この世界に来て、まず冷静に思ったことがある。
──犯罪へのハードルが低すぎないか??
いやホントに、ちょっといざこざが起こるたびにみんながみんな「……やるしかないな」と覚悟を決めた顔をするのである。
待って待って?えっ、なに?この世界では義務教育から道徳の時間が消えたの??
これには元ポートマフィアの私ですら遠い目をしてしまうレベル。
というか、一般人がそんなに簡単に手を汚したら駄目でしょ。もうちょっと葛藤して??最低でも一晩は悩んでくれ??
あともう一個わかったこと。
この世界の人たちは感情がものすんごく重い。
大切な人を殺されたら一生忘れないってのは百歩譲ってわかる。でもちょっと助けられただけで“君の為なら死ねる!“ってレベルで恩義を感じるのはどうなんだろうか。 仏と修羅は紙一重だったりするけど、この世界の人もその類なのか……??私には分からないよ……。
それだけではなく、その感謝の気持ちを“行動力”に変換するのがまた早いこと早いこと。目にも止まらぬ早さで“善意の暴走”をするのである。
「ちょうど家にお菓子がいっぱいあって♡」っと、笑顔で話しかけて来た途端にこっちが遠慮する暇もなく自宅へ連行は当たり前。「あら、偶然ね」っと声を掛けられたと思えば、半ば強制的にお洒落なカフェへと連れ込まれたりする。
そこに邪な気持ちがあるなら迷わず通報するのだが、いかんせん善意の行動だからこそ困る。やはりこの世界に道徳は存在しないのかもしれない。一歩間違えたら誘拐だからね??
とまあ長ったらしく語ってしまって申し訳ないが……ハイここでクイズです!
現在、私が居るのはどこでしょ〜うか!
「ママ!ボク、ジュース!」
「はいはい。みんなも新ちゃんと一緒でジュースでいいかしら?」
「「「「アッお構いなく」」」」
正解は、この世界の主人公こと工藤新一が住まう『工藤家』でした〜〜〜!!
……いや、なんで!?って思うじゃん?? まあ理由なんて“人助けしてたら偶然にも助けた人が主人公だった“、これに限るんだけどね。
ええ、そこから何故かめちゃくちゃに懐かれまして。今では私を見かける度にロケットのように突進してくるようになりました。どうしてなの……?(頭を抱える)
それにしてもこの主人公、警戒心というものを何処に捨ててきたのだろうか?
現に当人は私を椅子代わりにしながら「あのね!」だとか「これがね!」だとか、子供特有の少々舌ったらずな言葉で私に話しかけてくる。
お前、十八番の「あれれ〜?」はどうしたの?? ……いや、あれは合法ショタの時か。えっ、待って?? つまり今は天然産(ショタのすがた)ってこと……!?
「えーーーっと、し、新一クン?」
「なぁに、紗夜ちゃん!」
「紗夜、チャン……?」
いや、確かに話の流れで私の名前を教えましたけどね?それまでお姉ちゃん呼びしてたから、てっきり『紗夜お姉ちゃん』って呼ばれると思ってたんだよ……!
思わず背後に宇宙猫を背負っていれば「ギョピェッ!?」とハヤトクンから聞いたこともない悲鳴のような鳴き声が聞こえた。え、汚い声だな。
「……おい、そこの不思議国家とラスボス。黙って肩震わせるぐらいなら笑えや」
「フッ……そ、そんな……フフッ、わ、笑っておりませんよ……!」
「クッ、そ、そうさ……まさか、ククッ、き、君がそんな、か、可愛らしい呼び方をされるなんてッ……!」
「いやもう抑えきれてないんよ」
無事に腹筋が崩壊した透クンと雪乃チャンを放置して、私は再度私の足の上にちょこんと座っている新一クンを見た。 ウッ、子供の曇りなき眼が……眩しい……!!
「その、えっと……自分、怖ないん?自分でも、世が世ならありとあらゆる子供をギャン泣きさせる顔やと思ってるんやけど……」
「んーん!紗夜ちゃんはボクにとってホームズみたいな人だからね、怖くないよ!」
「そっかァ」
「あのね、ホームズはね……ヒーローでね、かっこいいんだよ!だから紗夜ちゃんもね、ホームズみたいにかっこいいよ!」
「そっかァ〜〜〜〜〜!!!!」
傍から見れば完全にキマっているヤベェ女である。この主人公やばいな。可愛いがすぎる。
恐らく今の私を主人公の母親こと有希子サンに見られたら通報待ったなしだっただろう。
しかし彼女は何故か私の方をニコニコと見ていたかと思えば「夫も貴方に会いたがっていたから、ちょっと呼んでくるわねぇ!」と大量のハートを飛ばしながらリビングを出て行ったので問題ない。
気配も足音もここから遠ざかって行ったのはこの耳で確認したのでね。その辺りは抜かりないよ!!
「それにしても……紗夜さんがホームズとは。なるほど……彼女であれば、どのような謎もすぐに解き明かしてくださる気がいたします」
「うんまあ……十中八九、推理っていうより尋問でメンタルごと抉り抜いていくタイプだよね……相手が可哀想になるくらいの」
「……実際、この前の事件では紗夜が碌な証拠もないなか、言葉だけで犯人の心を揺さぶり最後には自ら罪を語らせていたね」
「えっ、紗夜ちゃんが事件解いたの!?わあ、すごーい!!」
キラキラ五割り増しな瞳を向けてくる新一クン(ショタのすがた)には申し訳ないが、実際は私が嘘を見抜いてただ犯人を追い詰めただけなので、物語のようなワクワク感なんてものはなかったとだけ言っておこう。あったのは(色んな意味で)ドキドキ感ぐらいである。
「……おや。ずいぶんと賑やかだね、今日は」
その声に、場の空気が一瞬にして引き締まった……ような気がした。
出た。工藤優作。
あの“世界的にも有名な推理作家”で、“工藤新一という未来の名探偵の親”で、“やたらと顔が良い上に声も良い”ことで名を馳せる、チートスペックの持ち主である。
「何故だろうね。こう……一目見た瞬間に分かる、“あ、これはタダ者じゃない”って感覚……」
「確かにね……」
小声でぼやくハヤトクンに、雪乃チャンが静かに頷いた。
確かにこう、一般人とは違う空気というかニオイというか輝きというか……兎に角、"自分、特別ですので"感が全身から溢れ出ている。
こんなの、ちょっと変装した程度じゃ誤魔化せないでしょ。なんでみんな気が付かないんだろう。もしかしてこの世界の人って特性:節穴なのでは……?
「彼がかの推理作家……まさに“
そんなふうに雪乃チャンが言ったのもよく分かる。もうね、部屋の空気がね、完全に主要人物来ました!って感じなの。
あとこの人、目の奥が全くもって笑ってなんですけど。これ如何に。
「──紹介するよ、パパ!この人が、ボクを助けてくれた紗夜ちゃん!かっこいいんだよ!ホームズなんだよ!」
ぐいぐいと私の腕を引きながら、新一クンは目をキラキラと輝かせて優作サンに紹介してくれる。とても可愛いけど今はやめてくれ。頼む。お姉さん泣いちゃう。
「ふむ……君が、立花紗夜さんだったね?」
ぅゎ、名前知られてる……。私まだこの世界では悪いことなんて何もしてないよ??
まだ声が柔らかいからマシだけれど、目は完全に“観察者”のそれである。うへぇ……めちゃくちゃ探る気満々だぁ……。
私がこういうタイプが苦手なのは、別に過去のトラウマが……とかでは断じてない。
ぶっちゃけよう。単純に面倒臭いのだ。
考えてみてほしい。毎回毎回痛くもない腹を探られ、ちょっと話を振れば何故か意味深とばかりに「どうして?」「それは何故?」と詰められるのだ。本当に疲れる。
お前は雑談ひとつまともに出来んのかッ!!と前世の私がキレるのも分かってもらえるだろう。
故にもうこの時点で私の中で『工藤優作』という人物には面倒な人というレッテルが貼られた。
「新一が世話になったそうだね。……ありがとう」
ふむ、流石にその言葉に嘘はないか。
とはいえ本当に偶然助けた子供が彼だったというだけなのであまり恩義を感じないでほしいのも事実。いやだって、この人が善意の暴走したら何しでかすか分からないし……怖いし……。
「……いいえェ。たまたま助けただけですし、そないに気にせんといてください」
だから頼むから下手に恩義を感じるな、やめろ私のことはその辺の道端に落ちている小石だと思え……!と、全力で念じながら、私はへらりと笑った。
優作サンはというと、そんな私の返しに「そうか」とだけ言って少しだけ目を細めた。
ニッコリ、ではない。どちらかというと、狐のような鋭さを湛えた「興味深い」系の目だ。やめろやめろ、こんなところで謎にアイデアロールを成功させるな。
「……ところで」
そんなふうに唐突に話しかけられて、反射的に返事をする。
それと同時に心臓がドゥルルルル……と、ドラミングを始めた。な、何を言われるんだ……!?
固唾を飲んで優作サンの言葉を待つと、彼は人の裏の裏まで見透かしてしまいそうな視線を向けて来た。
「君は、どうして人を助けるんだい?」
──うわァァァァァァ!!めんっどくせぇぇぇぇぇ!!!!
待って待って、私たちまだ初対面!!たった今こんにちはしたところ!!
それなのにいきなり“意味が分かるようで分からないが実は意味が深い哲学”みたいなこと聞くのやめてほしいんですけど!?ジャブがキツイぜバーロー!!
しかしながら、ここで「知らんがな!!」と投げ出す訳にもいかない。
私は知ってるんだ、それをするとしたでまた面倒なことになるって。ちなみにソースは前世の『俺』ね。
尚、この場合の最適解は簡潔に事実だけを述べることってのも前世で学んだ。
「──約束、したからですねェ」
きょとんとする新一クンを心のメモリーに焼き付けつつも、私はできる限り感情を抑えて言った。
これもね、大切なことなのだ。
「約束……?」
「約束ですねェ」
いやもう、本当にこれに尽きる。
別に私自身善人ぶりたいわけではないし、誰かを救うことに快感を感じてるわけでもない。寧ろ、私は私のことを善から一番遠いところに居るような人間だと思ってるからね。
でもさぁ、約束しちゃったからには守らないといけないじゃない?
「ほう……なるほど」
優作サンは、そんな私の答えにただ一言そう返しただけで、それ以上何も言わなかった。
でも、その目は──やっぱり怖いくらいに冷静で……まるで一匹の猛獣が檻の外から、私という存在を観察しているようだった。
だからこういうタイプは苦手なんだ。
「そうだ、あの事件も君が解決したんだってね」
「え?」
一瞬どの話かと思ったけれど、新一クンが嬉しそうに私を見ているのでなんとなく察した。ああ、アレか。さっき話していた推理っていうより、尋問でぶっ叩いたやつ。
「あァ……まァ、たまたまですわ」
「“たまたま”ね……ああいった場面に居合わせるのが、既に“たまたま”じゃないように思えるけれど」
そう言って微笑む優作サンに、私は内心でチッと舌打ちをした。
ほら出た、面倒な言い回し。というかここは三歩歩けば事件か事故か自殺にぶち当たるで有名な米花町だぞ?あとそれを言ったら新一クン黒幕説が浮上するからやめとこ??これだから推理力にステータスをガン振りしているヤツは……!
「それに……君の仲間たち──雪乃くん、ハヤトくん、透くん。彼らもまた、只者ではないように見える」
不意に出てきた自分たちの名前に、三人はパチパチと瞬きを繰り返した。その顔は完全に何故いまこっちに被弾した……!?と思っている表情だった。いや、ホントごめんて。
「只者やない言うてもなァ……私ら、
「そうかい? なら、きっと君がとても魅力的な人物だから、ああして支えてくれているんだろう」
それってつまり“あの三人も何か裏があるだろ”って言いたいんじゃないの?と喉元まで出かかったけれど、ぐっと飲み込んだ。
この人はきっと、言葉の裏に意味を含ませることで相手がどういった反応をするのかを探るのが癖なんだ。推理作家だもんな、仕方ない。
私がCV石田だったら同じように意味深は発言をしてこの場を無駄な緊張感で包むこともできただろうけど、生憎と喉に石田を飼っていないからさ……。
「──皆さん、そろそろお暇させてもらいましょうか」
唐突にそう言ったのは、透クンだった。
相変わらず柔らかな笑みを崩さずに、しかしどこか空気の流れを変えるような一言に内心ホッとした。
「それに雪乃さんとハヤトくんは御夕食の前に、例の本を買いに行く予定でしたよね?」
「……あぁ、そうだったね。ふふ、面白いことが多くて完全に忘れていたよ」
「拙者もですわ。というか、予約してた特装版の受け取りにも行かねば?!」
全員がすっと立ち上がる。
えっ、この三人の空気読みスキル高すぎないか? あたかも最初から予定がありました、みたいな顔と声をしているけどそんな話は全くしていなかったからね??
リビングの奥で微笑みながら此方を静観していた有希子サンも、私たちが帰る準備を始めるとパタパタと優作サンの隣へやってきた。
そうして愛嬌のある笑顔と声で「また遊びに来てねぇ!」と手を振ってくれた。……相変わらず、優作サンは鋭くどこか試すような目で私を見ていたけどね。
「本日はお招きいただき有難うございました、工藤さん。新一くんも、またお会いしましょうね」
にこやかに微笑む透クンの横で軽く会釈をしてから、私は此方を見上げている新一クンの頭を優しく撫でた。
それにしても新一クンの頭って本当にまん丸だな……めちゃくちゃ撫でやすい。
「えぇ〜!もう行っちゃうの!?もっとお話したかったのに!」
「スマンなァ、私らにも予定があってなァ。堪忍したって」
「そっかぁ……絶対、また遊びにきてね!」
新一クンの言葉に私はにっと笑って返す。肯定も否定もしないよ。
いやホラ、約束しちゃったら守らなきゃいけなくなるからさ……。流石に私もアホじゃないからなんでもかんでも約束はしないのである。
「……お邪魔しましたァ。ほなこれにて」
ぺこりと頭を下げて私は三人と一緒に玄関を出た。
外はいつの間にか夕暮れ時。オレンジに染まる街並みに、ほんの少しだけ安堵の息を吐いた。
「──はァーっ……なんや、めっちゃ気ィ張ったわ。なんで私はあんな集中砲火されたんや……? あれか、謎に新一クンから懐かれてたからか?? そもそもなんで新一クンはあんなに私に懐いてるんや……??」
「いやはや……本当にお疲れ様です、紗夜さん」
「透クンもナイスアシストやったで、ありがとうなァ。それにハヤトクンと雪乃チャンもおおきに」
感謝の言葉を述べれば、三人はなんでもないように肩を竦めた。
「それにしても、本当に何故に紗夜氏だけがああも探るような目を向けられていたんでしょうな?新一氏もほとんど紗夜氏にしか興味を示さなかったですし。マジで拙者ら何故に招かれたんでしょうな」
「紗夜、君、実はこれまでに巻き込まれた事件とかで何かやらかしていたんじゃないのかい?それか、あまりにも事故に遭う頻度と怪我の具合に整合性が取れなくて怪しまれたとか……」
「……あー、それは無きにしも非ずやなァ……」
後者に至っては確実に怪しまれてそうだ。だってあの人、そういう誰も気にしなさそうなところとか絶対に怪しんでくるだろうし。
でもやっぱり一番問題だったのは、あの尋問で解決した事件かなぁ。
アレもねぇ、ただ単に私が嘘を嗅ぎ取れるからそこをどんどん攻めていっただけなんだよね。正直、言葉の暴力と威圧感でねじ伏せたって言った方が正しい。
「でもさァ、それでもやっぱ変やと思わん?私だけならまだしも、全員は流石になァ……」
「確かにね……正直、拙者も少し引いた。“たまたま話に出てたから覚えてた”の温度感ではなかったですし?」
「とはいえ、僕としては“なぜ知っている?”という疑問よりも“うわ、怖っ”っていう恐怖心の方が上回っていたけどね」
「そうですね、ちょっと……その、恐ろしいなと思いましたよね」
なんとなく皆でうんうん頷き合うけど、そこで会話はふわっと終わる。
──たぶん、みんなちょっと“変だな”って思いながら、それでも“そこまでの話じゃないよね”って気持ちもあるのだろう。実際、私たちはこの世界で後ろめたいことややましいことなど何ひとつしていないのだから。
ただなぁ、あの時の優作サンのニオイは完全にある程度私たちのことを知っている上で話し掛けてきたものだった。恐らく、この世界での私たちの『過去』も調べ尽くしたんじゃないかな。
少なくとも何も知らない、まっさらなニオイではなかったのは間違いない。
「……まあ、深く考えても分からんもんは分からんし。とりあえず今回の件は、純粋無垢な新一クンが可愛かったってことで」
「それには異議なし! 正直、僕的には原作みたいな生意気小僧化するよりも、このまま真っ直ぐに育ってほしいですなぁ」
「純粋無垢、ねぇ……ふふ、まあ僕としても彼の今後は興味深いかな」
「ふふふ、元気にすくすく育ってほしいですねぇ」
私たちは笑いながら歩き出す。
夕焼けはもうすぐ夜になる。
きっかけは、いつも些細なことだ。
この日も例に漏れず、それは家族団らんの中にあった。
リビングで絵本を読み終えた新一が、唐突に口にしたひとことが発端だった。
「ねぇパパ、“紗夜ちゃん”ってホームズみたいなんだよ!」
──紗夜。
初めて耳にする名前だった。少なくとも、身近な人間関係の中には存在しない。
工藤優作は即座にその言葉を反芻しながら、笑顔を崩さずに子どもに相槌を打った。
だが、脳裏では別の動きが始まっている。
“紗夜”という響き……口調からして年上の女性だろうか。しかし、“ちゃん”付けという距離感の近さから考えるなら、保育園の先生……あるいは近所の誰か、か。
いや、今の新一が“ホームズ”とまで例える人物だ。恐らく普通の人にはない、特別な何かがあるはず。
優作は職業柄、違和感に敏感だった。
この世界ではあらゆる殺意や欺瞞が“ありふれた日常”の顔をして近づいてくる。
だからこそ、“普通の中にある異物”に気づく力は、何よりも大切なのだ。
……そしてこの時、優作は確信していた。
──この名前には何かがある。
もちろん、疑念をそのまま新一にぶつけるような真似はしない。
彼がその相手に強い親愛を抱いていることは、その語り口と表情から明白だったからだ。
だから、まずは個人的に調べることにした。
何者かもわからない人間に、余計なバイアスを与えないために。
優作は書斎に戻ると、ノートパソコンを開いた。
アクセス先は幾つかの非公開情報網だ。ジャーナリスト仲間、刑事上がりの調査員、出版社の資料部門……こういった時、己の顔の広さに感謝したくなる。
使える手札を惜しみなく使えば、ほんの数時間で幾つかの名前と記録が手元に揃った。
──立花紗夜。
都内の私立高校に在籍。転校履歴あり。
戸籍の登録はあるが、血縁関係はすでにいない。三年前に起きた爆発事故によって、両親および兄弟姉妹は全員死亡。本人も意識不明の重体であったが、数ヶ月前に奇跡的に回復。
現在は両親の友人である『立花悠』と養子縁組をし、彼の保護下にて生活中。
ここまでは、表面的なプロフィールだ。
だが、問題は“その後の経歴”にある。
事故に遭った後も、彼女は“巻き込まれ体質”としか言いようのない頻度で事件や事故の現場に出くわしている。
しかも関与している事件全てにおいて──彼女は“誰かを庇って怪我をしている”。
それは、はたして偶然だろうか。
彼女の行動がいつも他者の安全に繋がっていること。
警察側の報告書に記載された証言には、彼女に対して“咄嗟に庇っていた”という内容が複数あった。
繰り返される“偶然“。
そう片づけるには、あまりにも全てが出来すぎている。
優作はページをめくる手を止め、椅子の背にもたれた。
視線を宙に泳がせ、頭の中で立花紗夜という人物の“骨格”を組み立てていく。
──自己犠牲を厭わない性質。
──実の家族を爆発事故で亡くしている。
──行動は他者への保護に向かっているが、動機が不明。
──年齢にしては冷静すぎる反応。
──“普通”の枠から、確実に逸脱している。
そして、気になるのは彼女の“交友関係”だった。
立花雪乃。
立花ハヤト。
立花透。
共通点は一つ。“例の爆発事故”で生き残った子供たちであり、同じく『立花悠』に引き取られた家族ということ。
近年稀に見るほどに大きな事件だったので、優作も当時は番組という番組がこのニュースを取り上げていたのを覚えている。
だが、いつからだったかパタリと報道されることがなくなった。その為か詳細は今でも報道規制がかかっており、遺族名すら伏せられたままだ。
優作の胸に、ひとつの仮説が立ち上がる。
──彼らは、“見えない絆”で結ばれている。
共に死線を越えた者同士、となれば自然と仲間意識が芽生えるのも頷ける。だが、優作には彼らの間にはそれ以上の“何か”があるような気がしていた。
そこにあるのは、説明のつかない不透明なもの。
だが優作は、それを「興味深い」と感じる側の人間だった。
書斎の静寂の中、彼はふっと笑みを漏らす。
「──やれやれ。どうして、うちの息子は面白い人間ばかり見つけてくるんだろうね」
立花紗夜。
この名前を、彼はもう忘れないだろう。
優作はもう一度彼女のプロフィールが記載されたページを見た。
そこには真っ黒な目をした強面の少女がじっと此方を見つめていた。
リビングに足を踏み入れた瞬間、空気の密度がわずかに変化した。
誰が発したでもない気配。だが確かに、そこには微かな緊張の糸が走った。
優作はそのわずかな違和感を覚えたまま、にこやかに挨拶を交わす。
「……おや。ずいぶんと賑やかだね、今日は」
新一の視線が嬉々として彼を見上げる。その隣にいたのが、件の立花紗夜だった。
彼女の姿を目にした瞬間、優作は静かに観察を始める。
所作は穏やかで無駄がなく、目線は正しく、笑みも自然だ。一見すれば少し顔が怖いだけの、ごく普通の女子高校生……だが。
(──整いすぎている)
それが最初の印象だった。
緊張でも萎縮でもない、いっそ過剰なほどにこの場の空気に適応していた。
彼女は、“見られている”ことに慣れている。
いや、違う。“見られること”に対する抵抗を、すでに自分の内側で処理し終えている。
それは、若者には珍しい種の落ち着きだった。
名を呼ぶと、彼女は目を瞬かせた。
僅かに驚いたような反応を見せたが、即座に笑みに切り替える。
(警戒が早いな)
驚き、戸惑い、隠す。この三段階を、ほぼ一呼吸で処理する対応速度には思わず舌を巻雲のがあった。
大人でさえここまで完璧に、そして違和感なく処理するのは難しいだろう。並の高校生ではまず見られない反応だ。
先程の驚きは、自分の情報が相手に伝わっていたことに対する動揺からだろうか。だが、その感情を表に出すことなく瞬時に冷静さを取り戻せる様子は、どこか酸いも甘いも噛み分けた矍鑠とした老人を彷彿とさせた。
優作には立ち姿や筋肉の張り、目の焦点の微細な動きを通して、まるで“相手の内部で何かが変わった”かのように感じ取る感覚がある。それは長年研ぎ澄まされた観察眼のなせる術であった。
この瞬間、彼は理解した。
彼女は自分が“既に調べられている”という可能性を理解している。
現にその事実に驚きはしたが、慌ててはいないのがその証拠だろう。
(……ふむ、ならばもう一歩踏み込んでみようか)
「君は、どうして人を助けるんだい?」
唐突すぎる問いだった。だが、優作にとっては必要な“揺さぶり”だった。
この少女の“軸”を見たい。その言葉の裏にある、“何を大切にしているのか”を知りたかった。
彼女は、一瞬言葉を失った。
だが、すぐに答える。
「──約束、したからですねェ」
感情が全くない声だった。しかし表情は依然変わらず微笑みを浮かべている。
言葉に迷いもなく、少なくともそこに嘘は混じっていない──優作が読み取れたのはこんなところであった。
念の為、一度聞き返してみたが返ってきた反応は先程と同じものだった。
(私に調べられていると分かっている上で、この返答……か)
これまでに集めた情報からしても彼女は、感情よりも“合理”で動いている節があった。それは大きな組織に属した者ならではの心理。もはや性質といってもいいだろう。
だが勿論、彼女がそういった組織に属していた経歴はなかった。それは今は亡き彼女の家族も。
では彼女は一体、どこで、どうしてそういった心理に至った?
家族関係になにか問題があったのだろうか?
それとも、彼女自身が生まれ持った素質なのか?
優作の疑問はそれだけではなかった。
先程の答えであった"約束"。
その回答は正直、優作の予想を大きく外れたものだった。だから意外だと思った。
だがそれ以上に気になったのは、彼女の言う“約束”が論理や感情というよりもどこか“契約”に似た口振りだったことだ。
それは、守ることが前提であり決して破ることは想定されていない──そういった類の信念に似ている。
……これは普通ではない。
優作は、はっきりとそう思った。
そして、その“普通でなさ”は彼女一人にとどまらなかった。
彼女の傍らに立つ三人──立花雪乃、立花ハヤト、立花透。
いずれも外見は高校生相応だが、言葉遣いや姿勢には年齢以上の“完成度”を感じさせた。
互いの会話の間合いも、まるで何年も連れ添った戦友のようだった。
(あの爆発事故が、彼らに何を遺したのか)
優作の知る限り、四人は“全員生存者”であり“唯一の遺族”であり“血の繋がりのない家族”だ。しかし、こうして対峙して彼らの中にそれ以上の繋がりがあることを確信した。
過去に何があったのか。
そして今、何を抱えているのか。
彼らを繋ぐものとは一体なになのか。
それを知るには、圧倒的に
だが、今日のこの場は──それを始めるには充分すぎる入口だと言えるだろう。
──立花紗夜。
この少女の言葉に嘘はひとつもない。だが、同時に真実も語っていないような気がした。
彼女の言葉は、まるで周到に選ばれた“防壁”だ。
はたしてその内側には、何があるのか。何を隠しているのか。
(──知りたい)
知的好奇心。それは優作にとって最大の原動力だった。
そしてこの感覚は真新しい小説を開いた時に似ている。
登場人物は立花紗夜、立花雪乃、立花ハヤト、立花透の四人。今はまだプロローグといったところだろうか。
目を細めながら、彼は改めて確信した。
この邂逅は偶然ではない。
この少女たちは今後も自分の視界に現れる。そしてそのたびに、“何か”を見せてくれるはずだ。
優作の中にそんな確信めいた期待が生まれた瞬間だった。
夜。窓の外には、米花町特有の静けさが漂っている。
昼間の喧騒も、子供たちの声も消えた住宅街。しかし、この町の静寂は“何も起きていない”ことを意味するわけではない。寧ろ、嵐の前のような含みを帯びていることの方が多い。
優作は湯気の立つコーヒーに口をつけながら、書斎のデスクに向かっていた。
だが、目の前のノートパソコンの画面は未だスリープ状態のままだ。
思考が文章に変換されるにはまだ時間が必要だった。
今日という一日が、あまりにも情報量に満ちすぎていたからである。
──立花紗夜。そして、彼女の周囲を構成する三人の仲間たち。
ふと、思い出す。
別れ際、新一の言葉に手を振っていた彼女の背中は必要以上に堂々としていた。
けれど彼女はそう演じていた風ではなかった。
ただ、あの年齢であそこまで『何も背負っていないように見せる』のが上手い人間はそう多くない。そもそもあの年齢で何かを背負っている方が稀有だろう。
つまり彼女は“他人に見抜かれてはならない何か”を既に抱えているからこそ、それを隠しているということ。
──彼女が纏っていた“違和感”の正体は恐らくそれだったのだろう。
「……あれは、“他人に見られること”を前提とした生き方だ」
自ら呟いた言葉に、優作は苦笑いを浮かべた。
例えば警察官や教師、芸能人。あるいは諜報員や潜入調査員。
人に“観察される”ことが日常的である人物には、特有の構えのようなものがある。
笑い方、手の動かし方、呼吸の仕方に至るまで、その殆どが無意識に“相手の目線”を意識したものになるのだ。
そして彼女……立花紗夜にはそれがあった。どれだけ生い立ちや経緯を洗っても真っ白なものしか出てこないにも関わらず、だ。
そう、彼女は白いのだ。犯罪経歴もなければ、寧ろ積極的に他者を助けているぐらいには真っ白なのだ。
だというのに、『立花紗夜』という人物を知れば知るほど白を塗り潰すように真っ黒な影が落ちてくる。
白であり黒。黒であり白。しかし決して灰色ではない、無色透明な存在。
書斎の空気は、相変わらず静かだった。
壁際に積まれた資料と原稿の山が夜の影に沈み、机上のランプだけが、優作の横顔をほのかに照らしている。
画面のスリープはようやく解除されたが、優作の指はまだキーボードに触れない。
彼の目は、画面には映らない“何か”を追っていた。
「──実に面白い」
独り言とも呟きともつかぬ声が、部屋の片隅で消える。
“立花紗夜”。
調べれば調べるほど、そこに存在するはずの“背景”が見えてこない。あるいは、見せていないというべきか。
感情を伴わない合理的な行動。
状況に合わせた的確な応対。
研ぎ澄まされた危機回避能力。
そして何より──"非合理的な信念と合理的な心理の共存"。
普通の高校生ならば到底持ち得るはずのないそれらの要素が彼女には備わっていた。
「……実は高校生というのは嘘で、実際はとっくの昔に成人を迎えている大人だった」
そう考えれば疑問に思っていることの大半に筋が通る。
優作は小さく頭を振った。馬鹿げている。そんな夢物語のようなことが現実で起こるはずかないのだから。もしそうなら彼女の経歴に何かしらの穴がなければならない。
ふと、優作の脳裏に新一の顔が浮かんだ。
無邪気に彼女をホームズだと讃えた、小さな探偵。
(……それも、きっと見抜かれていたのだろう)
彼女のあの眼差し──自分を“どう見ているのか”という問いを常に持っている者特有のそれは、新一の好意すらも読み取っていたはずだ。
それでも彼女は、あの子を拒まなかった。むしろ、ちゃんと膝を貸し、話を聞き、撫でてやっていた。
「……人を突き放すタイプではない、のか」
優作は、カップの底に残ったコーヒーを一口だけ含んで、立ち上がる。
「君のことは、もう少し見させてもらうよ。紗夜さん──」
それは誰に向けたとも知れぬ言葉だったが、書斎の壁に掛けられた黒い影が、それに呼応するようにわずかに揺れた。
ランプの灯が少し揺らいだのは、夜風のせいか──あるいは、何かが微かに気配を返したのか。
机の片隅、読みかけの文庫本の上に、優作はひとつだけ手書きのメモを残していく。
『立花紗夜、立花雪乃、立花ハヤト、立花透。──“観察対象”。情報不足につき継続調査を推奨。特に立花紗夜には“組織的背景”の可能性あり』
そしてそれを書き終えたとき、優作はようやく筆を止めた。
「──さて、“次”はどんな物語を描こうかな」
物語の幕は、音もなく閉じた。
だが、この静けさの向こうには──また別の“事件”が、きっと待っている。
なんだかんだで七回しか登頂できなかった作者です。十回は行きたかった……。
前回もいいね、ブクマなどしていただき大変ありがとうございます!とても励みになっております……!!
第三話では、我らが主人公こと工藤新一と我らが警戒網こと工藤優作が同時に襲ってくるというなかなかに激しい回にしてみました。
工藤家に足を踏み入れる=新一と何かあるのか……!?と、思わせてのまさかの工藤優作のパターンは多分誰も予想していなかったんじゃないかな、と個人的には思っています。
あと読者の皆さんはお気づきでしょうが、紗夜たちはめちゃくちゃ警戒されているし警戒しています。そりゃそうですが。
今回は紗夜視点と優作視点で同じ出来事を描いた二重構造にしてみました。
「えっ、あの時のあの一言……優作的にはそう見えてたの!?」というのが伝われば嬉しいです。
ちなみに作者は『あの新一にも絶対に純粋無垢なピュアピュア時代があった』論を応援しています。ピュア新一は存在する。必ずだ。
そして優作視点めちゃくちゃ難しかった……私は地頭が良くないから頭の良い人間の思考回路が分からぬ……!!
次回はいよいよ諸伏景光との本格的な事件パートになる予定です。
そして満を持して降谷零も登場するかも……!?
ネクストコナンズヒント 『土』
それでは、次回もまた読んでいただけますと幸いです。
感想などいただけると泣いて喜びます!