こちら山海経情報統制部。当方に叛意なし。 作:息抜きのもなか
情報統制部は表向き広報部を担っていることもあって、学外の情報に関する一連の権限を持っている。
それは校外学習や外出申請においても例外ではなく、提出先は玄龍門となっているが実際の処理は情報統制部が行っている。危険度や注意点などを調査し、その調査結果をもとに可否を判断して回答を行うのである。
この業務は担当部署が確固たるノウハウを有しており、既存の調査結果より迅速に対応を行うことが可能になっているのだが、今回ばかりは話が違った。故にいつも書類作業に辟易としているシラセが実地調査のメンバーに自分をねじ込んだのは彼女の近くの人間であれば驚くことではない。
「あっつ……」
「何もないですね。本気でここ観光するつもりなんですかね?」
「地学部からの申請だから、どっちかというと調査目的じゃないかな」
砂。砂。いちめんのすな。
麦笛もひばりの話し声も聞こえず、ただ風に泳がされた砂粒の擦れる音が響いているだけ。
学園都市全体に浮かぶヘイローが分かりやすく観察できるのが唯一の見どころと言えるかもしれないが、その形を知覚できるわけではない自分たちからすればあまり興味を持てる代物ではない。
オアシスもなく、定期的に砂嵐が吹き荒れるアビドス砂漠。普段山海経という都市部に居を構える彼女たちにとって、その環境はあまりにも過酷だった。
「うわっ! コンパスがグルグル回ってる!」
「またかい? 以前の調査結果からある程度は把握していたとはいえ、この頻度は想定外だね」
「もうそろそろ戻りましょうよ! 調査で遭難してたら世話ないですよ!」
「うん、そうだね」
まだアビドス砂漠に足を踏み入れてから十数分ほどしか歩いていないが、大事を取ってシラセは撤退を決める。まだ背後にギリギリ砂に呑まれた都市が見えるほどの距離でしかないが、既にコンパスが何個も狂っていることを考えるとこの辺りで引き返さないと戻れない可能性があるという判断である。
その判断に間違いはない。
だが一つ油断があったとすれば、『コンパスが狂う』という事象をアビドス砂漠自体に起因するものだと考えていたことだ。前任者が残した情報を信じていたという部分もあるが、その事象を引き起こした直接的な原因に目を向けることを怠っていた。
故に、彼の者の接近に気付かない。
「部長!」
部下に突き飛ばされ、転がったシラセは見た。
先程まで自分たちが立っていた場所の足元から、巨大な白い蛇に似た何かが飛び出してきたところを。その大蛇の登場により撒き散らされた砂を被っても、それが気にならない程に脳が現状の把握を放棄していた。
そうして呆然としたままその巨体を観察し、気が付く。それが天然の産物ではなく、人工物であることに。その装甲と隙間から覗く武装が、目の前の怪物が兵器であることを主張している。
それなのに。
「なぜ、ヘイローを有してる……?」
その微かな呟きに反応するかのように、巨体の目のような光がシラセの方を向く。
ゾクリと全身の毛が逆立つような恐怖を覚え、しかし腰を抜かしているのが自分だけでないことに気が付いて、シラセは自身を奮い立たせて立ち上がる。
怪物が、その口腔内を晒す。露わになった砲門は死を予感させるのに十分なほどに輝きを放っていた。
「走れ!」
シラセの叫びに彼女の部下たちもフラフラと立ち上がる。遠くに見える街並みに向かって、しかし砂に足を取られて思うようには進めない。
だが、前に進めているならばそれで良かった。怪物の視線と砲門の射線は部下の方には向いていない。背後から届く強烈なプレッシャーがそれを雄弁に語っている。
エネルギーの高まりを感じる。
周囲のただでさえ暑い気温が、数度上がったような感覚を覚える。
何かが収束しているかような音が、止まった。
「仕方ない、か」
熱線が放たれる。
それが着弾する寸前、シラセは弾かれたかのように前方にその身を放り投げていた。制御ができておらずその空中姿勢は不安定だが、しかし彼女の動きを察知して薙ぎ払われた光線は射程外まで逃れていた彼女のいるところには届かない。
怪物が代わりのターゲットを見つけようと周囲を見渡す姿が遠くなっていく。
しかし既に彼女の部下たちもその身を隠した後なのか発見することができなかったようで、彼女は地面に叩きつけられるその間際、巨体が砂に戻って行くのを見届けた。
現着した桃色の髪の小さな少女が立ち尽くしているところに駆け寄っていく二名の存在を確認して、情報更新をしなければと思うと同時に、自身が背中から落下したことをシラセは自覚した。
「あれ、どうした?」
あちこちが軋む体を引きずりながら山海経に戻ってきたシラセが自分の執務室に戻ってきてみれば、申し訳なさそうな顔で立っている部員を見つけ、声を掛ける。
ふと目を落とせば彼女の手には最近目にすることが少なくなっていた始末書のフォーマットが覗いていた。
直近で何か重要な案件でもあっただろうかと考えながら着席すれば、その部員は手に持っていたその書類を机に差し出して頭を下げる。
「すみません部長、うちの子が情報開示範囲をミスったみたいで……!」
「どこ? ああ、これか……。わかった。これをこうして、うん、これで大丈夫」
受け取った書類には事細かに状況が記載されていたため、シラセはすぐに事態を把握することができた。
本来は対象店舗のホームページのみ公開してレビューやSNS投稿等はフィルタリングを掛けるという対応をするべきところを、設定が誤っていたのかSNS投稿が閲覧できるようになってしまっていたようだ。
シラセは過去の会議データを引っ張り出してその判断に至った経緯を確認し、SNS投稿の許可が問題ないラインかどうか確認する。会議内容を見る限り少なくとも混乱を招くレベルではない。配送業者が
それなら、とシラセは淡々と今回の対応を決め、実行に移す。管理者権限を使用して少しだけ以前の記録を改竄しておくことも忘れない。
「えっと、今何を?」
「ギリギリで情報開示範囲の変更を通知したことにしたから、そっちに影響は出ないはず。一応通信を見て、開封だけはしておいて。時間までは多分見ないと思うからさ」
そう言いながらも手を動かし、偽物の会議の報告資料を作成する。
通知は既に送っているため、そこに辻褄が合うように公開範囲変更が決まった架空の会議の議事録を作成しなければならないのだ。
とはいえ、監査でも入らない限りそこまで厳密な時間まで調査されることはない。シラセが知る限り以前の部長でこういったことをやっていた人はそこまで多くないため、少し玄龍門から煙たがられているとはいえ矛先がここまで届くことはないだろうと考えている部分もあった。
「な、しかし本来であれば、こういったミスがあった場合は手続きを踏んで――」
「いいんだよ、この程度のことだったら。重要情報だったら大問題だけど、ミラクル5000とかでもないスイーツ一個に目くじらを立てるほどのことでもないよ」
「しかし!」
「大丈夫。怒られるのは僕だけだから。もし何かあったら僕が
そこまで言っても若干納得してなさそうな部員を
シラセが一息ついて伸びをしたときにもまだ彼女の机の前で複雑な表情をしている部員を見て、ようやくそのプロフィールを思い出したシラセはその言動に納得感を覚える。
「元々は玄龍門の執行部志望だったんだっけ。伝統を守りたいって気持ちはわかるけど、こんな情報一つで一日拘束なんて馬鹿げてると思わない?」
玄龍門の執行部には、技能試験が存在している。高級中学校のそれは明確に自治区全体に権限を持つこともあって初級中学校のそれとは一線を画しており、通過できるのは一握りである。
試験に落ちた生徒が執行部以外でも玄龍門の役に立ちたいと考えて取る手段の一つに広報部への入部があり、山海経を陰から支えようと奮起している生徒も少なくない。無論、あまり調べずに入部してしまって玄龍門とは別の組織だということを後から知るパターンもあるのだが、目の前の部員はその一人なのかもしれないとシラセは思う。
「あ、でも、次やったら怒るよって言っておいて。たぶん、そっちの方が効くからさ」
シラセが目を細めながらそう言えば、渋っていた部員はその眼光にゾクリとしたのか、強張った表情で頷いて頭を下げて退室していく。
部内も彼女のような生徒がいるのだなと感想を抱いたシラセは、一瞬だけ玄龍門側からのスパイだろうかと考えて、その場合はあそこまで露骨な態度をしないだろうと結論付けて除外する。
そんな過ぎたことを考えるよりも即急に対応しなければならない案件が目の前に転がっていることを思い出したのも、思考を打ち切った理由である。
「さて、アビドス砂漠の調査の件だけど、もうそっちの処理は終わった?」
『バッチリです! アビドスフォルダへの追加申請投げてます!』
『こっちも表向きの通知書類作成したんで、室長にチェックしてもらってるとこっす』
通信をオンにして別の調査メンバーに声を掛ければ、重い体を引き摺って歩いていたシラセとは違って軽やかな足取りで戻っていた面々がその職務を果たしたことを報せた。
それに感謝の言葉を述べて通信を切り、自分のところに上がってきていた申請と確認依頼に目を通して承認を行う。
それらが全て滞りなく完了したことを見届けて、却下された観光申請を送り出した。
アビドス砂漠の観光申請。遭難の危険性ありのため却下。
なお、今回遭遇した怪物については継続調査を行うものの、情報公開は避けることとする。
なんか玄龍門に余計な設定が足されました。
それでは次回「ゲヘナ温泉街。温泉の温度において優位性あり。」でお会いしましょう。