こちら山海経情報統制部。当方に叛意なし。 作:息抜きのもなか
エデン条約調印式で起こった事件は、キヴォトス中の話題を独占した。
アリウスというトリニティから零れ落ちた生徒たちと、ユスティナ聖徒会という過去の亡霊。加えて先生が撃たれたという報もあり、SNSや各種掲示板の動きが活発になった。
無論シラセたち情報統制部の仕事も増える。
しかし、それは一過性の物だった。連邦生徒会長が失踪してからというもの、事件と呼ばれるものは事欠かない。エデン条約調印式のそれは元々の注目度もあって大きく燃え上がったが、しかし二週間もすれば誰も語らなくなっている。今はもう百鬼夜行の新作和菓子で盛り上がっていた。
「山海経の広報部長だな?」
「うん。代情シラセって言うんだ。よろしく。君が剣先ツルギ委員長で合ってる?」
「……ああ。協力感謝する」
話題が過ぎ去ったとは言えど、現場の復旧はまだ始まったばかり。
古聖堂周辺は瓦礫が散らばったままだし、あの一件で治安維持組織の面々も怪我人が多く、取り締まりの人数が足りていない。それに目を付けて不良たちの動きも活発になっており、トリニティはかつてないほどの犯罪件数を記録し、ゲヘナはいつも以上に暴れまわっているらしい。
そこに目を付けたのがシラセであった。
今このタイミングで、ボランティアとしてその復旧に力を貸す。それも個々人が自由参加という形ではなく、山海経の広報部という名前を全面に押し出して人を集める形で。その行動を通じて、山海経は決して閉鎖的ではなく、他の自治区が大変なときには協力を惜しまないという姿勢を
「何が狙いだ?」
「恩を売るつもりはないよ。ここに来ているのはただの有志のボランティア。呼びかけたのは僕たちだけどね」
「山海経に何の利益もない行動に見えるが」
「ま、悪く言えばプロパガンダだよ。手を伸ばされれば掴むから、こっちが困ったときはよろしくね、って言いたいだけ」
「そうか、お前も難しい立場なんだな」
正義実現委員会がティーパーティー直属の組織として動きづらい
無論、ボランティアに復旧や撤去作業の一部を任せることで本業の治安維持に戻れるという部分が正義実現委員会にとって少なくないメリットとして存在していることも大きいのだろうが、シラセはどちらかというと『似合わない椅子に座っている者同士頑張ろう』みたいなニュアンスを感じてしまって何とも反応に困ることとなった。
それはさておき、シラセは肉体労働は好まない性質である。
彼女自らここに出向いたのは山海経の顔としてまとめ役を買って出ただけであり、彼女の本来の業務としては視察がメインである。ツルギとは別の正義実現委員会の部員から説明を受け、立候補者という名の比較的手の空いていた情報統制部の部員たちが瓦礫の撤去作業に従事し始めるのを見届けて、シラセはツルギに連れられて古聖堂とその周辺市街地を回り、そして救護騎士団の病院に辿り着いたところで呼び出しの入ったツルギに置いて行かれ、代わりの者を寄越すという言葉に到着を待たず勝手に病院内を歩き始めた。
「…………起きてるかな」
もし建物内に蒼い髪の少女がいれば、今のシラセを見て『救護』を行うであろう顔をしつつ、手元の端末に書いてある病室を確認する。
そして迷いなくその部屋があるフロアへと進み、そして視察という言い分を維持するカモフラージュのために目的の部屋ではない別の部屋にノックをして入り込む。
「だ、誰ですか?」
「山海経から視察で来ているんだ。先のエデン条約で重傷を負った人の様子をってことなんだけど、聞いてない?」
「ああ、確かにそんなことを聞いていたような……」
特に外傷が無いように見える少女は、足が動かなくなってしまったのだと苦笑する。
これではナギサ様の力になれないと彼女は、しかし主を守れたからかどこか誇らしげに語る。
どうやら彼女は直前に異変に気が付いて咄嗟にティーパーティーホストであるナギサを押し倒したらしい。爆発が近すぎて結果的に二人とも気絶することは避けられなかったが、彼女がクッションになったおかげでナギサは大きな外傷はなく済んだのだとか。これを言ったら気に病まれてしまうので内緒ですよ、と人差し指を立てた彼女の言葉が強がりでないことはシラセにもわかった。
これから居場所を失うというのに、しかも車いすでの生活を余儀なくされるというのに、彼女はどこか余裕を感じた。もしかしたらまだ現実感がないだけなのかもしれないが、しかし悲壮感というのは感じられなかった。
これがティーパーティーに所属するものの覚悟なのだろうかと考えて、シラセは次の部屋に移動する。
「こんにちは。山海経から視察で来た――」
次の部屋の少女は、体を起こせないようだった。腰をやっちまいましてと話す少女はシスターフッド所属の少女で、ミサイルの着弾地点付近にいたらしい。
彼女は先程の少女と違って悲観的なビジョンも見ているようだったが、しかしどうしよっかなーと語る口ぶりは余裕を感じられて、その理由を問えば実家が教会をやってるから私が不自由な身になればお布施が集めやすくなるかもと悪い笑みを浮かべていた。
次の部屋では古聖堂の尖塔の落下に巻き込まれたと話す少女がいた。
全身骨折ですわと笑いながら語る彼女は痛すぎて何かに目覚めそうとのことだった。恐らく痛覚が常時機能しているが故に精神的にそういう方向に行かないと負荷に耐えられなくなる可能性があるからだろう。
しかし「これはこれで……」と恍惚の表情をする彼女を見れば、元から素質があったのかもと思わないでもなかった。こちらは正義実現委員会の警備担当だったらしく、戦場が好きだったようなので恐らくそういうことである。
「……元気?」
次が、シラセの目的の部屋だった。
ティーパーティーに潜入させていた情報統制部の生徒、その一人がエデン条約で重傷を負ったという報せを受けて、その様子を見に行くことが今回の視察目的の一つだった。もしかすると当たり障りのない会話しかできないかもしれないと思っていたから、ツルギが土壇場で席を外してくれたのがありがたい。
シラセの姿を見た少女は、その右半分が焼けただれた顔をこちらに向け、目を瞬かせる。そして次の瞬間には花が咲くようにぱあっとその顔に笑みを広げて、シラセを出迎えた。
「ごめん、私がティーパーティーに潜入してほしいなんて言ったから、君をこんなことに……」
「部長のせいじゃないですよ。それにこれは名誉の負傷です! あのエデン条約の現場にいたんです、なんてこれ以上ない土産話がありますか!?」
どうやら彼女は最初の着弾時で気絶はしたものの、特にそこでは大きな怪我はなかったらしい。
しかし倒れた場所が良くなかったようで燃え上がる炎の中に倒れ込んでしまったようで、長時間火に曝され続けた結果、見るも無残な状態になってしまったらしい。回復の見込みはないようで、彼女はこの後の人生にずっと傷痕を背負っていかなければならない。
そのことの重さを恐らく彼女は理解していない。きっといつか後悔する日が来る。きっといつか恨む日が来る。シラセはその日が来ることを恐怖せずにはいられない。
「治らないんでしょ? それ」
「はい。そうみたいです。鏡を見るとちょっとびっくりはしますけど、でもやっぱり部長が気にすることじゃないですよ! 悪いのはアリウス! そうでしょう?」
でも、自分は調印式で何か事件が起こると知っていながら、何も言わなかった。
誰にも伝えることができていないその秘密は、自身が糾弾される理由に足り得る要因であるとシラセは考える。主犯者はアリウスでありその裏にいるあのゲマトリアという集団なのだろうが、それでも
そう、この視察は罪滅ぼしのためのものなのである。
自身のしたこと、否、自身がしなかった選択を忘れないように心に刻みつけるために、自身がどれだけの罪深い存在であるかを自身の目で確認するための自傷行為。
シラセはその部屋を出てから合流した正義実現委員会の部員に連れられて、残りの部屋を回っていく。その一つ一つが、確実にシラセの心を抉る
ボランティアと視察は、一日で終わるわけではない。
シラセ達はトリニティにホテルを取って、一週間ほど滞在することとなっている。今回は以前のゲヘナの温泉の時のような無理やりの経費ではなく、事前に玄龍門の許可を取っている。といっても外部との明確な接触である以上執行部員が黙っていないと思ったので、キサキとその周辺の柔軟な考えを持っている面々だけに通した話ではあるが。
「それじゃ、また明日。しっかり休んでね」
「はい! 部長も歩き回ったみたいなんで、ちゃんと休んでくださいね!」
「そうそう! ただでさえ部長は働きすぎなんだから!」
そんな部員たちの言葉に苦笑しつつ、それぞれが自分たちの部屋に入っていく。
その山海経とは似ても似つかないおしゃれ空間に歓喜する皆を見届けてから、シラセは一つ上のフロアにある自分の一人部屋に向かった。
一人で勝手に外出しているからか、シラセにとってはあまりそういった感動はない。
だが、客人用らしく整っている部屋はさすがトリニティだなと思わざるを得なかった。
そんなシラセであるが、部屋に入って扉を閉じるとそれまでの態度が嘘のように力を抜き、扉に背を預けて座り込む。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
皆のまでは気丈に振る舞っていたが、一人になれば、止まらない。
その目で現場の惨状を見たことで罪悪感はより強く刻まれる。罪滅ぼしのための現地訪問だが、現実を突きつけられてしまえばこんなことで自身の罪が洗われるとは到底思えなかった。
壊れた古聖堂、破壊された市街地、まだ傷が癒えない負傷者や、消えない
自分がもし、危険を先に報せていれば、避けられたかもしれない。でも、その場合は山海経が本格的に疑われて、関係が悪化していたかもしれない。なら、匿名での投稿や連絡は? その場合は相手にされなかった可能性もあるから、確実な方法ではない。
わかっている。全てを丸く収める方法なんてものは存在しなかった。
だから自分は山海経の平穏と立場の悪化を避けるための選択をした。その、つもりだった。
「ごめんなさい…………ごめんなさい…………」
覚悟していたはずだったのに、実際に現場を見てわからなくなってしまった。
独断だろうが何だろうが、自分が声を上げていれば守れたものはあったんじゃないのか? そんな疑念が溢れて尽きることがない。
シラセは動けない。自身の責任の重さに、彼女は立ち上がることすらできなかった。
トリニティ及びゲヘナの治安悪化。プロパガンダの好機。
従来の悪評を払拭するべく、エデン条約事件の復興ボランティアに参加を決定。香主本人が参加することでその本気度を示し、また、潜入員のケアを行うものとする。
もう無理。
『部長? 今お時間大丈夫ですか?』
「うん、大丈夫だよ」
『まさか、部長直々にトリニティに来られるとは思ってもみませんでした。久々に部長のお顔を拝見できてとても嬉しかったです』
「あれ、どこかですれ違ってた? 気付かなかった。どう? 元気にしてる?」
『はい。変わりなく。でも、そういう部長は少し元気が無さそうでしたが、大丈夫ですか?』
「うん、ちょっと最近忙しくてね。ほら、先生の件とか、連邦生徒会長の件とか、あれがようやく終わって、溜まってた通常業務を消化してるとこなんだよ」
黒に染められた部屋にはスマートフォンの明かりしかなく、床に置かれたそれは床に座り込んで身体を抱きかかえながら丸まり、そこに向かって声を投げる以外の動きを見せない少女の
『激務だったと聞きました。そしてこの事件ですから。また戻ったら書類地獄なのでは?』
「エデン条約関連は山海経内にはあんまり情報を流さない方針にしたから、実はそうでもないんだよ。今日来たのは、単に外交手段の一つってだけだね」
『なるほど。流石部長ですね』
ギリ、と指に力がこもって、少しだけ喰い込んだ爪が肌に傷をつける。
「そっちは大丈夫? あんなことがあったし、無理せず戻ってきても大丈夫だからね」
『全然問題ないです! あの子みたいに、現地に居たわけでもないですし』
「……わかった。その言葉を信じるよ。でも、何か困ったことがあったら言ってね。今みたいに全然私に直接でもいいからさ」
『本当ですか!? なら早速……あ、でも、困ってるわけじゃないんですけど、こうして山海経の外に出て、ようやく部長の言ってることを、ちゃんと理解できるようになったなって思うんです』
その言葉に、ずっと虚空を見つめていた少女の瞳が、光の方へスライドする。
『環境のせいにするつもりはないんですけど、思考がちょっと凝り固まってたなって、思います。この任務で学外の人たちと触れて、自分たちの考えがいかに危ういのかって、気付かされました』
「伝統のこと?」
『はい。トリニティにも伝統はありますが、山海経ほど凝り固まってはいないんです。伝統はあくまでも良い慣習と歴史的意義のあるものを受け継いでいくというものであって、それに必ずしも従う必要なんてない。悪しき伝統は変わるべきだし、そこから新たな伝統を作っていったっていい』
少女は放心したように、何も答えない。
『そう考えてようやく、部長がしてくれてたことの意味が分かりました。部長の下でなら、山海経を変えられる。トリニティに来ていろんなものを見て、そう思えたんです。私、来年戻るまでにもっと
「…………そっか。楽しみにしてるよ」
『はい! もう遅いので今日はこれぐらいで。部長もしっかり休んでくださいね』
「うん。お休み」
『失礼します!』
通話が切れたことで、彼女の視線の先にあった光源がその明かりを落とす。
その部屋の中には再び黒が戻った。電話が鳴るまでと変わらない、部屋の主が戻ってきてからずっと変わらない光景。しかし、先程とは違うものがあった。放心して焦点の合わなかった瞳は、先程の会話を思い出して確かに揺れている。
思案する少女を置いてけぼりにしたまま時間が続いていくかと思われた次の瞬間、少女の端末が再び着信を伝える。
今度は電話ではなくメッセージ。立場上の問題で機密情報が送られてくる可能性を考えて、通知欄にはどのアプリが受信したかしか表示しないようにしているため、内容は一度端末を開かなければ確認が叶わない。
そして、書いてあった文面に、少女は先程の電話で一度も見せなかった笑みを浮かべた。
《門主様がお前が何か問題を興さないかと心配していたぞ》
それを自分に言うのは情報漏洩にならないのだろうかと、思わないでもない。
でも、そんな馬鹿な友人のいつも通りが、今の彼女には救いだった。
『どうした? そっちから掛けてくるなんて、珍しい』
「……誤変換してたよ。私に国でも興させる気?」
少女の言葉に電話の相手の少女が慌てる声がして、悔しそうな声が聞こえてくる。
しかし彼女とて治安維持部隊の所属部員。見逃さない部分は見逃さない。
『声に覇気がないな。体調でも悪いのか?』
「体調は大丈夫。ちょっと疲れてるだけだよ」
『あまり無理はするなよ。離れていても我らの同志であることに変わりはない』
「……前から思ってたけど、私はもう玄龍門じゃないよ?」
『そっちこそ何を言ってる? お前は――』
予想していなかった言葉に、少女は笑いが溢れてくる。
「あははッ。あはははッ! あはははははははッ!」
『お、おい。どうした? 何がおかしい?』
困惑する友人に、少女は問う。
「ねえ、僕かキサキ先輩かどちらを助けるかって聞かれたら、どう答える?」
『愚問だな。門主様に決まっているだろう』
「うん、やっぱそうだよね」
その返答に少女は、心底安堵した笑みを浮かべた。
――この子がいるなら、大丈夫。
「この先何があっても、君だけはキサキ先輩の味方でいてあげてね」
『当たり前だ。門主様をお守りすることが私の存在理由だからな』
「そうじゃなくて、キサキ先輩がどん底に落ちてもってこと。明らかにキサキ先輩が悪くても、地獄に落ちるときだろうと、ずっとついて行ってあげて」
『私を侮るなよ、シラセ。お前にそんなことを言われずとも、私の命は門主様と共にある』
少女は立ち上がる。立ち眩みで少しよろめきながら、部屋の電気を入れる。
その眩しさに目を瞑りながら、彼女は電話相手に礼を言う。
「ありがとね、ミナ」
『どうした、本当に今日はお前らしくないぞ』
「うるさいなあ。私だって感謝ぐらいするよ。ヘコむ日もあるし、人の声を聞きたい日もあるの。君のせいでどうでもよくなったけどさ」
『なんだそれは。まあ、気分が戻ったのなら良かった』
「じゃ、また山海経で」
『ああ、また。……良い夢を』
少女は通話の切れた端末をベッドの上に放り、その場で一つ伸びをする。
「まずはシャワーかな」
少女の目は赤い。頬に跡も残っている。
しかしその表情は霧が晴れたように迷いを持たず、憑き物が取れたように穏やかだった。
罪は消えずとも、歩くための希望は掴んだ。だから彼女は抱えたまま歩くことにしたんですね。
それでは次回、「回線改善要求。ミレニアムとの技術交換会を検討」でお会いしましょう。