こちら山海経情報統制部。当方に叛意なし。 作:息抜きのもなか
キヴォトスにとっては大したことのない事件の一つ。
しかし、山海経にとっては歴史を揺るがすような大事件。
ただでさえ数が足りず、希少性の高い萬年参が自治区外に流出すると言うのは、過去類を見ないような失態であると言えるだろう。
だからこそ身構えていた情報統制部員たちとしては、その対処のあっけなさに肩透かしを食らっていた。
「今までは部全体でてんやわんやだったのに……」
「確かに事前に情報をキャッチしていたけど、こんなあっさり片付くもの?」
「私、通常業務しかしてないけど、大丈夫だよね?」
役割分担と、事前調査。
変わったのはそれだけだが、担当者以外はこれは自分の担当ではないと言えるようになったことも大きく、情報統制部はほぼ変わらない稼働率を保ったままだ。
当該の部署ですらも諸々の調査が終わっていたこともあって、『取り扱いに注意すべき重大な案件』の取り置きが一つ増えただけで、通常通りの業務を回せている。
そんな
「うん、これで僕が吊られたとしても大丈夫だね。みんなもやり方を覚えたし、念のための手引きと引き継ぎ書も作った。今回の首謀者みたいな『やる気のある無能』が馬鹿をしない限りは、この新しい『伝統』を守っていくだろうね」
伝統を守ると言うと聞こえはいいが、実際は変革を嫌い現状に甘んじるというだけの話。
よほど自己顕示欲を満たしたい馬鹿がいない限りは、これ以上の大きな変革はないと思ってもいいだろう。自分たちがそうでないかどうかは、未来の誰かに聞かないと分からない話だが。
シラセは自身が果たすべき一つの役目を終えたことを実感しつつ、自分が受け身でいてはならないもう一つの事柄について上がってきた報告を手に取る。
今回の事件の詳細、すなわち申谷カイが再び山海経へ戻ろうとしているという事実が竜華キサキと
「相手はあの『五塵の獼猴』だ。どれだけ手札を用意しても足らぬことはあれど安心はない」
情報統制部としても、慎重な動きをせざるを得ない。
申谷カイという人間を薬子サヤのようなおもしろ人間として処理するのか、はたまた稀代の犯罪者として処理するのか、今後の動きはその鶴の一声で山海経を動かせるである二人の人間が握っていると言っても過言ではない。
無論、その二人が後手に回ったときのことも考慮しないわけにはいかないが。
「至上命題はやっぱり、この二つかな」
敢えてスマホではなく紙の手帳に書き記し、万が一のことがあっても自分以外の誰にも悟られないようにしている達成目標。
一つは申谷カイが精錬中の仙丹を入手し、その組成を暴くこと。
もう一つは申谷カイが起こすであろう事件を想定し、事前にフェイク用の記事やニュースを準備しておくこと。
実益を考えるのであれば、内通者を発見し、それをキサキへと通知することが最も効果的であることはシラセ本人としても認識している。だが、それはキサキからしてもシラセからしてもメリット以上のデメリットを有していて、現実的な話ではなかった。
情報統制部と玄龍門は犬猿の仲だ。情報を渡そうともソースを探られ、情報を精査され、使用されるのには多大な時間を要す。これから事件が起ころうという段階で提供された情報が使えるようになるのは事件が全て解決した後であろうことは想像に難くない。
また、今回のようなシャーレの介入ですら例外ではなく、外部組織の手を借りたというのは組織の信用に大きな傷を与えることになる。現状で玄龍門の門主であるキサキから発された情報の源が情報統制部によるものとなれば、どういう騒ぎが起きるかは考えるまでもない。
個人的に伝えようにもお互いに監視の目も多く、シラセはキサキの信頼を勝ち取れていない。加えてキサキの立場はその抜擢からして薄氷の上に成り立っており、その座は確固たるものであるとは言い難く、今回の件のようにどこに不穏分子が潜んでいるか分からない。
だからこそ、シラセは後手の対応に力を注ぐしかない。
表の対応は権力を持つ二人にどうにかしてもらい、自分たちは最悪の事態に備えて情報戦の準備を整える。
他の自治区ではそんなことを考える必要はないのかもしれないが、山海経高級中学校という戦場においてはそういった政治は避けられない。
「下手に伝えて動きを変えられるよりは、こっちでカバーしつつ、少しぐらいキサキ先輩にも痛い目を見てもらった方が良いかな」
ミナがいる限り、どこまで落ちたとしてもその身の安全は保障されているわけだし。
手許の資料に書かれた今回の事件解明の立役者となった頭の弱い友人の名前を見て、以前話したときのことを思い出しつつ、シラセはその思考を回し続ける。
先生とキサキとサヤ、そして玄武商会と玄龍門は七囚人の一人である『五塵の獼猴』申谷カイという脅威が迫っていることを知った。
そしてそれは恐らく、逆も然りであろう。加えて上記の面々に加えて
だが、逆に言えば申谷カイができることはそこまでだ。
栗浜アケミや狐坂ワカモのような有無を言わさないようなに圧倒的な暴力を有しているわけでもなく、清澄アキラのような独力での潜入や工作に長けているわけでもない。
やれることは、自身の信奉者を利用した扇動のみ。
「一応は薬を使った騒動も考慮に入れておくかな」
もしも申谷カイが手練手管を行使して錬丹術研究会の施設に戻ってきてしまった後では、錬丹術を使用して自由自在に
そうなった時のことも考えて、シラセは申谷カイの性格を考慮に入れた上で採りそうな手段を予めて幾つかピックアップして記しておく。
あの性格を考えれば、少なからず嫌がらせは行うだろう。内乱を引き起こすような誘導や事件の責任を吹っ掛けるようなこともやってくるはずだ。
そうなれば自分たちが広報部の役割を果たすことで、潮目を変えることもできるはず。
「へえ、レイジョとミナが手を組んでた? 何それ、めっちゃ面白そうじゃん。見たかったなあ」
報告書には今回の調査が玄龍門からミナを貸し出し、シャーレの先生と玄武商会主体で進められていたことが記されていた。
あの犬猿の仲とも呼べよう二人すら手懐けてしまう先生には少しばかりの警戒を抱かないこともないが、中身を読んでいけば手綱を握っていたというよりは犬の散歩用のリードを握って引き摺られていたと言った方が適切かもしれないその振る舞いに毒気が抜ける。
しかしそれでいて大事なところでは制止と誘導を行っているあたりは指導者の器というものはあるのだろう。
「相変わらず評価に困る人だな」
「そうかえ? お主の目からはあの者はどう映っておる?」
珍しい客人の登場にシラセは目を瞬かせる。
思わず取り落としそうになったマグカップを握りなおしてデスクの上に置き、シラセは滅多にこの建物へ足を踏み入れることが無い客人の方へ目を向ける。
「キサキ先輩、どうしてここに? 他の子たちに止められなかったの?」
「皆、快く通してくれおったぞ。さぷらいず、というやつじゃな」
仮にもぶつかることの多い玄龍門の門主だぞと言いたくなるが、部下の様子や性格を考えるとやりそうだなという感想しか浮かばず、シラセは大きく息を吐く。
その対応はあまり褒められたものではないが、裏を返せば長年の因縁は部下にとってはそこまで深刻に捉えられていていないということでもあり、その一点については組織間の関係改善に向けて希望が見える。
しかし、段々と動ける時間が少なくなっている彼女がわざわざここに足を運ぶというのは緊急かどうかはともかく、他でおいそれと話せることではないことは確実である。もっと言えば、玄龍門の他の人員に聞かれたくない内容であるということに他ならないはず。
それ即ち。
「へえ、キサキ先輩も覚悟ができたんだ」
「まだ考えている
「その場のノリで言ったことをひっくり返されると、結構恥ずかしいんだけど」
しかしその言葉を持ち出すということは、キサキの中で何かが変わったことを意味している。
それは自分や玄武商会が行った提案によるものなのか、はたまた
「観光区画の拡大に先だって、他自治区の生徒会を呼んで交流会を開こうと思っておる」
「なるほど、まずは少人数から、試験的な意味合いでやろうってことだね」
「その通りじゃ。そこで、お主の意見を聞いておきたい」
今までの態度から考えれば、あり得ない言葉だとすら思ってしまう。
しかしその真意を問うような真似をシラセは行わない。シラセの役目は情報を収集し、必要に応じて加工して、それを世に届けることにある。
憶測は入れず、そして相手が伝えようとしている以上のことは含めない。
それでキサキがどんな立場に成ろうとも、シラセがその態度を変えることはない。
シラセは自身が感情に任せて動くことによって、キサキの立場が揺らぐことを恐れている。
「意見って言ったって、今の案がどうなっているか聞かないことには――」
「――『意見』という言い方に誤りがあったの。正確に言うとしよう。相手の学校、案内する場所、その他諸々の交流会のプランについて、お主に一任したいと思っておる」
喉は鳴らない。だが、自身の息が詰まりそうになったことをシラセは感じた。
わからない。キサキの真意がわからない。試そうとしているのか、もう既にこちらを断じる何かを掴んでいるのか、尻尾を出すのをただ待っているだけなのか。
少なくとも無断で各自治区を飛び回っていたことはバレているんだろうなと思いつつ、しかしシラセは脳を回し続けてキサキが自分を頼ってきた理由を探り続ける。
そうして微かに手を掛けた可能性を一つ手繰り寄せて、その疑問をキサキへとぶつけてみることにする。
「もしかしてだけど、まだ玄龍門の人にも言ってなかったりする?」
「そうじゃ。この計画は妾が自ら提案し、推し進めるつもりじゃ。妾や玄龍門は他の自治区について明るくない。いつも外の情報に目を配り、歩き回っておるお主以上に任せられる者はおらぬじゃろうて」
最近は部下に任せっきりで、そこまで外に行くこともないんだけど。
そんな言葉を飲み込んだままにして、シラセは今回ばかりは純粋に頼られているのだろうと納得をするしかない。
責任は重い。手綱を渡されるということは、即ちこちらが相手の命運を握るということに外ならないからだ。
キサキにとっては、これ以上ない大博打。普段から疑っている相手に自身肝いりとなる計画の立案を一任するなど、とてもではないが正気の沙汰とは思えず、だからこそ裏があるのではないかと疑ってしまう。
それでも、彼女は代情シラセだから。
「わかった。いつまでに作ればいい?」
「来週のどこかで、また取りに来る。それで間に合うかの?」
「大丈夫。準備しとくよ」
竜華キサキが向かう先を阻むことはない。それが山海経の未来へと続いていると信じている。
シラセの言葉に一つ頷きを返して、キサキは踵を返して扉へと向かっていく。
挨拶もなければ別れの言葉もないのかと椅子に背中を預けたシラセは、視界の隅に映るパソコン画面に表示されたものを見て、佇まいを直して声を投げる。
「ねえ、キサキ先輩。今回の事件の件だけどさ」
その言葉に、竜華キサキは足を止めた。
箝口令を敷いたはず。それはいつも互いを監視し合う情報統制部の耳にも入らないようにするためのもの。
シラセとキサキが頭になってからは表立って衝突することは少なくなったが、それでも『伝統』が皆の頭を支配する以上、余計な火種を作らないに越したことはない。
キサキの目が、鋭く細められる。
「箝口令、あんまり意味ないと思うよ」
「……その心は?」
「僕がこのことを話題に出してる時点で分かるでしょ?」
筒抜けだ。玄龍門は既に、秘密を守れる状態にない。
今回に関しては公道で馬鹿みたいに騒いでいた奴らが悪いのだが、箝口令が出たことを入手してそれに準じてやっているぐらいには、玄龍門の内部の情報は漏れてしまっているのだ。
キサキはそれ以上言葉を重ねることなく、シラセの執務室を立ち去った。
その後ろ姿を目で追って、廊下から足音が聞こえなくなってから、シラセは大きく息を吐く。
「キサキ先輩が私を信用しているのなら、
そんなことを考えて、シラセは頭を振って迷いを払う。
先程と同じだ。リスクが大きすぎる。キサキのように自分からの提案として出すならばまだしも、明らかに情報源があると分かるような情報の共有はよろしくない。
シラセは冷えてしまったコーヒーを口に含む。
悩み事が増えたせいか、いつもよりも少し苦く感じた。
萬年参密輸事件。信用問題のため箝口令の措置を実施。
情報漏洩が見られるため、引き続き内部の調査は進んでいる様子。箝口令自体は効果を出しているようだが、問題が起こるのも時間の問題か。
交流会、どうしようか。どこを呼ぶ? 三大校は劇毒。かといって小さすぎるところはキサキ先輩の手腕を疑われる。無駄な反感を買わないところ……反感? そういえば、革命が日常茶飯事なところがあったな。レッドウィンター。アリかもしれない。
相変わらずシラセは外野。先生と会うのはいつになるやら。
それでは次回、「連邦生徒会動乱。混乱回避のため慎重に判断」でお会いしましょう。