時の流れは早いもので、蝶屋敷にやって来てから既に一年が経とうとしていた。その間俺とカナヲは、相も変わらず勉強の日々を送っている。
カナエは花柱としての責務を果たすべく、ほぼ毎晩鬼狩りに出掛け、日中は妹兼継子――弟子のようなものだ――であるしのぶに稽古を付けていた。
しのぶは筋力が足りない故に、鬼の頸が切れない。花の呼吸の鍛錬を続けながらも、他に鬼を滅することが出来る方法を模索しているようだった。一度、何か思いつくことはあるかと聞かれたのだが、正直検討もつかなかったので毒と答えたのがしのぶにとっては天啓に等しかったらしい。
今では毎晩毒の研究をしつつ、昼間は治療施設としての蝶屋敷を守っている。
そして現在カナヲは――
「花の呼吸・弍ノ型、御影梅っ!」
「呼吸の精度はいいけれど、太刀筋が歪んでいるわよ!花の呼吸・肆ノ型、紅花衣!」
――カナエとしのぶの鍛錬を熱心に見続けていた。
ただ守られるだけは嫌だと、はっきり意見してきたのがつい一ヶ月ほど前のこと。だが未だに年齢に対して適正な身体に育っていないことから、鍛錬自体の許可は降りていない。カナエとしのぶ直々に、健康診断をしながら相談するとのことだった。
しかし、そんなカナヲを見ていて気づいたことがある。
(やっぱりカナヲ……見えてるな)
そう、カナヲが彼女達の動きを全て把握しているということだ。
この子は目がいい。ただ単に視力がいいというのもあるが、動体視力や中心視力がいいのだろう。おそらく、運動可能な充分な肉体があれば、型自体は全く同じ動きで出せるのだと思う。全集中の呼吸はまだ厳しいかもしれないが。
ちなみに俺はあの運命の夜以来、この全集中の呼吸とやらを常にしている状態らしい。自分ではあまり気づかなかったが、呼吸の達人であるカナエに指摘されたのでたしかだろう。
これは全集中・常中という高等技術らしく、また俺の異常度が上がるのを感じた。
さて、そんな俺こと栗花落皐月が何をしているのかと言うと――
「皐月はまた笛を彫ってるの?」
「お、アオイ。そうだよ、何だか夢中になっちゃってさ」
「……これでもう十は彫ってるけど……」
――笛を彫っていた。自作である。
今作っているので大台の十個目に到達したが、未だに上手く作れる気配がない。
ならば町で売っている笛を買えばいいじゃないかと思われるだろうが、そういうことじゃない。なぜだか分からないけれど、己の手で完成させなければならないと思ったんだ。
まぁ、空き時間にただ笛を彫り続けているわけではない。カナヲよりも早く身体的な充足と成長を実感してきたのもあり、肉体的な鍛錬を開始していた。
といっても、鬼殺隊士がするような高負荷なものではない。適度な運動は健康にいい、と全員に諭されたので、軽く走ったりする程度だ。
どれだけ走っても疲れはしないのだが、それとこれとは別というのが彼女らの見解であるため、逆らいはしなかった。
「っと、そうだ。もうすぐご飯が出来ますので、きりのいい所でお願いします!」
そのアオイの声掛けで、カナエとしのぶの稽古は幕を閉じた。カナエがしのぶの首に木刀を添える形で。
「……参りました」
「うん。しのぶ、焦っちゃだめよ。太刀筋にも影響してくるわ」
「わかってる……」
一瞬悲しそうな顔を浮かべたカナエだが、そのまま誤魔化すように、さあご飯よ〜!と浮かれた様子で駆け出す。
手を引かれたしのぶが姉さん!と不服そうな顔をするまでが一連の流れだ。何度見たか分からない光景に、俺はいつまでも見ていたいなと、内心独り言ちた。
その日の夜。
いつもの如く縁側で笛を彫っていると、カナエが隣に座った。今の季節にしては少し肌寒い、そんな夜だった。
「調子はどうかしら?」
「全くもって上手くいかないな。自分がこんなに不器用だったなんて知らなかった」
正確には、一年前まで知る由もなかった、だろうか。当時の自分に現状を説明したとしても、にべもなく一蹴したに違いない。
笑顔という花が咲き乱れる蝶屋敷は、知らず知らずのうちに荒んでいた俺の心を癒し尽くしていた。精神の不調というのは、自分では気づけないものらしい。この一年間、心の休息に重きを置いた生活を送らせてくれた彼女らには、感謝してもしきれないだろう。
「私、皐月くんには、すごく感謝してるの」
「え、うん、どういたしまして……?でも、何か俺がしたことある?」
「しのぶのことよ。頸を切れないことでずっと悩んでたあの子に、毒という切っ掛けをくれた。ずーっと元気の無いしのぶを見ているのは辛かったから」
でもね。と、カナエは続けた。
「本当は、しのぶには鬼殺隊を辞めて欲しいって思ってる。普通の女の子の幸せを手に入れて、お婆さんになるまで生きて欲しいって」
「それは……」
それは、どうなんだろうか。カナエとしのぶの過去にはついては聞いている。俺とカナヲとはまた違った地獄を経験し、これ以上私達と同じ思いを他の人にはさせない、と決意したこと。
特段しのぶは、鬼への憎悪が強い。その気持ちに反して頸を切れないことが状況をややこしくしているのだが。
「……うん。本当はわかってるの。こんなこと、しのぶに言ったって怒られるだけだわ。もしかしたら嫌われちゃうかも」
「まあ、確実に喧嘩にはなるだろう。それも一番の」
「やっぱり、皐月くんもそう思う〜?」
そうよねぇ〜、と困ったように笑うカナエに、俺は奇しくも強い共感を覚えていた。なぜならば、カナエにとってのしのぶは、俺にとってのカナヲだからだ。
「でも、その気持ちを俺は否定したくないし、されたくないな。カナヲが鬼殺隊に入るって言ったら、絶対に止める自信がある」
「うふふ、私達、お姉ちゃんとお兄ちゃんだものね」
「だから俺は、結論づけた。カナヲがもし鬼殺隊に入ることを譲らなかったら、俺が必ず守り抜くんだ、って」
と言いつつ、俺もまだ隊士ですらないのだが。
「そっか……でもね、皐月くん。無理して戦う必要はないのよ」
「それでも。自分の体も、心も傷つくのだとしても、俺はお兄ちゃんなんだ。カナヲを守るためなら、己の迷いなんて切り捨てられるよ」
「……じゃあ、私のことも守ってくれる?」
普段にはない、弱気な発言と不安そうな表情のカナエを見て、俺はきっと変な顔になっていたと思う。だってそんなのは。
「当たり前だろう。カナエは勿論、しのぶも、アオイも、言わずもがなカナヲも。この手が届く限り、必ず守る」
「……っ」
「だからそんな顔しないでくれ。俺は、カナエの笑顔が好きなんだ。周囲を幸せに導く、陽だまりみたいな笑顔が」
呆気にとられたような表情をしたカナエは数秒固まったのち、クスクスと笑い始めた。顔を、耳まで真っ赤にして笑い続けるカナエに、釣られて俺も笑う。
しばらく俺たちは笑っていたが、もう既に夜は深い。最後に小さくありがとう、と呟いたカナエは立ち上がり、任務へと向かった。
「行ってらっしゃい!」
「ええ、行ってきます!」
何だか憑き物が取れたような、晴れ晴れしい表情をしたカナエは、俺の好きな笑顔で暗闇へと紛れていった。
帰ってきたら、笛を吹いてお出迎えしてやろう。そのためには今彫っている個体を成功させないとな。
俺は、徹夜覚悟で笛彫りに集中を始めた。
「カァー!カァー!花柱・胡蝶カナエ、上弦の弐と遭遇につき、戦闘中!至急援軍を求むー!カァー!」
――血の気が引くとはこのことか。
重症というのがどの程度かは分からない。しかし、死んでいないということだけはたしかだ。
ついさっき、俺はカナエを守ると誓ったのだ。それを破る訳にはいかない。ここでカナエを死なせてしまったら、俺は一生後悔を抱えて生きていくことになる。
作り途中の笛を置き、すぐさま走り出そうとしたが、何も武器がないことに気づいた。上弦の弐ということは、鬼の首領を抜いて上から二番目の強さ。なら、さすがに手ぶらで斃し切れるほど甘くはないだろう。
「皐月ッ!!」
「しの――おっと」
慌てて走ってきたしのぶが、俺に細長い物体を投げつけてきた。それは見慣れた形状の、それでいて最もこの状況に適したもの。
「その日輪刀を持って行って!私もすぐ追う!」
――日輪刀。何気に初めて手にした、本物の刀。殺傷力のある武器を持つのには抵抗があり、今まで避けてきたが、今は何も感じない。
必ず守るのだ。必ず。
「兄さんっ」
深夜にも関わらず起きてきたカナヲに、姉さんを助けてと、涙ながらに願いを託された。
しのぶに短く礼を伝え、カナヲに力強く頷き、今出せる最高速度で走り抜ける。
地を駆け、家屋は飛び越え。烏の示した方角へ、最速最短距離を突き詰めるのだ。
身体が軽い。比喩ではなく、羽のように軽い。
痣が、いつもより熱を持っているように思えた。
――見えた。
扇のような武器をカナエに振りかざそうとする、頭から血を被ったような鬼の姿を捉える。帯に差さった鞘から手早く日輪刀を抜刀し、脚に呼吸の力を込め、鬼へと肉薄した。
カナエを切り刻まんとす二対の扇を腕ごと切り落とし、更に即座に追撃されないように両脚も一太刀で切り離した。次いで、カナエを腕に抱え鬼との距離を取り、地面に優しく降ろす。
「さつ、き、くん……」
「ごめん、カナエ。遅くなった。守るって約束したばかりなのに」
「え……あれれ?全く見えなかったや。君、すっごく速いねー」
黙れよ、鬼。俺の大切な家族は、もうこれ以上傷つけさせやしない。
怒りのせいか、刀を握る手に力が入る。おそらくアオイの日輪刀であろうこの刀は、見たこともないほどの赫へと燃えていた。
そして、あの運命の夜以来。
――世界が、透き通っていた。
大正こそこそ噂話
一年間の療養で、皐月もカナヲも、心が花開いたみたい!
口調の微妙な変化に気づいてくれてたなら嬉しいな!