──始まりは何気ない一言からだった。
「そういえば、最近この辺りで通り魔事件が発生しているらしいですね」
もはや恒例となっている屋上ランチの最中、透クンは思い出したようにそう言った。
聞けば、どうやら朝のホームルームの際に担任の先生がそんな話をしたらしい。
「へェ……私、ホームルームおらんかったから知らんかったわ」
「君の場合、そもそも居る方が珍しいからね。今日もパトカー通学だっただろう?」
「まァな。でも流石に上空から突き落とされた人が降ってくるとは思わんかったわ。私やから受け止められたけど、他の人やったら事件と事故が同時に起こるとこやったで」
「拙者、まさかリアルで
──いやほんまに。
しかも、来てくれた刑事さんに起こったことを話してもなかなか信じてもらえなかったからね。私は悲しい。ポロロン。
とはいえ、その刑事さんも被害者の人の証言と運良く近くの防犯カメラに現場が映っていたことで信じてくれたのだけど。
それだけでなく、疑ったことを謝ってくれたので普通にいい人だった。
「しっかしまァ、ホンマに
「誘拐事件ですか……本当に穏やかではないですね……」
「自殺に見せかけた殺人未遂に通り魔、誘拐。まさに犯罪の見本市だね」
「そしてそれを平然と受け入れている国民……いつからこの国は修羅の国となったんですかねぇ?」
──とまあ、そんな不穏な話題も昼食と一緒にペロッと胃に収まってしまうのが私たちの悪いところである。
昼食を食べ終えた後はいつも通り適当に雑談しながら午後の授業へと向かい、これまたいつも通りの流れで放課後を迎えた。
空は薄曇り、気温はやや高め。
季節の変わり目特有の風が、校門を抜けたあたりで頬をなでた。
──と、同時に。
ふわり、と。
……匂った。
風に乗ってきたのは、土と、錆びた鉄と、乾いた血。それに……女の子の汗と涙の混じった“生きた”におい。
明らかに異常をきたした香りが鼻腔を擽った。
私は立ち止まり、すん、と鼻を鳴らす。
方向は──西。
恐らく、住宅街の方角……かな。
さてはて、どうしたものだろうか。
私は口元に手を当てて考え込む。無視をするのは簡単だが、あの約束がある手前その選択はできない。
──通り魔事件。誘拐事件。
昼休みに出た単語が、なぜかこの瞬間になって現実味を帯びてきた。
いやでもなぁ〜〜、私と雪乃チャンは大丈夫だろうけど、ハヤトクンと透クンがな〜〜〜。
できれば関わらせたくはないかもしれないかな〜〜〜。
「──ポッド」
悩みに悩んだ末に私は鞄を軽く肩にかけ直すと、一先ずポッドに声を掛けた。
すると何もなかった場所から突然、箱に二本のアームが付いたような姿をしたロボットが現れた。
これは某アンドロイドが人類の為に機械生命体と戦うゲームに登場する随行型支援ユニットである。
なんとこの度、私の要望を聞いてハヤトクンが作ってくれたのだ。
いやだってアレ、めちゃくちゃ便利そうじゃん?あのゲームをプレイした時からすんごい欲しかったんだよね。
しかもこのポッドはステルス機能も付いているので、日中はこうしてステルスモードで追従してもらっている。
尚、仕組みについてはよく知らない。多分聞いたら教えてくれるけど、正直性能さえ知っていればいいかなっていう気持ちである。
「ハヤトクンと透クンには『気になることがあるからちょっと調べてくる』ってメールしといて。んで、雪乃チャンには『多分やけど事件の匂いがするから首突っ込んで来るわ』って送っといたって〜」
「──了解。各メンバーに向けてメールを送信しました!」
うんうん、やはりCV蒼井翔太は良い。完全に脳内再生がオルトクンだけど。
「さ〜て、鬼が出るか蛇が出るか……」
ポツリと呟いてから、私はにおいを辿るように足を進めた。
ニオイの元凶へと辿り着くのにさほど時間は掛からなかった。
なにせ相手は素人に毛が生えた程度の実力しかない一般人だ。片や此方は元とはいえその道で飯を食ってきた"本職"。比べてやる方が可哀想というもの。
一先ず十分に距離を取ったまま相手を観察してみたが──
「……うーん、あれはクロやなァ」
思わず呟く。クロもクロ、真っ黒である。
歩く速度は一定であるが、視線はキョロキョロと通行人を追い掛けている。
恐らくあれはターゲットを物色しているのだろう。
現状、何かしらの反応を示したのは『女子高生』のみ。だが集団や派手な風貌の子には無反応。
あと、時折「違う……」やら「惜しいな……」と呟いていたので、何かしらの条件下で選別しているのかもしれない。
どう見ても不審なのに、周りの人達は誰一人として男の様子を気にした様子はない。
やはりこの世界の人は特性:節穴で間違いないようだ。
とりあえずこのまま尾行しておこうか、と歩みを進めたその時だった。
「立花さん?」
背後から、聞き慣れた柔らかい声がかかった。
振り返ると、制服姿の諸伏クンの姿。……と、その隣によく知ってるけど初対面な顔があった。
「どうしたの、こんなところで?立花さんの家ってこっち方面だっけ……?」
「ん〜、いや、そうやないんやけど……ちょっと気になるもんがあってなァ」
「気になるもの、な……」
金髪に褐色肌の彼──降谷零クンが、じっと私を見ていた。
その目は、とても冷ややかだ。あからさまに「また女か」と言いたげな、諦めと軽蔑が混ざっていた。
そのまま口元だけで笑った降谷クンは、ふん、と小さく鼻を鳴らして言った。
「そうやって意味深な発言をしてヒロや俺に興味を持ってもらおうって魂胆か? どいつもこいつも、やることは似たり寄ったりだな。残念だが、もうその手は見飽きたんでな」
「ッちょっと、ゼロ!」
横から景光クンの叱責が飛ぶ。若干声が裏返っていたから、恐らく諸伏クン的にも彼のこの発言は青天の霹靂だったのだろう。
けれど、本人はどこ吹く風といった様子だ。
そして私はというと──
「はァ???????」
……えっ、待って待って。何故に私が諸伏クン相手に取り入らなきゃならんのだ????
確かに彼は私の『推し』である。
だがしかし、私の中での推しの概念はどちらかといえば某動画サイトから世間……というか、日々に疲れた人々を沸かしたアザラシ達と同じといってもいい。
つまり一方的に愛でるものであり、そもそも愛を返されるとは思っていないのだ。
そんな私が諸伏クンに取り入る……?
「──いや、ないなァ」
流石にそれはない。断言できる。
キッパリと言い切った私を降谷クンは訝しげな目で見さげてくる。めちゃくちゃ視線が冷たい。
もし私が安室の女だったらギャン泣きで担降りしていたかもしれない。
まあ私、安室の女じゃないんですけど。
「何故そう言い切れるんだ?ああ、そうやって俺たちに興味がない風を装うやつか。残念だが過去にもそういう女が──」
「いや、そもそも女の扱いも知らんような尻の青いガキに欲情するような性癖は持っとらんし」
あと私、別にぺドとかそんなのでもないし……。
そう思いながら率直に理由を話せば、降谷クンは喋っている途中だったにも関わらず絶句した顔で私を見た。
その隣で事の成り行きを見守りつつ、アワアワとしていた諸伏クンも「よ、よくじょ……ッ!?」と顔を真っ赤にしている。
その程度の言葉で恥ずかしがるとは、なんだこの推しは。天使の生まれ変わりか??
「まァ何にせよ、今のキミらは完全に"範囲外"やから安心したって」
というか、降谷クンってば割と深刻なぐらいに女性嫌いを発症しているご様子。あれはきっと過去に女関係で何かしらのトラブルに発展したんだろうな。
イケメンも色々と大変なんだなぁ……知らないけど。
「──……というか今、最近ここいらを騒がせてる通り魔事件の犯人と思しきヤツを尾行しとるんよ。用がないなら先に行くけど、ええかなァ?」
「……は?」
降谷クンと景光クンが同時に固まった。
流石はお互いに親友と言い合っているだけはある。どうやらシンクロ率は高いらしい。
「犯人?それに尾行って……お前が一人で?」
「今は一人やけど、多分後から雪乃チャンも来るやろなァ」
訝しげに見てくる降谷クンに私は答えた。本当のことなのでね。
なにせあの人は愉快犯な部分もあるからね。
恐らく嬉々としてやってくると思うよ。
「ほな、二人とも気を付けて帰りやァ」
そう言って例の人物を追おうとしたら、ぐいっと腕を引かれた。
なんだなんだと顔だけ振り返れば、物凄く心配げな顔をした諸伏クンと物凄く不機嫌な顔をした降谷クンという両極端な顔があった。
彼らの中で唯一シンクロしているのは、どちらも私の腕を掴んでいるという点だろう。
「オレも一緒に行くよ!」
「……仕方ないから俺も行ってやる。勘違いするなよ、ヒロを一人にするわけにはいかないから着いていくだけだからな!」
「ツンデレか……? いや、別にええよ」
「なんだよ。さっきの言葉を気にしてるのか?……面倒なヤツだな」
降谷クンは、やれやれ、とまるで聞き分けのない子供を相手にするような態度である。意味が分からない。
えっコイツしばき倒してもいい?という視線で諸伏クンを見れば、彼は全力で首を横に振った。本当に意味が分からない。
前の世界では公安の姫やら脳筋ゴリラやらシャバーニやら好き勝手に呼ばれていたけれど、少なくともこんな面倒なタイプの男ではなかったはずだ。
アレか?バタフライエフェクトか?もう本気で意味が分からない。
「ほら、行くぞ」じゃねーーーーよ!! お前じゃ場所も人物も分かんないだろ!!
「ごめんね立花さん。でも、オレも立花さんのことが心配だから……」
「ああ、うん……そっかァ……」
「ヒロ!そんなヤツに構ってないで犯人を追うぞ!」
「もうお前は何がしたいねん」
ポツリと呟いた私の言葉を聞いて、諸伏クンだけが「あはは……」と苦笑を浮かべた。
なんやかんやありつつも、結局私たち三人は件の人物をある程度距離を保ちながら尾行していた。
犯人と思しき人物は中肉中背、どこにでもいそうな至って平凡な容姿をした、二十代後半から三十代前半ぐらいの男性。
見た目だけならそこいらを闊歩している人々となんら変わりはない。そう、見た目だけなら。
「……おい、本当にアイツが犯人なのか?」
「さァな、今のところは断言はできんかなァ」
降谷クンが冷たい眼差しで見つめてくるが無視である。
そもそも現状、物的証拠もなければ現行犯というわけでもないのだから断言できるわけがないのだけど。
「じゃあ、お前は何を根拠にアイツが犯人かもしれないって考えたんだよ」
「根拠言うてもなァ……正直、一番の決定打は複数人の血液と女のニオイを漂わせてるからやなァ」
「ニオイ……?」
諸伏クンはスンスンと鼻を鳴らしたが、私の言っているニオイは分からなかったみたいで首を傾げた。
あまりの可愛さに堪らず、見ろよこれが可愛いを意のままにする男・諸伏景光だぞ、という顔で私は降谷クンを見た。
彼は道端の吐瀉物を見るような目付きで私を見つめ返してきた。泣きたくなった。
「……あ、ほら見てみィ。アイツの目、女子高生しか追ってへんやろ」
私は視線だけで路地の向こう側を指した。
男は前を向いて歩いていながらも、目線だけは忙しなく動かしている。それはまるで、網に掛かった魚を選り分けているようだった。
時折、通り過ぎた女の子の背中を振り返って見つめている。
さも、背後から襲うタイミングを測るかのように。
「……一人で歩いているヤツしか見てないな」
「本当だ……そういえば、誰かと一緒の子とかは全く見向きもしてなかったね」
そう言って、二人して何やら考え込み始めた。
かと思えば、諸伏クンがパッと顔を上げて私を見た。
「……ねえ、もしかしてだけど……通り魔に遭った被害者たちには共通点とかあったのかな?」
「おっ、諸伏クンもそう思う? いやァ、今朝の段階で通り魔の話を知ってたら知り合いの刑事サンに色々聞いといたんやけどなァ」
「なんだ、お前って実は非行に走るようなヤツだったのか?」
フッと鼻で笑われた。イケメンは何をしようとも、その所作の一つ一つが凡人と違って様になっているから余計にイラッとする。イケメン死すべし。
ただまあ、ここで言い返すのはそれはそれで面倒なので、一先ずCV石田彰をイメージした声で「……そうかもしれないね」とだけ返しておいた。
尚、結果は諸伏クンが物凄い勢いで噴き出した、とだけ言っておこう。
それは見事な噴き出し笑いだった。
意外と諸伏クンって笑いのツボが浅かったりするのだろうか。
「諸伏クン、めちゃくちゃ笑うやん」
「い、いや、その……ま、まさか立花さんがそんな冗談を言うって思わなくて……!」
未だに笑い袋が回復しないのか、諸伏クンの体は小刻みに震えている。
なんだろうこのデジャヴ感。
ちなみにこんなにも好き勝手にお喋りをしているが、きちんと尾行は継続中である。
勿論、男が私たちの尾行に気付く様子もない。そもそも、そんじょそこらの駄犬に気付かれるようでは元ポートマフィアの名が廃るというもの。
「……なあ」
突然、降谷クンがぽつりと声を発した。
視線は男の背中に向けたままだが、その横顔にはさっきまでの棘ついた敵意は感じられなかった。
「……さっきのことだが、ちょっと……言いすぎたかもしれない」
ぼそっと、呟くように。
目を合わせることはないが、その声にはほんの僅かに、戸惑いのようなものが混じっていた。
──おや?これはこれは、もしかして……反省のお気持ちってやつですか〜〜??
……などと内心で茶化すが、ここで突っ込むのは野暮というものである。
私は大人なのでスルーしてあげようではないか。私えらーい!
降谷クンはそれから数歩ほど無言で歩いた後、ふとこちらに顔を向けてきた。
「お前……いや、君さ」
一瞬、言い直したあたりに若干の気恥ずかしさが見えたのは気のせいだろうか。
「最初からずっと、俺のこともヒロのことも、まるで興味がないみたいだった」
あぁ、はい。そこは自覚している。
むしろ“興味がある”と思われる方が困る。
こちとら推し活は一方通行型だぞ。認知?要らない子ですねぇ。
「……媚びるような態度も見せないし、必要なこと以外ほとんど喋らない。ヒロとも普通に……あいつを笑わせられるやつなんて、そうそういないんだよ」
まぁ、別に彼らの輪に加わりたいとか、そういう願望もないから媚びる必要性もない訳でして。
寧ろそれよりも、親友コンビのやり取りをそっと遠くから眺めていたいという欲望の方が強い。
やはり推しは未来永劫幸せに暮らしてくれ……それだけがオタクの希望だからさぁ……!!
「……名前、聞いてなかったな」
ぽつりと、それはまるで思いついたような言い方だった。
けれど、その声の温度はさっきまでと明らかに違っていた。
「立花紗夜。立花でええよ。漢字は、立つに花。覚えやすいやろ」
「……立花、な。俺は降谷零」
降谷クンはその名を口にして、少しだけ目を細めた。
彼が何を思ったかはわからない。
けれど、少なくとも──さっきまでの「女嫌いフィルター」を通した視線ではなかった。
……なんでだ??
一体彼の中で何が起こったというんだ……??
心の中で茶化したりしていたが、ぶっちゃけあまりにも唐突に態度を軟化されておったまげている。
私と降谷クンのやり取りを静かに見守っていた諸伏クンも何処か安堵した様子であった。
いや、私は全く安堵できないのだけど? 待って待って、展開早くない!?
一先ず、私は心の中でゆっくりと深呼吸をした。
そしてグルグルと脳内を色んな情報が駆け回り、最終的にバチンと風船が割れるようにして一つの結論へと辿り着いた。
──よし、気にしないことにしよう!!
人はこれを現実逃避というのである。
そして私は何も知らない顔で前を向いた。
……このあと、あんなことになるとも知らずに。
一歩下がった位置から観察していると、犯人の“
まず、二人連れや集団は除外。
髪色は黒──もしくは焦げ茶のような地味な色で、少なくとも肩辺りより長めが希望。
顔は比較的整っている方が都合がいいようだ。
そしてひょろりとした体つきや、少し気弱そうな雰囲気の子にだけ視線を向けている。
いや〜〜〜、身内に居るよね全部に該当するヤツ〜〜〜!!
しかも、そうと分かれば嬉々として囮になりそうな活きのいい女子高生〜〜〜!!
「………………」
脳裏に、にっこりとそれはそれは大層美しく微笑んだ身内が浮かんだ。
いや、流石にそんな危ないことは……するだろうなぁ〜〜〜!!
なんせ元が純血主義過激派代表取締役社長みたいな人だったもんな〜〜〜!! 闇の帝王〜〜!!
やがて私の口からは、深く深く、盛大なため息が漏れた。
「厄介なことにならんかったらええけどなァ……」
「え? なに?」
「いや、なんもあらへんよ……雪乃チャンが何もやらかさんかったら、やけどなァ」
怪訝そうに首を傾げる景光クンと、何も言わずに訝しげな視線を向けてくる降谷クンを横目に私は静かに項垂れる。
背後で諸伏クンが降谷クンと「雪乃って誰だろうね……?」「さぁ……知り合いなんじゃないか?」といった様なやりとりをしているのが聞こえた。
──春ヶ崎雪乃。
なぜこういう時に限って彼女は条件に一致するのか。
いやまあ、美形でスタイル良くて非力な女の子というのは犯人からすればちょっと魅力的に見えてしまうのだろう。例えその中身が例に見ないほど苛烈で冷酷なラスボス様であろうと、外見的にはか弱い美少女なのだ。
というか、そういった子の方が狙いやすいというのも一つの理由なのだろうけども。
ただ、今回だけはどうか狙わないでくれと願うばかりである。
狙うとしても頼むから雪乃チャン以外の人を狙ってくれ。
この場にいるのが私だけだったなら別に何の問題もなかった。
万が一、雪乃チャンの虫の居所が悪くなって思わず犯人の男をアバダったとしても私だけなら軽く処理できただろう。
幹部になる前は親友の仕事について行ったりしていたので、そういう処理方法は色々と知っているのだ。
だが残念なことに、この場には諸伏クンと降谷クンがいるのだ。
この状況で雪乃チャンと合流して、彼女の機嫌を損ねた場合……どう考えても後処理が大変になること間違いなし。
先ず間違いなく雪乃チャンは魔法をぶっ放すだろうから、二人の記憶からそれを抹消しなければならない。何だっけ、オブリビエイトだったかな。
故に、何があってもそのフラグだけはへし折らねばならなかった。
主に私の心の安寧の為に。
「そういえば、この距離でも犯人のニオイって分かるの?」
不意に、隣の景光クンがそんなことを聞いてきた。くりくりの猫目が大変キュートである。
「んー、おん、分かるで。意外とニオイってその場に残りやすいからなァ。あと人それぞれニオイにも特徴があるから、一回覚えたらどこまでも追えるで」
そう返すと、後ろから降谷クンがボソリと呟いた。
「……まるで猟犬だな」
「おっ、そしたら“取ってこい“でもしたろかァ? 得意やで?」
「この状況で何を取りに行くんだよ。犯人の命か?」
「降谷クン意外と物騒やな?? 普通はそこで命って選択肢は出んのよ」
本当にびっくりした。前世だとまあまあそういう類の“取ってこい”もあったが、まさか一般人である降谷クンの口からも同じ言葉が出てくるとは思ってもいなかった。
ギョッと目を丸くした私を見て、隣にいる諸伏クンもクスリと小さく笑った。
「ゼロって凄く頭が良いのに、時々短絡的な部分が出るよね」
「状況的に考えた結果だろ! 流石に彼女……立花がそんなことするとは思ってないさ」
あっ、ごめん全然やります。
必要なら躊躇うことなくやります。
そう思いつつも、私は「ハハッ」と愛想笑いをするだけに留めた。
知ってるか? 世の中には知らぬが仏って言葉があるんだよ。
「それにしても、ニオイってそんなに残るんだね。もしかして、オレのことも追えたりする?」
「諸伏クンを? まァ、ニオイを覚えてたら出来るけど……そもそも追うような事態には早々ならんやろ」
流石に諸伏クンが誘拐されました!とかになったら追うけど、多分そうなったら私より降谷クンが修羅の顔で犯人を追いそうだしなぁ。
そんなことを考えていた時だった。
「──おっ、動き出したなァ」
先程までは宛もなくフラフラと彷徨う幽霊のような足取りだった男の歩みが、狙いを定めたように真っ直ぐになった。
その様子を見て、諸伏クンと降谷クンも瞬時に気を引き締めたのが空気を伝って感じる。
まだまだ荒削りではあるが、この年でここまで切り替えが上手いとは……流石は未来の公安組である。
それはさておき、私は男がターゲットに選んだであろう人物を視線だけで探し出す。
それは思いのほかすぐに見つかった。
ただ、それは私にとって良くない結果と共に現れた。
「──あ゙?」
思っていたよりも低い声が漏れる。
視界の端で諸伏クンと降谷クンがビクリ、と大きく肩を震わせたのが見えた。
しかし、今の私はそれどころではなかった。
な、なんでよりにもよって──雪乃チャンが此処におるかな〜〜〜〜!?!?!?
そう、男が足を向けている先……恐らくターゲットであろう人物はおっかなびっくりなことに雪乃チャンだったのだ。
あの凛とした佇まい、紫外線のダメージなんて知りませんというような長く艶やかな黒髪、どこか儚さと可憐さを兼ね備えた雪のように白い肌。紛うことなき本人だ。
どうしてこうも、当たってほしくないことばかり的中してしまうのだろうか。ぴえんを超えてパオンである。
ただ、幸いなことにハヤトクンと透クンの姿は見えない。念の為、二人のニオイがするかも探ってみたがそれもなかった。
そうしていると、不意に雪乃チャンと目が合った。
それはほんの一瞬、瞬きひとつの刹那であったが──それだけで十分だった。
雪乃チャンは"わらって"いた。
つまりは、まぁ……
「……手の中で踊らすのは好きやけど、踊らされるんはあんな好きやないんよなァ」
「立花さん……?」
「……あそこの通りの、二つ目の十字路を右に曲がった先の奥にある路地裏が袋小路になってるんは知っとるよな?」
私の言葉に二人は若干不思議そうにしていたが、頷いた。
「あそこなら他の道を封鎖する必要もないから、そこで詰めるわ」
「詰めるって言ったって……そもそも、あの男が犯行に至るかは分からないだろう?」
確かに降谷クンの言う通りだろう。
もしかすると直前で相手が思いとどまるかもしれないし、そもそも今日はやめておこうと思うかもしれない。
人がどう思い、どう行動するかは本人にしか知り得ない情報なのだから。
しかし、私は確信していた。
「──いや、あれは必ず動く」
それも、既に自身が罠に掛けられているとも知らずに……。
「……ところでさァ、一応確認なんやけど」
「なんだ?」
「どうしたの?」
「二人とも、走るのは得意やったりする?」
諸伏クンと降谷クンは言葉の意図が分からないのか、どこか戸惑った様子でお互いを見合った。
それから、こくりと頷いたのだった。
雪乃チャンが件の路地裏方面へと右折し、それに続いて男の姿が消えたのを確認すると私は足に力を入れた。
グンッと身体の中にある『何か』が消費されるのを感じながら、背後にいる二人へ「
「えっ、な、早っっ!?」
「あっ、オイッッ!?」
二人の声が遠ざかるのを聴きながら、十分に空けていた距離を縮める。
元々、私のトリップ特典を大いに活用することを前提として動いていた。それは二人と邂逅してからも変わらない。
つまり、諸伏クンや降谷クンが私について来れないということは最初から織り込み済みだった、というワケだ。
そもそも今回の件で諸伏クンも降谷クンも必要か否かといえば、否である。
なにせ現実の……いま目の前にいる二人は"ただの高校生"。表の社会も、ましてや黒社会なんてものは一切知らない、純粋無垢な一般人なのだ。
いくら将来的に有能な警察官へとメタモルフォーゼするとはいっても、今は今、未来は未来。
これを機に成長する可能性はあれど、現状だけで見れば彼らを戦力としてカウントすることはできない──というのが、忖度なしの私の判断だ。
気配を消して路地を右に曲がる。
最初に見えたのは奥に向かって走る雪乃チャンの姿だった。次に、そんな彼女を追いかけるように走る男の背中。
幸運にもそれ以外の人の姿はない。居るのは真っ黒な目をした鴉や野良猫ぐらいである。
どれだけ都会であろうと、ほんの少し道を外れてしまえば途端に人の気配が消えてしまうのはどの世界でも共通らしい。
そっと口元に人差し指を立てれば、鴉は興味なさげに道端に転がる残飯を漁り、野良猫はゆらりと尻尾を振った。
そのまま二人を追い掛ける形で着いて行けば、やがて先程諸伏クンと降谷クンに話していた袋小路へと辿り着いた。
「こっ、来ないでッ!!」
薄暗い袋小路の奥、壁際に追い詰められた雪乃チャンが見える。
その前には男が立っていた。初々しさ満載な殺気を無駄なくらいに噴き出している。
雪乃チャンは白い肌を青白くさせ、体をガタガタと震わせていた。
それは誰がどう見ても可哀想なくらいに怯えた少女の姿だった。
だがその瞳の奥深くには、抑えきれないほどの愉悦が滲んでいる。
そう、彼女のあれは全て『演技』だ。
そして男が此処までついて来ることも、私が雪乃チャンを見つけることも、なにより彼女自身が囮になることも、全てが彼女の仕組んだ計画の内に過ぎない。
そう気がついたのは彼女を見つけて目が合ったあの時だ。
一体いつから計画されていたのだろうね。私がメールを送った時か、はたまた屋上で昼食を食べている時か……なににせよ、全くもって油断ならない相手である。
ただ、なにより面白いのは──これら全てが正義や善意等といった薄っぺらなものではなく、ただの興味本位によるものだということ。
流石は元ヴィラン。暇潰し感覚で犯罪者を釣り上げるとかやることが規格外すぎる。
男がポケットから何かを取り出して、それを右手に構えた。折り畳み式のナイフだ。
その瞬間、男から漂っていた鉄錆に似たニオイが濃くなる。
恐らく、あれがこれまでに起こった通り魔事件でも使用されている凶器なのだろう。
使うならもっと処理しやすい物を選べばいいのに……と、考えてしまうのは一種の職業病なのかもしれない。
あと武器を使うならせめて指紋が残らないように軍手か何かを付けろ。黒社会じゃあ常識だぞ?
ナイフを持った手が雪乃チャンに振り下ろされる、その瞬間を狙って私は飛び出した。
大抵、人というのは獲物を狙う瞬間が一番無防備になりやすいのだ。
とはいえ、この男は初心者も初心者なのでずっと無防備だったんだけどね。
「──隙だらけやで、ってなァッ!」
靴底を使ってナイフを弾き飛ばし、そのまま流れるように無防備となっている男の脇腹へと回し蹴りをぶち込んだ。
避けることも出来ず、蹴りをもろに喰らった男は鈍く重い音を響かせながらゴム毬のように地面を跳ねた。
「ッ……がッ、ァ、あァァア……ッ!!」
「おいおい……お前、それでも犯罪者の端くれかァ? 受け身のひとつやふたつ出来んと、その道でやってかれへんでなァ」
嘲笑うように「ハッ」と笑って、タイミング良く落ちて来たナイフを人差し指と中指で刃先の方を挟んでキャッチする。
物的証拠に指紋を残すのは良くないが、持ち手側に男の指紋が残っているから問題ない。
なにより此方は襲われた側なのだ。これぐらいは正当防衛として処理できる範囲内だろう。
男は地面を這いずるようにして、のたうち回っていた。
声にならない呻きと浅い呼吸、震える指先。どうやら、痛みには抗いようがないらしい。
……けれど、本人はまだ理解していないようだった。
自分の身に何が起きたのか。
どうしてこうなったのか。
その全部が置き去りにされたまま、ただ本能だけが悲鳴を上げていた。
あーあ、可哀想になぁ……まっ、私たちに見つかったのが運の尽きということで。
「紗夜、あまり手荒な真似はよしなよ。彼はまだ、自らの足で立つことすら覚束ない未熟者だろう?」
「なァにを甘っちょろいことぬかしとんねん。表社会を捨てたその瞬間から、
裏社会なんて何処もそんなものだ。
そもそも、人を殺していいのは人に殺される覚悟がある者だけ。
そんな常識も知らずにこの世界へ足を踏み入れるなんて、命知らずにも程がある。
「どいつもこいつも、そんな覚悟もないくせに簡単に道を踏み外すんよなァ」
「ぐ、あぁッ!!」
無駄な抵抗をされない為に転がっている男の背を足で踏み付ければ、苦しげな声を上げた。
漸く自身の置かれている立場を理解したようで、男の目には恐怖の色が滲んでいる。
「実に興味深いね。僕ですら、当然のように
「というか、めっちゃ疑問やったんやけどさァ。鳥兜や水仙みたいな毒ならまだ分かるけど、なんで
そんな疑問を零せば、雪乃チャンが驚いたように目を丸くして「……そんなに入手しにくい物なのかい?」と首を傾げた。
いや、アレって確か表社会だとそれなりに厳重に管理されている毒劇物のはず。
それなのに、どう考えても黒社会と無関係そうな人たちは一体どういった経路でそんな猛毒を入手しているのだろうね。
その辺を詰めていけば、芋ずる式にそこそこ一掃できそうで怖いなぁ。
「ふぅん……此処じゃ、青酸カリって“家庭に一本”レベルで流通してるのかと思ってたよ。あまりに皆が気軽に使うものだからさ」
「というか、青酸カリで即死はまず無理なんよ。なんなら経口摂取の場合やとそもそもゲロマズやから、味の時点で何か混ぜられてるって分かるはずなんよなァ」
あと口内に痛みも生じるから、その状態で致死量の青酸カリを摂取することはほぼ不可能に近いはず。
すると雪乃チャンが、ぱちりと瞬きをしてから小首を傾げた。
「……へぇ、そうだったのかい? てっきり僕、あれはマグル版アバダケダブラ的な何かだと思っていたよ」
さらりと、まるで授業で聞いた豆知識を披露するかのように無邪気な調子で言う雪乃チャン。
いやいや、流石にあれはフィクションです。実際は死ぬとしてもかなりの自覚症状が出てからになるからね。
そんな話をしていると、遠くの方から足音が此方に近づいてくる音が聞こえてきた。多分、諸伏クンと降谷クンだろう。
「立花さん!!」
「立花!!」
息も絶え絶え、といった様子で角を曲ってきた二人に「よォ」とナイフを二指で挟んだまま、手をひょいと上げて返す。
すると二人は肩で息をしながらも、キョトンと目を丸くした。
その目が、一体何があったんだ、と語っている。
「えっと……あの……」
諸伏クンは周囲の壁、私、私の背後にいる雪乃チャン、そして私の足元で踏みつけられている男、一緒に来た降谷クンなどを見回した後、最後にもう一度私へと視線を戻した。
「その……これ、どういう状況……?」
どういう、と言われてもねぇ。
私は後ろにいる雪乃チャンを見た。雪乃チャンも私を見る。
暫くお互いに見つめ合った後、私たちは打ち合わせしたようにほぼ同時に口を開いた。
「現行犯逮捕……?」
「現行犯逮捕、かしら?」
あまりにも事件パートが長くなりそうなので一旦ここで切ることにしました。どうも作者です。
いつもお気に入り等していただき、誠にありがとうございます。とっても嬉しいです!!
あまりにもあっさりと犯人が確保されたな〜と思う方もいるかと思いますが、元とはいえポートマフィアの幹部VS犯罪者とはいえ一般人だったらこんなもんかなぁ……と考えて、このような展開にしました。異論はとても認める。
相手が黒の組織の構成員とかだったら、また少し違った展開になったかもしれないです。
第五話では事件の続きになりますが、恐らく他視点が増えていくと思います。
景光視点だとか、零視点だとか、雪乃視点だとか……みんなの心情を語らせたい……!!
あと早く最推しを出したい……!!!!
次回も是非とも楽しんでいただけますと幸いです。
また、感想や評価などもいただけると励みになりますので、よかったら是非とも一言だけでも残していただけますと嬉しいです。
ではでは!