こちら山海経情報統制部。当方に叛意なし。 作:息抜きのもなか
申谷カイは錬丹術研究会を制圧した。
薬師サヤは罠に嵌められて拘束された。
そして漆原カグヤは牢から出されて担ぎ上げられ、キサキの手によって
自分のところにはそう言った勢力から声が掛からなかったあたり、香主として知られるシラセよりも、竜華キサキの妹分として知られるシラセの姿の方が根強かったということだろうか。
あるいは、初級中学校での二人の姿を知っているだけに、担ぎ上げるには良心が傷んだか。
どちらにせよ、何者かが代情シラセという人間が竜華キサキと敵対する意思がないことを吹き込んで遠ざけたことは確かであろう。
だからこそ、シラセは混乱に乗じて動き回ることが可能だった。情報統制部は、玄龍門と別組織として分断されているからこそ、山海経内の混乱を無視することができる。
「おつかれ、カグヤ」
「その声は香主様……えと、どちら様でしょうか?」
シラセはカグヤのところに足を運んでいた。
その忠義によって地下牢ではなく救護室に運びこまれた彼女は、一通りの手当てを終えて小康状態で目が覚めているようだった。元より玄龍門からも体力、戦闘力共に問題ないと太鼓判を押されて担ぎ上げられたようなものだから、復活が早いのも頷ける。
映像越しに見ただけだがキサキもかつての動きを取り戻していたようだし、恐らくはシラセ同様に『若返り現象』の影響が出ているのだろう。キサキ先輩の調子が戻っているのなら、この後の戦いも問題ないだろうと判断してシラセもこうしてカグヤのもとに来たのである。
「あれ、カグヤは実物は見てないの? 『若返り現象』ってやつだよ。申谷カイが起こしたパンデミック。どういう理屈なのかはわからないんだけどね。ちょっと戻すから待ってて」
そう言いながら、シラセは懐から丸薬を取り出して、それを口に放り込む。
すると即効性のあるものだったのだろう。シラセはキサキ程の背丈しかなかった子供の姿から、元の長身へとその姿を戻す。制服については元々幼女化状態でも元のものをぶかぶかで適当に着ていたため、ぴったりとその姿を戻すだけに留まった。
「その丸薬は、錬丹術ですか? やはりあなたは――」
「――違うよ。僕のはあいつに対する対抗策を得るためのもの。思ったより才能はあったみたいだけどね」
真っ先に疑いの目を向けてきたカグヤに対して、シラセはきっぱりと否定の言葉を口にする。
そこでカグヤもシラセの舌のことを思い出したのか、その目の色を平時のものに戻した。
しかしシラセが錬丹術を嗜んでいたことは意外だったのだろう。カグヤは驚いたように目を丸めてシラセの手元を見つめ、その事実を咀嚼しているようだった。
対してシラセは、錬丹術と聞いて彼の者のことを思い浮かべずにはいられない。
もうすぐ裁かれるであろう、今回の事件の首謀者。その混乱を招いた演説の言葉が、シラセの中にずっと燻ぶって離れない。
「あいつも馬鹿な奴だよ。人には自身の目的が見えていないと口にするくせに、『認められたい』というありふれた願望すら口に出せない。あんな痛ましい姿があいつの本質だとは思わなかった」
「……? 何の話でしょうか?」
シラセは聞いていた。
その場にいた玄龍門に潜り込んだ部員の一人が、申谷カイとキサキの再会の場に立ち会っていたから。緊急で繋げた通信によって彼らの会話を情報統制部の中で受け取っていたのである。
それを聞いてシラセが抱いた感情は――同情だった。
申谷カイはあまりにも、生き急いでいる。
身を護るための成果を求め、ただ、ただ、足搔いている。
彼女と対峙した時に以前ほどの脅威を感じなかったのは、恐らくその焦りが強くなっていることをシラセが感じ取ったからなのだろう。後が無くなってしまった今の
「まあそんなことより、ご苦労様。こちらの思い通りに動いてくれて動きが読みやすかったよ。あとのことは先生がなんとかしてくれるでしょ」
「そんな態度で良いのですか? 山海経の危機だというのに!」
「それを君が言うの? 一歩間違えれば山海経を終わらせてたかもしれない、君が」
交流会のときからのカグヤの動きは、おおよそシラセの予想通りであった。
申谷カイが山海経と玄龍門を揺さぶることも、分裂した玄龍門が忠義により諫言を行ったカグヤを頼るであろうことも、先生がキサキの側に付いてその心身を支えるであろうことも、その様を見た玄龍門の生徒が再びキサキを頼ることも。
そして何より、門主の言葉によって再び玄龍門が一つになることも。
その全てがシラセの手のひらの上だったとは言わない。何なら普通に想定以上の大混乱に面喰らった部分もある。
だが、それでも代情シラセは竜華キサキがその程度で折れないことを信じていた。
玄龍門の生徒の『山海経を守りたい』という心だけは、自分の部下と同様に信じてあげることにしたのだ。
「今後の山海経のことを考えれば、今回の事件は必要だった。キサキ先輩の不安定な足場を調えるのに、シャーレと協力して七囚人を撃退しました、というのは聞こえがいい。そしてそれは、次の門主にとっても改革を打ち出しやすくなる格好の前例になる」
「そこまで考えて、私を見逃していたと?」
「うん。僕も革新派側だからね。カグヤも分かっているでしょう? 今となっては枷にしかならない、悪しき伝統もあるってことは」
カグヤは頭が固い。
臨機応変という言葉が辞書に載っていないのではないかと思うぐらいには。
だが彼女も先のキサキの言葉で変わりつつある。山海経の正しき伝統を揺らがないものだと、認識する程度には。
「……わかっている、つもりです」
だからこそ、シラセはこのタイミングでカグヤと接触を図った。
申谷カイを一度復学させることが正道だと言って曲げないカグヤに道理を説いても無駄だと判りきっていたからだ。
だが、今は違う。
彼女はキサキの言葉によって自身が守るべき山海経の伝統を見つめ直す時間にいる。それが簡単には揺らがないと理解してしまったからこそ、自分が伝えていくべき部分がどこなのか、自身が声を上げるべきタイミングはどこなのか、自分で線を引く必要があるのだということをも理解してしまったのだ。
故にこそ、彼女の心の整理を手伝うことが山海経の未来を紡ぐのに繋がると、シラセは考えた。
「ミレニアムを筆頭に、どんどん技術は発展していって、僕たちはそのスピードに追い付いて行かないといけない。もちろん山海経をビル街にしようって言うわけじゃなくて、決済とかの生活の便利さや業務上のやり取りの煩雑さを減らして行かないと、いつか僕たちは立ちいかなくなってしまうってこと」
「ですが、それでも我々は……」
「取捨選択は必要だよ、カグヤ。君が諫言のための京劇を作ったように、過去のやり方に固執することなく、必要に応じて新たな伝統を作っていく必要があるんだ」
それはカグヤも分かっているのだろう。
キサキに言われたように、守っていくべき伝統とは『思想と行動規範』なのだから。
その思想が古く使い物にならないのであれば、それはもう捨ててもいいものなのだ。伝統よりも守るべき
キサキがそれでは間に合わないと臨時の処置を取ったように、火急で行うべきことは、伝統も慣例も無視して推し進めるべきときもある。
祀り上げられそうになって感じた想いも相まって、カグヤは自身の忠義は揺るがないが、伝統について盲目になるべきではないと考えを改めようとしている最中であった。
「僕たち山海経の生徒はみな愚かだ。その愚か者たちが作ってきたものをあまり妄信しすぎるのもよくないと、僕は思う。今回の騒動はそれを全員が認識する良い機会なんだと思うよ」
まあ、その結果が伝統と慣例に反した門主の追放だったりカグヤの釈放だったりで、何もかもがぐちゃぐちゃで笑っちゃうぐらいだけど。と、そんなことを内心で思いつつも、そんなことをこの場で告げても何の益もないので、シラセはその言葉たちを自身の胸の内に留めておく。
そもそもがキサキを追い立てた後にカグヤをその座に収めようとするあたりが、玄龍門、ひいては山海経の人間の愚かさが詰まっている。
責任を取れと糾弾する癖に、自身がその座に収まる気は
馬鹿も休み休み言ってほしい。レッドウィンター生だって自分が上に立つぞ。あいつらは権力が欲しくてクーデターを引き起こすので、本質は全く別物ではあるのだが。
そもそも、そんなことをしたら、また同じことを繰り返すだけだ。
玄龍門の人間でない人間を門主に推戴した。これも伝統に反している。だから追放。そしてその時にまた言い出すのだ。
――もっとも伝統に携わっている人間を立てるべきだ、と。
「だからカグヤ」
そんなことをして、そしてまた、繰り返す。
あの時の処理は適切ではなかった。過去に例がないことをすべきではなかった。
だから『あの時と同じように』、
そんな愚行を、彼らは繰り返すはずだ。
だから。だからこそ。
「君や京劇部は、そのままでいてね」
「……へ?」
シラセはカグヤがそれを認めなかったことを、その忠義を高く評価している。
今回の騒動においても、カグヤは伝統を維持することに協力するだけで、自ら伝統を破壊しようとしている強硬派の提案に乗ることはなかった。そしてその思想は京劇部全体で共有されており、京劇部は騒動の渦中にあってもその方向性において玄龍門のように分裂することはなかった。
少しその思想が強すぎて凝り固まりすぎる
そういう者たちがいなければ、疑問に思うことすらなく組織全体が一方向へ流れてしまうから。
それがどういう結果を生むかは、ゲヘナ学園の過去が物語っていると言えるだろう。
「全員が同じ方向を向いていたら、全員が崖に落ちることになるかもしれない。誰かは群れから逸れて別のところを見ていないと、組織として冷静な判断はできないものだよ」
「その損な役回りを、我々に引き受けろと?」
「違うよ。京劇という伝統にその身を沈めている君たちであれば、失ってはいけない伝統をずっとその身に刻み続けることができるだろう? だからこそ、真に必要な伝統が何であるかを君たちで見つめ続けて欲しい。そして誰かが良い伝統を壊そうとしているのであれば、今回みたいに声を上げることで止められることもあるだろうね」
カグヤの諫言を止めなかったのは、ある種その前例を作りたかったという部分もある。
今回のだってやり方が少し過激すぎただけで、カグヤ自身もそう思っているようにその内容自体に非があったわけではない。
キサキは一人で進め過ぎる
キサキは善性を有していたが、門主になった者がかつての雷帝のように覇道を唱えるような野心家の場合もあるだろう。圧政を強いることもあるだろう。
その時に誰も意見を述べられないような状態は、とても健全とは言えないのだ。情報統制部がいるとはいえ、それを口にできるのが一集団だけというのは心もとない。
それを解した上で、カグヤはその視線を落とし、シラセに問う。
それだけでは守れないものもあるのではないかと。
「……悪しき伝統については、失わせればよいと? 消えていくものを、そのまま見逃せと?」
「見逃したところで、その伝統が失われるわけじゃないでしょ」
「どういう意味でしょうか?」
なぜわからないのだろうとでも言いたげに、シラセはその首を傾げて見せる。
そのやり方は、判りきっているというのに。今までもそうしてきたし、これからもやることは変わらない。
「悪いと分かっているものを、やり続ける必要はない。そうでしょ? そういうものは教訓として、劇の中に織り交ぜられた物語として、君たち京劇部が伝えていけばいいんだから」
カグヤの目に、自分が映っているのが分かった。
それはもしかすると、漆原カグヤが代情シラセのことを広報部長としてではなく、一個人として認めたと言い換えてもいいかもしれない。
認識していなかったわけではない。代情シラセという人間を侮っていたわけではない。
ただ、こんな人間が山海経にいるとは思わなかったと、そう言いたげな表情だった。
「何? あ、終わった? おっけー。録画だけ僕に送っておいて」
シラセの耳に、申谷カイが捕まったという情報が飛び込んでくる。
きっとキサキと先生が上手くやったのだろうなと思いながら、その旨をカグヤに報告すれば、カグヤもその胸を撫で下ろしたように安堵の表情を見せる。
シラセは情報統制部のチャット上で準備していたシナリオのどれになったか判断して公開するように指示を出して、思ったより穏便に終わったなと拍子抜けする。準備した手札を切らずに終わるに越したことはないが、ここまであっさりと片付くとは思わなかった。
まさか準備した手札が全て無駄に終わるとは。最悪玄龍門が完全に崩壊したシナリオや、先生やキサキが薬物で壊れてしまった場合の保険も準備していたが、それらはすべて杞憂に終わったということになる。
よかった。本当によかった。
「これで私が居る理由はないな」
そんな思考が口から零れたことを、そんな思考を目の前にいる京劇部の部長に聞かれていたことを気が付くこともなく、シラセは自分の仕事をするために情報統制部へと戻っていく。
別れの挨拶を投げられた相手は目を瞬いて、その昏い瞳に慄くことしかできなかった。
山海経幼女化事件勃発。カバーストーリー「好奇心」発動を要請。
幼女化事件については錬丹術研究会が定期的に引き起こす騒動の一種として処理することに成功。玄龍門のドタバタで事情がある程度察せられている部分はあるものの、七囚人案件であったことからその事態を収拾したことについては門主・先生ともに一定程度の評価を得ている模様。
あれ? 誰か入った? なくなってるものはない。……だとしたら。
そうか。僕の番が来たのか。ま、仕方ないね。
ここまで原作。ここから完結まではオリ展開を駆け抜けます。お待ちかねの吊るしあげタイム。
それでは次回「広報部長拘束。シャーレ介入もあり一時的な情報封鎖実行」でお会いしましょう。