展開に迷いに迷いましたが、とりあえずもう少し過去編続きます。
兄は、不思議な人だった。
初めて彼をそう認識したのは、果たしていつだっただろうか。正確な日にちは覚えていないが、私の心が限界を迎える前だったのはたしかだろう。
痛くて、寒くて、苦しくて、辛くて。こんな日々が一生続くのなら、いっそ死なせてくれと思う日もあったが、己の生存本能には勝てなかった。
兄は気づいていなかったけれど、私は目がよかった。親の拳、足蹴りは軌道が見えていて、特段当たると痛いところを避けるように、さり気なく身を動かして耐えていた。
まあ、見えているからといって体がその通り動くわけでもない。急所を外しきれないことは多々あったし、その度に息をするのも辛い状態に陥ると、必ず兄が身を呈して庇ってくれた。
文字通り、暴力の肩代わり。それを見る私の気持ちを兄は理解していたのだろうか。助けられた上で身勝手なのは分かっているが、兄が自分の代わりに殴られ続けるのをただ見ているのは、いい気分では無い。むしろ、自分が叩かれている時よりも苦しかったように思える。
そうして酷く悲しくなり、夜眠る時に泣きそうになると、兄は必ず笑いかけてくれるのだ。
大丈夫だよ、俺が絶対守ってやるから、って。
兄さん。私は、兄さんの妹でよかったよ。
きっと兄さんがいなかったら、あっという間に心がぷつんと切れて、屍みたいになっていただろうから。
……なんて、正直恥ずかしい気持ちが上回って、直接は言えないけれど。
カナエ姉さん、しのぶ姉さんに連れられてたどり着いたこの蝶屋敷は、いつも幸せに満ち溢れてる。
暴力なんて以ての外。温かいご飯と、笑顔が咲き誇る食卓。皆仲良しで、誰も不幸じゃなくて。
鬼を滅する鬼殺隊は、家族を鬼に殺された人達の入隊が殆どだと言う。カナエ姉さんたちもそうなのかもしれないけれど。そんなこと感じさせないくらいに、誇り高く、生きている。
……あぁ。生きてて、よかった。
兄さん、姉さん。私今、幸せだよ。
蝶屋敷に引き取られてはや一ヶ月。
皐月と名付けられた俺と、カナヲと名付けられた末妹は、幸せすぎる日々を送っていた。
痛いことはないし、毎日美味しすぎるご飯が出てくるし、お風呂は気持ちいいし、本当に言うことがない。
正直前の生活との差がありすぎて、極楽浄土に来てしまったといっても過言では無いほどである。まさに天と地の差と言ったところだ。
然してそんな俺とカナヲが何をして生活しているかと言うと――
「そう!これで平仮名は制覇だな!復習はしっかりしておくこと!」
――教育を受けていた。
親の元でそんなもの受けられるはずもなかった俺たちだが、字を読めず、更に書けないというのはほぼほぼ有り得ないことらしい。
というわけで、カナエとしのぶ曰く、隠と呼ばれる鬼殺隊の裏方のような方々が毎日昼になるとやってきて、字を教えてくれていた。
正直に言うと、戦いを教わるものと思っていたので、少々安堵したのはたしかだ。切った貼ったな日常は、言葉を選ばず言えば嫌いだ。
物心ついた時から振るわれた暴力のせいもあるだろうが、元来の性格的にそういうことがあまり好きではないのだと思う。あの夜に起きた鬼との戦いは、カナヲを守るためだったので別だ。
あれから痣は常に熱を帯び、連動してか平熱も高くなってしまった。皆に心配されて何度も検査されたが、何だか嬉しかった。そんな経験はなかったから。
世界が透き通るような感覚は、もうない。おそらくだが、覚悟を決めて戦うときにまた成るのだろう。なんとなく、だがほぼ確信を持ってそう思えた。
それと、鬼殺隊士でもないのに単騎で鬼を滅するのは異常であるということも知った。更にあの鬼は、無数にいる鬼の、上から七番目くらいに強かったということも教えられた。
それをただの木刀で圧倒したのは規格外ということは、言われずとも理解したが、それとこれとは話が別である。戦いは好きじゃない。カナヲや、今ならカナエにしのぶ、アオイもだろうか。家族を守るためなら、いつだってこの力を振るう覚悟は出来ている。
と、そんな葛藤を一人抱えていたので、始まったのが戦いの勉強ではなく字の勉強だったということに拍子抜けしたというのが、つい先日の話だ。
「山田さん、今日もありがとうね〜。もうすぐお昼ご飯だけれど、食べて行かれますか?」
「は、花柱様!!い、いえ、私は今から任務で出立しなければなりませんので、ご遠慮させて頂きます」
「あら、そうなの〜。残念だけど仕方ないわね。今日も任務、頑張ってね」
「は、はは、はいい!!!そ、それではしし失礼致します!」
今日の先生だった山田さんという隠は、超絶吃りながら走り去っていった。カナエの美貌と優しき心にやられたようで、顔が茹で上がっていたな。
「さて!じゃあ皐月くんにカナヲ、ご飯の時間ですよ〜」
お姉ちゃんに着いてらっしゃ〜い、とご機嫌な様子で歩き出すカナエに呆気にとられながらも、素直にあとを着いていく。勿論、カナヲと手を繋ぐことも忘れてはいけない。
まだたったの一ヶ月ではあるが、足りなすぎた栄養をたらふく摂取したことで、歳相応の体つきになってきたように思う。しかしそれはそれ、これはこれだ。カナヲも俺も、手を繋ぐのが当たり前と認識しているので、是非もない。
「兄さんっ」
「ん、どうした、カナヲ?」
「ご飯、楽しみだね」
「……うん。毎日、楽しみだ」
いつの間にか兄さん、と呼ぶようになった妹と、当たり前に食べられる喜びを享受する。こんなに幸せなことがあるだろうか。
「うふふ、今日はしのぶとアオイの当番だからね、とっても美味しいものしか出てこないわよ〜」
蝶のように、花のように。この人は本当に周りを明るくするなぁと、まだ幼い情緒の俺とカナヲは感心すると同時に、顔を見合わせて笑った。
「お館様のお成りです」
鬼殺隊の本丸、産屋敷邸。普段は産屋敷家の人間のみ存在する場所であり、決して鬼に知られてはいけない場所であるここに、四人の者達が膝を着いていた。
「やあ、よく来てくれたね、私の可愛い子供達」
「お館様におかれましてもご壮健で何よりです。益々のご多幸を切にお祈り申し上げます」
「うん、ありがとう、行冥。今日また皆と会えたこと、嬉しく思うよ」
「滅相も御座いませぬ」
たった今お館様――産屋敷耀哉に挨拶を述べた者の名は、悲鳴嶼行冥。岩の呼吸を極めた岩柱であり、最も古参の柱である。
さらに音柱、宇髄天元。花柱、胡蝶カナエ。水柱、冨岡義勇。ここに集う四人の者たちこそ、現鬼殺隊における最高戦力に他ならない。
「柱合会議を始める前に、一つ話があるんだ。カナエ、いいかい?」
「承知致しました、お館様。一週間ほど前のことですが、ある兄妹を保護しました」
そうしてカナエが語り始めたのは、皐月とカナヲ、両名との出会い。専ら、話の中心は皐月のことだ。
鬼殺隊士でもない、しかも育児放棄に日常的な暴力まで受けていた痩せぎすの男の子が、初めて手にした木刀で下弦の壱を朝まで切り続けたこと。鬼によって傷つけられた痕跡はなく、おそらく圧倒していたということ。
「あぁ……俄には信じ難い話だ……」
「同感だが、それが事実だとすれば、そいつは派手に派手すぎるな!一刻も早く選別通り越して、隊士にするべきだろう」
「冨岡くんはどう?」
「……俺には関係のない話だ」
「あらあら〜……」
この場に義勇の理解者である錆兎、真菰等がいたのなら、あまりに言葉足らずな彼の言葉を補ってくれたのかもしれない。
また、行冥は信じ難いとは言ったが、己も入隊前に鬼を殴り続けた過去がある。気になる点は、直前まで飯もろくに食べられず、親に殺されてしまうかもしれない程の暴力を受けていたということだろうか。
宇髄はどちらとも言えないが、信じた方が派手に面白そうだ、くらいに思っているかもしれない。
「うん、そうだね。私もそれほどの力を持つ者には是非鬼殺隊士になって欲しいと思っている」
カナエは、皐月があまり戦いを好まないということをこの場で知る唯一の人間だ。お館様のこの言葉に無礼を承知で割り込もうとするが、それよりも先に言葉が紡がれる。
「だけどね、皐月には時間を与えたいんだ。きっと、足りてないところが多々あるだろう。もしかしたら、戦うということを、彼自身が許容できないかもしれない」
ただの勘、だけれど。
そう言いながら微笑みかけてきたお館様に、カナエは驚愕を隠せなかった。理由など、語る必要もないだろう。
一体このお方はどこまで知って、見えているのか。カナエは敬服の念を強めることしか出来なかった。
「カナエも、そして皆も。あまり皐月のことが噂にならないように、注意して欲しい。私は鬼舞辻を滅することこそが本懐だけど、可愛い子供達の未来を狭めたい訳じゃないからね」
――御意。
その言葉で締め括られ皐月の話は終わるが、柱合会議はむしろこれからが本番だ。
カナエは、今一度心を入れ替えた。
(皐月くんもカナヲも、今頃なにしてるかな〜。一生懸命平仮名を書いてるのかな?それとも、双六とかめんこで一緒に遊んでるかな?)
訂正しよう。心ここに在らずである。
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義勇の柱就任時期がよく分からないので、もう柱にしました(雑)
大正こそこそ噂話
蝶屋敷保護時点で、カナエ16歳、しのぶ13歳、皐月14歳、カナヲ11歳。実は皐月の方がしのぶより年上なんだ!