こちら山海経情報統制部。当方に叛意なし。   作:息抜きのもなか

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14.エデン条約関与に関する噂。優先度高。

 エデン条約。

 それは失踪した連邦生徒会長が雷帝への切り札として用意していたトリニティとゲヘナの講和条約の名前である。

 雷帝がクーデターでその座を辞し、また主導者も失踪したことによって皆の記憶から零れ落ちそうになっていたその名は、トリニティのティーパーティーが提言したことによって再び日の目を見ることとなった。

 シラセはその名が記された報告書に目を落とし、危惧していたことが現実になってしまったと息を吐く。

 

『最近、百合園セイア様のお姿を見た者がおりません。また、フィリウス派を中心としたティーパーティーに()()()()動きがあります。恐らくエデン条約締結前ということもあって不穏分子の排除に動いているものと予想されます』

 

 盤面の外に居るからこそ、シラセは冷静に目を落とすことができるが、その渦中に居る人間たちの動揺は計り知れない。百合園セイアは『療養』と銘打っているらしいが、この緊張状態――有事と言っても差し支えない状態かもしれない――での『療養』なんていうものは、最悪の事態が起こったことを秘匿するための詭弁と考えた方がいいのかもしれない。

 報告書ベースでしか見ていないシラセには現ティーパーティーホストである桐藤ナギサの意図が読めなかった。百合園セイアの『療養』が先に起こってからエデン条約なんてものを持ち出してきたのか、あるいはエデン条約を持ち出した後に百合園セイアが『療養』に入ってしまったのか。

 聖園ミカとの秘匿された関係性の情報を手にしているからこそ、シラセはその判断を下すことができていない。幼馴染を守るための手なのか、あるいは次の危害が自分か幼馴染のどちらかに加えられることを理解しているが故の現在の恐慌状態なのか。

 シラセには同情以外の出力が見つけられない。自分も似たような立ち位置にあることを理解していおり、いざその状況下に立てば同じような選択肢を択ばないとは言い切れないからである。

 

「対策はした方が良い。でも公式発表は潜入員に危険が及ぶ。幸い疑われてはいないようだし、いや、逆に泳がされている可能性もあるのか。気付いているからこそ、こういう噂が上がっているんだろうし」

 

 シラセの手元にはもう一つの報告が上がっている。SNSでの検閲記録である。

 完全にシャットアウトすることで山海経の人間には見えないようにしているが、トリニティ内部の人間らしきアカウントから、エデン条約の妨害を『山海経の黒い門主』がやっているのではないかという情報が発信されていた。

 エデン条約に関心がある人間自体が少ないのかあまり拡散はされていないようだが、SNSにこの投稿を許している以上、トリニティ内部でそういった話が上がっているというのは間違いない話なのだろうと思う。アカウントの過去ログを見るとティーパーティー所属生徒の個人裏アカウントに見えるのだが、それを模した諜報用の釣り餌の可能性もある。

 過剰反応は悪手。だけど悪く言われたまま何も言わないのも沽券に係わる。

 

「先輩なら、どうする?」

 

 シラセの脳裏に思い浮かぶのは、今年卒業してしまった部の先輩たちだった。

 自分に部長を任せた前部長と、自分に目を掛けてくれていたシラセを情報統制部に誘った先輩。シラセが迷ったときに相談に乗ってくれていたその二人を失ったシラセは、こうして自問自答する時間が増えた。

 無理をしすぎる()()()があるシラセに対して時にはメンタルケアの相手を、時にはストッパーの役目を果たしていた二人の存在はあまりにも大きく、先の連邦生徒会長の失踪の一件で業務量がオーバーフローして平時の感覚が消失した期間があったことも相まってシラセの業務時間は部長就任時の不慣れなときよりも増加してしまっている。

 それは彼女の心身へ蓄積され、彼女に近しいものに気付かれる程度には影響を及ぼしていて。

 

『シラセ、ちゃんと寝ているのだ? キサキのことも心配しているが、ぼく様はお前の方が心配になるのだ』

 

 キサキの行動可能時間がだんだんと短くなっていることを知っている主治医からそう言われる程度には、シラセもまた生命力を削って動いていた。

 シラセも無理をしている自覚はあったが、それでも休むわけには行かなかった。

 確実に起こる問題が控えている以上、その結末を見届けるまでは倒れるわけにはいかない。キサキ先輩の体調が芳しくない今、あの狂人へ対応するのは自分の役割なのだから。

 故に、シラセは情報の取捨選択を行う。他自治区の問題に首を突っ込んでいる場合ではないと断じる。保守的な対応を行ってきた山海経が、突然トリニティやゲヘナという大きな波に手を出す必要など何もない。幸い情報は既に遮断され、山海経内でエデン条約に関する話など玄龍門員を含めて誰もしていないのだから、わざわざ藪へ手を突っ込む必要などないのである。

 山海経はこれから大きく揺れる。キサキの動きからそれが読み取れる以上、今はそれに備えておくべきだ。

 情報はシャットアウト。あらぬ疑いを掛けられたことに文句を言う玄龍門員もいるかもしれないが、彼女たちの耳に噂が届かなければそもそもそんな声は上がらない。

 シラセは独断でこの件の対応を行わない方針を固めた。

 

 

 深夜。丑三つ時。

 明かりの落ちた街で帰路に就くシラセは、最近はこの寝静まった街しか見ていないなとふと意識を向ける。暗がりでよく見えないが、前に見かけた店が別の店に変わっている気がする。この通りは地代が高い故、店舗が頻繁に入れ替わるのは付近に住む生徒たちの共通認識ではあるのだが、いつの間に変わったのだろうか。

 アンテナが鈍っているのかもしれないとシラセは背を丸めながらゆっくりと歩を進める。

 どうすればいいのだろう。このまま自身の状態が悪化していけば、自分の役割を全うできない。

 だが業務量は依然として変わらないし、パフォーマンスの低下が処理能力を下げて業務時間を伸ばしてしまう悪循環ができてしまっている。

 一日でもしっかりと休めば変わるだろうか。そうしたらまた一日二日では取り戻せない量の仕事が溜まってしまうだろうけれど。

 いっそ全部吐いてしまおうか。全部めちゃくちゃにして――

 

「――馬鹿が。そうはならないって決めただろ?」

 

 過去の部長たちの愚行が生まれた理由をその身を以て理解する。

 部長に就任した当時も頭では理解できていたが、心の底から理解したのは今が初めてだった。追い詰められればやはりこうなってしまうのか。どうしようもなくなってこの誘惑に負けた結果が自暴自棄な不正行為。自身が裁かれて終わってしまうことを望むが故の暴挙。

 シラセの精神は過去の不正に走った部長と遜色ない程度には摩耗しているのだろう。

 仲の良かった先輩とのすれ違い。掴んでしまった雷帝の遺産。連邦生徒会長の失踪や連邦捜査部の設立と、自治区の生徒が矯正局から脱走という前代未聞の異常事態のトリプルコンボの対応も。

 どれか一つなら、どうにかなったかもしれない。全部を抱えていても、今の立場でなければ問題なかったかもしれない。

 けれど、代情(よせ)シラセは情報統制部の部長である。それらを抱え込まなければならない立場の人間である。

 彼女が誰かにその内心を吐露できたのならばもう少し楽だったのかもしれない。だが彼女が彼女である以上、山海経の生徒にその弱みを見せることを是としない。山海経という地にいる限り、彼女にとって安心できる場はないのである。

 故に彼女は孤軍奮闘する。どれだけ自分の心が削れようとも。どれだけ自分の身が壊れようとも。

 

 ――ギィ、ギィ、カラカラ、コン

 

 そんなシラセの思考は、彼女の耳に飛び込んできた奇妙な音によって中断された。

 夜の街に似つかわしくない、木が擦れるような、人形の関節が軋むような音。

 時間が時間であることも相まって、シラセは自分の幻聴を疑うが、もう一度耳を澄ましてみてもその音は変わらず彼女の耳に入ってくる。

 それが自身の内側から発されたものかどうか、シラセが判断する必要はなかった。

 その音を出している張本人が、暗がりの向こうから姿を現したのだから。

 

「……双頭の木人形。識別名『マエストロ』」

「ほう。やはりこちらの情報を有していたか。砂の地で黒服と相まみえたと聞いていたが、この地の先人たちも侮れぬものだ」

 

 平然と山海経の自治区に立つ双頭の異形に、シラセは歯噛みする。

 自身の身の上が見透かされていることは理解していたが、彼の者を拒絶した以上こちらに接触してくるのはもう少し時間を置いた後だろうと予想していたのだ。

 それに加えて、目の前の異形がここにいること自体が異常事態である。この時間であれど、玄龍門の夜警は行われているのだから。情報統制部のカメラも至る所に設置されているし、この異形の姿を認めればまず間違いなく部下から連絡が来るはずだ。警戒が薄いから容易に侵入できたのだろうという希望的観測は捨てた方が良い。こいつら(ゲマトリア)は、自治区の警戒線を突破して侵入する手段を有していると考えるべきだ。

 それはつまり、彼らが介入を図ろうとした時点でそれを拒む術がないことを意味していて。

 自治区が誇る問題児と彼らが結託する姿(最悪)を想像して、シラセはその身に怖気(おぞけ)が奔った。

 

「僕に何か用? それとも、山海経の人間なら誰でもいいのかな?」

 

 本当は遭遇した瞬間に踵を返すつもりだったが、反応してしまった以上そうはいかない。

 前回のような手段は、相手を認識していないと主張できる状態でなければ使っても意味がないのである。

 故に今回は真っ向から対応しなければならない。自身を欺き操ろうと手を尽くす大人に、生身で立ち向かわなければならないのだ。

 

「この地の『情報』は、畏怖のそれを含めて『統制』が行われている。この地で私が動くには、(ことわり)の守護者からの許可が必要だ。この地には多くの伝承が残り、それらは私の作品としての申し分ない強度を――」

「――断る。許可することは絶対にない」

 

 シラセはマエストロが話を終えるよりも早く、彼の要求に否を返した。

 シラセが資料保管室で見た資料では、キヴォトス各地に存在する『The Library of Lore(馬鹿げた奇妙な百物語)』、その一つをこの異形たちが作り出したと明言する記述があった。『止め処無い奇談の図書館』という名でオカルトマニアたちには親しまれているようだが、自分たちの自治区をその作品展示場にされては堪ったものではない。

 従ってシラセが出せる返答は拒絶以外にはあり得ない。

 

「ふむ。一度の交渉で結果が得られるとはこちらも考えてはいない。だが、一つ言葉を渡しておくのであれば」

 

 シラセの心臓が早鐘を打つ。

 相手は潔く引き下がったはずなのに、背中に流れる嫌な汗が引いてくれない。

 そして彼女の前に立つ木人形は、続く言葉を残してその場を去った。

 

「恐怖は私の手を介さずとも表出するのものだ。人々の感情を糧として複製され、現実へ影響を与え始める。私にできることはその方向性を定める程度のこと。来たるエデン条約を見届けてくれ給え。判断を下すのは、そこで私の作品を見てからでも遅くはないだろう」

 

 エデン条約にゲマトリアが関わっている。彼らはそこで、何かを起こすつもりだ。

 要らぬ情報を知ってしまった。これを伝えないことは、山海経とトリニティの関係を悪化させる要因に成り得るのだろうか。

 ギリギリと自身の胃が痛むのを感じて、シラセは知りたくない情報を押し付けてきた異形が去っていた方向を睨む。まだ耳に届く人形の稼働音が、残響なのか幻聴なのか判断が付かない。

 

「――っ」

 

 ようやく音が消え、シラセの意識は夜の街に戻ってくる。

 見慣れた静寂に日常を取り戻し、気が緩んだのかシラセは弛緩して道路にへたり込んだ。息を吸い込んで、夜の冷たい空気を肺に取り込み、そこでようやくリズムを取り戻して、呼吸の仕方を思い出したように錯覚させられる。

 その感覚に身体が驚いたのだろう。シラセの身体はその急激な変化について行くことが叶わず、彼女は数度咽せてからようやく落ち着きを取り戻す。

 息を調えて立ち上がろうと地面に手を付いたシラセは、その指が捉えた奇妙な感覚に動きを止めて、(てのひら)を自分に見えるように向けて目を落とす。

 

「……はは。サヤにバレないようにしないと」

 

 暗くとも手に付いた物の正体を理解する。口の中に、その味が広がっているのを自覚したから。

 いつか自分は決壊する日が来るだろう。それが自身の限界か、見咎められてか、あるいは誘惑に耐えられなくなってか、どれになるかは未知数だが。

 先日、先生が山海経に来ていたと報告があった。梅花園の教官である春原姉妹と交流していろいろあったみたいだ。サヤも関わっていたと報告が来ていたが、自分に直接話してくれなかったのはどうせ知っているだろうと思ってのことだろうか。

 タイムリミットは近いのかもしれない。でも、彼の人に任せれば全部上手く行くのかも。

 シラセには既に逃げる口実があり、その選択肢にも気付いてしまっている。

 だからこそ、シラセは自身の両の目から無意識に零れた(しずく)を認識することが叶わない。それを認めてしまえば身を委ねてしまうことすらも、彼女は理解しているのだから。

 

 エデン条約関与に関する噂。優先度高。

 情報を玄龍門を含めてシャットアウトし、一切反応しない方針に決定。トリニティに何が起ころうと、当方は関知しない。

 

 もうやだ。




そろそろ折り返し。エデン条約の話が続きますが、次回はエデン条約調印式後のお話です。
それでは次回、「トリニティ及びゲヘナの治安悪化。プロパガンダの好機」でお会いしましょう。
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