今日も今日とて他人を助けては、代わりに怪我を背負うという、なかなかマゾい生活を送っている緋蜂紗夜です。ご機嫌よう。
そのせいか最近では、病院の先生はもちろん、警察関係者からも顔と名前を覚えられてきたようで。名前を名乗ると大抵の刑事さんに、「あっ、例のあの子か」みたいな顔をされる始末。
……私ってそんなに、警視庁界隈で有名人なんですかね?
「とはいえ、そろそろ耐久値と消費エネルギーの比率は把握してきたから、包帯生活からは卒業になるかなァ」
人助けついでに、実験めいたこともいろいろやっていたせいか、前世よりも痛みに慣れてきた気がする。
まあ、もともと女性の方が痛みに強いって統計もあるし?うん、多分そういうこと。多分ね。
そんなこんなで、今後のこととかその他諸々を話しておきたいなーと思った私は、善は急げとばかりにいつものメンバーが集まっている屋上へと駆け込んだ。
「やあやあ、朝ぶりやなァ」
いつもの調子で手を振れば、返ってきたのは安定のやや呆れ気味トーンだった。
「……来ましたな。“無傷で帰る気ゼロ女子”。いや、責めてないけどね? こう毎回ダメージ食らってると、そろそろ“体力バー可視化”のスキルでも覚醒しそうでワクワクしちゃうんだよね、マジで」
そう軽口を叩きながらタブレットをいじっているのは、我らが陰キャ担当・柳原ハヤトクン。
前世がイデア・シュラウドだけあって、陰キャ美学と情報処理能力はレベチ。見た目もほぼイデアそのまんまという。
「で、また新しい
「いや、どっちかといえば今回はデイリー報酬やなァ」
「……そろそろ本格的にどうにかしないといけないかも……」
遂に頭を抱えてしまったハヤトクンを見て流石に申し訳なくなってくる。
まあ止めるつもりはないんですけどね!人助けに怪我は付きものなのでね!!
「紗夜さん。お怪我、お大事になさってくださいね。あの……こちら、良ければ使ってください」
和柄の包みからそっと湿布を差し出してくれたのは本田透クン。
物腰やわらかで距離感も絶妙という。
「お弁当もご用意しております。入れたてのお茶もありますので、よろしければ……」
「えっ……最高やん。屋上で緑茶と手作り弁当って、贅沢か」
広げられたお弁当には、私の大好物のだし巻き卵まで入っていた。これは推せる。
「だし巻き、ありがとなァ。透クンの料理って、ホンマ安心感あるわ」
「ありがとうございます。雪乃さんとハヤト君にも手伝っていただきました。……魔法、便利ですね」
「いやホンマそれな。魔法、ワンチャン私らにも使えたりするんやろか?」
ということで、話題は自然とあの人へ──
「なァ、雪乃チャン。ぶっちゃけ、私らって魔法使える可能性ってあるん?」
黒髪をさらりと揺らして、春ヶ崎雪乃が涼しげに微笑んだ。
「おや、ハヤトではなく僕に訊くんだね?」
「そやなァ。ハヤトクンは技術屋って感じやけど、雪乃チャンはオールマイティやから」
「なるほどね。……それなら答えよう。“使える”よ」
予想外の即答に、一瞬きょとんとしてしまった。
「──って、マジで!? でも、魔力とかそういうの感じへんけど……?」
「君の世界でいう“異能力”も広い意味では魔法の一種なのさ。だから紗夜はもう使えている、ってことになるね」
「ええー!?ま、マジかァ……」
驚愕の事実である。
あまりの事実に横転しかけていれば更にハヤトクンが補足を入れる。
「要するに、拙者らの世界で言う“ユニーク魔法”に相当するってことですな」
「なるほど……つまり、紗夜さんの異能力は紗夜さん固有の“オリジナル魔法”ということですか」
「その通り。そして透にも魔力はあるから、訓練次第で魔法は使えるようになるよ」
「そ、そうでしたか……! ではご指導のほど、何卒よろしくお願いいたしますね」
謙虚な姿勢で頼み込む透クンに、雪乃チャンが「任せて」と目を細める。
そういえばトムサンって元々ホグワーツの教師を目指していたんだっけ。なんだか嬉々として教えてくれそうだなぁ。
「……でなァ。ウチら、この世界にも結構慣れてきたやん?そろそろ今後のこともちゃんと話し合っといた方がええと思うんよ」
だし巻き卵を頬張りながらそう言うと、三人ともお茶をすする手を止めて頷いてくれた。
「まず、長野組箱推しとしては“雪崩”とか“風林火山”とか、あのへんのフラグは全部ぶっ壊しておきたいんよな」
「えっと……確か“未宝岳の雪崩”が原作の十ヶ月前で、“風林火山”の甲斐巡査の事件がそのさらに六年前でしたっけ。……となると、私たちが二十三歳くらいの頃に甲斐さんの事件が発生することになりますね」
「その二年前には、劇場版で起きる例の事件の前振りも来るはずですぞ」
ハヤトクンがタブレットをスワイプしながらさらりと補足してくれる。
相変わらずこの辺の把握が早い。
「ああ、真希さんの件かァ。……この世界でも普通に劇場版って起こるんやろか……?」
未来を想像しつつ、出汁の効いた卵焼きをもう一口。……やっぱ透クンの料理、天才すぎるわ。
「僕としては、警察学校組は全員残すつもりでいるよ。そうすれば……僕の推しである裕也も、多少は楽になるだろうからね」
さらりと告げる雪乃チャンだが、その顔は自推しを語るオタクのそれである。
「……えっ、雪乃チャンの推しって風見サンなん?」
「うん。ああいう、苦労人タイプって見ていて可愛く思えてくるだろう?」
「お、おーん……?まァ公安に所属してるくらいやし有能なんやろうけど、めちゃくちゃしんどいポジションやもんなァ」
原作での風見サンといえば、大量のコーヒーと胃痛を抱えてそうな描写ばっかりだった気がする。ライブの時とかね……あれは悲しい出来事だったね……。
「特に、諸伏景光は警視庁公安部所属だから確実に守りきりたいな。その点、僕と紗夜は目的が一致しているはずだろう?」
雪乃チャンの視線がこちらを射抜くように向けられる。
確かに彼は私の最推しこと諸伏高明にとって唯一無二の家族。絶対に生かしておきたい存在である。
「まァそこはウチも最優先やし、手を組んどいた方がええかもなァ」
差し出された手を握り返せば、雪乃チャンはふっとニヒルな笑みを浮かべた。こういうところがホントにトム・リドル様々なんだよなぁ!!
「ならば、盟約成立ということで」
「盟約て……まっ、お互い頑張ろなァ」
「──……待って!?拙者も紗夜氏と手を組みたいんですけど!!」
突如慌てたように主張するハヤトクンに私たちは目を丸くした。なんだなんだ、どうしたどうした。
「だってこの流れ、明らかに“各自の目的のために自由行動”ってなりそうじゃん!?……貧弱インキャ代表の僕が前線に出るなんて、無理ゲーにも程があるでしょ!?」
お、おまいう〜〜〜!!!
私は知っているぞ、第七章でバチバチに妖精の王とドンパチしていたことをな!!
……と、思ったけれど空気を読んでお口をミッ〇ィーにしておく。
「拙者は後方支援派!乙女ゲー的に言えばサポートキャラ!!!!」
「……ハヤト君の容姿でサポートキャラは無理があるのでは……?」
「アレやって、隠し攻略キャラなんやって」
「ちッッッがいますけど!?例え!例えだよ!!!」
「安心しなよハヤト。君の技術と知識がなければ、僕らの方こそ詰む未来しか見えないからね。むしろ紗夜の次に出番が多いと思うよ」
雪乃チャンの冷静な一言に、ハヤトクンは「ッシャア!」とガッツポーズをした。
まあ確かに能力的にもハヤトクンは後方支援型だもんなぁ。
「……まあ? 拙者の推しは明美たんと志保たんですしぃ? 彼女たちに平穏な生活を送ってほしいという拙者の願望を現実にするには、正直なところ全員に協力を要請しなきゃムリぽ」
「ああ、黒の組織……」
「拙者、当たり屋系恋愛ネタはマジで地雷なんで」
「「「当たり屋系恋愛……」」」
「自分に惚れさせといて、NOCバレしたかと思えば使い捨てみたいに放置する野郎は拙者、許せんのですわ……ッ!!」
キュッと顔面のありとあらゆる部位を中心に集めたような顔をするハヤトクン。アッ、これ割とガチめな地雷だね??
それにしても、これは一体どこのスナイパーの話なんだろうね。私には分からないなぁ(すっとぼけ)
そんなこんなで色々と話し合った結果、『お互いに救いたい人を救う為にも手を組んでいこう』という方針で決まった。この、自分に利益がないと協力関係になれないっていう辺りが物凄くヴィラン味があるよね。かくいう私もそっち側なんですけど。
とはいえ、今回の話し合いはとても有意義な時間だったなぁ。
だって──誰がどういった方向に向いているのかを知ることができたから、さ。
……皆が笑っていた、あの時間。
それは確かに平和な時間で、少しばかり。
だけど、僕の中にはずっと引っかかっているものがあった。
──ポートマフィアの幹部、緋蜂紗夜。
諜報員として数々の情報を抜き取り、戦場では一騎当千。
引き金を引く姿に一切の迷いはなく、そしてどんな相手でも必ず“報復”を果たす男。
そのくせ、懐に入れた相手には人懐っこい部分を見せるというギャップ持ち。
彼──彼女の名は、僕がまだ『イデア・シュラウド』としてナイトレイブンカレッジに通っていた頃に読んでいた《文豪ストレイドッグス》という作品で知ったものだ。
拙者、ああいう“一癖も二癖もありそうな強キャラ”がめちゃくちゃ好物でして。
もちろん、前世でも今世でも漫画もアニメも小説も網羅済。推しってだけで辞書の如く語れるくらいには熟読していた。
まあ、本人には死んでも教えるつもりはないんですけど。
でもその推しが……今は色々あって、血の繋がらないとはいえ“兄妹”ということになっている。
そして共に歩む“同志”として、救済対象を共有する立場にもなった。
あまりにも身に余る光栄過ぎて一瞬、前世で拙者はどんな徳を積んだんだ!?と白目を剥きそうになった。
すぐに、いや……オーバーブロットした上に同級生を危険に晒しておいて徳もクソもないな、と正気に戻ることになったけれども。
ただ、それでも『嬉しい』と思う感情に嘘はない。
推しが息をして、動いて、存在していることを喜ばないオタクなんて、そもそもオタクではないのだから。
──なのに。
あの笑顔の裏で、彼女が本当に“救う側”になれているのか。僕にはまだ……分からないでいた。
紗夜氏の前世──彼がいた組織には、三つの《掟》があった。
一つ目は首領の命令には絶対に従うこと。
二つ目は組織を裏切らないこと。
中でも拙者が恐ろしいと思うのは、三つ目だ。
──《受けた攻撃は、それ以上にして必ず返すこと》──
それは僕らが考える“倍返し”だとか、そんな可愛いものなんかじゃない。
返すのなら、徹底的に。
身にも心にも、相手が二度と立ち上がれないほどの“罰”を。
そういうルールだった。
実際、漫画の中で彼が裏切り者やポートマフィアに噛み付いた人間を『処分』する場面は何度か描かれていたけれど、そのどれもこれもが、彼は悪魔の子なのではないか、と疑いたくなるような内容だった。
どういう育ち方をすれば、口にするのもおぞましいような行為を平然とした顔で遂行できるのだろうとさえ考えてしまった。
だがそんなところでさえ彼の魅力と思えてしまうのは、きっと彼という沼に落ちてしまったが故なのだろう。
そう、『緋蜂紗夜』というキャラクターを熟知しているからこそ気がついたことだ。
……僕たちが生贄にされたことに関して、紗夜氏はまだ何も口にしていない。
笑ってごまかす。いつもの飄々とした調子で振る舞っている。
でも、あれは──『緋蜂紗夜』というキャラクターを愛している拙者には分かる。
“怒っていないフリ”をしているだけだ。
……そして、その怒りをどこかに保留している。
まるで、来たるべきタイミングを待つみたいに。
もしあの掟が、ポートマフィアの幹部としての生き方が未だ彼女の中に残っているのだとしたら──
僕たちを生贄にした、あの女に。
『緋蜂紗夜』は、“それ以上の罰”を与えるつもりなんじゃないか。そう考えてしまうのだ。
復讐の仕方が分からないような人ではない。
拷問も、洗脳も、処刑も。
それこそ僕や他の転生者にさえ考えつかないような手段をいくらでも持っている様な人間なのだ。
だからこそ、怖いと思う。
いや、“怖い”というより……“哀しい”。
せっかく彼女が『緋蜂紗夜』の親友である織田作之助との“約束”を果たそうとしてるのに、と思う自分がいるのだ。
──『人を救う側になれ』
とある小説で明かされた小さな真実。
小説家になりたいという夢を捨て、たった一つ残った”望み”を叶えに行く直前の織田作が、緋蜂紗夜との最期の会話で残した願い。
──『お前の世界に白か黒かしか存在していないのならば、白になれ。佳い人間になれ。紗夜、お前は仄暗い闇の中よりも陽の下に居る方が良い……なにより、俺がそうして欲しいと思っている』
しかしその願いを叶えるには、あまりにも緋蜂紗夜の手が数多の血と硝煙に塗れすぎていた。
だから緋蜂紗夜は仕方なさそうに──笑った。
──『流石に今世では無理そうやなァ。せやから、来世で叶えたるわ』
……笑ってたのに。
ちゃんと今、その言葉通りに沢山の人を助けているのに。
自分の身さえ犠牲にしてしまえるほど愚直に、まるでそれだけが唯一の希望だといわんばかりに彼女は”約束”を大事に抱えている。
それでも、過去の掟に縛られて彼女が“報復”を選んでしまったら──
織田作との“約束”も、意味がなくなってしまうんじゃないか。
そう考えると、とても怖くて仕方がなかった。
「……ねえ、紗夜氏」
誰もいない屋上で、呟くみたいに名前を呼ぶ。
「君は本当に──“救う側”に立てているかい?」
君の背中を、守りたいと思ってる。誰よりも推しの幸せを願っているんだ。
だって僕は推しのオタクであり、君のお兄ちゃんなんだ。
でも、その背中が“地獄”に向かっているのだとしたら。
僕は君のために……何をしてあげられるだろう。
──そう、考えていたある日のこと。
今日のように全員が集った中で試作型の浮遊式ドローンを披露していた時、不意に紗夜氏が零した。
「アレ、ええよなァ……ポッド。ああいうの、相棒に欲しいわァ。サポートも出来るし、単独行動もいけるし、なにより“黙って見守ってくれてる感”が好きなんよなァ」
その一言が、僕の中の何かを撃ち抜いた。
──ポッド。
《NieR:Automata》に登場する、支援型ユニットのことだ。
懐かしくて、そして決定的に“分かってる”セレクトだと思った。
……推しが欲しいと言ったのなら、作らない理由がない。いや、作らなければならない。兄として、オタクとして。
そこからは、ほぼ本能の赴くままだった。
設計図は数日で起こした。魔力ベースの浮遊駆動。
簡易AIを搭載し、音声応答・危険検知・戦闘補助・自己修復機能。
でもそれだけじゃ、足りなかった。
ポッドがあるなら、ヨルハ部隊も必要じゃないか。2Bや9Sのように、最前線で戦う存在。
それを指揮するためには司令部だって必要だ。オペレーター、バックアップ、データバンク、遠隔通信。
……気づけば、僕は拠点ごと設計していた。
いや、違うんだ。全部は紗夜氏のためなんだよ。
だって君がそう言ったから。
僕の推しが「欲しい」と言ったから。
それを叶えるのは、オタクとしての本懐だろう?
そして、数日後の放課後──
僕は、漸く完成した一体目のポッドを紗夜氏に渡した。
「……ホンマに、作ったん?」
目を丸くして呟いた紗夜氏に、僕はつい、ほんの少しだけ笑ってしまった。
──名前を呼ぶたびに、呼吸が浅くなる気がする。
立花紗夜。それはもう何度も心の中で繰り返している名前。
けれど、実際に声に出す機会はまだほとんどない。というより、彼女と話す為のきっかけがないのだ。
いや、正確には「きっかけがない」のではない。
彼女は話しかければ、その雰囲気とは違ってきちんと答えてくれる。決して無視されるといったことはない。
だけど──
(“
どこまでも型にはまっていて、意外にも礼儀正しく、そして言葉も選んでくれる。
でもそのすべてが、まるで薄いガラス越しに触れているような感覚だった。
音は届くのに全くといっていいほど温度が伝わってこない。
景光は思った。
あれは「会話」なんてものじゃない。ただの「応答」だ、と。
まるでマニュアルを片手に返答されているようだった。
きっと彼女は相手の目を見て話すこともできるし、ちょっとしたジョークに笑って返すこともできる。
だというのに──景光には彼女の言動の全てに言葉に表せない妙な感覚を覚えるのだ。
彼女が何を考えているのか、まったくわからない。
なのにふとした瞬間に目が合うと、心臓を握られたようにドキリとする。
それは“好意”なんて軽いものじゃない。
恐怖にも似ていたし、でもなぜか、離れたくないとも思ってしまう。
──この距離のままずっと見ていたい。
──だけど、少しでも近づけば何かが壊れてしまう気がする。
景光と立花紗夜の間にはそんな危うさがあった。
(……変だな)
自分でも気づいている。
自分は彼女のことを“知りたがりすぎている”。
普段、誰かのことをここまで考え込むことなんて滅多にない。
友人関係も、部活も、適度な距離を保ってきた。
特別な執着もしないし、何かを奪おうとするような気持ちも持たなかった。
なのに──
(何を見ている? 誰を考えてる? オレは……)
朝、教室に入るたびに隣の席に人が居るかを確認してしまう。
放課後、彼女がどの方向に歩いていくのかを目で追ってしまう。
別に好きとか、そういうのじゃない……と思う。
ただ、目が離せないだけだ。
彼女の中にある“ナニか”が、どうしても気になってしまうだけだ。
……そう自分に言い訳しながら、今日も景光はそっと隣の席を盗み見ていた。
──立花紗夜は、今日もどこかを怪我していた。
今日は右足に、白い包帯が巻かれている。更に頬にも薄い絆創膏が貼られ、ガーゼ部分が少しだけ赤黒く変色していた。
前は左腕、その前は首、そして肩……と、立花紗夜の身体はいつだってどこかが“修理中”だった。
最初は彼女の纏う雰囲気からして、誰かと喧嘩でもしたのかと思っていた。
それはそれで心配ではあったが、そうではないのだと気がつくのにそう時間は掛からなかった。
そもそも強烈な『圧』を放っている彼女を恐れないような肝の太い人物がそう何人もいるわけがない。それも毎日となれば余計に。
では、その怪我はいったい何処で負ったものなのか。
どうして毎日何処かしらに怪我を負っているのか。
「……」
景光は気づけば、ペンの動きを止めて彼女の横顔を見つめていた。
ゆっくりとノートに書き込む手や黒板に書かれた文字を追う目線。何一つ切り取っても無駄のない動作、そして常に一定の呼吸。
洗礼されたような所作だけを見れば、きっとこのクラスで誰よりも優等生という言葉が似合うだろう。
だが現実はそうではない。彼女は優等生と呼ばれてはいないし、恐らく今後も呼ばれることはない。
けれど誰よりも静かで、でも誰よりも目立つ存在なのには変わりなかった。
今は周囲の生徒となんら変わりないのに、空間の“重心”が彼女に集まってしまうのは彼女がこの空間の中でも
誰もが立花紗夜に対して『怖い』と感じているのも、分からなくはなかった。
それでも景光にはその『怖さ』に隠れるように潜む、仄暗い何かがどこか“自分に似ている”ように思えてならない。
(ただ、何がどう似ているのかは分からないんだよな……)
その時、隣の席の彼女がゆっくりと視線を上げた。まっすぐに前を向いているだけなのに、景光の心臓が跳ね上がる。
バレた。
見ていたのが、バレた。
こちらを見たわけではない。それでも景光は直感的にそう確信した。
──でも、彼女は何も言わなかった。
彼女はそっと瞳を伏せて、再びノートに目を落とす。まるで「そんなこと、最初からどうでもいい」と言うみたいに。
それが、なんだか。
……なんだか、寂しかった。
「ねぇ、立花さん」
景光は、思わず声をかけていた。
自分でも驚くくらい自然に。しかし、授業中ということを配慮して、できるだけ小さな声で。
彼女がこちらを向く。
光を消し去るほどの暗闇で染めたような黒い瞳が、景光を射抜いた。
「その……今日もまた怪我してるみたいだけど、大丈夫?」
彼女は一拍、間を置いてから答えた。
「大丈夫や。心配してくれて、おおきになァ」
いつものように“きちんと”返される。けれど、その言葉の奥には何もなかった。
温かくも冷たくもない、ただ“そうあるべき形”で存在している音だけ。
(……だめだ。やっぱり、壁がある)
でもその“壁”の向こうに、確かに“何か”がある気がした。
誰にも見せていない顔。
誰にも渡していない心。
誰かに届いてしまったら、壊れてしまいそうな、ひどく脆い何か。
(……その中に、オレの知らない“君”がいるなら)
──もっと知りたいと思ってしまったんだよ、立花さん。
どうしてそんな目をしてるのか。
どうして何も欲しがらないような顔をしてるのか。
どうして“息をしているだけの存在”みたいに見えるのか。
君のことをもっと深く知っていったら、オレは──いったい何を思うんだろう。
漠然とした疑問は未だ模様の見えないパズルのように、そのピースを探している。
そんなある日の放課後、景光は彼女の怪我の『真実』を知ることとなった。
いつものように昇降口で親友である降谷零を待っていた景光は、校門の方で騒がしい気配を感じてそちらを見た。
校門の外に、小さな子供の手を引いた美しい女性が立っている。女性はどこかで見たような顔をしていたが、景光にはそれがどこで見たのかもそれが誰だったかも思い出せなかった。
そんな女性の足元に居るのは小学生低学年くらいの男の子。あの歳の子供は元気が有り余っているようで、膝にはかさぶたがいくつもあった。
男の子はキョロキョロと誰かを探すように顔ごと視線を動かしている。下校する生徒を確認しては残念そうに肩を落とす、という行動を何度も繰り返していた。
(誰かを探しているのかな……?)
いったい誰を探しているのだろう、と不思議に思っていれば、ちょうど昇降口から立花紗夜が出てくるところだった。
──そして。
「あっ……!」
男の子が真っ先に駆け出す。
母親が「危ないから!」と呼び止める間もなく、ランドセルの紐を揺らしながら一直線に紗夜の方へと走っていく。
立花は気づいたように足を止め、ゆっくりとしゃがみ込む。
すると──子供はそのまま彼女に、抱きついた。
「お姉ちゃん! あのときは本当にありがとう! ボク、お姉ちゃんにお礼が言いたくて探してたんだ!」
林檎のように真っ赤に染まった頬と宝石を散らしたようにキラキラと輝く丸く大きな瞳。感情に引き摺られたのか、遠くからでも聞こえるほどに大きな声だった。
そして、その母親も小さく頭を下げながらゆっくりと追いついた。
「新ちゃ──この子が、どうしても会いたい。会って直接お礼が言いたいって聞かなくて……でも本当に、ありがとうございました。私も可愛い息子を助けてくれた人にどうしてもお礼が言いたくて……でも、息子を助ける際に貴方は車に轢かれたって警察の方から聞いたのだけど、体の方は大丈夫?無理はしていない?」
誰もがひっそりと聞き耳を立てていたのだろう。周囲の生徒たちが一瞬、驚愕に騒ついた。景光もその一人だった。
紗夜は興奮した様子の男の子の頭を撫でながら、ただ穏やかに笑って「さよかァ。まァ、怪我とかは問題ないんで気にせんとってください」とだけ言った。
それを見ていた景光の心に、なにかがずしん、と響いた。
同時に脳裏に昔、どこかで読んだ本に書いてあった一文が過ぎる。
──『代償のない栄光など存在しない。』
その通りだと思った。彼女は怪我の数と同じだけ、その手に栄光を掴んできたのだろう。
毎日、毎日、毎日、まいにち……。
この人はあれほどの怪我を負ってもこうして“誰かの命”を、当たり前みたいに拾っている。
──けれど。
(……なんでだろう)
景光は自分の鼓動が早まるのを感じた。
感動でも、尊敬でもない。強いて言えば、恐怖という感情に近い。
(怖い……のか?)
──どうして?
彼女はただ子供を助けて、喜ばれて、感謝されているだけだ。
なのに──
景光の中には、それを“美しい”と認識するより先に、“違和感”が走っていた。
あまりにも自然すぎた。あまりにも“完璧に”振る舞いすぎている。
誰かを助けることに見返りを求めず、どれだけ怪我をしても何もなかったように笑えることが──本当に純粋な“善意”から来る行動なんだろうか?
「……そんなわけ、ないよな」
思わず声に出していた。
誰かを助けるというのはそんなに簡単なことではない。
感情があるならもっと怖がるはずだ。怒るはずだ。迷うはずだ。
何故なら……人は『死』を恐れる生き物なのだから。
それなのに自分の命を削る行動に何の躊躇もなく、尚且つ伴う痛みさえも気にならないという様な笑顔を浮かべるのは──それはもう“普通”じゃない。
(まるで……“
そう思った瞬間、景光の背中に冷たい汗が流れた。
ああ、そうだ。前から感じていた。
どこか“模倣しているような会話”も、“話している時だけ見せる様々な表情”も。
あれは、きっと“ふり”だったんだ。
景光の視界の中で、子供とその母親が笑って帰っていく。
紗夜が「気ィつけてなァ」とへらりと笑いながら手を振る。その姿はまるで、ずっと前から人を助ける役にでも割り振られていたかのような“定型”で。
(──怖い。けど、目が離せない)
彼女は、いったい何なのだろう。
誰かを助けることを使命とし、痛みを日常として、己の感情ですらも『演技』で済ませてしまうような存在。
その内にあるのは善性も悪性もない、あるのは純粋なまでの渾沌と己の理解が及ばないほどの深淵。
──"人間ではないナニか"。
そう定義した方が、よっぽどしっくりくる。
なのに、どうして。
どうして自分はこんなに、その存在を「綺麗だ」と思ってしまうのか。
景光の中で混ざり合う。
違和感と、恐怖と、尊敬と、そしてほんのわずかに、確かに芽吹き始めた“恋のようなもの”。
その正体はまだ分からない。
この度は沢山の作品の中から、このような読む人を選ぶ作品を読んでくださり誠にありがとうございます。
今回の劇場版で見事、長野組に落ちた作者がパッションのままに書き始めたものですが、皆様楽しめていただけておりますでしょうか?
長野組に落ちたくせに全然長野組出ないじゃん、と思われたかと思いますが安心してください。私も思っています。
実際、最初のプロットでは長野組からスタートしようと思っていたのですが、あれも入れたい、これも入れたいと色々練った結果がコレでした。は、早く長野組が出したいな〜〜。
とはいえ、巻ける部分はどんどん巻いていく予定ですので今後もお付き合いいただけますと幸いです。
コメントや評価などをして頂けるととても嬉しい人なので、気が向いたらそっと応援してください。めちゃくちゃ喜びます。
それでは、長々となりましたが第二話もご閲覧いただきありがとうございました!
次回もどうぞよろしくお願いいたします。