だとして何で俺を指名する……?
「……今は一旦横に置いておかないか? 応接室に母上や兄上たちがいるはずだから、挨拶を済ませよう」
「そうですね。お待たせしてしまっているようですし」
「うん、まあ……パットのおかげで話自体は先送りにしたしね……」
チラッとマリーの方を見ると、気恥ずかしげに目をそらされた。
……くそっ、そんな反応されるとこっちも意識してしまうじゃないか。いや、そういう候補に入ってるということは意識してもいいのか?
いや、一旦この話は置こう。本人も言ってるけど先送りにしたしな。
そんなわけで微妙というか奇妙な雰囲気になりながらも応接室に入ると、まず最初に出迎えたのは黒髪に茶色の瞳の女性――俺の母上、オレリア・コールリッジ・アシュクロフトだ。
前に領都に戻ってきた時は、主に事務仕事を終わらせていたためクリスとリンデには会っていない。ここで紹介しておこう。
「レスター・コールリッジ・アシュクロフトただいま参りました。ご無沙汰しております」
「レスター! 本当に久しぶりねぇ。通信は度々していたけれど……」
「兄さま、この人は?」
「俺の母のオレリアだ。母上、こちらは……」
「『兄さま』……って、私こんな可愛らしい子産んだかしら……?」
「母上。ただの兄貴分に対する呼び名です」
若干天然である。
そもそも人種から違うことにどうか気付いてほしい。
真面目な話するとリンデを学院に入れるためにうちの養子にするという案はあったんだ。使用人枠で入れられることに気付いてからはそっちで話進めてるけど。義理とはいえ本当に兄妹になる可能性があったわけだと考えるとちょっと笑い話にはし辛い。
ともあれ互いに紹介を終え、フローとシュネについても説明をしておくと母上はあらあらまあまあと朗らかな笑みで迎え入れた。
「こちらお土産の花フクロウの香水です。兄上たちの奥方にも持ってきたのですが……」
「あら、ありがとうねわざわざ。ミラベルさんとロミーさんには私から渡しておくわ」
「よろしくお願いします」
「レスター!」
「兄上、それに……」
そうしていくつかの花フクロウの香水を渡しているところで、横から
続くようにして、兄上と同じ茶髪に琥珀色の瞳の少女と少年がやってくる。少女の方は兄上に倣うようにして大きく手を振り、少年の方はそんな少女の後ろに隠れてこちらの様子を伺っている。
「ウィルとミルじゃないか。久しぶり」
「久しぶりだ叔父上!」
「お。お久しぶりです……おじさん……」
「こんなに若々しいのにおじさん……」
ほっとけ。
そもそも年齢に関わらず、兄上の子供である以上叔父は叔父だ。そういう意味で言えば、何なら俺は12歳の頃からおじさんである。
「お元気そうで何よりです、兄上」
「レスターもな。すまないが初めて会う者もいる。紹介をしてくれないか?」
「はい。もちろんです」
……しかし、顔合わせという状況だからか今日は特に人を紹介することが多くなってるな。
この際