こちら山海経情報統制部。当方に叛意なし。 作:息抜きのもなか
忙しかったとはいえサボりすぎですね……
情報統制部のゲヘナ拠点、その近く。
ゲヘナに潜入している生徒から新しい温泉宿ができたという報告を受けて案内を頼んだ一行は、温泉宿の受付で待ちぼうけを食らっていた。
「温泉開発部が建てた宿だからこういうこともあると思ってましたが……」
「従業員の一人も見えないね」
「ふっ、我の威光に恐れをなして逃げ出したか……」
「温泉開発部の中で宿の運営をやりたい人は少数派のようで、普段は近所の人に運営を任せているらしいです」
目の前でだんだん不満を零し始めた部下たちを見ながら、シラセは最近温泉開発部の部長が変わったという報告があったなと思い出す。加えて最近温泉開発部の所属人数が増えているという報も受けていたので、過渡期でうまくそこが纏まっていないのかもしれないと仮説を置いておいた。
そもそもの話、ゲヘナの生徒に宿の運営を任せたとて期待通りに動いてくれる者がどれだけの割合存在するのだろう。
仕事を放り出すならばまだいい。下手すれば宿の金を持ち逃げして逃走したりしているのではと邪推して少しだけ受付のカウンターの裏を覗き込んで、シラセは目に入ったものから目を背けつつ一つだけあった予約の部屋のカギを摘まみ上げる。
「多分これだね」
そう言いながら予約受付の紙に「先に入室しています」と記入だけしておいて、カギに書いてあった部屋に向かう。
こんなことを他学区でやれば怒られるだけでは済まないかもしれないが、ここはゲヘナ。恐らく仕事が減ったと喜んで適当な仕事をすることだろう。それに期待したシラセの賭けは正しく、
別人が来ていようがカウンター裏が荒らされていようが、宿としての機能が保っていればいいだろうと考えていそうとはゲヘナに潜入している生徒談。
「そういえば、ここの宿の料金って大丈夫なんですか? 部長のお小遣いで足ります?」
「ん? 調査費用として計上するから構わないよ。新興したゲヘナ温泉街の調査、という名目で経費にするから安心して楽しむといいさ」
「うわー、またやってる。『キサキ先輩』にバレても知りませんよ~?」
両の指を二本曲げてそんなことを言う部員の額にデコピンを一つくれてやり、一行は予約の部屋に向かう。それが先輩に対する態度かーと抗議をしてくるのも軽くあしらいつつ辿り着いた客室は面々が想像していたよりは遥かに整っていた。ゲヘナの宿ということで片付けも碌にされていない状態であることも想定の一つだったのだが、その心配は杞憂で済んだことに一同は安堵の息を漏らす。折角の温泉宿なのに到着後すぐに掃除なんてさせられたら堪ったものではない。
お忍びということでゲヘナ生に紛していた面々はジャケットを脱いで羽を伸ばし始める。最近興された
その草臥れ具合も加味して部員が思い思いに息を抜いているのを確認して、シラセは館内を確認しておこうと部屋を出る。
「やあやあ。団体様と聞いて良い部屋を用意しておいたんだが、お気に召したかな?」
部屋の扉を閉め切って中の音が途切れたところに、女性にしては低めの声がシラセの耳に届く。
一度頭の中のデータベースに検索を掛けて、しかし一度顔を合わせたことがある者にその該当者がいないはずだと判断して、ようやくシラセは声の方を見る。
自分より一回り程低い背丈。先端に掛けて黒から赤へグラデーションになっている角と尻尾。
しかしそれよりも目を引くのは、ゲヘナでは珍しく、その体躯から見るにツーサイズほど大きいと思われる白の衣。
聞いていた情報と一致する。
その素性を鑑みれば、誰かに変装させている可能性もある。だが、こと今の部活動に所属して以降に限れば、そういった様子は鳴りを潜めていると聞く。であるならば、それは必然的に目の前にいるその人物こそが、調査対象であった当人であるということ。
なるほど。これが。
「心遣い感謝するよ。わざわざ気を使わせてしまったかな、温泉開発部の新部長さん?」
「おや、君に顔を覚えられているとは光栄だな、『香主』サマ?」
鬼怒川カスミ。
ニ十人に満たなかった温泉開発部の部長に就任し、その勢力を伸ばし続ける新進気鋭の
無知を気取る鷹が最も厄介だというのを、シラセは日々の業務でよく知っている。
だからこそ、仕掛けるのはこちらから。
「お互い、白い雛鳥には気を付けよう。
「――っ。まさか、情報部にまで根を張っているのか? だとしたら笑いものだな」
三大校と呼ばれる学園の中枢機関としては笑えないが。
冷笑気味にそんな軽口を言った彼女の言葉を最後に、互いを値踏みするような目を向け合う。
出した結論は、敵に回すと面倒そうだ、というどこまでも
だがそれは相手に対する最大の賛辞であり、罵倒であり、そして何よりその存在の大きさを認めるという行為に他ならない。
故に数言だけ交わされた挨拶の後、互いの足が向いた先が相手と離れる側であったのは、至極当然のことだと言えるのかもしれなかった。
ひとしきり施設を確認して、簡潔に造られた、しかし正確で
自分がいない間に何をしているだろうかと想像しながら戻ったシラセの前には、一応は休暇中扱いだというのに旅行鞄からノートパソコンを取り出して仕事に励む
これはまずいと察したシラセは部屋にいた面々に風呂の準備をしろと指示を出し、仕事は仕事でも画面から離れられる仕事の方をさせようと動き出した。
「ほら、さっさと風呂に行くよ。パソコンは落として! この
渋る部下たちの重い腰を
普段は仕事したくないだの
脱衣所で彼我の絶壁の格差に言葉を探そうとして、一つ上の小さな先輩よりはまだ希望が持てると自分を諫めて大浴場へ足を踏み入れる。
踏み入れた先で見たのは、子供っぽい笑みと不釣り合いなほど大きな双曲。
「あ、今日泊ってる人? ごめんね! 先に頂いちゃった!」
「いや、問題ないよ」
そう言葉を返しつつ、シラセは彼女に目を釘付けになったまま、固まった。
その肢体に、ではない。その上に乗せられた、幼げに笑うその顔に見覚えがあったからである。
「シラセー、どうかしたー?」
後ろから部員が入ってきたことで洗い場に向かって目を離したが、横目で先程の少女の方をちらりと確認して、やはり間違いないと確認する。
新部長がいたのだから、予想しておくべきだったかと反省する。
ゲヘナの個人戦力として、要注意人物より一つ上の警戒度を与えられた
最近情報部から出てきた二組織の次期トップとは違う。あれらも個人戦力としてはずば抜けているが、雷帝に対する態度や調査で浮かび上がってきた性格面も踏まえるとそこに置くには値しないという判断ができた。
だが、あの少女は違う。
「
先輩も気付いたようで、シラセは鏡越しで頷き、怪しまれないように椅子に座らせて交代する。
性格面を考えれば、手綱を握りやすい部分はあるのかもしれない。見た目通りと言うと少し馬鹿にするような形にはなるが、あまり頭が回るタイプではないのだから。だがそれ故に、動きが読めないというのが一番危険なのだ。
合理性はない。斜め四十五度の解釈をする可能性がある。
でなれければ、
そしてなにより、それが回っていたというのが一番の実力の照明。情報部が渋々手放した怪物に対して恐れる生徒が多い中、平然と接している姿も目撃されているのも彼女の異常性を示しているだろう。
予測不可能で、手が付けられない正真正銘の怪物。
それが、代情シラセが下倉メグという人間に対して下した評価であった。
「大丈夫だよ、シラセ。あの子、無差別に破壊はするけど悪意は持たないよ」
「だからこそ怖いんだよ、先輩」
シラセは諭すように言う。
だって、それは自分が知る
「彼女は自身の頭の足りなさを理解してる。それ故に、彼女を
自分の
どこへとも流れる可能性を有する爆弾になる、とシラセは考える。
彼女たちの行動範囲はゲヘナの自治区に留まらない。温泉がありそうであればどこにだって向かい、それ故にいろんな人間と接触する。山海経で事件を起こさないという保証が、どこにあるというのだろう。
「あっつーい!!!!! なんだこれ!!!」
そんなシラセの思考を吹き飛ばすかのように、温泉施設内に響き渡る悲鳴が耳に届く。
思わず振り向けば、普段の中二病に塗れた大仰な喋り方を崩して泣きべそをかきながら這い上がり、
「すまないね、私の部下が」
「あはは! 別に気にしないで!」
そういえば、この子はいつもお風呂の温度は高めで入っていると言っていなかったか。
だから熱めの温泉に浸かれると聞いてテンションが上がっていた記憶がある。その彼女がこうなるということは。
恐る恐る指先だけお湯の中に突っ込んで、目を瞬いたシラセは思わずすぐに指を引っこ抜く。
ヒリヒリと痛みを訴えながら赤らむ自身の指先を見て、そして自身の横に再び水入りの桶を運んできた下倉メグを見て、純粋な疑問で彼女は問う。
「これ、何度?」
「えーと、大体70度ぐらいで調整してるはず!」
「…………。あっちの『ぬるま湯』ってところは?」
「あっちは確か、40度ぐらいだったかな? ぶちょーに言われて一応作ったけど、あんなの水よりちょっと温度高いだけだよ? ぶちょーは好きで入っているみたいだけど」
ああ、そうだった。ここはゲヘナ、魔界の足元。
ヒノム火山の近くだということもあって温泉がどこでも出る。そしてそれは刺激を好むゲヘナ生徒基準で温泉施設へと改造されている。
シラセは天を仰ぐ。それは天井に視線を阻まれ、脱力感に浸りきることもできない。
彼女は一つ息を吐くと、顔を上げ直して両の手を部員たちに聞こえるように二度打ち鳴らす。
「皆、僕たちが入る温泉はあの『ぬるま湯』って書いてあるところだけにしておいてね。そこで水を掛けられて屍のようになってるあの子のようになる覚悟があるなら、普通のところに入ってもいいけどさ」
甲斐甲斐しく世話をしている赤髪の問題児に目を向け、性格的に悪い子ではないな、と認識を改める。だが、『性格が』悪い子ではないだけで、『行動が』問題だらけなのは変わらない。
ぬるま湯と呼ぶには少し温度が高い温泉に浸かりながら、そんなことを考える。
そうして一行は約一名を除いて温泉を楽しみ、仕事から解放はされなかったが少しだけリフレッシュができたのであった。
ゲヘナ温泉街。温泉の温度において優位性あり。
なお、山海経の生徒は基本的にぬるま湯と書かれている方に入浴されたし。
ノルマ(カスミ登場)達成。ちなみにもう直接の出番はない。
それでは次回「雷帝失脚の影響調査。雷帝の遺産を要確認。」でお会いしましょう。